その日細川は、若林くんを見送った後残務処理し、夜勤のバイトと交代してようやく帰途についた。
帰宅の途中で不意にけたたましくスマホが鳴った。
大膳からの着信である。
細川はピンと背筋を伸ばして応答した。
『細川君!若林君のお母様から連絡があったんだが、君に粗相があったそうじゃないか!』
「は!あ!いえ……その……」
『言い訳はいい!困るじゃないか!君!』
「あ、う…申し訳ございません……」
『これは非常にインポータント・イニシアティブなのだ!失敗は許されない!』
「はい!その通りです!」
『まあ良い…明日からの動きをよく見ているよ。 細川君』
「か、かしこまりました!」
プツンと電話が切られる。
(うう……あの母親め……)
細川の胃がぎりぎりと痛む。
自宅に着いた時には11時を過ぎていた。
真っ暗なダイニングに入り手探りでペンダントの照明をつける。
テーブルの上にはサランラップがかけられた焼き飯とスプーンが置かれていた。
「なんだ……また焼飯か……」
細川はぼやきながらそれをレンジで温める。
そしてラップをめくると冷蔵庫に冷やしてあったキムチと一緒にスプーンで口に運ぶ。
誰もいないダイニングルームに咀嚼音が響くが焼飯はなかなか減らない。
(彼はレジも打てないし、商品の陳列もできない。揚げ物やスナックフードの調理も、店内の清掃も無理だ。しかも絶対に1人にしておけない。どうすれば……どうすれば……)
いくら考えても答えが見つからないのであった。
(明日からどうしよう……)
細川は途中でスプーンを置くと、無言で頭を抱える。
薄暗い室内に壁時計のチッチッという音だけが鳴り響いていた。
翌朝細川は早めに出勤したが、なんと駐車場にはもうレクサスが止まっていた。
後部座席の窓が開き若林くんが顔を突き出す。
「店長!おはようございます!もう待ちきれなくて!楽しみで!早く来ちゃいました!」
彼の顔は昨日よりもはるかにつやつやでテカテカだった。
その瞳はやる気で燃え上がっている。
「遅刻をなさるとはどういったおつもりざます!」
若林の母親は金縁メガネの奥のまなこを吊り上げて細川を叱責する。
(定時の1時間前なんだけどな……うう……)
細川はぐっとこらえて平身低頭謝罪をした後、若林くんを迎え入れた。
かといってやはり任せられる仕事が思いつかない。
また昨日のようにカウンター内で業務見学してもらうしかなかった。
定時になり北嶋が出勤してきた。
「北嶋先輩!おはようございます!」
入り口の自動ドアが振動するほどの大声で挨拶をする若林くん。
北嶋は彼をじろりと一瞥すると、無言のまま バックヤードに入って行った。
細川はその様子を見て慌てて彼の後について入った。
「北嶋君!あれはまずいって。挨拶ぐらい返さないと」
「冗談はよしこさんっす。何であんな奴に」
「頼むよ!また母親にチクられるかもしれないだろ」
「へえ。別に俺は構わないっすけどね」
「そんなことは言わんでくれ!頼む!」
細川の言葉はもはや悲鳴に近かった。
その時である。
「Oh My God!」
白人男性が呆れながら店を出ていく。
細川はバックヤードから飛び出し若林くんに詰め寄った。
「お客様が帰って行ったじゃないか!一体何があったんだ? 若林君!」
彼はきょとんとしている。
「え?何がって……わけのわからない言葉で喋ってくるから『ここは日本だ!日本語を喋れ!』って言ってやったんですよ」
「げ!ダメじゃないか!」
「なぜですか?《郷に入れば郷に従え》ですよ!フードとかドリンクとかブツブツしつこかったんで『日本語を勉強してから出直せっ』て一括してやりました!」
(最近ここは外人の観光客も多いのに……)
したり顔の若林くんに対し、もはや物を言う気力も失せてがっくりうなだれる細川。
その姿を北嶋は冷ややかに見つめている。
しかし午後になってさらに問題が発生した。
「そんなに僕をいじめて嬉しいですか!」
若林くんが憤慨している。
「え?一体何のこと?」
「カウンターの斜め前にいやらしい雑誌がいっぱい並んでいます」
「う……そうだけど」
「《熟女マガジン》とか《団地妻の汗》とか《週刊SM》とか、嫌が応にも僕の目に入ります!」
「そ、それは……」
「僕の股間は爆発しそうだ!」
若林くんは顔を真っ赤にして絶叫した。
(しまった!迂闊だった……)
細川は入口横の書籍販売コーナーから慌てて成人向け雑誌を全て抜き去りバックヤードに隠した。
しかしその直後にエリアマネージャーが業務監査に来てしまった。
彼は目敏く書籍コーナーの空きを見つけて細川に厳しく迫る。
「細川店長!何故成人向け雑誌が陳列されていないのかね!」
「ひ!申し訳ございません!」
「この店舗で成人向け雑誌が売上の何%を占めているのか君も承知のはずだろう。販売マニュアルに逆らうつもりかね!」
「いいえ!とんでもございません!」
「すぐに元に戻すんだ!」
「か、かしこまりました!」
細川はエリアマネージャーの監視の元、すべての雑誌を元に戻さざるを得なかった。
「今後は気を付けたまえ!上部には報告しておくから!」
「は、はい……」
まさに泣きっ面に蜂である。
細川はエリアマネージャーの姿が見えなくなるまで腰を折り曲げて見送った後、チラリと若林くんの方を見た。
(ひ!若林君……)
彼の股間は大きくテントを張っている。
そしてそのまなこは憎悪に満ちて細川を睨んでいた。
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