ヤタガラス探偵事務所・帝都支部 〜大正の刃と現代の悪魔召喚師〜 作:ガチャガチャクツワムシ
大正の夜は、現代のそれとは比較にならないほどに【暗い】。
瓦斯灯の淡い光が届かない路地裏は、まるで底のない泥濘のように重く、粘りついた沈黙が支配していた。
「……ハッ、地図アプリはダンスを踊り出すし、ガンプの画面は砂嵐。おまけに空気は炭っぽい。観光地としては最低の部類だな、こりゃ」
神代駆(かみしろ かける)は、愛用のガンプの液晶モニターと悪魔召喚プログラムが搭載された、自動拳銃型の特殊端末の重みを掌で確かめながら、やれやれと肩をすくめた。
二十二歳の若さながら、ヤタガラスに所属するデビルサマナーとして数々の修羅場を潜り抜けてきた彼だが、今回ばかりは笑うしかない。
ダークサマナー『人形師』が進めていた大規模な禁忌の実験。そこへ探偵として乗り込んだまでは良かったが、最悪なことに装置が大暴走を引き起こした。その莫大な魔力とバグに巻き込まれ、気がつけばガラス張りのショーケースもコンビニもない、教科書でしか見たことのないような時代に放り出されていた。
いや、時代が違うだけじゃない。ここは根本的な理が異なる、完全に『別の世界』だ。だからこそ自分の世界の現代のテクノロジーが正常に作動せず、ガンプの機能もこの世界の構造を正確に読み取ることができない。
あの野郎、と駆は内心で毒づく。
人形師は実力では逆立ちしても勝てないほどの怪物だが、極めて気まぐれな快楽主義者だ。今回の次元の暴走も奴にとっては「実験中の事故」に過ぎず、今頃は「せっかくの実験が台無しだ」と興ざめして、現代のどこかで全く別の実験を始めているはず。この世界の存在すら奴は認知していない。
だからこそ、一刻も早く帰還の手がかりを見つけてここを離れなければならなかった。もしこの世界でガンプや悪魔の異能を使い、派手に動きすぎて大きな『バグのログ』を残せば、あの面白い事が大好きな人形師に気づかれてしまう。奴に再注目され、この世界を新たなおもちゃ箱にされる前に、さっさと離脱する。それが駆の第一の目的だった。
「さて、まずはGoogleマップで現在地を確認……って、電波があるわけないか。ヤタガラスの圏外手当、出るんだろうな……」
駆は背負った黒いバックパックのストラップを締め直した。
このバッグの内部は亜空間を利用した収納庫になっており、予備の弾薬やサマナーとしての武器・装備、日々の食料などは一通りしっかり詰め込まれている。
ただ、問題は持ってきた回復アイテムの「質」だった。元々はヤタガラスから回ってきた「ちょっとした霊的現象の調査」という軽い案件だったのだ。ヤタガラスの見立てでもそこまで危険なヤマだとは思われておらず、わざわざ上位の悪魔を連れていく必要はないと言われていた。そのため、連れてきた仲魔は下位や中位の悪魔ばかり。大怪我を一撃で治すような最高品質 of 医療アイテムは事務所に置いてきてしまい、手元にはそこそこの回復量しか期待できない並の傷薬くらいしかなかった。装備や食料があるのは救いだが、フィンという絶対的な切り札を抱えつつ、限られた回復リソースでやりくりする綱渡りのサバイバルであることに変わりはなかった。
「……ん? おっと、お食事中か。お邪魔だったかな?」
路地の奥。どろりとした生臭い臭気が鼻を突く。
そこでは、三人の男が「食い散らかされていた」。その中心に蹲る影が、ギチギチと骨を噛み砕く音を立てながら、ゆっくりと首を巡らせる。
「……なんだァ? てめェ。その妙な格好……。新しい獲物か?」
月の光に照らされたその顔は、人間を辞めていた。
肥大した筋肉、異様に伸びた爪、傷口が瞬時に塞がっていく異常な再生能力。端的に言って化け物だ。
「獲物? いやいや、俺はただの迷子の探偵だよ。けど、あんたみたいな『不細工な悪魔』を見ると、職業病が疼いちゃってね。……とりあえず、その食べ方はマナー違反だ」
駆は軽薄な笑みを浮かべたまま、右手のガンプを流れるような動作で構え、同時に左手でパッと光を弾けさせた。ガンプの画面から足元の影へと魔力が走り、傷口のように空間が開く。
「来いよ、ジャックランタン。夜遊びの時間だ」
『ヒーホー! よろしくホー!』
ぷかぷかと浮き出てきたのは、燃え盛るカボチャの頭部を持つ奇怪な妖精──悪魔だった。
突如現れた謎の怪異に、鬼がわずかに身を竦める。
「な、んだその化け物は……! 血鬼術かァッ!?」
「死ねッ! 小僧ッ!」
悪魔と思われる怪物が、引き絞った肉体で跳躍する。その速度は常人を遥かに超えていたが、駆の目は冷めたままだった。
「おっと。──ショットシェル、属性【破魔】装填」
指がトリガーを引く。
ドォォォンッ!
魔力が火薬を叩き、ガンプの回路が励起する重低音が響いた。
「ギ、アアアアアアッ!? なんだ、これ、腕が……再生しねえ……ッ!?」
「破魔の弾丸だ。あんたみたいな『不浄』には、特効薬なんだよ。──ジャック、追い打ちだ。火力の加減は……まあ、適当でいいや。──『アギラオ』」
『ホーッ!!』
カボチャの妖精が放った紅蓮の炎が、路地裏を昼間のように照らし出す。
ただの火ではない。魔力によって増幅された超高温の業火が、再生能力を完全に封じられた鬼を包み込んだ。鬼は断末魔を上げる暇もなく、不浄な細胞の術式ごと根こそぎ炭化し、塵となって夜風に消えていった。
「ふぅ……。現代の悪魔よりよっぽど話が通じないな。さて、見物料を貰おうか?」
駆が銃を回してホルスターに収めようとした、その時だ。
「……動かないでください。その不思議な術、それと……その『変な格好』。説明していただきますよ」
背後から、鈴の音のように澄んだ、けれど背筋が凍るほど鋭い声が響いた。
振り返れば、そこには二人の少女が立っていた。
一人は、蝶の髪飾りをつけた、柔和な笑みを浮かべる少女。もう一人は、同じ髪飾りをつけ、こちらを射抜かんばかりに睨みつける小柄な少女。
「……わお。この街は美人の宝庫か? 侍のコスプレにしては、随分と様になってるけど」
「……人を食ったような態度は、その首を落としてからでも間に合いますよ。あなた、鬼ではないようですが……今のは血鬼術ですか?」
小柄な少女が、抜刀こそしないものの、いつでも踏み込める間合いで問いかける。
駆は彼女の瞳の奥に、深い疑念と、それ以上に「未知のもの」への強い好奇心を見た。
「血鬼術? いやいや、そんなおどろおどろしいもんじゃないって。俺はただの探偵……、それと」
駆は隣でまだぷかぷかと浮いているジャックランタンの頭に肘を乗せ、不敵に笑った。
「可愛い『仲魔(ナカマ)』を連れた、デビルサマナーだ。よろしくな、お嬢さん方。……お近づきの印に、チョコでも食べるかい?」
大正の夜。
日輪刀を持たない「異邦人」の介入により、運命の歯車が大きく、そして少し軽薄な音を立てて回り始めた。