ヤタガラス探偵事務所・帝都支部 〜大正の刃と現代の悪魔召喚師〜   作:ガチャガチャクツワムシ

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焦熱の調律

絶対零度の魔域。そこは吸い込むだけで肺が壊死する、鬼の領域であった。

「……あはは、そんなに怒らないでおくれよ。可哀想に、一人で僕に挑むなんて」

 童磨が扇を広げるたびに、空気を凍りつかせた雪の華が舞う。それは単なる冷気ではない。触れた者の「生」そのものを奪い取る、冥府の女王ヘルの呪いを帯びた【虚飾の吹雪】。

「……っ、ハァ……ハァ……」

 しのぶは凍てつく肺を押さえ、膝をついた。守護していた仲魔の姿はノイズのように激しく明滅し、いつ消えてもおかしくない。背後で必死に刀を構えるカナヲと伊之助も、極低温の負荷に意識が遠のきかけていた。

 しのぶの瞳に、ある決意が宿る。彼女が懐に隠し持っていたのは、以前駆が異界の知識として見せ、「これだけは絶対に使うな」と厳禁されていた禁忌の猛毒──神話の時代、地獄の番犬ケルベロスの涎が大地を汚し、そこから芽吹いたとされる伝説の『ケルベロスのトリカブト』を基調とした概念毒だった。

 それは、傷口から対象を腐食させるだけでなく、死の淵にある者の意識を黄泉の理へと引きずり込み、魂そのものを永遠の飢えに縛り付ける呪いの毒。もし無限城のような狭い空間で解き放てば、城そのものを「現世の理」から切り離し、味方をも黄泉の底へと引きずり込んでしまう。彼女が選んだのは、自らの命と引き換えに童磨を地獄の深淵へ突き落とすという、あまりに過酷な結末だった。

「……さようなら、可愛いしのぶちゃん。僕の中で永遠に」

 童磨が慈悲深い聖母のような笑みを浮かべ、睡蓮の氷華を咲かせようとしたその瞬間──空間が物理的に「消去」された。壁が、床が、存在を剥ぎ取られるように円形に消失する。

「……お待たせ。随分と派手に冷やしてくれてるね」

 立ち昇る砂塵の向こうから、ガンプを担いだ神代駆が姿を現した。しのぶの懐から漂う、黄泉の冷気を孕んだ忌々しい猛毒の気配を、駆は即座に察知する。

「……駆、さん……?」

「ピクシーから報告は受けてた。カナヲちゃんも伊之助も、よくここまで繋いだな。特訓の成果だよ」

 駆は迷わず数個の魔石をしのぶに投げ渡す。魔石が砕け、溢れ出したMAGがノイズの走っていた仲魔の姿を鮮やかに修復する。呆然とするしのぶの横をすり抜け、駆は童磨と対峙した。

「……おや。君、どこかで会ったことないかな?」

「忘れもしねーよ。3年前、カナエちゃんを襲ってた現場を荒らしたのは俺だ。あの時も、あんたをボロボロにしてやったろ?」

「ああ! 思い出したよ! 君の攻撃は変なんだ、再生しても焼けるような痛みが残る。あの日、君のせいであの女の子を食べ損ねた後は、しばらく調子が戻らなくて困ったんだよ」

 童磨は笑っているが、かつて自分を追い詰めた男の再来に、虹色の瞳が微かに揺れる。

「でも、今の僕はあの時とは違うんだ。素敵な『神様』たちと一つになれたからね。君のその鉄の塊も、もう僕には届かないよ」

「……悪魔と融合したくらいで、デビルサマナーに勝てると思ってんのか? 面倒な理を積み重ねた分だけ、あんたの隙は増えただけだわ。来い、ヒノカグツチ、スルト!」

 二柱の火神が無限城に降臨した。極熱の炎が絶対零度の魔域を内側から食らい尽くし、冥府の呪いさえも焼き払う。駆は蒸気を上げる空間の中で、肩を並べたしのぶに、警告するように鋭く告げた。

「しのぶちゃん。……懐のその毒、しまえ。昔見せたケルベロスのトリカブトか。……あれは強すぎる。使えば無限城ごと黄泉の底だ。今日は俺の『終焉の炎』と混ぜて、濃縮して撃つ。毒を撒き散らすんじゃなく、あいつだけに噛み付かせるぞ」

 支配者の間。人形師はワイングラスを傾け、静かにこの舞台を見守っていた。

「……実にいい。強引な闖入者が、絶望の縁を熱量で塗り替えていく。あの子が用意した毒は、地獄の門を開く鍵だ。それを駆というフィルターで『精製』するのか……。死の氾濫による自滅を、火神による支配へと書き換えたわけだね」

 人形師は愉悦に顔を歪ませ、静かに拍手を送った。無限城の深淵で、守護神を失い、毒と炎に焼かれる鬼の始祖にも匹敵する怪物が、今、初めて「死」の気配をその身に感じていた。

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