ヤタガラス探偵事務所・帝都支部 〜大正の刃と現代の悪魔召喚師〜 作:ガチャガチャクツワムシ
無限城の一角で、空間が内側から爆縮した。
瓦礫を押し退け、虚無を宿した青年――人修羅が静かに降り立つ。その圧倒的な静寂に、猗窩座の「至高の領域」が震え上がる。
「羅針が……反応しない。何だ、この『力』は……!?」
炭治郎と義勇は、あまりの気配の変質に息を呑んだ。先ほどまで二人を死の淵まで追い詰めていた猗窩座の闘気が、この青年の前に立たされた途端、霧のように散っていく。恐怖ではない、理の根幹が揺らぐような根源的な畏怖。
猗窩座が咆哮し、トールの雷を纏った渾身の『破壊殺・滅式』を放つ。だが、人修羅は回避も、防御の構えすらとらない。ただそこに在るだけで、猗窩座の全力が、青年の数センチ前で空間ごと圧し折られて霧散した。
激突の瞬間、トールの雷光が霧散した。人修羅の拳に宿るマガツヒの圧力が、猗窩座の「術式展開」を物理的に押し潰したのだ。
至高の武を目指したはずの彼にとって、この理屈を超えた暴力は、かつて自分が愛する人々を奪った「理不尽な運命」そのものの具現に見えた。
「……あはは! 見てごらんよ、あの猗窩座を!」
虚空の観劇席で、人形師が愉悦に肩を揺らす。
「武の極致を求めた彼が、自分の積み上げた練度が、あの青年の拳一つで塵に帰ることを悟って震えている! まるで神の御前に引きずり出された罪人じゃないか!」
人修羅の一撃が、猗窩座の胸を貫く。だが、その衝撃は肉体だけでなく、彼が頑なに閉ざしていた「記憶」の扉をも粉砕した。マガツヒの奔流に晒され、数百年かけて積み上げられた「猗窩座」という虚飾が剥がれ落ちていく。その痛みはもはや憎しみではなく、冷たい雨に打たれた後の陽だまりのような安らぎを伴っていた。
傍らで見守っていたハイピクシーは、何も介入しない。ただ静かに舞い降り、崩れゆく彼の頬に小さく触れるだけだ。
「……もう、頑張らなくていいんだよ。君がずっと探していたものは、最初から君の中にあったんだから」
炭治郎は、猗窩座の表情が鬼としての凶相から、一人の少年のそれに変わるのを確かに見た。
その視界の先、修羅の道の果てに、ようやく待ちわびた人影が見えた。
「……おかえりなさい、狛治さん」
優しく微笑む恋雪と、厳しくも温かく見守る慶蔵の姿。
「……ああ、……ああ……」
彼はトールの雷鳴という「不変の武」を捨て、ただ一人の愛する人を守りたかった男・狛治として、自らの魂を浄化していく。人修羅は何も言わず、その救済を邪魔立てする一切の穢れを、ただただ静かな威圧で焼き払い続けた。
人形師は、その光景を深い感動を持って見つめていた。
「……素晴らしい。敗北の中にこれほどの『救い』を描き出すとは。神代駆、君の連れてきた客人は、ただ暴力で壊すだけでなく、魂の結末さえも書き換えてしまうのか」
無限城の一角から、修羅の気配が消えた。
後に残されたのは、一握の塵と、悲劇の終わりを見届けた青年と妖精の静かな背中、そして、茫然と立ち尽くす炭治郎と義勇だけであった。