ヤタガラス探偵事務所・帝都支部 〜大正の刃と現代の悪魔召喚師〜 作:ガチャガチャクツワムシ
無限城の一角。そこは既に、剣戟の響きすらも失われた沈黙の地獄と化していた。
黒死牟の刃は、もはや「呼吸」の枠組みを完全に逸脱していた。人形師の手により肉体に宿された三柱の悪魔――武を極める神の権能、全てを塗り潰す執着の魔障、そして存在を腐食させる黄泉の穢れ。これらが融合した異形の力は、周囲の物理法則を捻じ曲げ、その力を解放するまでは互角に戦えていた柱たちの連携をまるで子供の遊びのようにあしらっていた。
「……ッ、何だ、この感覚は……! 呼吸が、俺の風が、あいつの周囲で食い散らされている……!」
不死川実弥が血を吐きながら叫ぶ。黒死牟の剣が通るたび、空間が腐食され、実弥の烈風は目に見えない「穢れ」に飲まれて消滅した。
「計算が合わない……! 譜面が……俺の構築した未来が、こいつの『執着』に塗り潰される……!」
宇髄天元が斬られた左目を押さえ、絶叫する。脳内に直接流れ込む猛烈なノイズが、天元の先読みの譜面を崩壊させていた。
「皆、下がるのだ……ッ! あの太刀筋は……ッ! 我らの呼吸や理屈を、根本からねじ伏せている……! まるで、神罰そのもののような『理』だッ!」
悲鳴嶼行冥が鉄球を叩きつけるが、黒死牟の太刀筋は一切の無駄なくその一点を弾き返し、逆に悲鳴嶼の足を深く切り裂く。
「くっ……! 炎の呼吸、玖ノ型・煉獄──!」
煉獄杏寿郎が渾身の奥義を放つが、その炎すらも悪魔の波動に触れた瞬間に霧散する。煉獄は目を見開いたまま、防戦も叶わず吹き飛ばされた。
「……これ程の力とは。呼吸も剣技も、まるで赤子の遊びのように……!」
時透無一郎は折れた日輪刀を握りしめ、なおも執念で斬り込むが、その動きは空間ごと固定され、無様に地に這う。かつて黒死牟が認めたその才能すらも、悪魔の力の前では砂の城のように脆い。
「派手な動きも、無駄な抵抗だ。今の私には、貴様らの理などとうに届かぬ……!」
玄弥の放った銃弾は、黒死牟に届く前に虚空へと消えた。戦意と希望を同時にへし折る圧倒的な暴力。黒死牟の刃が、力尽き地に這う無一郎の首へ、容赦なく振り下ろされる。
──無限城の時間が、凍りついた。
黒死牟の刃は、無一郎の首の寸前で、冷徹な一振りの鞘によって受け止められた。
「……随分と、若い才能を摘み取ることに執着しているようだな。だが、その首は渡さぬ」
静かに、しかし有無を言わせぬ威圧と共に立っていたのは、別の世界の帝都の守護者――十四代目葛葉ライドウであった。
その瞬間、黒死牟の瞳孔が限界まで収縮する。数百年前の記憶。永遠に追いかけ、死してなお届かなかった、あの日の『理不尽』の影。
「……あな、恐ろしや……。我が宿命よ、今一度、あの日の『理不尽』を私に突きつけるか……」
黒死牟は震える手で刃を構え直す。ライドウはその光景を一瞥し、静かに鯉口を切る。
「……フツヌシにマラ、そしてオオマガツヒか。随分と厄介なものを宿したものだ。悪魔を器とし、己の理まで売り払ったか……」
「……黙れ。この力があれば、私はようやく……」
「それは強さではない。ただの『執着の成れの果て』だ」
ライドウが懐から封魔管を取り出す。「召喚──スサノオ」。神威が愛刀に宿り、青白い雷光が闇を切り裂く。衝突した神の理と悪魔の権能に、無限城の空間が悲鳴を上げた。
「──カァァァン!!」
「……嘘だろ、あんな化物相手に、まともに打ち合っている……!?」
実弥が呆然と呟く。悲鳴嶼も数珠を握りしめたまま、その背中を凝視していた。
「……一体、何者だ。この御仁は……。神の気配……いや、それ以上の何かが、あの者の身に宿っている……」
ライドウの抜刀一閃。「天叢雲」が、黒死牟の刃を根幹から粉砕した。崩れゆく黒死牟の体から、異形の悪魔たちが剥がれ落ちていく。
「……悪魔が、逃げ出していく……。あんなに強大だった力が、まるでゴミのように……」
無一郎が震える声で漏らす。転がり落ちた古びた笛を前に、黒死牟が灰となって消えゆく。その背中は、かつて彼が一生をかけて追い求めた弟の面影と重なっていた。
「……見事だ、見事……! 悪魔を宿せど勝てぬとは。ああ、なんと甘美で残酷な終幕だろうか!」
虚空の観劇席で、人形師は陶酔しきった様子で拍手を送る。最高の見世物を堪能した観客のように輝く瞳で深く一礼すると、人形師は不気味に微笑んだ。
「だが、まだ終わらせてやるものか。……私の可愛い器たちは、これしきで壊れはしないのだよ」
静寂が戻った無限城で、柱たちは異界の調停者を見つめながらも、背後に感じる「見えざる視線」に言い知れぬ悪寒を覚えていた。
「……終わったのか。この悪夢が」
煉獄が力なく膝をつき、安堵と困惑を混ぜたような吐息を漏らす。だが、その背後に漂う禍々しい気配は、戦いがまだ序章に過ぎないことを告げていた。