ヤタガラス探偵事務所・帝都支部 〜大正の刃と現代の悪魔召喚師〜 作:ガチャガチャクツワムシ
二人は廃工場を後にし、ネオンが眩しく光る繁華街の一角、とりわけド派手な看板が目を引く店へと向かった。店の名は、ゲイバー『Club 蓮華(れんげ)』。
重厚な扉を開けた瞬間、濃厚な香水の匂いと賑やかな笑い声が二人を迎える。今夜の店はたまたまシフトの巡り合わせが良く、フロアにいるのは鴉や駆の正体、そしてこの街の裏側の事情を嫌というほど熟知してしまった、肝の据わった従業員たちのみだった。
「あら、あらあらあら! ちょっと誰かと思えば、駆ちゃんじゃないの! どこに行ってたのよ、連絡もなしに!」
カウンターの奥から、184センチの巨体に真っ赤なハイヒールを鳴らし、赤い長髪を揺らしながら爆速で迫ってきたのは、店主の鬼龍院 蓮(ママ)だった。
「よお、ママ。……ちょっと今回の『依頼』が長引いちまってさ」
「依頼って……あら!?」
蓮の鋭い視線が、駆の背後に佇む少女へと固定される。その瞬間、店内の空気がピリリと引き締まった。カウンターの端には、悪の首領のごとき威圧感を放つ紳士・久遠寺 鴉が優雅に脚を組み、紫煙を燻らせている。そして周囲の従業員たちもまた、駆が連れてきたのがただの客ではないことを瞬時に察した。彼らは普段なら腰を抜かすような異様な顔ぶれを前にしても、驚くほど冷静にグラスを磨き、あるいは注文を整理する手元を止めない。ただ、その視線の奥には、興味深げな探究心が宿っていた。
しのぶは、生で見る彼らの圧倒的な「異質さ」に、思わず息を呑んだ。
「……っ」
彼女の身体が、本能的に戦闘態勢へ移行する。指先が今はなき日輪刀の柄を探すように動き、その瞳には鬼と対峙した時のような、鋭く冷徹な警戒の色が宿った。
同時に、駆の足元の影が、人知れず静かに波打った。影の中に潜む機械的知性『アザゼル』が、店内にいる者たちが「敵対個体」ではないことを即座に判定し、戦闘演算を解除したのだ。彼は主の身内に対する最低限の警戒を解き、再び影の底で主の命を待つ沈黙へと戻っていった。
「……落ち着けよ、しのぶちゃん」
殺気立ちかけた彼女の肩を、駆の手がそっと包み込む。
「この人達は見た目こそ派手だが、敵じゃねえ。……俺の、ろくでもない身内のような存在だ」
駆はあえて肩の力を抜き、いつもの気だるげで飄々とした笑みを浮かべて見せた。その余裕たっぷりの態度に、しのぶはハッとしたように我に返り、ゆっくりと構えを解いた。
「……まずは、ママ。彼女について説明させてくれ。名前は胡蝶しのぶ。……色々あって、今この街で俺と一緒に暮らすことになった。社会的な身分も何もかも、ゼロからのスタートなんだ」
駆は真剣な眼差しで、まっすぐに蓮を見据える。
「彼女には、これから普通の生活を送ってもらいたい。だから、彼女の生活に必要な服や日用品を揃えてやってほしいんだ。……社会に馴染むための、最初の『鎧』をな。あと、しのぶはまだ未成年だ。そのつもりで頼む」
駆の「しがない探偵」らしい理知的な説明を受け止めた蓮は、フッと表情を和らげ、力強く頷いた。
「そういうことね。身分もなにもない、新しい生活の始まり……。わかったわ、駆ちゃん。その依頼、アタシが一番いい形で引き受けさせてもらうわよ」
蓮は優雅に立ち上がり、しのぶの方を向いて柔らかな微笑みを向けた。
「……お初にお目にかかります。胡蝶しのぶと申します。駆さんには、過ぎた恩義を賜りました。不束者ですが、以後お見知りおきを」
その気品に満ちた挨拶に、蓮は感嘆し、胸に手を当てて優雅に一礼を返す。
「……なんて健気で美しい子なの! 自己紹介が遅れたわね。アタシは鬼龍院 蓮。この『Club 蓮華』のママであり、この街の良き相談役といったところかしら。以後よろしくね、しのぶちゃん」
蓮が慈しむように言うと、しのぶは再び頭を下げた。
「聞いたわねあんたたち! この子はまだ蕾なのよ! 刺激の強いものは遠ざけて、最高に可愛く仕立てるわよ!」
嵐のように奥へと連れ去られたしのぶを見送り、駆はカウンターに座った。端で独り、不敵な笑みを浮かべていた鴉が、どこか肩を落としてウィスキーを煽る。
「ククク……。よもや、私の『風格』がこれほど裏目に出るとはな。駆よ、彼女には私が決して『悪の組織の首領』ではないとよーく言い聞かせておいてくれ。流石の私も少々来るものがある……」
「……努力はしてみるよ、師匠。それより、あの子の『バックボーン』、頼めるか」
鴉は眼鏡を押し上げ、不敵な軍師の目に戻る。「……よかろう。胡蝶しのぶ。彼女の学業の記録まで含め、完璧な『真実』を仕立て上げてやろう」
しばらくすると、奥から着替えを終えたしのぶが現れた。藤色を基調とした、現代的で上品なワンピース。
「……どうでしょうか、駆さん。変ではありませんか?」
「……ああ。似合ってる。元の格好も良かったが、こっちもいい」
駆のぶっきらぼうだが熱い視線に、しのぶちゃんは幸福そうに目を細めた。
「さあ、お祝いよ! 駆ちゃんたちは飲み明かしなさい! しのぶちゃんには……特製のノンアルコール・フルーツカクテルを用意したわ!」
「ありがとうございます、蓮さん」
鴉が仕立てる「完璧な過去」。蓮たちが用意する「輝かしい未来」。
「……これからの俺たちの生活に、乾杯だ」
グラスが触れ合う音が、新しい物語の始まりを告げる。
神代駆としのぶ。二人の「日常」は、かつての戦場よりもずっと賑やかで、光に満ちていた。