ヤタガラス探偵事務所・帝都支部 〜大正の刃と現代の悪魔召喚師〜 作:ガチャガチャクツワムシ
優雅なティータイムを過ごしているなか美緒はある疑問が浮かんだ。
「……ねえ、しのぶさん。駆兄はどうして、こんな危ない世界に足を踏み入れたのかな。あんなに面倒くさがりなのに」
美緒の純粋な疑問が、午後の穏やかな事務所に落ちた。しのぶも以前に問いかけたことはあったが、駆はいつもはぐらかして笑うばかりだった。どう答えようかと逡巡した、その時である。
デスクに鎮座していたガンプの銃身から、青白い放電現象が撒き散らされた。ガンプの奥に潜んでいたアザゼルが、主人の過去ログを自ら起動させたのだ。スピーカーから響くのは、聞く者の魂を凍らせるような、冷徹で静かな合成音声だった。
『──質問を検知。マスターがこの深淵へ足を踏み入れた原因、それは自分自身だ。……事の経緯を再生する』
アザゼルの声が、電子的なグリッチを伴って事務所の空気を重く変える。
『まだ奴が学生の頃であった。興味本位で立ち入った廃工場。そこでマスターは、主を喪失し、狂乱の果てに自己崩壊の淵にあった個体……過去の自分である「イヌガミ」と邂逅した。自分は当時、視界に入る全ての生体反応を排除する機械的な殺意に支配されていた。だが、武装なき少年であったマスターは逃走を放棄し、あろうことか泥と血に塗れた自分の頭部を力任せに押さえつけた。「……騒ぐな。お前も、一人になるのが怖かっただけだろ」。……マスターが放ったその言葉は、召喚師の論理を超えた、純粋なる同調。その接触こそが、後の鴉による介入を招き、奴をこの裏側の世界へと引きずり込んだのだ』
「……。……それで、契約したの?」
『否。術式も出力も皆無の無謀な博打だ。だがそこへ介入した鴉は、深淵を直視し続けるマスターを見て不敵に笑った。「ほう、この若さで悪魔の孤独に共鳴するか。死なせるには惜しい」と。それが、奴が世界の裏側へ堕ち、自分を再定義した原点だ』
演算音が、当時の凄惨な記憶をトレースするように微かに震える。
『マスターは自分と魂の契約を締結し、修羅の道を選択した。……以来、奴は出力不足による自分へのダメージを回避するため、必死で資金を蓄積。ガンプを特注し、自分を「マカミ」、「ハヤタロウ」、そして現在の「アザゼル」へと再構成し続けた。……記録、以上だ』
報告が終了すると、電子機器のノイズはピタリと止んだ。
美緒は、いつもぶっきらぼうな兄が隠してきた「孤独と覚悟」の重みに、ただ圧倒されていた。
「……そっか。駆兄らしいね。……本当に、バカで格好いいんだから」
美緒は少しだけ潤んだ瞳を隠すように、冷めかけた紅茶を一口啜った。
「……ええ。本当に、あの方は救いようのないほどに……お優しい方なのです」
しのぶは目を細め、かつて自分もまた、別の形で彼に「救い」を与えられた瞬間を思い出していた。不在の主人が戻れば「余計なログを垂れ流すな」と吐き捨てるだろうが、アザゼルの影は、どこか肯定的な信号を放つように闇の底へと消えていった。