ヤタガラス探偵事務所・帝都支部 〜大正の刃と現代の悪魔召喚師〜 作:ガチャガチャクツワムシ
とある日の午後、神代駆はデスクの受話器を耳に当て、親しい相手へと気負いのない口調で話していた。
「お久しぶりですね。帰還の挨拶をして以来ですか?」
ビジネス用の言葉遣いではなく、普段の崩した言葉遣い。電話の向こうの相手を察せられる。
「──なるほど、そういうことですね。分かりました。……で、俺はいた方がいいですか? いらないですか。そうですか。じゃあ仲魔達には伝えておくんで、勝手に入って下さい。あ、それと。出来れば介護用のパンツかオムツを履いて来てもらうと助かります。流石にそちらも色々恥ずかしいでしょうし、今、事務所に助手みたいな少女がいるんで……。ええ、よろしくお願いします。終わったら電話を下さい。助手とも顔合わせをさせたいので……では失礼します」
電話を切ると、キッチンの方から胡蝶しのぶがトコトコと歩み寄ってきた。
「お仕事の依頼でしょうか?」
「まぁ、そんなところだ。あぁ、そうだ、しのぶちゃん。悪いんだけど明日、ママのところに行こう。大事な話があるからさ」
「え? でも、どなたかいらっしゃるのでは?」
「俺だけならいいんだけど、しのぶちゃんもいると、ちょっと相手方が面倒なことになりそうだからさ。あと、コイツらに用があるんだよ」
駆がそう言って自身のガンプを軽く叩くと、部屋の隅に五芒星の姿をした悪魔・デカラビアが浮かび上がる。駆がアイコンタクトで指示を送ると、デカラビアは了解したように不気味に回転し、影へと溶けて消えた。
それを不思議そうに眺めながらも、しのぶは「分かりました」と柔らかな笑みを浮かべ、夕食の準備へと戻っていった。
──そして翌日。
駆としのぶが外出した後の、表向きは誰もいないはずの探偵事務所。そこに、3人の男たちが訪れていた。
「兄貴、何でこんな探偵事務所になんか来たんですか?」
「それにここって、2ヶ月前にうちの組に顔を出した、あの若造の事務所ですよね?」
そう怪訝そうに質問しているのは、駆と同年代の茶髪のリーゼントと、黒髪のチンピラ風の男──天神組の若い衆だった。
二人から「兄貴」と呼ばれた、スーツ姿で鋭い目つきの眼鏡の男──峠館は、冷ややかな一瞥をくれてから低く言った。
「お前らも半人前とはいえ、組の皆からそれなりに信頼を得てきた。だからこそ、頭やおやっさんの許可が出たからここに連れてきたんだ。ここは裏社会じゃあ恐れられている禁忌の一つだ。……で、言われた通りに履いてきたんだろうな?」
そう言われ、若者二人は顔を不可解そうにしながらもズボンを少しずらし、組の兄貴たちから厳命されて履いてきたリハビリ用のパンツの端を見せた。
「よし。……一応言っとくが、万が一漏らしても誰も笑わねぇから安心しろ」
それだけ言い捨てると、峠館は首を傾げる舎弟たちを連れ、静まり返った事務所の扉を押し開けた。
しかし、そこに広がっていたのは、人間が暮らす日常の空間などではなかった。
──壁や床は禍々しい肉の壁となって蠢き、部屋全体がまるで巨大な生き物の体内にでも迷い込んだかのような、生々しい異界の空気に満ちていたのだ。
「ヒヒッ、久しぶりだねぇ。今回はまた、どんな醜態をさらしてくれるのかな?」
空間の天井から不気味に声をかけたのは、昨夜駆が言伝(ことづけ)をしたデカラビアだった。さらに部屋の奥からは、パズズ、ケルベロス、オルトロス、ゴズキ、メズキといった中位から上位の悪魔たちが、殺気を孕んだ冷たい眼光で男たちを睥睨している。
常軌を逸した魔のプレッシャーに気圧され、舎弟の二人は恐怖のあまりその場で派手に尻餅をつき、文字通り脱糞を漏らしてしまった。
「……いいか、よく聞け」
峠館も冷汗をダラダラと流しながら、それでも気丈に震える声を絞り出す。
「ここはな、悪魔を使役しこの国を裏から守る『デビルサマナー』が営んでいる場所だ。俺たち天神組は、ここの今の主とその師匠とは、血を流さないための不可侵の協力関係にある……」
だが、その説明が終わるよりも早く、極道の若者たちは人間のキャパシティを超える恐怖の限界を迎え、白目を剥いてその場に気絶して倒れ伏したのであった。