アテンション・プリンセス~空っぽのワタシ、魔法少女になります~   作:樫丹鏡花

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10.ヴェルサーチ・プールオム-Versace Pour Homme-

車体が最初の右折を終えたところで、A1は車内の確認を始めた。正面、サクラ——外傷なし、呼吸数は毎分二十前後、消耗中程度。確認は目視で行った。目視で行う必要が、あった。その左、カノン——頬に擦過傷一、深度は表皮まで、戦闘に支障なし。キヅキ——唇の端に乾いた血痕、発声機能に異常は認められない、消耗中程度。ミドリ——手袋の甲に擦過痕多数、負傷なし、温存指定を継続。ユカリ——外傷なし、懐の紙の位置を三分間で二度確認、消耗軽度。床の隙間、随伴一体——損傷なし。仕切りの向こう、助手席に一名、運転席に一名。車内の総員、八名及び一体。全員の状態確認を終えるまで、十一秒を要した。復帰前の平均より、二秒遅い。誤差は許容範囲内と判定し、次の項目に移る。腰の細い棒、残量表示は緑。マグライト、光量正常。ワイヤー、残長十五メートル。ホルスター——空欄のまま。確認の手順は、そこでいったん行き止まりになった。

 

インターフォンが短く鳴った。「備品の、返却です」——助手席の声だった。仕切りの下、書類の受け渡しに使う横長の口が内側から開き、黒いケースが一つ、続いて布に包まれた塊が一つ、順に差し出された。ケースの持ち手に保管票が結ばれている。押収品目、拳銃一・附属ケース一。押収日、十二月二十一日。搬出日、十二月二十四日。搬出理由の欄は、空白のまま提出されていた。番号のない書類は誰の決裁ラインにも紐づかない——その書式に、A1は見覚えがあった。布を解くと、拳銃だった。製造番号の末尾四桁を照合、一致。弾倉は三本、いずれも装填済み。撃鉄まわりの状態、良好。三日間の保管で油膜が薄くなっている箇所を指先で確かめてから、A1はそれをホルスターに収めた。留め金が鳴る音で、朝から続いていた確認の手順が、ようやく最後まで通った。「受領した」と受け渡し口へ返すと、口は音もなく閉じた。礼の言葉は、どちらからも出なかった。

 

後部扉の小窓越しに、追跡の車列が見えた。灰色の大型車——防弾仕様のSUVが四台、車間二十二メートルを保って続いている。二十二、二十二、二十二。先頭が車線を移れば、二台目は一・四秒後に同じ舵角で移り、三台目も、四台目も、同じ一・四秒後に同じ角度で続いた。制動灯の点く順番と間隔まで、四台とも揃っている。運転席の白い輪郭は、復電区間に入るたび、同じ姿勢で照らし出された。揃っていることは、雪の上では弱点になる。あの走り方は轍を読んでいない。路面の下に凍結が残る箇所も、雪壁の崩れかけている箇所も、前走車の挙動から〇・二秒遅れてしか処理できない。金王坂の下りに入った瞬間、この車のブレーキは踏まれなかった。エンジンの回転だけが落ち、車体はわずかに斜めを向いたまま、雪の浅い側へ滑るように吸い込まれていく。轍の深い側をわざと外す運転だった。後続の先頭が同じ地点で同じ操作を試み、〇・二秒遅れ、路肩の放置車両のミラーを弾き飛ばした。揺らぎを学習した個体は、揺らぎで走る。学習していない個体は、揃ったまま遅れる。差は開かない。ただ、縮みもしなかった。

 

坂を下り切り、車体は都道412号へ入った。頭上に高速の高架が被さり、雪はいったん途切れて、橋脚の列が等間隔に流れ始める。青山の停電区間——信号も街灯も消えた交差点を、追跡の前照灯だけが白く薙いでいく。次の復電区間で信号は黄色の点滅に変わり、コンビニの灯りが雪壁の上に四角く落ちた。明と暗の縞を、車列ごと縫っていく。放置車両が車線の半分を塞ぐ箇所では、雪壁との隙間は目測で二メートル六十。この車の全幅で残りは十センチ台になる。運転席は速度を落とさずに通した。後方から、チェーンが路面を叩く音が四台分、間隔を詰めて追ってくる。

 

西麻布の手前で、先頭のSUVが車間を破って加速に入った。A1はケースを膝の上で開いた。拡張フレームを取り出し、拳銃のレールマウントに接続する。銃身、機関部、肩当ての順。三十連の弾倉を差し、遊底を引く。組み上がったものは、もう拳銃の輪郭をしていなかった——アサルトライフルの形状に変わっている。発砲には許可の照会が要る。手順を呼び出し、照会先の系統が応答を返さないことを確認するまでに〇・一秒。手順を継続させる規定は、もう残っていなかった。対象は人員ではなく器物。対人発砲規定の適用外と判定する。発砲は、自己の判断とした。「扉を開ける。摑まれ」——短く告げ、ワイヤーの端を天井の手すりに巻いて左手首に固定してから、後部扉の片側を蹴り開けた。雪と排気の匂いが一度に流れ込み、タマが床の隙間で「開けよったで」と小さく言った。先頭のSUVは距離十四メートル。フロントガラスに三点、着弾——白く濁っただけで、貫通しない。防弾は仕様通りだった。A1は狙点を下げ、右前輪に二発、ラジエーターの継ぎ目に三発を置いた。前輪が潰れ、車体は轍に取られて右へ流れ、雪壁に鼻先から突き上がって横倒しに回った。残弾、二十二。倒れた車体の窓から白い輪郭が二つ、減速の手順を持たない動き方で這い出してくるのが、遠ざかる視界の端に映った。

 

二台目が入れ替わりに詰めてきた。車間八メートル、六メートル——追突ではなく、押し潰しにかかる詰め方だった。「変身を許可。緑は温存」A1が言い終わるより早く、サクラは端末を胸の前に構えていた。続けて二つ、三つ、待機音が重なる。狭い車内が桃と赤と黄と紫の光で一度飽和し、光が引いた時には、四人の輪郭が変わっていた。赤が席を立ち、開いた扉の縁に足をかける。ミドリとキヅキが左右からベルトを摑んで支えた。SUVの鼻先が扉の下端に触れる、その瞬間を赤は待った。伸ばした右手が、ボンネットの継ぎ目に触れる。触れた場所から爆発が起きた。前部が浮き、車体は後続の目の前で縦に一回転して、雪壁を崩しながら停まった。爆風の熱が車内まで届き、開いた扉の縁の雪だけが一瞬で消えた。赤は何も言わずに席へ戻り、浅く腰を預け直した。

 

三台目は正面から来なかった。復電区間の交差点で車線を変え、左の側面に並びかけてくる。雪壁とこの車体の間に鼻先をねじ込み、押し出す線を取る動きだった。「左」とA1が言うのと、サクラが杖の先を小窓の外へ向けるのは同時だった。並走するSUVの左前輪の進む先、路面から斜めに、薄い板が立ち上がる。角度はおよそ十五度。前輪がそれに乗り上げ、車体の左側だけが持ち上がって、SUVは自分の速度のまま横へ転がった。転がった先の放置車両に側面から乗り上げ、屋根を下にして停まる。板は役目を終えると、立ち上がった時と同じ速さで消えた。杖を引いたサクラの呼吸が、目視で二拍ぶん速くなっている——消耗中程度から、変更なし。A1はそう記録した。

 

天井を打つ音がした。二点。続いて、左の側壁にも一点。転がった車体から、あるいは並走の間に、飛び移った個体がいる。減速も助走の計算もない跳び方は、量産体にしかできない。「屋根の上、歩いとるわ。二匹」床の隙間からタマが言った。左側壁の一点は、小窓の縁に白い指をかけ、強化ガラスを外から押し割りにかかっている。黄が息を大きく吸い、割れかけた窓のすぐ横、内側の壁板に手のひらを当てた。壁が鳴った。車体の骨格から振動が走り、外の白い指が縁を保てずに滑る。個体は壁面から剥がれ、路面の轍の上を三度弾んで、後続の車輪の下に消えた。屋根の二点は、扉の方へ向かって等間隔に歩いてくる。紫が通路の中央で膝を落とし、両手を左右へ開いた。開いた扉の外、車体の右と左から、紫の光が二筋、鏡合わせに屋根の上へ降りる。足音は二点とも、同時に途切れた。二つの白い輪郭が左右対称の軌道で夜へ落ちていくのを、小窓が一瞬だけ映した。

 

六本木の交差点は停電区間の側にあった。歩道橋の上に人影はなく、ビルの壁面の大型ビジョンは三面とも、黒い板のまま雪を受けている。普段なら光と音を降らせ続けている画面が消えていると、交差点そのものの寸法が一回り小さく見えた。その黒い画面に、この車の前照灯だけが一瞬映り込んで、流れた。

 

インターフォンが鳴った。「六本木、通過。経路は412のまま維持しますか」「維持。溜池から先は、正面の手前で停止」「了解しました。溜池、下りに入ります。この先は復電区間です」「了解」——通信はそれで切れた。車内の誰も、そのやりとりに言葉を足さなかった。

 

溜池の下りで、最後の一台は車間を詰めなかった。三十メートルの距離を保ったまま、こちらの速度に合わせて降りてくる。仕留めにかかる走りではない。距離を保ち、こちらが出し続けるのを待つ走り方——その手順に、A1は覚えがあった。自分の記録の中にある。ライフルの狙点を一度その車に置き、置いたまま、引き金は引かなかった。撃たせるための距離かもしれず、撃つ必要のない距離でもあった。坂を下り切る手前で、SUVは自分から減速し、復電区間の信号の下で停まって、前照灯だけをこちらへ向け続けた。追跡は、そこで終わった。終わらされた、という数え方も、A1は並べて保持した。

 

雪はまだ降っている。停電の縞を抜けた先、フロントの方角の空が、そこだけ明るかった。仕切り越し、運転席の窓の向こうに、議事堂の輪郭が浮かんでいる。周囲の街は暗いままで、あの一画だけに光源が集中していた。照度の差は、目測で二桁。降る雪が光の束の中だけ白く数えられるほどの光量を、A1は自分の記録の中で一件だけ照合できた——劇場の、幕が上がる直前の舞台照明。照合結果を、A1はどこにも送信しなかった。送信する宛先が、もうなかった。ライフルの弾倉を抜き、残弾を数え直す。二十二。車体は速度を落とさないまま、明るい方へ下っていった。

 

 


 

雪はまだ止んでいなかった。国会議事堂の南側、道路を挟んだ向かいに建つ、改修工事で足場に半分覆われたオフィスビルの屋上に、アオネは片膝をついて身を沈めていた。足場に張られたメッシュシートが風を遮り、屋上の縁に近い一角だけ、雪の吹き溜まりが浅くなっている。ここまでの経路は、地下鉄の運行が首都圏規模で間引かれている状況を踏まえ、徒歩を選んだ。停電区間を縫って、およそ四キロ。歩行時間は五十二分——想定より八分早かった。雪が先行する車列の轍で踏み固められ、歩きやすくなっている区間があったためだった。到着後、屋上へ上がる非常階段のうち鍵のかかっていない一枚を見つけるまでに要した時間は、四分。工事用の足場が、ビル外周の非常階段を一部塞いでいたことが、かえって鍵の管理を甘くしていた——現場の人手不足という、天候とは別の理由による隙間だった。気温は氷点下三度、風速はおよそ二メートル。数値は変わらず表に打ち込む。スマートフォンの残量は六十二パーセント、電波は三本のうち二本——予備のモバイルバッテリーは、まだ使う段階ではなかった。双眼鏡は使わない。理由は未明の観測と同じだった——視野を狭めれば、周辺の動きを同時に追えなくなる。視界の抜けは良好で、正門から前庭にかけての一帯は、遮蔽物なしにほぼ全周が見通せた。

 

道路を見下ろす。編成は、目視でおよそ四十二台。議事堂の正門から国会前庭にかけての一帯を、三重の輪の形に囲んでいる。内側の輪、車両十六台。中間、装甲仕様の車両八台。外周、残り十八台前後——数の変動は、視界の端で待機と入れ替わりを続ける車両によるものだった。人員は各車両におおむね四名から六名、合計すると目測でおよそ二百名。多いとも、少ないとも、アオネは判断しなかった。数はただ、そこにある数だった。車両の側面に、所属を示す標章の類は見当たらない。無線のやり取りも、この十六分間、傍受できる範囲では一度も聞こえていない——音声を使わない指揮系統だとすれば、それ自体が一つの情報だった。照明車の位置と向きを一台ずつ数える。八基、いずれも光軸を輪の内側、議事堂を背にした路面へ向けている。外向きに光を放つ照明は、一基も見当たらなかった。歩哨の立ち位置も、三重の輪それぞれで等間隔——巡回ではなく、固定の配置だった。

 

数えた編成の上に、あるはずのものの不在を重ねる。護送車——後部が檻状になった車両、あるいは搬送用の小型バスに類する車両は、四十二台のうちどこにも含まれていない。搬送先の指定——拡声器を通した誘導も、集合地点を示す立て看板の類も、見える範囲には存在しない。拡声の呼びかけ——投降を促す定型の文言は、観測を始めてからの十六分間、一度も流れていない。救急車、あるいはそれに類する車両も一台もない——負傷者が出る前提の編成であれば、通常この規模で最低一台は配置される。手話通訳や交渉担当者らしき人影も、双眼鏡なしで確認できる範囲には立っていなかった。逮捕の現場であれば、これらのうち少なくとも二つは、必ずどこかにある。四十二台の編成に、そのすべてが欠けているのを、アオネはそれまで見たことがなかった。

 

思考の結論だけを、短く文字に打つ。「逮捕の書式ではなく、殲滅の書式」——理由は付け加えなかった。付け加える必要がなかった。文面をタマ経由で流す。数十秒の間があって、短い返信が一つだけ戻る。「……了解」。それだけだった。返信を待つ間、アオネはもう一度、照明の向きを端から確認し直す。八基とも、変わらない。

 

照明の反射で、議事堂の輪郭がわずかに白く縁取られている。この一帯が舞台として選ばれたのは、今夜になってからではない——雪の上、正門前の複数箇所に、カメラの三脚と思われる等間隔の凹みが残っていた。凹みの縁には、今夜の降雪が薄く積もり直している。積もり直した層の厚みから逆算すると、三脚が据えられてから少なくとも三時間、長ければ五時間は経過していることになる。少なくとも日没前には、この場所は決まっていたことになる。アオネは、その数字を表の余白に書き足す。感情の欄は、やはりなかった。

 

懐から、タマ経由で転送されていた画像を呼び出す。数十分前、ユカリが持ち出した進行台本の写しの一頁——中継カメラの配置図だった。画質は粗く、影の落ち方から夜間に手早く撮られたものだと分かる。正門前、東側からおよそ三十度、西側からおよそ四十五度の位置に、それぞれ一台。数字はそこまでしか読み取れない。アオネは、画面を指で拡大し、目の前の照明の位置と角度を、その二点に重ねる。方位はコンパスアプリで確認済みだった。東側のカメラの三脚跡から議事堂の中心までの角度は、目測でおよそ三十二度。すぐ脇に置かれた照明の一基も、ほぼ同じ角度を向いていた。西側も同様——誤差はどちらも二、三度の範囲に収まっている。二点とも、偶然の一致とするには近すぎる数字だった。

 

二つの設計図——中継の絵と、包囲の絵。角度の一致は、偶然で片づけられる範囲を超えていた。「同じ筆致」——アオネの判断は、そこまでにしておく。誰の手かまでは、この距離と、この写しの粗さからは分からない。分からないところで、判断を止めた。判断を急いで、確度の低い名前を表に書き込むほうが、かえって誤差を増やすことになる——それが、アオネの流儀だった。

 

設計図の一致は、もう一つの計算にも重なった。かねてアオネが独自に採点してきた「K機関でも魔法少女でもない第三の脅威」——発行部数、広告収入、政界への接触頻度の三点で点数化してきた対象が、この二枚の設計図のどちらかに関わっている確率は、これまでの採点よりわずかに上がった。上がった、というより、上げるべき理由が一つ増えた、という言い方のほうが正確だった。アオネはその一行も、表に書き加える。採点を確定させるにはまだ足りない。足りないことも、そのまま記録した。

 

輪の全周を、もう一度なぞる。北西、官邸の方角へ抜ける一角だけ、車間が広い。他の区間の車間がおおむね三メートルなのに対し、その一角だけは八メートル前後空いていた。照明も、そこだけ光量が半分ほど落ちている。歩哨の間隔も、その一角だけ他の倍近くまで広がっていた。塞ぎ忘れではない——塞ぎ忘れなら、車両と歩哨の配置はもっと不規則になる。ここは、規則正しく空いていた。

 

北と南を塞ぎ、一箇所だけ開ける。未明、雪の高速でアオネ自身が組んだ布陣と、同じ形をしていた。あのときは、南東の一角だけを開け、要員を退かせるための穴として使った——今、目の前にある北西の穴は、規模も配置の比率も、あの夜の布陣に近い数字を示している。誰かが、開けている。塞ぎ忘れではなく、意図として開けている——その事実にアオネが気づいたのは、自分の手筋と同型だったからにほかならない。今夜の穴が、誰のために、何のために空いているのかは、この場所からは分からない。分からないまま、期待値の表に変数を一つ足す。「開放地点あり、意図不明、確率変数として保留」。感傷は乗らなかった。乗せる理由がなかった。

 

北西、開いた区間の奥に、黒塗りの車両が一台停まった。プレートの並びは、以前タブに残していた指揮系統の車両区分と一致する——搭乗者は、おそらく新K本人だった。後部座席側のドアが開き、降りてきた人影は一人。コートの襟を立て、足早に車列の内側へ向かっていく。歩き出す足音は、雪にほとんど吸われて届かなかった——雪のせいなのか、それとも別の理由があるのか、この距離からは判別できなかった。アオネはその一点だけを、確度の低い観測として表の隅に置いた。

 

輪の外周、南側の車列の切れ目に、速度を落とさない白いバスが近づいてくるのが見えた。バスは、開いた一角の手前、目測でおよそ二十メートルの地点に停止した。エンジン音だけが、しばらく雪の中に残った。アオネは腕時計に目を落とす。屋上からバスの停止位置までの距離は、目測でおよそ百四十メートル。非常階段を使えば、合流までに要する時間はおよそ九十秒——雪の踏み固まり具合を差し引いても、二分は超えない計算だった。表を閉じ、画面を暗くする。合流までの手順は、もう頭の中にできていた。

 

 

 

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