アテンション・プリンセス~空っぽのワタシ、魔法少女になります~ 作:樫丹鏡花
アオイが動いた。
動いた、という言葉が追いつかなかった——動いていた、が正しかった。×××××が「動こうとしている」と認識した時点では、アオイは既に三歩前にいた。廃フロアの床を踏む音がして、踏んだ足から次の足へ重心が移って、その連続のどこかで「動く前」と「動いた後」の境目があったはずだったが、境目は見えなかった。
赤い少女が後退した。
後退したのは一歩だった。一歩だけ退いて、止まった。止まったのは怯えたからではなかった——そうは見えなかった——状況を確認しようとした、という感じの一歩だった。確認している間に、アオイが手を上げた。上げた指先から、光の線が引かれた。
今度の線は少なかった。
一本か、二本。さっきのような格子ではなかった。一本が空間を斜めに走って、消えた。消えたのではなく——残っているが、見えなくなった、という感触が伝わってきた。伝わってきた根拠を×××××は持っていなかった。ただ、アオイがそういうものを引いた、という確信があった。確信の出所は、見えていない線の向こう側にあるものの動き方だった。
赤い少女が前に踏み込もうとして、止まった。
止まった——正確には、止められた。身体が意図と違う動きを一瞬した。した、とすぐに立て直した。立て直した速さは、×××××が予想していたより速かった。
「なに」と赤い少女が言った。
独り言のような声だった。×××××に向けてではなく、アオイに向けてでもなく——何かへの確認、だった。自分の身体が想定外の抵抗を感じた、という事実への反応だった。
アオイは答えなかった。
答える代わりに、もう一本、線を引いた。今度は×××××にも見えた。縦に走る光の線が、廃フロアの床から天井に向かって一本、引かれた。引かれた瞬間に、フロアの空気が変わった。変わった、という言い方は曖昧で——密度が変わった、と言う方が近かったかもしれない。壁が出来た、とは違う。壁の前兆のような何か、だった。
赤い少女がそれを見た。
見て、嗤った。
嗤った、というのが正確かどうか分からなかった。笑ったのとは違って、声を出さずに、口の端が動いた——それだけだった。動き方が「なるほど」という言葉の代わりのような動き方で、嗤ったと形容したのは×××××の主観だったかもしれなかった。
「遅延系、か」と赤い少女は言った。「めんどくさいな」
独り言ではなかった。アオイへの言葉だった。
二人の距離が、縮まった。
縮まった、という言い方が正確かどうかも分からなかった——赤い少女が縮めた。縮める意志を動作より前に出して、それを確認してからアオイが退いた。退いた先でまた線を引いて、引いた線を赤い少女が踏み越えた。踏み越えた場所で、また赤い少女が一瞬だけよろめいた。よろめいて、すぐに立て直した。
繰り返されていた。
同じことが繰り返されていた——でも、繰り返しの中に差があった。少しずつ変わっていた。赤い少女が線を越えるのが速くなっていた。アオイが線を引くのが遅くなっていた。遅くなっているとは言えなかった——速さは変わっていないかもしれなかった——でも線を引く間隔が長くなっていた。長くなっている分だけ、次の線が来るまでの時間が、ある。
その時間の中に赤い少女が来ていた。
×××××は壁から背中を離さなかった。
離さなかった、というのは意識的な判断ではなかった——離そうとしていなかった。離していない背中が冷たかった。冷たさが一定のまま続いていた。続いている間、×××××は目を逸らさなかった。
何かが変わった。
変わった、という認識が来るより先に、身体が反応した。反応した、とは——×××××の肺が、一瞬、空気を溜め込んだ。溜め込んだまま、止まった。
アオイが下がっていた。
下がっていた、というのは「退いていた」ではなかった——「下がらされていた」だった。赤い少女の踏み込みを、線で制動することが間に合わなかった、というのが起きたことだった。間に合わなかった一瞬に、赤い少女の身体が届いた。届いた先でアオイの腕を掴んだ——掴んだのではなかった、掴もうとした手がアオイの腕の外側を通り過ぎた——通り過ぎた手の周囲に、熱が来た。
熱、というのも正確ではなかった。
圧力だった。
赤い少女の手が空気を割るときの圧力が、アオイに当たった。当たって、アオイが横に動いた。動かされた。動かされながら、アオイの手が線を引こうとしていた。引こうとしていたが、線は来なかった——来なかった、のではなく、来かけて消えた。
消えた原因が、×××××には分からなかった。
分からなかったが、消えた後でアオイの動き方が変わっていた。
「アオイさん」と×××××は言った。
言葉として成立していたかどうか、自分では分からなかった。声になっていたのか、息になっていたのか——音として廃フロアに出たのかどうか。
アオイは振り返らなかった。
振り返る猶予がなかった、という方が近かった——赤い少女が来ていた。また来ていた。今度は速かった。さっきより明らかに速かった。速さが変わったのではなく——遅延させる線がなかった。線のないフロアの上を、赤い少女が走っていた。
走る、というのも言葉が足りなかった。
踏んでいた。床を踏んでいた。一歩ずつが確認できた——一歩ずつが重かった。重い足が来るたびに、廃フロアの床が音を出した。割れたタイルが一枚、踏まれた拍子に位置をずらした。ずれた音が聞こえた。
アオイが腕を上げた。
上げた腕から、今度は線ではないものが出た。光の、面だった——横に広がる、水が薄く引かれるような、面。赤い少女に当たった。当たって、赤い少女が止まった。止まったのは一秒未満だった。
面が、消えた。
消えた場所に、赤い少女がいた。
アオイが後退した。
今度は自分で退いた——退いた先を確認しながら退いた、という動き方だった。確認した先に×××××がいた。距離が詰まった。詰まった分だけ、×××××にはアオイの背中が見えた。見えた背中が——さっきと違っていた。
違い、を言葉にするのが難しかった。
衣装の形は変わっていなかった。藍色の、水の層のような衣装。変身前のアオイとは別の人間のように見えた変身後のアオイ——その輪郭が、揺れていた。揺れている、というのが正確かどうかも分からなかったが、固さが欠けていた。固さ、というのは身体の剛性ではなく——何か、内側から支えているものの、密度のことだった。
密度が、削れていた。
削れていることが、背中の見え方から伝わってきた。
伝わってきた、という事実が、×××××の胸のあたりに圧力をかけた。圧力をかけた、という比喩以外に、その感触を言葉にできなかった。感触が何を意味するのかも言えなかった。ただ、伝わってきた。
「使いすぎだろ」と赤い少女が言った。
声が変わっていた。尖りが落ちていた。さっきより低かった——というより、状況の全体を確認している声になっていた。「めんどくさい」と言ったときの声と同じではなかった。何か、余裕とも疲弊とも取れる成分が入っていた。
アオイは返事をしなかった。
返事の代わりに、手を動かした。動かした手が、ゆっくりスマートフォンを出した。スマートフォンの画面が——光っていた。光り方が変わっていた。さっきまでより均一だった。均一、というのは揺れがない、ということで、揺れがないということは安定している、ということのはずだったが——揺れがない光は、どこか固定した感じがした。固定した、ということは動かない、ということで、動かないということは——
×××××はその先が続かなかった。
続かなかった代わりに、身体が動いた。壁から離れた。
離れた一歩が、床に着いた。
「待って」と×××××は言った。
言ってから、何を待てと言いたいのか、自分で分からなかった。待て、という言葉が何に向けられているのかも分からなかった——アオイに向けてなのか、赤い少女に向けてなのか、その両方なのか、あるいはどちらでもない何かに向けてなのか。
どちらも振り返らなかった。
アオイは振り返れる状態ではなかった——赤い少女と向き合っていた。赤い少女は×××××を一瞬見た——見た目が、さっきと違っていた。さっきよりも何か、処理に時間をかけている感じがした。
「また来てる」と赤い少女は言った。
誰かに向けた言葉ではなかった。確認だった。
「……なんで」
今度も独り言だった。独り言の内側に、×××××にはうまく処理できない何かがあった。問いかけの形だったが、答えを求めていなかった。ただ、分からない、という事実を出した声だった。
アオイが言った。
「下がって」
×××××に向けた言葉だった。
「でも」
「下がって」
繰り返し方が短かった。短さが、余裕のなさと、それ以上の言葉を持っていないことの両方を、同時に出していた。
×××××は下がらなかった。
下がれなかった、とは少し違った——下がる方向に体重を移せなかった。移そうとして、移れなかった。移れなかった理由を言語化しようとして、出てこなかった。ただ、足が床を踏んでいた。踏んでいる場所が、さっきより前だった。
赤い少女が×××××を見た。
見た目が、さっきとまた変わっていた。
「お前さ」と赤い少女は言った。
「お前」という言い方が、怒りではなかった。呆れでもなかった。分類できなかった。
「怖いのに来る、ってのが」
言いかけて、止まった。
止まった。
続きが来なかった。来なかった理由が、×××××には分からなかった。赤い少女が続きを持っていないのか、続きはあるが言わないのか——どちらか判断する根拠を持っていなかった。
アオイが動いた。
アオイが動いたのに気づいたのと、赤い少女が赤の意識をアオイに戻したのが、ほぼ同時だった。スマートフォンの光が強くなっていた。強く、という言葉では足りなかった——光が、外向きになっていた。さっきまでの光は「内側で発光している」感触だったが、今の光は「外に向かっている」感触だった。
方向があった。
光に方向がある、という事実が——何かの前兆だということが、×××××には分かった。
分かった根拠がなかった。でも分かった。
「アオイさん」と×××××は言った。
今度は声になっていた。届いていたかどうかは、アオイの反応からは判断できなかった。アオイは×××××を見なかった。スマートフォンを見ていた。見ているというより、持っていた——スマートフォンを両手で持って、画面の光の中にいた。
赤い少女が踏み込んだ。
速かった。
今まで見た中で一番速かった。廃フロアの床を三歩で半分越えた。越えながら右手が前に出た——前に出た手の周囲の密度が、目に見えて変わった。圧縮された何かが手の先に来ていた。
アオイが動かなかった。
動かなかった。
動かなかった、という事実が——×××××の肺から空気を全部出した。出し切った状態で、×××××は一歩前に動いていた。
動いた足が何かに当たった。
当たって、止まった。
足元を見た——見えないものがあった。見えないが、確かに何かがあった。圧力として分かった。壁ではなく、膜のような何かだった。弾力があった。押しても割れなかった。割れないまま、×××××の足が前に行けなかった。
透明な壁があった。
アオイが引いた、最後の線が——面になって、フロアを区切っていた。
面の向こう側に、アオイがいた。
赤い少女が来た。
赤い少女の踏み込みがアオイに届いた——届く直前に、アオイが画面の光を前に向けた。面と面がぶつかった。ぶつかった場所で何かが起きた。
光が広がった。
広がり方が「爆発」ではなかった——水が決壊するような広がり方だった。横に、下に、斜めに——藍色の光が廃フロアの空間に満ちた。満ちた光の圧力が、×××××のいる透明な面にも伝わって来た。伝わって来て、面が揺れた。揺れながら、持ちこたえた。
×××××は面を叩いた。
叩いた。
叩いて、叩いて、叩いた。
叩き方に戦略はなかった。透明な面は動かなかった。揺れなかった。弾力がある分だけ、×××××の手が帰ってきた。帰ってきた手を、また出した。出して、当たって、帰ってきた。それを繰り返した。繰り返しに意味があるかどうかは考えていなかった——考える余裕がなかったのかもしれないし、考えた上で考えることを止めたのかもしれなかった。
声を出した。
出した声が何を言っていたか、後から確認できなかった。アオイの名前だったかもしれないし、そうでなかったかもしれなかった。音として出た、という事実だけが残った。
面の向こうが見えなかった。
光が満ちていた——光の密度が高くて、シルエット以外見えなかった。シルエットが二つあった。動いていた。動いている二つのうち、どちらがアオイか判断できた——動き方の種類が違った。片方はアオイの動き方で、片方はそうでなかった。
アオイの動き方が、遅くなっていた。
遅くなっていることが、面の向こうから伝わってきた。
伝わってくる、ということが——×××××の足を動かなくさせた。動かなくなった理由を考えた——考えようとして、考えながら、×××××は面を叩くのをやめていた。
やめた手が、面についていた。
手のひらがついていた。面は冷たかった。冷たさが、手を通じて腕に来て、腕から肩に来た。肩から首に来て、首から顔に来た。
顔が冷たかった。
顔が冷たいということが——今この場所の温度とは別の何かを意味している、と思った。思っただけで確認できなかった。確認できないまま、手のひらが面についていた。
面の向こうで、光が変わった。
光が、大きくなった。
一瞬だった。
一瞬で、廃フロア全体が藍色になった。
藍色、と言っても光の色が変わったのではなかった——光の量が変わった。量が変わった瞬間に、空間の概念が変わった。廃フロアという箱の中に詰まっている空気の全部が、一瞬、藍色の密度に置き換わった——という感触が来た。
来た。
来て、消えた。
消えた後の空間は、暗かった。
暗かった——廃フロアの暗さに戻っていた。窓から渋谷の光が入っていた。遠くからサイレンの音が来ていた。換気扇の音かもしれなかった。人の声かもしれなかった。渋谷の夜が、窓の外で続いていた。
×××××の手のひらの前に、面がなかった。
面が消えていた。
手が空気を叩いた。
叩いた先に何もなかった。透明な面が消えていた。消えた場所に、床があった。×××××の足は面の手前にいた——面が消えたことで、前に進める空間ができた。
進んだ。
一歩。
一歩を踏んで、廃フロアの中に入った。入った、というのも変な言い方で——さっきから同じフロアにいた。ただ、何かの内側に入った、という感触があった。感触の根拠は——光が消えた後の空間の質が変わっていた、ということだった。変わり方を言葉にできなかった。
アオイがいた。
床に膝をついていた。
膝をついた姿勢で、スマートフォンを持っていた。スマートフォンの画面は——さっきの光がなかった。画面が、暗かった。暗い画面を、アオイは見ていなかった。下を見ていた。床の、割れたタイルの継ぎ目を、見ていた。
赤い少女は——いなかった。
×××××はアオイに近づいた。
近づきながら、「アオイさん」と言おうとした。
言おうとした、というのは正確ではなかった——声が出た。「アオイさん」という音が、空気に出た。
アオイが顔を上げた。
顔を上げた時間は短かった。上げてすぐ、また下を向いた。でも上げた一瞬に、×××××と目が合った。合った時間は一秒もなかった。一秒なかったが、合った。
アオイの目が——変身前の目だった。
変身中のアオイの目は「感情の優先順位が変わっている」目だった——いつかそう思ったことがあった。今の目は違った。感情の優先順位が戻っていた。戻っている目で、×××××を見た。見た。
それだけだった。
それだけで——×××××は一歩止まった。止まった理由を考えなかった。止まった事実だけがあった。
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「……消えた」とアオイは言った。
声が低かった。変身中の声でも、変身前の声でもなかった——両方の間にある声だった。
「赤の人が?」
「うん」
「なんで」
アオイが答えなかった。答えるための何かを探している、という沈黙だった。探して、出てこなかった、という沈黙に変わった。
「……分からない」とアオイは言った。「来るのをやめた」
「なんで来るのをやめたの」
「分からない」
同じ言葉が繰り返された。繰り返しが、「同じことを二度言った」ではなく「最初から分からないもので、今も分からないまま」を意味していた。×××××にはその違いが分かった。分かった理由は、アオイの声の質が、一回目と二回目で変わっていなかったからだった。
スマートフォンが、鳴った。
鳴った、というのは着信音ではなかった——画面が光った。光の色が——藍色ではなかった。別の、灰色に近い白だった。灰色の光が、アオイの手の中から来ていた。
アオイが画面を見た。
見て、光を消した。消し方が——強かった。ボタンを押した、というより、押し込んだ、という動作だった。押し込んだ後、画面が暗くなった。暗くなった画面を、アオイは見なかった。
「妖精?」と×××××は聞いた。
アオイが頷いた。頷き方が遅かった。
「なんて言ってた?」
しばらく間があった。
「……怒ってた」
「なんで」
「使いすぎたから」
使いすぎた——という言葉が、廃フロアの空気に出た。出て、そのままあった。×××××がどう受け取ればいいのか分からない種類の言葉だった。使いすぎた、という言葉の「使いすぎた何か」が、今この場所に結果として見えていた——膝をついたアオイと、暗くなったスマートフォンと、面が消えた廃フロアと——全部が「使いすぎた後」だった。
「……立てる?」と×××××は言った。
他に言うことが出てこなかった。出てこなかったが、これは言える言葉だった。言えることを言った。
アオイが×××××を見た。
今度は顔を上げたまま、見た。見た目が——さっきの一秒よりも長かった。長くて、それから少しだけアオイの口が動いた。
「……大丈夫じゃないかもしれない」
声に感情があった。
感情がある、というのが珍しかった——変身中のアオイの声は感情表現が乏しかった。乏しいまま、今まで来ていた。今の声は、変身中でも変身前でもない声で、感情があった。感情が何かは言えなかった——疲れているのかもしれないし、違う何かがあるのかもしれなかった。
「うん」と×××××は言った。「大丈夫じゃないと思う」
アオイが少し止まった。止まって、また口が動いた。
「……なんで来たの」
「来ない方がいいって書いてあったから」
「それで来るの?」
「来るなとは書いてなかったので」
廃フロアが静かだった。渋谷の音が遠くにあった。窓から光が入っていた。床の割れたタイルが、さっきと同じ場所にあった。変わったものと、変わっていないものが、同じ空間にあった。
アオイが、起き上がろうとした。
×××××は手を出した。
手を取ってもらえるかどうか分からなかった。
分からなかったが、出した手はそこにあった。あって、アオイの手がそこに来た。来た手は冷たかった。冷たさが、×××××の手のひらに来た。来て、×××××は手を握った。握り方が正しいのかどうか分からなかった。正しいかどうかを確認する方法もなかった。ただ握った。
アオイが立った。
立った体重が×××××の手に来た。来た重さは想像していたより軽かった——アオイが自分の力で立っていた、ということだった。来た重さは一瞬で、次の瞬間にはアオイが自分の足で立っていた。
手が、離れた。
離れた手を、×××××は何もしないでいた。
アオイがスマートフォンをポケットにしまった。しまって、廃フロアを見渡した——見渡し方が、戦闘中の「次の来かかわる動き」を確認する視線とは違っていた。確認した、という意味の視線だった。確認して、そこで終わり、という視線。
「行こう」とアオイは言った。
「うん」
「ここにいない方がいい」
「うん」
「……ごめん」
ごめんの出し方が、唐突だった。唐突だったが——×××××にとっては唐突ではなかった。唐突ではなかった理由が言えなかった。ただ、唐突ではなかった。
「来たのは私が決めた」と×××××は言った。
アオイが少し止まった。
「そう、かな」
「そう」
断言した。断言した後で、断言した根拠を整理しようとして——整理は途中で止まった。止まったが、断言した事実は変わらなかった。
廃フロアの出口に向かって、アオイが先に歩いた。
歩く音が、床のタイルに当たった。×××××もそれに続いた。続いた足が、さっき面を叩いていた場所を踏んだ——踏んでも何もなかった。ただの床だった。
窓の外に渋谷があった。
渋谷は変わっていなかった。