アテンション・プリンセス~空っぽのワタシ、魔法少女になります~ 作:樫丹鏡花
アオイが先に歩いた。
手は離れていた。離れた理由は分からなかった——離すと決めたわけでも、離されたわけでもなかった。二人が歩き始めた、という事実の中で、いつの間にか手と手の間に空気が入っていた。廃フロアの出口に向かう動きの中で、それが起きていた。
×××××は、後ろからアオイの背中を見ていた。
歩き方が——速かった。さっきより速かった。力を使い切った直後の歩き方ではなかった。使い切った後で何かが戻っている、というより、使い切ったことで何かの重さが取れた後の歩き方だった。軽さ、と呼べるかどうかは分からなかった。でも速かった。×××××はついていった。
廃フロアを出た。
廊下に出た。出た廊下が、フロアより暗かった。窓がなかった。蛍光灯の残骸が天井からぶら下がっていたが、電気はどこにも来ていなかった。床は廃フロアより埃が積もっていた。積もり方から、誰かが歩いた痕跡が読み取れたが、誰なのかは分からなかった。
アオイが立ち止まった。
立ち止まり方が——唐突だった。足が止まった、という動作が来る前に、アオイの身体全体が動きを止めた。一度に止まった。その止まり方が——×××××は見たことのある止まり方だった。公園でアオイが何かを察知したときの、あの止まり方だった。
何も聞こえなかった。
×××××には。
×××××の耳には、廃ビルの外から来る渋谷の音だけがあった。車のエンジン音、横断歩道の電子音、どこかのコンビニの扉が開く音——全部が、薄く、壁を越えて来ていた。廊下には音がなかった。埃の積もった廊下に、二人の呼吸だけがあった。
アオイが、廊下の先を見ていた。
見ている方向が、×××××には判断できなかった。暗くて、見えなかった。廊下の先が曲がっていた。曲がった先に何があるのか、×××××には分からなかった。アオイには分かっているのかもしれなかった。
分からないまま、×××××はアオイの背中を見ていた。
赤かった。
一瞬だった。
廊下の先の曲がり角から、光が漏れた。光の色が、赤だった。さっきのカノンの赤と——似ていたが、違った。似ていて違う、というのが最初の印象だった。似ている理由が、同じ「赤」だからだった。違う理由が——分からなかった。でも、同じではなかった。さっきの赤には何かの重さがあった。今の赤には、別の何かがあった。重さよりも鋭い何かが、あの赤の中にあった。
消えた。
曲がり角の光が消えた。一秒もなかったかもしれなかった。しかし確かに来て、確かに消えた。×××××の目の中に、赤の残像が残っていた。残像が薄れていく間、×××××は息を吐けなかった。
「別の人」
アオイが言った。
声が低かった。低くて、小さかった。誰かに向けた言葉ではなかった——聞かせるために言ったのではなく、確認するために言った言葉だった。
「別の赤い人、って意味?」
×××××が聞いた。
アオイが頷いた。頷き方が小さかった。頭が上下に一回動いた、というだけの頷き方だった。
「さっきの人と違う?」
「違う」
短い答えだった。
「どうして分かるの」
アオイが少し間を置いた。置いた間が——どう使われているのか、×××××には見えなかった。暗くて、アオイの表情が読めなかった。
「赤の色が違う」
それだけ言った。
赤の色が違う——という言葉が、×××××の中で何かに引っかかった。
引っかかって、すぐには解けなかった。解けないまま、廊下に立っていた。床の埃が、×××××の靴底の下にあった。何かを踏んでいる感覚が、靴を通じて来ていた。踏んでいるものが何なのかを確認する余裕はなかった。
赤が二人いる——ということが、起きていた。
起きている、という事実の形が、×××××には掴めなかった。さっきのカノンとは別の誰かが、同じ「赤い光」を持って、このビルに来ている。来て、今は曲がり角の向こうにいる。来た理由が分からなかった。目的が分からなかった。ただ、来ていた。
×××××の手のひらが、汗をかいていた。
気づいたのは今だった。いつから汗をかいていたのかは分からなかった。
音が来た。
廊下の、別の場所から。
上だった。天井の上——一つ上のフロアから、何かが動く音が来た。人が歩く音ではなかった。もっと小さく、もっと正確な音だった。等間隔で来る音だった。等間隔、というのが——×××××が知っている人間の歩き方とは違う等間隔だった。ずれない。一定だった。一定すぎた。
「901より移動、対象確認。254を視認」
声が来た。
声の出所が——上でも横でもなかった。無線、のような音だった。無線のような音が、廊下の空気の中に来て、消えた。誰かの通信が、壁か空気か何かを通じて、ここまで届いた。届いた言葉の意味が、×××××には解読できなかった。数字だけが、耳に残った。
アオイが動いた。
今度は止まらなかった。
廊下を引き返す方向に、動いた。来た方向——廃フロアの方向ではなく、別の方向だった。廃ビルの内側を、×××××が来たルートとは違うルートで、アオイが歩き始めた。歩き方が速かった。ただし走ってはいなかった。走らない速さで動いていた。走ると音が出る、という判断をしているように見えた。
×××××はついていった。
ついていく理由を考えなかった。
ただ、アオイの背中が動いた方向に、自分の足が動いた。
非常階段だった。
廊下の突き当たりに、鉄の扉があった。アオイが扉を押した。押した扉が、軋んだ。軋みの音が、廊下に反響した。反響した音が、一瞬大きくなって、消えた。
×××××が後に続いて、扉の向こうに出た。
外の空気が来た。
冷たかった。一月の夜の空気が、廊下の空気よりはるかに冷たかった。冷たい空気が、肺に入って、胸の内側から身体の温度を下げた。下がった、というのが分かった——分かったのが、今まで身体が熱を持っていたということを、冷たさによって知った、という順番だった。
外付けの非常階段だった。
鉄製の、錆びた、非常階段だった。来る時に上った階段とは別の面についている階段だった。階段の下に路地があった。路地の先に——渋谷があった。
アオイが手すりを掴んで、階段を下り始めた。
手すりを掴む手が、×××××には見えた。
見えた手が——震えていなかった。さっきの廃フロアで床についていた手は、暗さの中でも震えているように見えた。今の手は違った。手すりを掴む力が、しっかりしていた。何かが戻っている——戻った何かが、一段下に足を踏み出す動作を支えていた。
「走れる?」と×××××は聞こうとした。
聞こうとして、やめた。
アオイが先に言ったのと同じ言葉を、今度は×××××が聞こうとしていた。やめた理由は——聞く前に答えが分かっていたからだった。アオイは走れた。走れるかどうかより、走るかどうかの問題だった。
×××××も手すりを掴んだ。
錆の感触が、手のひらに当たった。来る時と同じ錆だった。同じ手すりの、別の側面だった。
二人が階段を下りた。
音が鳴った。鉄の音が、一段ごとに来た。来る音が、等間隔ではなかった。人間の動き方をしていた。均一ではなかった——アオイと×××××で、歩調が少し違った。少し違う音が、交互に来た。来る音が重なったり、ずれたりした。
上から、音が来なかった。
追ってくる音が、来なかった。
来ないことが、安心だったのかどうかは、×××××には判断できなかった。来ないことが良いのか、来ないことが別の意味を持つのかが——分からなかった。分からないまま、階段を下りた。
路地に出た。
路地の空気が、非常階段の外気よりさらに別の冷たさを持っていた。路地は狭かった。両側のビルが路地の上で近づいていて、空が細かった。細い空に、渋谷の光が反射していた。光源は見えないのに、空が明るかった。渋谷の光の量が、細い空を通してでも届いていた。
アオイが立ち止まらなかった。
路地を歩き続けた。
歩く方向が——渋谷の方向ではなかった。渋谷から遠ざかる方向でもなかった。平行だった。渋谷と平行に、路地を歩いていた。
×××××はついていった。
路地の途中で、アオイが一度だけ立ち止まった。
立ち止まって、後ろを見た。
後ろを見た目線が——×××××を見ていなかった。×××××の後ろの、路地の暗さを見ていた。暗さの中に何かを探していた。探していた時間は短かった。三秒か、四秒か、それくらいだった。
アオイが前を向いた。
「来てない」
声が来た。
「さっきの赤い人が?」
「うん」
それだけだった。
それだけで、アオイは歩き始めた。歩き方が——さっきより少し遅くなっていた。遅くなった理由が、安心したからなのか、疲れが来たからなのか、どちらかは分からなかった。両方かもしれなかった。
路地が終わった。
路地の出口で、アオイが止まった。今度は×××××も止まった。
出口の先は——大きい通りだった。車が通っていた。人が通っていた。コンビニがあった。コンビニの光が、出口から見えた。光の量が、路地の中から見ると過剰だった。過剰な光の中に、普通の夜があった。
二人は出口の手前に立っていた。
立ったまま、どちらも動かなかった。動くべきかどうかを判断している、というより、動く前の一拍を取っていた。一拍が、どちらから来たのかは分からなかった。
「さっきの」
×××××が言った。
言い始めて、続きが出てこなかった。さっきの、何。さっきの赤い人——ではなかった。それはアオイに確認した。さっきの、声。さっきの、無線。さっきの、数字だけで来たあの通信。あれが何なのかを、言葉にする形が×××××には見つからなかった。
「……あの声」
やっと出てきた言葉が、それだった。
「上から来た。無線みたいな。数字を言ってた」
アオイが×××××を見た。
見た目線が——何かを測っていた。測るような目線だった。測り方が、品定めではなかった。どこまで話すかを、今この瞬間に決めているような目線だった。
「聞こえてたんだ」
アオイが言った。問いではなかった。確認だった。
「聞こえた。何なの、あれ」
アオイが少し間を置いた。
「お巡りさん、みたいな人たち」
×××××は、その説明の意味を考えた。
「魔法少女の?」
「だと思う」
思う、という言い方だった。断定ではなかった。確信があって言っているのではなく、そう解釈している、という言い方だった。
コンビニの扉が開く音が来た。
誰かが出てくる音が来た。ビニール袋の音が来た。来た音が、遠ざかっていった。遠ざかりながら小さくなって、消えた。消えてから、また通りの音だけが残った。
「さっきの声」と×××××は言った。「対象確認、って言ってた」
「うん」
「対象って、アオイさんのこと?」
アオイが少し考えた。
「私だけじゃないと思う」
「じゃあ、誰」
「赤い人も、たぶん」
×××××が、その意味を考えた。
「警察は、さっきの赤い人を追ってたってこと?」
「だと思う」とアオイは言った。「ただ」
続きが来た。
「私のことも、見てたと思う」
見てた。
×××××の中で、その言葉が反響した。
さっきの廊下で来た通信音が、また耳に戻った。数字だった。901と、254。その数字が何を意味するのか、×××××には分からなかった。アオイが含まれていたのか、あの別の赤い光が含まれていたのか、あるいは×××××自身が含まれていたのか——確認する方法が×××××にはなかった。
数字だけが、耳に残り続けていた。
「行こう」
アオイが言った。
言い方が、さっきの廃フロアで「走れる?」と言ったときとは違った。違い方が——あのときは問いだった。今は、違った。問いではなかった。決定だった。二人のどちらかが決めた決定ではなく、状況が出してきた決定を、アオイが言葉にした、という感じだった。
「どこに」
「出る。ここを」
「渋谷に?」
「渋谷に」
出口に、足を踏み出した。
アオイが先だった。
路地の暗さから、通りの光の中に、アオイの身体が入った。入った瞬間に、コンビニの光がアオイに当たった。当たり方が、路地の中で見ていたアオイとは違う輪郭を作った。光の中のアオイは——変身前の、普通の制服の少女だった。藍色の制服が、コンビニの光を受けて、どこにでもいる誰かの格好になっていた。
×××××も、出口に踏み出した。
通りの音が来た。光が来た。人の気配が来た。渋谷が来た。
寒かった。
路地より、通りの方が寒かった。風が通っていた。一月の夜の風が、通りを真っ直ぐ来ていた。
アオイが歩き始めた。
×××××はその後ろを歩いた。
二人の間の距離は——一メートルか、少し多いくらいだった。離れすぎず、近すぎず、その距離が維持されていた。維持されている、というのが意識的だったかどうかは、×××××には分からなかった。自然にそうなっていた。
渋谷の光が、前から来ていた。
光の量が多かった。多い光の中を、アオイが歩いていた。歩き方が、渋谷に馴染んでいた。渋谷を知っている人間の歩き方で、渋谷を歩いていた。
×××××は、その背中を追っていた。
追っていた。
それだけだった。今夜の残りの時間のことを、×××××は考えなかった。さっきの赤い光のことを、考えなかった。廊下で聞いた数字のことを、考えなかった。考えなかったのは、考える余裕がなかったからではなかった——ただ、今この瞬間に、アオイの背中の後ろを歩いていることだけが、×××××の全部だった。
全部、という言い方が正しいかどうかは、分からなかった。
でも、そうだった。
廊下が変わっていた。
路地から廃ビルに戻った時には、さっきまで通っていた場所と同じはずなのに、同じではなかった。同じではない理由が、廊下の形や長さにあるのではなかった。アオイの歩き方が、変わっていた。
速かった。
路地を歩いていた時より速く、それでいて音を出さない歩き方だった。靴底の置き方が変わっていた。踵から降ろさずに、前半分から静かに置く。置いた足が床に着く前に、もう一方の足が動いている。その繰り返し。無音で続く繰り返し。
×××××はそれを真似しようとして、できなかった。
できなかったが、近いことはできた。いくらか静かにはなった。廊下に二つの足音が混在していたのが、一つ半くらいに減った。
アオイが一度も振り返らなかった。
廃ビルの内側が深くなっていた。
深い、というのが地下に向かう、という意味ではなかった。横に、奥に向かっていた。通路が続いた。通路の突き当たりに扉があった。扉の向こうにまた通路があった。かつてここに何の建物があったのかは分からなかった。廊下の幅から、オフィスビルか何かだったかもしれなかった。関係なかった。今は廃ビルで、通路の先に何があるかを知っているのはアオイだけだった。
光が来た。
後ろから。
×××××が後ろを見る前に、アオイが動いた。×××××の腕を引いた。引き方が、「来て」という意思の伝達ではなかった——「移動させる」という操作だった。体が先に動いて、理由があとからついてきた。廊下を折れた。折れた先の壁に背中を当てた。当てた壁が冷たかった。
後ろから来た光が、折れた廊下の角を曲がらずに過ぎていった。
何秒か、あった。
何秒かを、アオイは壁に背を当てたまま動かなかった。×××××も動かなかった。動かないのが正しいと、アオイの静止が教えていた。動かないこと自体が何かを意味していた——動けない、のではなく、動かないことを選んでいる、という静止だった。アオイの目が廊下の角を向いていた。耳が、何かを聞いていた。×××××の耳には来ないものを、聞いていた。
「こっち」
声が来た。
来た声が、どこを向いた声かが分からなかった。壁に向かって言ったのか、×××××に向かって言ったのか、判断する前にアオイが動いていた。
階段を上った。
上った先のフロアが、さっきまでいた廃フロアとは違うフロアだった。違い方が——さっきのフロアはまだ床が残っていた。今のフロアは床が部分的になかった。床の一部が落ちていた。落ちた穴の縁から、一階下が見えた。見えた一階下が暗かった。暗さの中に、何も動いていなかった。
後ろから来ていた光が、さっきより近かった。
近い、というのが音でなく感触だった。感触の根拠を×××××は言葉にできなかった。でも近くなっていた。近くなっていることが、首の後ろの皮膚から来ていた。
アオイが走り始めた。
今度は音を出して、走っていた。走ることより速さを選んだ、という走り方だった。×××××は同じ速さで後ろを走った。走りながら、床のない部分を踏まないように目が下を向いた。下を向きながら、前のアオイの背中を見た。同時に両方はできなかった——できなかったが、どちらも見ていた。
窓があった。
フロアの突き当たりに、窓があった。窓というより、窓のあった場所だった。ガラスは割れていて、枠だけが残っていた。枠から外が見えた。
渋谷が見えた。
光の量が多かった。多い光が枠の向こうから来ていた。こんな場所から、こんなに多い光が見えることが——何かが間違っているような感じがした。感じの根拠が、×××××には分からなかった。分からなかったが、間違っている、と思った。
アオイが立ち止まった。
立ち止まった理由が、すぐ分かった。
袋小路だった。
部屋だった。
フロアの端に、小さな部屋があった。扉のない入り口から中に入ると、壁が三方にあった。四方目が、来た方向だった。来た方向に、扉のない入り口があった。入り口の向こうに、廊下が続いていた。廊下の先は、来た方向だった。
逃げる場所が、なかった。
窓があった。窓の向こうには渋谷があった。渋谷と、今いる場所の間には、廃ビルの外壁と、地面までの高さがあった。飛べる高さではなかった。
アオイが壁際に立った。
立ち方が——背中を壁に当てる立ち方ではなかった。壁の前に立った、という立ち方だった。前を向いた。入り口の方向を向いた。向いた顔に、さっきまでの速さがなかった。速さが消えた後に残っているものが、何なのかを×××××は見た。
「……来て」
×××××が言った。
アオイに言っていた。言いながら、アオイの隣に立った。隣に立った理由を考えなかった。考えなかったが、考えていたとしても、隣に立った、と思う。
アオイが×××××を見た。
見方が——この夜で何度も見てきた、距離を測る視線だった。今回は測り方が違った。今までの測り方は「どこまで近づいていいか」を測る視線だった。今回は「今どこにいるか」を確認する視線だった。確認の速さが、短かった。一秒か、それ以下だった。
「うん」
アオイが言った。
光が来た。
廊下から来た。
来た光が——路地で一瞬見た赤だった。カノンとは違う赤。さっきの廊下で見た赤。扉のない入り口から、その赤が来た。来た光が入り口の外で止まった。止まった光が、入り口の形に合わせて、部屋の中を照らした。照らし方が均一ではなかった。光の中心が入り口の上半分に当たっていた。
光の向こうに、影があった。
影の形が、人だった。
人の形をした影が、入り口の外に立っていた。立った影が、静止していた。静止の長さが——三秒か、四秒か、あった。
扉がなかったはずの入り口に、音がした。
音は金属が曲がる音だった。曲がる音が一度来て、二度目が来て、三度目でそれは終わった。終わった後に、入り口の枠が変形していた。変形の仕方が、外から押されて曲がった変形だった。
×××××の体が、後退した。
後退した、のではなかった。後退させた主体が×××××ではなかった。体が先に動いていた。動いた体が壁にぶつかった。ぶつかった壁が冷たかった。冷たいことが皮膚から来た。来た感触の意味を処理する前に、次のことが来た。
影が動いた。
入り口を越えた。
赤い光が、部屋の中に入ってきた。
×××××はアオイを見た。
見た時に、アオイも×××××を見ていた。互いが互いを見ていた時間が——測れなかった。測れなかったが、あった。あった時間の中に何があったのかも、×××××には言葉にならなかった。言葉にならなかったが、何かがあった。
渋谷の光が窓の枠から差していた。
差した光がアオイの横顔に当たっていた。当たり方が——変身した後の顔にも、変身が解けた後の顔にも、似ていなかった。どちらでもない顔が、赤い光と渋谷の光の間に、あった。