アテンション・プリンセス~空っぽのワタシ、魔法少女になります~ 作:樫丹鏡花
取材クルーが来ることは、前日に貢一から連絡があった。
「ウェブメディアです。若者の居場所について特集している媒体で、あなたの活動を紹介したいと言っています。大きなスペースをもらえそうです」——文面はそれだけだった。「いいですよね?」とは書いていなかった。「大きなスペースをもらえそうです」の後ろに、「だからいいですよね」という意味が最初から含まれていた。
キヅキは「分かりました」と返信した。
返信してから、しばらくスマートフォンを持ったまま立っていた。妖精が「良かったね、キヅキ! どんどん広がってる」と言った。キヅキは「うん」と言った。
それだけだった。
NOISE BOXの地下に、いつもと違う機材が入っていた。
照明のスタンドが三本。カメラが二台——一台は固定、一台は担ぎ型。マイクがスタンドとは別に、コンパクトなワイヤレスのものが一つ。スタッフは三人で、みんな二十代後半に見える男女で、動き方が慣れていた。慣れた動き方が、空間の中に「仕事」の感触を持ち込んだ。いつもの地下は「場所」だった。今日は「現場」になっていた。
「いつも通りにやってもらえばいいです」とスタッフの一人——女性、年齢はキヅキより少し上かもしれない——が言った。「ここに来てる子たちの自然な感じを撮りたいので」。
自然な感じ、とキヅキは頭の中で繰り返した。
カメラがいるのに自然な感じ、というのが矛盾だとは思わなかった——矛盾だとは思わなかったが、「自然な感じ」が今日ここで起きるかどうかについては、キヅキには分からなかった。
来場者が入り始めた。
いつも来る顔が混じっていた。ただし、いつも来る顔の中に「なんか今日は違う」という表情をしている子が何人かいた。空間に入ってすぐ、カメラを見て、少し体が止まる——その止まり方が、キヅキには見えていた。見えていたが、今日はそれを言う立場にいなかった。
カメラの前での入場が始まってから、一人の子が係のスタッフに近づいた。
十七歳くらいに見える。キヅキがいつも顔を覚えている、三ヶ月以上通い続けている子だった。NOISE BOXに来るようになった最初の日、「親と連絡が取れなくて」と言っていた子だった。
「……映りたくないんですけど」
スタッフが「大丈夫ですよ、映りたくない方は映りませんので」と言った。声がプロフェッショナルだった。慣れた声だった。「ちゃんと確認しながら撮りますから」。
大丈夫、とキヅキは聴きながら思った。
でもその「大丈夫」が本当かどうかは——今日のキヅキには担保できなかった。担保する方法がなかった。「映りたくない方は映りません」という言葉を、キヅキが保証することも、確認することも、できなかった。キヅキは今日の取材を断っていない。断らなかった以上、その「大丈夫」の責任の一部はキヅキにあって、でもキヅキには確認できない。
「大丈夫なんですよ、ね?」と隣に来た貢一がスタッフに言った。スタッフが「はい」と言った。「ほら、大丈夫って言ってるから」と貢一がその子に言った。
その子が「……分かりました」と言って、奥の方に移動した。
キヅキはそれを見ていた。見ていたが、何も言わなかった。言える言葉を持っていなかった——「大丈夫じゃないかもしれない」を言えば、今日の取材を否定することになる。今日の取材を肯定しているのはキヅキだ。「分かりました」と返信したのはキヅキだ。
だから言わなかった。
言わなかったことは、口から出なかっただけで、どこかには残った。
マイクを持った。
スタンドマイクではなく、ワイヤレスの、軽い方のマイクだった。いつも使っているものより、少し重心が違った。手のひらに収まる感触が微妙に違った。
「じゃあ、いつも通りに——」とスタッフが言って、カメラのランプが赤くなった。
キヅキが話し始めた。
声は出た。出たのは確かだった。「今日も来てくれてありがとう」「最近ちょっと、人数が増えてきて、うれしい」「新しく来てくれた人は、気楽にしてて——」。言葉は出た。言葉はいつもの言葉に似ていた。
でも、キヅキの耳に届く自分の声が——違った。
違うというのは、音が違うのではなかった。声の質が変わったのでもなかった。声は出ている、声は届いている、でも、声を出しているキヅキが「この声は誰に向けて出しているか」が、ぼやけていた。ここにいる子たちに向けて話しているのか、カメラに向けて話しているのか、その先の画面に映る誰かに向けて話しているのか——どこへ向けて声が出ているかの感触が、はっきりしなかった。
これは、歌舞伎町の夜に感じたものと似ていた。
「声の出所が分からない」というのとは少し違った。あのときは「声が空間に溶けていく」感触だった。今日は「声が複数の方向に同時に向かっていく」感触だった。出しているのに、着地点が定まらない。
マイクを持ちながら、それでも話し続けた。
話すのを止めたとき、何が残るかが分からなかったから。
イベントが終わったのは二時間後だった。
来場者が帰り始めるのを見ながら、キヅキはスタッフがカメラを片付けるのを見ていた。機材がケースに収まっていく。スタンドが畳まれる。ライトが消える。消えると、いつものNOISE BOXの照明だけが残った。残った照明は薄く、少し黄みがかっていた。
「よかったです」とスタッフが言った。「自然な感じが出ていました」。
キヅキは「そうですか」と言った。
貢一が近づいてきた。「本番はこの後のインタビューです。準備できてますか」。
「はい」とキヅキは言った。
インタビューは奥のスペースで行われた。
椅子が二つ向かい合って置かれた。ライトが当たった。インタビュアーは先ほどのスタッフとは別の、少し年齢の高い女性だった。メモを持って、ペンを持って、こちらを見ていた。見方が取材の見方だった——「あなたを知りたい」の見方と「あなたから素材を取りたい」の見方が、同じ顔の上に重なっていた。
「なぜこういう活動を始めたんですか」
「界隈の子たちのことを、もっとちゃんと分かってもらいたくて」とキヅキは言った。
これは本当のことだった。本当のことを言った。
「自分自身も同じ立場、という感覚はありますか」
キヅキは少しの間、言葉を探した。
「話しやすい場所が必要だ、っていうのは——自分も感じてきたので」。
「具体的には、どんな経験から?」
答えようとした。答えようとして、貢一が「話し方を整えましょう」と言っていたことが浮かんだ。「特定の背景については——今日は少し控えていただいて」と前日のやり取りで出ていた。整えた話し方で答えようとした。
整えようとして——出てきたのは、整えていない言葉だった。
「……宗教2世だったので」
言ってしまった。
言葉が口から出た後で、出たことに気づいた。言ってから止める方法はなかった。言った言葉は空気の中に入ってしまっていた。ライトの下で、カメラの前で、インタビュアーの向こう側で、貢一がいる場所のそのもう少し後ろで。
インタビュアーが少しだけ前のめりになった。
「それ、記事で使っていいですか」
貢一の方を、キヅキは見なかった。見なかったが、視界の端で貢一の表情が変わったのは分かった。困惑ではなかった。失望でもなかった。「良い方向に変わった」という表情だった。
「……どう使われるんですか」
「記事の中で、あなたの活動を紹介するときに、背景として書かせていただきます」
「どんな記事ですか」
「界隈の若者たちの今を伝える記事です。あなたみたいな人がいることが、希望になると思っていて」
あなたみたいな人。
その言葉が届いた場所が、予想と少しずれていた。届いてほしい場所ではなく、少し違う場所に着地した。何かが、締め付けられるような感触だった。「希望」と言われることへの違和感ではなかった。「あなたみたいな人」に自分が収まるかどうかが、よく分からなかった——収まろうとしているのか、収められようとしているのかも、よく分からなかった。
「……分かりました」とキヅキは言った。
声は出ていた。声は届いていた。
届いていたが、声を出したキヅキが今ここで何を感じているかは、声に乗っていなかった。
インタビューが終わった後、スタッフが帰り支度を始めた。貢一が「お疲れ様でした」とキヅキに言った。「さっきの、使えます。宗教2世という言葉が出てきたのは——ちょうど良かった」。
ちょうど良かった。
その言葉を、キヅキはしばらく持った。
持ち方が分からなくて、どこにも置けなかった。「ちょうど良かった」とはどういう意味か——貢一のその言葉は正確だった。「宗教2世だった」という事実が記事に乗ることで、コンテンツとしての引力が増す。それは本当のことだった。
ちょうど良かった、が。
言ってしまった、が。
どちらも同時に本当だった。本当のことが二つ、同じ場所に立っていた。どちらを選んでいいかが、キヅキには分からなかった——選ぶ問いではないから分からなかったのかもしれない。
「……そうですか」とキヅキは言った。
「次のステップが見えてきました」と貢一が続けた。「記事が出たタイミングで——」
キヅキは少し、貢一の話を聴きながら、聴いていなかった。
聴いていない、が正確ではなかった。聴いてはいた。内容は入ってきた。でも内容が「自分ごと」として着地するより先に、別の感触が先に来ていた。
宗教2世だった、と言った。
整えていなかった。整えようとして、整えられなかった。出てきた言葉が「話し方を整えた言葉」ではなく「自分の言葉」だったのかどうか、今のキヅキには判断できなかった。本当のことを言ったのは確かだった。でも「本当のことを言った」が「自分の言葉で言った」と同じかどうかは、分からなかった。
カメラの前で、ライトの下で、インタビュアーの向かいで言った「宗教2世だった」は、記事に「使われる」。使われた先で、それは誰かに届く。届いた先でそれは「あなたみたいな人の話」になる。
「宗教2世だった」はキヅキの言葉だった。
でも今日から、それは記事の中の言葉にもなる。
両方が同時に本当で、どちらかを消せなかった。
貢一が話し終えて「では」と言って立ち上がった。次の予定があるのか、スマートフォンを見ながら出口の方へ歩いた。スタッフたちが最後の機材を持ってついていった。
NOISE BOXの地下に、キヅキ一人が残った。
椅子が二つ、向かい合ったままだった。
ライトはもう消えていた。インタビューのための照明も、撮影のためのスタンドライトも、全部片付けられていた。NOISE BOXの通常の照明だけが、薄く、場所を照らしていた。
キヅキは立ち上がらずに、椅子に座ったまま、自分の手を見た。
マイクを持っていた手だった。今は何も持っていなかった。
妖精が来た。
「お疲れ様、キヅキ。今日よかったよ。宗教2世のこと——絶対に届く。あの言葉で」
キヅキは少しの間、答えなかった。
「……うん」
出てきた「うん」が、どの方向にも向いていなかった。妖精に向けたわけでも、自分に言い聞かせたわけでも、何かを確認したわけでもなかった。「うん」という音だけが出て、NOISE BOXの天井の方へ上がって、消えた。
手を見ていた。
今日、この手で持ったマイクの声が、カメラに記録されている。記録は記事になる。記事は広がる。広がった先に「宗教2世だったので」という言葉が届く。
届く。
届いた先に誰がいるかは、キヅキには見えない。
見えない誰かに届く自分の言葉が、「自分の言葉」かどうか——その問いを、今夜は持ったまま帰ることになりそうだとキヅキは思った。持ったまま帰る方法を知らなかったが、置いてくる場所も分からなかった。
椅子から立ち上がった。
NOISE BOXの外に出ると、池袋の夜があった。
音があった。人があった。光があった。それだけがあって、キヅキのことを知らないままそこにあった。
「——聴こえてる?」
誰もいない方向に向けて、声が出た。決め台詞のつもりではなかった。ただ出た。答えは来なかった。
歩いた。
NOISE BOXのビルから外に出た時、まだ人数分の熱が身体についていた。
地下のスペースは二時間、六十何人かの体温が混ざって、帰りの出口から出るたびに少しずつ冷やされていく。取材クルーが来ていた夜だったから、その熱がいつもと少し違う種類だったかもしれなかった。どう違うかは言えなかった。ただ、何か残っていた。
階段を上がって、地上の、夜の、池袋の空気に出た。
「お疲れ様でした」と貢一が言った。スタッフの最後の一人が機材のケースを持って先に出ていった。貢一は次の打ち合わせがあるとかで、「また来週、詳細送ります」とだけ言って、タクシーに乗った。タクシーの赤いランプが遠ざかった。
一人になった。
「お疲れ、キヅキ」と妖精が言った。「今日よかったよ。取材、うまくいったと思う」
「うん」とキヅキは言った。
「宗教2世のこと、言えてよかったと思う。あの言葉は絶対に伝わる」
「……うん」
妖精が何かを言い続けているのを、少し遠い場所で聴きながら、キヅキはイヤホンを外した。外した音が、池袋の夜の中に混ざった。居酒屋の換気扇の音。遠い工事の音。水の流れる音——どこかにある、下水か川か。
荷物を持ち直した。帰ろうとした。
「……さっきの取材、全部見てた」
声がした。
振り返った。
円山町の、NOISE BOXのビルに隣接する駐車場の隅。薄暗い場所に、一人が立っていた。
フジサキ・ユカリだった。
変身していなかった。私服——暗い色の、詳細がよく見えない服装。背が高くはないが、立ち方がまっすぐだった。まっすぐというより、重心が低い。倒れないように立っているというより、もともとそこにいたみたいに立っていた。
「見てたの」
「隅にいたから」
「……客として?」
「客じゃない。ただ見てた」
キヅキは少しの間、ユカリを見た。
最後に会ったのは歌舞伎町の夜で、あの時は向こうが変身していた。今日は変身していない。変身していないユカリを見るのは初めてだった。顔が思っていたより若かった。若いというか、同い年くらいに見えた——正確な歳は知らない。
「なんで来てたの」とキヅキは聞いた。
「見たかったから」
「何を」
「あなたが、どういう場所でやってるか」
答えになっているようで、なっていなかった。でも言い直す感じではなかったから、キヅキは「そう」とだけ言った。
沈黙が来た。
来たまま、少し続いた。ユカリが駐車場の縁石に腰を下ろした。立ったままでも会話できる距離だったが、立ったままにしていると「早く終わらせようとしている」に見える気がして、キヅキも荷物を足元に置いた。
「宗教2世だったんだね」
キヅキの身体が、ほんの少し止まった。
「……知ってたの?」
「いや。今日はじめて知った」
「だからなに」
「別に。ただ」とユカリは言った。「使われてるの、分かってる?」
キヅキは何も言わなかった。
言わない、というのは「答えない」のではなかった。答えを探していた。探しながら、答えに向かわない何かが先に出てきた。
「何を言いたいの」
「そのまま」
「あの人が私を使ってるって言いたいの?」
「あなたのことを素材だと思ってる人だと、私には見えた」
「見えたとして」とキヅキは言った。声が少し低くなった。「それで?」
「何もしないの?」
「……あなたが私のことを心配する理由、なんかある?」
ユカリが少し黙った。
黙り方が、考えているというより、言い方を選んでいる感じだった。
「……ない」とユカリは言った。「ただ、同じ側にいる気がして」
「同じ側?」
「魔法少女同士」
「あなたとは前に戦ったけど」
「そう。でも」
でも、の後が来なかった。
ユカリが駐車場の地面を見た。コンクリートに、薄い油の膜がある場所だけ、遠い光が反射していた。それを見るでもなく見ているユカリの横顔は、何かを説明しようとして説明できなかった人の顔に、少し似ていた。
「分かってる、かもしれない」
キヅキが先に言った。
言ってから、少し驚いた——自分で。ユカリに向けて言う言葉を選んでいたわけではなかったのに、出てきた。
「でも」と続けた。「私がここで声を出せなくなったら、ここに来てた子たちに誰が声をかけるの」
ユカリが顔を上げた。
キヅキを見た。見て、すぐに何かを言う気配がなかった。
「あの子たちは、声を出せる場所がなかった子たちだから」とキヅキは言った。「誰かが声かけなかったら、来なかった子たちだから。私の声じゃないと届かないかどうかは知らない。でも今のところ、届いてる。届いてるのに、やめる理由が、よく分からない」
「……その人との関係が、続く理由になるの?」
「続けるかどうかは分からない。でも今すぐやめる理由にはならない」
「使われながら続けるの」
「使われてる、かどうかも、よく分からない」
ユカリが「よく分からない、ってどういう意味」と言った。
キヅキは少しの間、何かを整理しようとした。整理したくなかったが、この相手には整理したものよりそうでないものの方が届く気がした——気がした、だけかもしれない。
「嫌なこともある。今日も、なんか——変だった。でも私が声を出せる場所が増えたのも本当で。どっちが本当かじゃなくて、両方が同時に本当で、片方だけ取ってやめるのが、できない」
ユカリが少しの間、黙った。
また地面を見た。駐車場のコンクリートと、その上の薄い油膜の反射を。
「……それは」とユカリが言いかけて、止まった。
「なに」
「——依存と、責任の、区別がついてないかもしれない」
今度はキヅキが黙った。
区別がついてない、という言葉が届いた場所が、思ったより深いところだった。反論しようとして、反論の素材が手元にあまりなかった。
「……あるかもしれない」とキヅキは言った。「でも区別がついたとして、だからってやめる、にならないと思う。依存だとしても、依存してる間に声が届いた人がいたなら、それはあった、ことだから」
NOISE BOXの換気口から、低い音が漏れていた。
空調か何かの音だった。建物の呼吸、みたいな音。下にはもう誰もいないはずだった。
「一個だけ聞いていいか」とユカリが言った。
「何」
「あなたは、自分の声が好き?」
キヅキは答えなかった。
すぐに答えなかったのは、「好き」という問いの角度が予想と違ったからだった。使われてる、届いてる、依存してる、という話をしていたのに、「好きか」という問いが来た。
「……分からない」
「分からない?」
「声を出してると、自分がいる感じがする。それが好き、なのかどうかは、分からない。出してないと——なんか、消える感じがするから、出してる、のかもしれない」
ユカリが少しの間、何も言わなかった。
何も言わない時間が来て、来たまま続いた。キヅキはそれを埋めようとしなかった。埋めなくていい、とは思っていなかったが、埋める言葉が今夜は出てこなかった。
ユカリが立ち上がった。
膝の埃を軽く払って、キヅキの方を向いた。
「変わる」
決め台詞ではなかった。独り言、に近い言い方だった。宣言でもなく、確認でもなく、ただ「変わる」という言葉を口から出した、という感じ。何が変わるのかは言わなかった。自分が変わる、とも、何かが変わる、とも、どちらにも聞こえた。
そのまま歩き始めた。
路地の奥の方へ——暗い方へ。足音が均一で、速くも遅くもなかった。振り返らなかった。
キヅキはユカリが見えなくなるまで、そこにいた。
見えなくなってから、キヅキは荷物を拾い上げた。
妖精が来た。
「今の子、さっきも来てた子だよね。紫の」
「そう」
「何話してたの」
「……いろいろ」
「仲良くなれそう?」とまた妖精が聞いた。
キヅキは答えなかった。
仲良くなれそう、という問いの答えが何であるかを考えていなかった。考える前に、別の感触が先に来ていた。
依存と責任の区別がついてないかもしれない、とユカリが言った。言い方が批判ではなかった——断言でもなかった。「かもしれない」と言った。そこに少し、何かがあった気がした。
あった気がした、だけかもしれない。
「帰るよ」とキヅキは言った。
池袋の夜を歩いた。
音があった。光があった。知らない顔が通り過ぎた。
声を出してると、自分がいる感じがする、と言った。ユカリに向けて、今夜はじめて、そういう言い方をした。いつも「届いてほしい」と思って声を出していた——届いてほしい相手に向けて。でも今夜ユカリに言ったのは、届かせるための声ではなかった。出ていったのは、「消えたくないから出す声」の話だった。
その違いが何なのかを、キヅキはまだ言語化できなかった。
できなくても、歩けた。
歩きながら、NOISE BOXから離れた。