アテンション・プリンセス~空っぽのワタシ、魔法少女になります~ 作:樫丹鏡花
通信が来たのは、翌朝だった。
「昨夜のカノンによる断罪行動で、実行犯二名の死亡が確認されました」
Qの声が南平台分室の空気に出た。
「死因は焼死。現場は江戸川区の工場跡地。昨夜の任意同行の試みの後に起きたことです」
A1が一拍置いた。
テーブルの端末を前に、向かい合う形で座っていた。朝の光が窓から来ていた。蝉の声がすでに来ていた——今日も暑くなる、という声だった。
「K機関が」とワタシは言った。
「そうだ」
「カノンを——」
「今日から、重要指名手配として追いかけることになった」
A1の声は変わらなかった。
ワタシは少し止まった。昨夜の路地を思い出した。炎の覆いが両手を包んでいた背中。「止まらない。まだ終わってないから」という声。あの声が今朝になって、死亡の報告と一続きの時間にある。
「A1は」とワタシは言った。「これは、正しいと思うか」
A1が少し止まった。端末への入力が一度止まった。
「……Kが判断したことだからな」
ワタシは少し止まった。止まってから、声が出た。
「それは答えではないと思います」
「……そうだよ」
否定しなかった。
「でも今は、動く」
「A1は」とワタシはもう一度言いかけた。「A1が正しいと思うかどうかを」
「動きながら考える」とA1が言った。「お前も覚えたほうがいい」
端末が鳴った。Qの声が続いた。
「現時点でのSNS状況を報告します。焼死事件の報道が出ています。映像の拡散が始まっています——昨日の動画とは別のものです。現場の映像。炎の跡と、対象者の映像が混在しています」
「……カノンが」とワタシは言った。声に出てしまった。後から気づいた。「人を、殺した」
「声に出てた」とA1が言った。
「……出ていました」
「今日の分は動きながら処理する。出発する」
A1が立ち上がった。
Qの三面モニターが数字を吐き続けていた。
目黒合同庁舎の資料室は廊下より冷えていた。廊下のコンクリートと、モニターの光の温度は別物だった。Qは端末を前に座っていた。外はもうすでに暑かった——午前九時で三十二度という表示が端末の端に出ていた。
「やりすぎ」タグが出た。
焼死事件の報道が出てから六時間が経っていた。「やりすぎ」という言葉がタグとして形成され始めていた。量はまだ少なかった。「正義の魔法少女、ついにやった」というタグも並行して走っていた——「ついにやった」の意味が二つに分岐していた。予想通りやったのか、やりすぎたのか。同じ文字列が二つの方向を向いていた。
「分離できていない」とQが声に出した。
確認として声に出した。数字が分離できていないことの確認。Qが名前のつかないファイルを開いて、何も声に出さずに閉じた。
十二時間後。
「魔法少女は正義じゃなかった」
「殺人者」
タグが出た。一度出ると、速かった。「正義の魔法少女」タグを数字が逆転した——逆転した瞬間が時系列で見ると分かった。分かったが、「なぜあの瞬間に逆転したか」は数字からは読めなかった。誰かが最初に「殺人者」と書いた瞬間があるはずだった。その一人が誰かは、数字には出てこない。
「感情スコア——怒り」
Qが読み上げた。
「9.7。二日前の興奮スコアより高い。二日前の興奮スコアが9.2でした。怒りが興奮を超えた」
少し止まった。
「数字だけでは、どちらが大きいかしか分からない。感情の種類が変わったことは分かる。なぜ変わったかは、分からない」
留保を声に出した。声に出してから、次のファイルを開いた。
二十四時間後。
羽根川クロエは自分の部屋のモニターを前に、SNSのダッシュボードを見ていた。
数字が動き続けていた。
「アテンションが反転するのに、四十八時間かからなかった」
声に出さずに計測した。正確には三十一時間と十七分——「やりすぎ」タグが「正義の魔法少女」タグを完全に逆転した瞬間まで、それだけの時間だった。
「ヒューマントーチズム」
これも声に出さなかった。分類として持っている言葉だった。感情はなかった——感情がないのではなく、分類に感情を乗せる必要がないから乗せなかった。
人間の松明。他者に点けられた火。燃え尽きた後の残骸が消費される。
数字がそれを計算可能な形で出している——計算可能ということは、つまり使える。
クロエはモニターを落とした。
四十八時間後。
「何でもっと早く止めなかったのか」
「警察の怠慢」
Qのモニターの右端に、新しいタグが出た。
批判の向き先が変わり始めていた。「魔法少女を止められなかった機関」へ——そこへ怒りの向き先が動いていた。Qはそれを記録した。記録するときに何も声に出さなかった。「名前のつかないファイル」に一行加えた。加えてから、また次の数字を見た。
坂口からの短い通信が来た。
「捜査一課として動きます。今週中に——」
そこで途切れた。Qが「了解しました」と返した。
返してから、少し止まった。
「批判の向き先が変わっている」という事実と、「捜査一課が動く」という事実が同じ時間帯に来ていた——これを「分離できる」と言えるか「分離できない」と言えるか、Qには判断できなかった。判断できないことを声に出さなかった。ファイルはすでに閉じていた。
繁華街のカラオケ店を出たところだった。
外は昼間の熱がまだアスファルトに残っていた。夕方を過ぎても、地面が手放さない熱が足の裏から来ていた。
「ちょっといい?」
声が来た。
キヅキが振り返った。
アオネが立っていた。変身していない。背が高かった——それをいつも少し意識してしまう、とキヅキは思ったことがあった。今夜もそれだけ来て、次に来なかった。
「カノンのことなんだけど」
アオネが言った。
「……なに」
「あのまま続けたら、こっちのリソースも減る。数字で見てる?」
キヅキは少し止まった。数字、という言葉が先に来た。
「……見てない」
「見た方がいいよ。赤が増えると黄色が減る。それだけの話」
キヅキはアオネの声を聞いていた。
計算として来ていた。「止める」でも「危ない」でもなく——数字として来ていた。正確な話をしているとは思った。正確な話だった。
「……それだけの話、なの?」
キヅキが言った。
アオネが少し止まった。
「今は」
それだけ言って、走り去った。
キヅキは立っていた。夕方の繁華街の人の流れが、周囲を通り過ぎていた。
アオネの言った「今は」という言い方が残っていた。
「今は」それだけの話——つまり今はそれだけの話で、後から別の話になる。そういう意味か、今の自分にはそれだけしか渡せないという意味か、どちらか分からなかった。
カノンの路地の声が来た——「声が変わってた」と言った時に、カノンが「そっか」と言った声。あれは数字で計測できる声ではなかった。
キヅキは歩き始めた。向かう場所は決めなかった。
翌日の昼、公園の外だった。
ミドリは公園を出たところで止まっていた。中に入るか外にいるかを決めていなかった——どちらでも今日はいい気がした。地面が近ければどちらでもよかった。
「緑の人」
声が来た。振り返ると、アオネが立っていた。
「一つ確認していいですか」
「……はい」
「カノンを止めに行くつもりはありますか」
ミドリは少し止まった。昨日の夜を思った。ユカリと公園のベンチにいた夜。「止めに行くことが正しいかどうか分からない」というユカリの言葉。「私も分かりません」という自分の答え。
「……行くつもりは、あります」
「止めて、どうするつもりですか」
ミドリが一拍置いた。
「……それは、まだ」
アオネが少し止まった。止まり方が計算している止まり方だった——確認として受け取ってから次を出している、という止まり方。
「決まってないなら、決まってる人に任せた方が早いかもしれません」
「……決まってる、人」
「私と一緒に動きますか」
ミドリはアオネの目を見た。計算していた。計算していることを隠していなかった。隠す理由がない、という立ち方をしていた。
「……考えます」
「考えてください」
アオネが走り去った。
ミドリは公園の入り口の前に立っていた。
「止めて、どうするつもりですか」という問いが残っていた。答えが出てこなかった——出てこないことを、昨夜の時点では気づいていなかった。止めることと、止めた後のことが別の問いだった。別の問いを持っていなかった。
地面に手を置きたかった。でも今は外だった。コンクリートではなく土の上だった。
ミドリは公園の中に入った。
夜の商店街は、昼より人が少なかった。シャッターが閉まっている店の前を、ユカリは歩いていた。特に目的はなかった——歩いていると、少し頭が動く。動かないと動かない、ということを最近知った。
「紫の人」
後ろから声が来た。
ユカリが止まった。振り返った。
アオネだった。変身していない。昼間に別の場所で複数の人間に声をかけていたのかもしれなかった——そういう動き方をしている、という感じが来た。
「直接聞きます。カノンを危険分子だと思いますか」
ユカリが少し止まった。
「……思います」
「なら一緒に動けますか」
「……動けます」
そこで止まった。
「ただ」とアオネが言った。
「ただ」とユカリが繰り返した。「目的が同じかどうかは確認したい」
アオネが止まった。
今度の止まり方は長かった——計算が来た、という止まり方ではなかった。計算の外から何かが来た、という止まり方だった。
「面白い聞き方ですね」
「面白い、ではないと思いますが」
ユカリが言った。「一緒に動いて、後から目的が違ったと分かる方が面倒です」
アオネがもう一度止まった。
「確認しましょう」
「今夜、ここで?」
「今夜」とアオネが言った。「でも今すぐじゃない。少し整理してから来ます」
「……分かりました」とユカリが言った。「待ちます」
二人は商店街のシャッターを背に立っていた。
アオネが走り去った。足音が遠ざかった。
ユカリはその場に残った。待つと言ったから待った。シャッターのペンキが剥げかけていた。夜の商店街の蛍光灯が一本、点いては消えていた。
「目的が同じかどうか」という言葉を、声に出してしまっていた。
「動けます」と言った後に止まって、最初の「ただ」を出した——「ただ」の後に何を言うかを決めていなかった。声が「ただ」を出してから、何を言うかが来た。
それで良かったのかどうかは、まだ分からなかった。
アオネが戻ってきた。シャッターの前に並んだ。
「目的」とアオネが言った。「私の目的は、今の構造を維持することです。赤が増えたままだと、他の色が減る。それを元の比率に近づけたい」
「……あなたにとって、それは」とユカリが言った。「正しいことですか」
アオネが一拍置いた。
「正しいかどうかは分からない」とアオネが言った。「でも計算できる」
ユカリは少し止まった。
「私の目的は」とユカリが言った。「カノンが誰かを傷つけることを止めることです。理由は——まだ言語化できていません」
「言語化できていなくていいです」とアオネが言った。「一致しているところで動けばいい」
「一致しているところだけで、動けますか」
「試してみないと分かりません」
ユカリが少し止まった。
「……分かりました。一致している部分で動きます。ただ」
「ただ」
「一致していないことが出てきた時は、言います」
アオネが「それで構いません」と言った。
二人は商店街に立っていた。
シャッターの蛍光灯が、また一本、点いては消えた。
Qが静止した。
三面モニターの中央に、通信が来ていた。受信時刻は深夜二時十七分。送信元のコードが画面の上部に一行だけ出ていた——K機関の内部コードではない形式の、別の系列から来る文字列だった。
Qはしばらく画面を見ていた。
それから声に出した。
「Cから通達が来ています」
南平台分室の書斎に、Qの声が端末越しに入ってきた。
A1が端末を机に置いた。ワタシはその横に立っていた。夜の書斎は窓の外が暗かった。欅の葉が夜風で少し動く音がした——庭に出ていないと分からないくらいの音だった。
「C——警察庁長官からの通達を読み上げます」とQが言った。
少し間があった。一拍ではない間。Qが何かを確認している間だった。
「ヒノデ・カノンを、重要指名手配犯として指定する。焼死事件への関与が明らかとなったため、法の範囲内での実力行使を許可する——以上です」
また間があった。
「法の範囲内での」とQが繰り返した。確認として声に出した。「実力行使を、許可する」
繰り返してから、少し止まった。
A1が「Kへの転送は」と言った。
「しました。今、返信が来ています」
間があった。
「了解しました——三文字です」
書斎が静かになった。
端末の通信は開いたままだった。Qの呼吸の音と、目黒合同庁舎の空調音だけが細く来ていた。
ワタシはA1を見た。A1は端末の画面を見ていた。
「A1」
「聞いてる」
「……焼死事件」
「ああ」
「カノンが——」
「ああ」
それ以上は続かなかった。
続かないのではなく、A1が「ああ」と言ったことで、ワタシが言おうとしていたことはもう終わっていた。カノンが焼死事件に関与した、という事実が一度A1の口から出てしまうと、その事実はそこにある。確認として出た「ああ」だった。
ワタシは窓の外を見た。
欅の輪郭が暗い中にあった。昼間の葉の茂りが、今は影の形としてしか見えなかった。
「法の範囲内での実力行使」とワタシは言った。「これは——」
「今夜は早く寝た方がいい」とA1が言った。
「寝れません」
「寝れなくても横になっていた方がいい」
「……A1は」
「寝ない」
答えが早かった。
A1は端末を見たまま言った。「報告書を打つことが残っている」
「何の報告書ですか」
「今日の分だ」
「今日は——」
「何もなかった。今日は。だから短い」
何もなかった、という言い方が少し変だった。でも言い直す様子がなかった。A1が端末を手に持った。ワタシが書斎を出ていくのを待っている感じだった——待っているが、出ていかなければ追い出すつもりもない感じの待ち方だった。
ワタシは書斎を出た。
Qのモニターの右端に、感情スコアのグラフが出ていた。
焼死事件の報道から二十四時間が経っていた。グラフの折れ線は、カノンへの「怒り」の向きで最高値を更新していた。四十八時間前——拡散の夜——の「興奮」スコアの数字を、今夜の「怒り」は超えていた。
Qは声に出して確認した。「怒り係数、九・七」
独り言だった。Qの声が資料室に出た瞬間に、Qの耳に返ってきた。「九・七」という数字が、出した後に意味として来た。
「名前のつかないファイル」をもう一つ開いた。
何も入力しなかった。ファイルを開いたまま、しばらく画面を見ていた。
それから閉じた。
開いたことが、閉じた後には残らない記録になった。
通信のリクエストが入った。
Jからだった。
「Qさん、今いいですか」
「います」
「直接でいいですか。記録はどちらでもいいです」
「記録します。話してください」
少し間があった。
「今回の件で確認させてください」
声が来た。Jの声は、いつも少し遅れて来る——人間の声より〇・二秒くらい、言葉が整ってから出てくる声だった。今夜の〇・二秒は、もう少し長かった。
「ヒノデ・カノンは——犯罪者として追うことになりますか」
Qは一瞬、何かを入力しかけた。止まった。
「法的にはそうです」と言った。
「法的には、ということは」
「法的には、ということです」
間があった。
Jが「重要指名手配犯の指定というのは」と言った。「つまり——どの程度の、根拠があって、なされる判断ですか」
「Cの判断です」
「Cの判断、ということは——Kの判断ではないということですか」
Qが少し止まった。
「Kが了解しています」と言った。「Kが了解した判断です」
「了解したことと、Kが判断したことは——」
「今夜は動いてください、J」
通信の向こうが静かになった。
Jが「分かりました」と言った。〇・二秒よりも長い間の後に来た言葉だった。
通信が切れた。
Qがモニターを見た。
「名前のつかないファイル」を開いた。今度は声に出さなかった。ファイルを開いたまま、Jとの通信のログを見た。見てから、閉じた。
モニターの中央に、C通達の転送記録が出ていた。送信時刻と受信時刻が並んでいた。その下に、Kの「了解しました」という三文字の返信が出ていた。
Qはその三文字をしばらく見ていた。
グラフが上がり続けていた。