アテンション・プリンセス~空っぽのワタシ、魔法少女になります~   作:樫丹鏡花

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4.ノワール・デ・ノワール-Noir de Noir-

会見の映像は、あらかじめ用意された尺のまま流れた。

官房長官が原稿から目を上げずに言う。「特殊な能力を持つ人物、との情報については、そのような事実は確認されておりません」

質問が三つ続いた。四つ目の記者が手を挙げたところで、司会が「以上とさせていただきます」と言葉を被せる。マイクの遠ざかる音だけが拾われて、映像が切れた。

Qはその四十二秒を、三回再生した。

三面モニターの右端で、現場動画の投稿数が伸び続けている。会見から六時間で、百万を超えた。桃色の板の列。炎。輪郭を失って崩れていく赤。映っているものと、否定する言葉が、同じタイムラインの中を並んで流れていく。

タグの動きを、Qは時間順に拾って記録した。

「政府が隠している」——最初の三時間で増えたのは、死者が出ているという書き込みだった。死者はゼロだと、鑑識の記録にはある。記録は、公開されていない。

「実行犯は外国人」——匿流タグと合流したのは、半日を過ぎた頃だった。一・九だった怒り係数が、四十八時間のうちに六・一まで上がる。先月の夜、九・二まで跳ねたときと、角度が似ている。事実とは無関係に、係数だけが同じ坂を登っていく。

「軍の秘密兵器」「新興宗教の関与」「映像はすべて生成されたもの」——タグは増え続けたが、どれも長くは持たなかった。次の見出しの下に、また新しいタグが重なっていく。

四十八時間が経つ頃、丸の内口に花が置かれ始めた。誰が最初の一輪を置いたのか、映像には残っていない。死者はいない。それでも、花束は本物だった。造花ではない。しおれれば、次の誰かが新しいものを供える。

Qは記録の最後の行に、一文だけ足した。

「政府の否定と、映像の拡散は、同じ速度で進んでいる。どちらかが折れる兆候は、まだ数字に出ていない」

打ち終えてから、その一行をもう一度読んだ。前の記録と、少しだけ似ていた。分離できていない、と何度も書いてきた。今回、分離できていないのは、事実と、物語だった。

窓のない資料室に、モニターの駆動音だけが続いていた。四十八時間、Qは同じ椅子に座っていた。

 

 


 

 

朝と呼ぶには、まだ光が薄すぎた。わたくしは寝間着のまま床に座り込み、テーブルいっぱいに紙を広げていた。東和新聞の朝刊、他の全国紙が四紙、それに昨夜のうちにプリントアウトさせたネットメディアと週刊誌の一面キャプチャ。数字と同じで、こういうものは並べて見比べる方が、頭の中に形として残る。

まず、新聞。

一面の見出しは「東京駅で警備中の警察官が発砲、負傷者複数」。活字の大きさも、置かれている位置も、いつもの事件記事と変わらない。本文は八行。目撃情報の中に「特殊な人物」との一語があり、詳細は捜査中、と続いて終わっている。政府側の説明については「関係機関に確認中」という一文だけが添えてあった。

「魔法少女」の三文字は、どこにもなかった。

書くべきことを削ったわけではない。書かない、という選び方で、紙面は書き上げられている。わたくしはそう分類した。

他紙を一枚ずつめくる。「不審な人影」「異能とみられる何か」「特異体質を有する人物」——語尾を変えているだけで、踏み込む深さはほとんど揃っていた。写真の選び方も似ている。四紙とも、規制線と鑑識の腕章を写した引きの絵で、コンコースの中央——桃色の板が並んでいたはずの場所は、どの一枚のフレームにも入っていない。

タブレットで、昨夜の録画も流す。二局分。片方のアナウンサーは、原稿を読みながら一度だけ言い淀んだ。「少女」まで音が出かけて、止まり、「人物」に言い直している。編集で切られなかった、生放送だからこそ残った数秒。わたくしはその箇所だけ、二度巻き戻して見た。

ネットメディアと週刊誌は違った。「東京駅、魔法少女が発砲事件に関与か」「新幹線コンコースで謎の“炎の少女”目撃」。見出しに堂々と語を使っている。

語を使う媒体と、使わない媒体。その線引きは、そのまま信用の階層と重なっている——全国紙とテレビを見る層と、週刊誌とネットを見る層。存在は、語彙の階層によって管理されている。わたくしはそこまで分類して、東和新聞の見出しの上を、赤鉛筆の先でなぞった。線は引かない。なぞるだけにする。

電話が鳴った。あの人からのときにしか使わない、直通の番号だった。一回で取る。

「もしもし」

低い声だった。名乗らない。名乗る必要のない声だった。

「紙面は、あれでいい」

それだけで、切れた。

わたくしは受話器を、しばらく耳から離さずに持っていた。それから、置いた。

置いた手を、少しの間、見ていた。

「あれでいい」は、増やすことも、減らすことも許さない言い方だった。わたくしはそう分類し直してから、テーブルの紙の一枚を、少し奥へ押しやった。

ソファの方で、テレビの音量が上がった。

カノンさんが、朝のワイドショーをつけていた。膝の上にお菓子の袋を置いて、脚を組んだまま画面を見ている。手ブレの激しい縦動画が繰り返し流れていた。桃色の板の列、逃げる人波、そして最後——赤い光が粒になって崩れていく、数秒。

「へー。派手にやってる」

袋から一枚つまみながら、画面から目を離さずに言った。

自分と同じ顔の型をした何かが、消えていく映像を見て、それだけだった。驚きも、痛みも、覚えのある気配すら、声に乗らなかった。

わたくしはその横顔を、しばらく見ていた。反応のなさも、記録には値する。紙の隅に、一行だけ書き足す。

「反応なし」

丸はつけなかった。

窓の外、朝の光が少しずつ、部屋の奥まで届き始めていた。九月の空は、まだ夏の名残みたいに白い。テーブルの端で、「毛利」「ユカリ」「カノン」——三つの丸が、今朝も同じ場所で乾いたままになっていた。今日のところは、増やす気になれない。

 

 


 

夜の資料室に、モニターの駆動音だけが低く続いていた。左の画面では報道量の折れ線が今夜も上へ伸び、真ん中の匿流タグの怒り係数は八・七まで戻っている。数字が動くたび、Qは指を止め、確認だけして、また作業に戻った。東京駅の日から、三日が経っていた。

部屋の隅、丸椅子にサクラが座っていた。膝の上に、K機関の様式に沿った現場記録の用紙がある。「規制線の外側で、群衆の誘導にあたった」——その一行を書くのに、もう十分近く手が止まっていた。書くことがないわけではない。書き方が、まだ決まらないだけだった。

モニターの隅に、着信の表示が出た。定例の時間通りだった。

Jからの映像通信。中性的な顔が、いつもと同じ角度で画面に映る。制服の素材だけが、少しだけ違う。

「事後処理の報告をします。丸の内側、八重洲側、聞き込みを完了しました。目撃者、計四十一名。証言に矛盾なし。以上です」

いつもの声、いつもの区切り方だった。Qは「了解」と入力しかけた指を、途中で止めた。

間があった。いつもより、長い。Qは数えかけて、やめた。

「確認させてください」

Jが言った。書式にない言い方だった。

「私たちが三日前に撃った相手は、存在しない、ということになっています」

Qは手を止めたまま、モニターを見た。「政府見解です」

「では、私たちは何を撃ったのですか」

「記録上は、対象不明です」

答えながら、Qは自分の声が、いつもより少し速く出ていることに気づいた。気づいたことは、どこにも入力しなかった。

「あの子たちは——犯罪者なのですか。存在しないのに」

三段目に、Qは言葉を持たなかった。

画面の中のJは動かなかった。中性的な顔のまま、返事を待っているのか、待つことをやめたのか、判別がつかなかった。資料室に、モニターの駆動音だけが残った。

いつもなら、ここで「今夜は動いてください、J」と言って、通信を閉じる。今夜は、その言葉が出てこなかった。

数秒の沈黙の後、画面の表示が変わった。「通信終了」。Jの側から切れていた。

Qは、しばらくモニターを見ていた。それから、名前のつかないファイルを開いた。いつもなら、独り言のように一行だけ書いて、それから閉じる。今夜は、カーソルが点滅するだけで、何も入力しなかった。一分近く、それを見ていた。

書かないまま、閉じた。何も足せないファイルは、初めてだった。

隣で、サクラは用紙から顔を上げていた。書きかけの一行が、まだそこにある。

——Jの問いは、ワタシの問いと同じ形をしている気がした。存在しないことになっている、という点で。

言葉にはしなかった。用紙の続きも、書けなかった。

三面モニターだけが、変わらず数字を映し続けていた。

 

 


 

ルーム3を出ると、階段の窓の外がもう夕方の色をしていた。九月の光は、まだ夏の名残の橙を混ぜながら、少しずつ乾いていく。今日はA1が先に南平台へ戻っていた。書斎に置いてきた書類がある、とだけ言って、坂の下で別れた。

南平台へ向かう坂道は、いつも人が少ない。塀の続く住宅地の中を、ワタシは一人で上っていった。

電柱の脇に、見覚えのある輪郭があった。制服ではない。パーカーにスカート、変身していない姿。それでも、立ち方だけで分かった。

「あ、桃色。……また、ですね」

三章の時と同じ声だった。驚きのかけらもない、事実を確認するだけの言い方。

「……はい」ワタシは足を止めた。「また、ですね」

アオネはスマートフォンを両手で持ったまま、しばらくワタシを見ていた。何かを測っているような目だった。

「三つ、確認したいことがあります」

前置きはなかった。

「一つ目。東京駅で消えたのは、赤の変身者ですか」

政府は否定している。界隈の動画は、加工だと言われている。事実を知っている機関の人間に、事実を聞きたい——そういう目だった。

「……見ました」

短く答えた。それ以上の言葉は、要らない気がした。

アオネが頷いた。「二つ目。ヒノデ・カノンは、死んだんですよね。あなたたちが、見たんですよね」

喉の奥が、少しだけ重くなった。それでも答えは変わらなかった。

「……見ました」

制度は否定する。ワタシは、個人として肯定した。坂道の上に、それだけの違いが立っていた。

「三つ目」アオネが続けた。「今、界隈を歩いている『カノン』は、じゃあ、何ですか」

言葉が出てこなかった。

「……知りません」ワタシは正直に言った。「その話、初めて聞きました」

アオネの目が、少しだけ細くなった。困っているのではなく、計算が一段進んだ顔だった。

「そうですか。……そちらも、知らない」

独り言のように呟いて、スマートフォンの画面に何かを打ち込んだ。

「界隈で、噂になっています。死んだはずの赤が歩いていた、と。動画はありません。撮る前に消えたか、撮っても輪郭が写らなかったか——証言が揺れています」

ワタシは何も言えなかった。頭の中で、この情報をどこに置けばいいのか、まだ形にならない。あとでQに伝えなければいけない。それだけは分かった。

坂の下を、車が一台通り過ぎた。ヘッドライトが、二人の影を一瞬だけ伸ばして消えた。

「対価に、データを送ります」

「対価?」

「三つ聞いて、二つ答えてもらいました。ただで聞くのは、フェアじゃないので」

アオネはスマートフォンを操作して、画面をこちらに向けた。文字列が一つだけ表示されている。使い捨てのアドレスらしい、意味のない英数字の羅列だった。

「ここに送ります。返信は要りません。見た、とだけ、どこかに書いておいてもらえれば」

「……分かりました」

「偽の赤の出現ログと、単独と複数のときの出力差の観測値です。単独のときの持続時間が、複数のときよりおよそ三割長い。数が増えると、一人あたりの出力が落ちます。理由は、まだ分かりません」

淡々とした声だった。感情の代わりに、数字が並んでいる声。

「そちらの記録と突き合わせてください。合っているかどうかだけ、いつか教えてもらえれば」

アオネが背を向けかけて、もう一度こちらを見た。

「私の目的は、今の構造を維持することです」

前にも聞いた言葉だった。

「今いちばん構造を壊しそうなのは、魔法少女でも、あなたたちでもない気がしています。誰なのかは、まだ計算中です」

それだけ言って、アオネは坂を下りていった。振り返らなかった。パーカーの後ろ姿が、夕方の光の中で小さくなっていく。

アオネの姿が見えなくなってから、ワタシはしばらくその場に立っていた。

今の、聞こえてた——

言いかけて、止まった。声にしたのかどうか、自分でもよく分からなかった。

後ろから声は来なかった。今日は、A1がいなかった。

坂の先、南平台の欅が、夕方の風に少しだけ揺れているのが見えた。ワタシは、もう一度歩き出した。

——カノンを見た、とアオネは言った。その言葉を、どう書けばいいのか、まだ分からないままだった。

 

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