アテンション・プリンセス~空っぽのワタシ、魔法少女になります~ 作:樫丹鏡花
四時十分。腕の端末の表示が切り替わった瞬間、無線にKの声が短く入った。「H時刻、到達。各梯団、突入」。感情の乗らない、決裁済みの声だった。続けて、符丁のカウントが三、二、一と流れる。A1は返答をせず、腰の筒に手を添えたまま、非常階段の扉に肩を寄せた。予備に回していた二十分のうち、まだ一分も使っていない。数字だけが、今この瞬間のA1にとっての現在地だった。
北側正門では、第一梯団八名が携行した油圧式の拡張器具を鉄扉の隙間に差し込み、二秒で蝶番を割った。金属が裂ける音が、コンテナヤードの静けさの中を短く裂いて消える。南側搬入口では、第二梯団七名がシャッターの下端を持ち上げ、腹這いで滑り込んでいく。A1が受け持つのは、建物の東側、非常階段からの側面進入だった。手すりの錆が指先に触れる。踏み面の狭い階段を四段飛ばしで上がり、二階の踊り場に立ったところで端末を確認する。北の突入から、六秒。踊り場の手すり越しに、埠頭の方角から吹き上げる風が首筋を撫でていった。潮の匂いに、焼けた金属の匂いが混じっている。
鉄扉には、内側から差し込まれた閂の感触が伝わってきた。塗装が剥げ、下地の錆が指先にざらついて触れる。ロックピックではなく、蝶番側から外す判断を一秒で下し、警棒を七十センチまで伸ばして隙間にねじ込む。梃子の原理で扉が浮き、閂の外れる音がした。中に入ると、まず目に入ったのは、コンクリート打ちっぱなしの床に段ボールが積まれた受付らしき小部屋だった。天井の蛍光灯は半分が切れており、残った管も点滅を繰り返している。奥に引き戸があり、その先が「事務所」として登記されている広い空間になっている――図面で見た配置と目の前の景色が一致した瞬間、A1の中で建物の見取りが確定した。受付の右手に施錠されたドアがひとつ、その奥は窓のない小部屋だと分かっている。左手は仕切りのないフロアで、スチール棚が三列、天井近くまで積まれていた。棚の一段目に、防犯カメラらしき小型機材が三台、壁側ではなく室内側に向けて設置されているのが見えた――外を見張るためではなく、中の作業を記録するためのものらしい。
受付の奥から、足音が二つ近づいてくる。実行要員――帳簿と現金のやり取りを担当する人員だと、事前の解析で聞いていた。作業着に似た紺色の上下、片方は手袋をしたままだった。一人が振り返り、何かを叫ぼうとした。声になる前に、A1は間合いを詰め、伸ばした警棒の先で相手の利き腕の肘を打つ。骨を折らない角度、動きを止めるだけの強さ――この判断は毎回同じだった。倒すのではなく、止める。もう一人が段ボールの陰から工具のようなものを振り上げたが、A1は電撃機能を作動させた警棒の腹でその手首を払う。乾いた音がして、工具が床に落ちた。二人とも、床に膝をついたまま動かなくなる。無線に短く入れた。「受付、確保二名。負傷なし」。応答して現れた所轄の警察官二名が、後ろ手に手錠をかけ、氏名も名乗らない二人を壁際に座らせていく。身分証の提示を求めても、二人とも答えなかった――こういう現場では珍しくない反応だと、後で報告書に一行だけ書くことになる。A1は突入開始からの経過を確認した。北扉の破壊から、この確保まで九秒。想定の範囲内、と判断する。
「いろは一、北扉確保」「いろは二、搬入口確保」。外周からの応答が続けて入る。「いろは予、海側の路地、封鎖完了」――七分かかると言われていた位置修正は、間に合っていた。退路は、この時点で三方向とも塞がれている。A1は残る一方――倉庫の裏手、資材搬出用の小さな扉――の担当がいないことに気づき、無線でその旨をKに上げた。「了解。第三梯団の予備二名を回します」。五秒の間を置いて、返答が戻る。裏手の扉が塞がるまで、あと二分弱――その間、A1は動きを止めない。止まっている理由がなかった。
「いろは予から本部、予備二名、裏手へ移動中」「本部了解、到着次第報告」。無線のやり取りは短く、事務的に流れていく。感明チェックの復唱と同じ抑揚で、誰の声にも力みがなかった。一分五十秒後、「裏手扉、封鎖完了」の報告が入る。四方向すべてが塞がったことを、A1は端末に一行で記録した。
正面の施錠されたドアの奥――窓のない小部屋。図面上、換気口の数が最も少ない区画だった。A1は腰の筒に手をかけ、中央の襟を右へ半回転させる。かちり、という小さな音とともに、内径が変わる感触が指先に伝わった。密閉された空間では、これを使う。ドアノブを蹴り外し、隙間から筒先だけを差し入れて引き金を引いた。発射音は乾いた破裂音一つだけで、銃声というより、圧搾空気が抜けるような音に近かった。着弾から一拍遅れて、白い霧が部屋の奥から手前へ、床を這うように広がっていく。乳白色の層が渦を巻きながら重なり合い、天井まで届くのに二秒、部屋全体を満たすまでにさらに三秒――狭い空間だからこその速さだった。冷たい空気に、消毒液に似た匂いが薄く混じる。戸口に立つA1の足元にも、白さの端がゆっくりと這い寄ってきた。
咳き込む声が、霧の向こうから聞こえてくる。一人。二人ではなく、一人だけの気配。A1は戸口で待った。効果の確認は、いつも同じ手順で行う。呼吸の乱れ、動きの鈍り、姿勢の崩れ――三点がそろったところで踏み込む、という判断基準だった。十秒。呼吸の乱れを確認。十四秒。動きの鈍りを確認。十七秒、姿勢が崩れる音がして、A1は踏み込んだ。
霧の中に、赤いものが立っている。両手に纏わりついているはずの炎の覆いが、輪郭の縁で微かにずれていた。本来なら燃え広がる先まで一続きであるはずの熱が、ところどころで途切れ、また別の場所から生え直したように見える。継ぎ目のある炎、というのが一番近い表現だった。色そのものは本物と変わらない朱に近いが、明滅の間隔だけが、心臓の拍動のように一定していない。
赤は低い声で何かを唸ったが、言葉にはならなかった。姿勢を低くし、右の拳を引く。踏み込みの重心の置き方、拳を溜める角度――A1の記録の中に、同じ形が一つだけある。本物の方は、もっと速かった。もっと、迷いがなかった。今、目の前にあるのは、その動きを見て覚えた誰かが、覚えた通りに再現しようとしている速度だった。引用元を知っている側からすれば、次にどこへ拳が来るかは、拳が動く前から分かってしまう。A1は半歩だけ体を横にずらし、伸びてきた拳をかわしながら、警棒の腹を相手の脇腹に当てた。電撃、短く一回。膝から崩れ落ちる音がして、両手を覆っていた赤い炎が輪郭を保てなくなり、床に触れる前に薄く消えていく。焦げた痕は残らなかった。炎の下にあった小さな身体だけが、そのまま床に沈むように倒れる。「小部屋、確保一名。炎の覆い、消失を確認」。
スチール棚の並ぶフロアへ戻る。棚には、模造品らしき小さな装身具や、ラベルの貼られていないカプセルの束が、雑然と詰め込まれていた。棚板の三段目には、宅配便の伝票が束のまま置き去りにされている。差出人欄はどれも空欄で、届け先だけが手書きの略号で埋まっていた――一つ一つの符丁を読み解く時間は、今のA1にはない。棚の陰、段ボールの隙間から、もう一つの赤い気配が動くのが見えた。遮蔽物が多い区画では、狭い方の筒径では威力が分散しすぎる。A1は襟を左へ戻し、元の径に切り替えた。かちり、と同じ音がもう一度鳴る。今度は狙いを一点に絞らず、扇状に振りながら引き金を引いた。発射音は先ほどより低く、束になった何かが空気を裂いて散る音がする。棚の側面に、鈍く重い音が連続して三度当たった。段ボールが二箱、崩れて中身をこぼす。棚の端に積まれていた空き瓶の束も、巻き込まれて崩れ落ちた。命中したのは、殺傷力を持たない弾だった――皮膚を裂かず、骨を折らない範囲の質量で、対象の動きだけを奪う設計になっている。赤い人影が、棚に肩から叩きつけられ、そのままずり落ちた。とどめを刺せる体勢だったが、A1はその場で止まる。仕留められる場面で仕留めない。これも、いつもの判断だった。膝をつく相手の腕をワイヤーで拘束し、無線に入れる。「フロア東側、確保一名」。
確保、四名。負傷者ゼロ。使用した装備は、密閉区画で一回、開放区画で一回。残弾は、まだ両モードとも一回分ずつ残っている。フェーズごとの所要時間を、A1は端末のログに並べていく。受付制圧まで九秒、小部屋の突入まで踏み込み判断込みで三十一秒、フロア東側の確保までさらに二十二秒――H時刻からここまでの経過時間、通算二十六分。予備に回していた時間のうち、まだ十四分残っている計算になった。区画の未確認は、あと一箇所――受付の奥、施錠されたドアのさらに奥にある、窓のない部屋だった。
そこに、供給装置らしきものがあった。金属製の作業台の上に、用途の分からない機材が並んでいる。配線が机の下を這い、電源タップに何本も繋がれていた。棚には、帳簿らしきノートが数冊、輪ゴムで束ねて置かれている。一番上の一冊は表紙が擦り切れ、開いたページの端に日付らしき数字の列が並んでいた。壁際には段ボールが十箱ほど積まれ、一箱だけ開いた状態で、中に緩衝材と小さな部品らしきものが詰められているのが見えた。箱の側面には、荷札の切れ端だけが残り、宛先の欄は破り取られている。作業台の脇には折りたたみ椅子が一脚、座面が擦り切れていた。誰かがここに長く座り、同じ作業を繰り返していたことを示す痕跡だった。机の上、電源の入ったままの小さなモニターが一台、画面には何も表示されず、ただ青い光だけを放っている。A1はそれらに触れない。触れるのは検証班の仕事だった。写真を一枚だけ、記録用に撮る。部屋の入口に、立入禁止のテープを一巻き、自分の手で張った。
無線に、制圧完了を告げた。「対象施設、確保完了。四時三十七分」。返答は、Kの短い「了解」だけだった。続けて「検証班、五時到着予定」という一報が入る。目黒からの移動時間を逆算すれば妥当な数字だった。歓声はない。拍手もない。倉庫の外では、機動隊員たちが淡々と確保者の搬送を始めている。担架は使われなかった。二人は自分の足で歩き、残る二人――というより、既に消えた赤い覆いの主だった二人――は、意識のないまま毛布に包まれて運ばれていく。輪郭を保てなくなった存在に、それでも医療の手続きは同じ形で適用される。
A1は警棒を縮め、筒を分解して薬室の空洞を確認した。異常なし。マグライトも同様に点灯、消灯――光量の落差はいつもと変わらない。バイザーの内側に薄く曇りが生じていたが、拭う動作はしない。乾けば消える程度のものだった。頭上を、着陸態勢の機影がもう一機、低く横切っていった。窓の外、まだ暗い空の端に、夜明けまでの時間が残っている。
五時ちょうど、検証班を乗せたワゴン車が二台、倉庫の敷地に入ってきた。Qはその後ろから、目黒を出た時に借りた庁用車で到着した。空はまだ暗いが、東の端だけがわずかに灰色を帯びている。荷台から降りた検証班の四人が、脚立とアルミケースを担いで建物へ向かう足取りには、急ぐ様子がなかった――現場は既にA1によって確保され、時間の制約は解けている。入口の鉄扉には「立入禁止」の黄色いテープが一巻き、A1の手で張られたままになっていた。Qはテープの端を持ち上げてくぐり、中に入る。
写真番号は、この現場に限って独立した通し番号を振る決まりになっている。〇〇一号は北扉の破損箇所から。以降、受付の段ボール、フロアのスチール棚、施錠されたドアの奥にあった作業台と続き、Qが到着した時点で五十三号まで進んでいた。検証班の一人が、脚立に立って天井の防犯カメラの角度を測りながら、番号を読み上げる。「五十四号、室内向けカメラ、三台目」。声に応じて、別の一人がボードに数字を書き足していく。撮影が終わるまで、何にも触れてはならない――現場のどの資料でも最初に習う原則だが、実際に守られているかどうかは、この段階の丁寧さで決まる。
コンクリートの床から上がってくる冷気は、外の気温よりも数度低く感じられた。息が白くなるほどではないが、指先の感覚が鈍くなるには十分な寒さだった。検証班が持ち込んだアルミケースの中身は、粉末式指紋採取用具一式、証拠品袋、定規付きの識別プレート、それに温湿度計――帳簿類の紙質が搬出までに傷まないか確認するための道具だった。数値は摂氏十二度、湿度五十八パーセント。記録用紙の欄に、担当者がそのまま書き写していく。
指紋の採取は、動線の逆から始めるのが慣例だった。まず出口に近いドアノブ、次に作業台の縁、それから帳簿の表紙、最後に段ボールの折り目――人が最後に触れた場所から遡っていく。アルミニウム粉末を刷毛で薄く撒き、浮かび上がった隆線の一つ一つに、透明フィルムを当てて剥離する。剥離したフィルムには通し番号のラベルが貼られ、差押品目録の該当欄に紐づけられる。作業台の脇に落ちていた薬室の空薬莢一つと、床に転がっていたゴム弾の破片二つも、それぞれ別の番号を振られて袋に収められた。ガス銃モードと散弾銃モード、両方が使用された痕跡が、こうして数字の形で記録に残っていく。人体に達する前に運動エネルギーを失う設計の弾体であることは、鑑識の初動確認で既に裏が取れていた。
袋の一つ一つには、符号――A系列は帳簿類、B系列は機材、C系列は弾体――と、採取時刻、採取者の署名欄が印刷済みのラベルが貼られる。Qはそのラベルの控えを一枚ずつ端末で撮影し、後から品目録と照合できるようにしていく。この手順を一つ飛ばすだけで、法廷での証拠能力が揺らぐことがある――誰に教わったわけでもなく、Qはそのことをログの厚みで知っていた。
帳簿はノート三冊、いずれも表紙が擦り切れ、輪ゴムで束ねられた状態で見つかったものだった。Qは白い手袋の指先で、一番上の一冊を開く。日付の並びは十一月二十二日から始まっていた。
「単価、一体につき三万八千円」
声に出す。数字を確認する時、口にするのは長年の癖だった。ページをめくると、同じ単価の隣に「七」という回数が小さく書き添えられている。七件――Qが目黒のモニターで解析した出現ログの件数と、ぴったり一致する。金額の欄には、振込という体裁を取りながら実際には電子決済アプリの送金履歴を手書きで書き写したとおぼしき記録が並んでいた。名義は「ヤマトエンタープライズ」「有限会社ヤマトコーポレーション」「ヤマト興産」――語頭の二文字だけを保ったまま、後半だけを毎回変えている。同じ実体を、書類の上だけ別人のように見せる手口だった。七件のうち五件が、この「ヤマト」系の名義で処理されている。
七件を単純に合計すると、二十六万六千円になる。大がかりな資金洗浄というより、界隈の子ども数人が食いつなぐ程度の規模だった。Qはその数字を、先週まとめた匿流の被害総額――末尾がゼロで揃った桁違いの数字――と並べて画面に置いてみたが、比較しても意味のある数字にはならなかった。桁が違いすぎる二つの数字を並べたところで、片方が片方を説明することはない。Qはそのウィンドウを閉じた。
残る二件のうち一件は、名義が完全に空欄のまま金額だけが記されていた。もう一件――十一月二十六日の欄だけが、他と形が違っていた。数字とアルファベットを組み合わせた記号のような文字列で、末尾に三桁の数字が付いている。インクの色も、他の行より心なしか濃い――同じペンで書かれたものではないかもしれない。前後のページをめくり比べても、同じ形の記載は他に見当たらない。Qはその一行を、写真番号を振ってから、別のウィンドウに座標だけをそのまま書き写した。文字列の規則性――末尾の数字が、直前の欄に記された別の数字に一定の値を足した形になっているらしいことに、Qは気づいたが、それが何を意味するのかまでは分からなかった。分からないものを分かったふりで書くことは、Qが最も避ける種類の誤りだった。ファイル名には「要確認・十一月二十六日記載」とだけ打ち、中身は座標と文字列の転写のみにとどめる。
帳簿を閉じ、周囲の状況と照らし合わせる。棚に積まれた段ボールの数、供給装置らしき機材の配線の本数、折りたたみ椅子の擦り切れ方――どれも、組織立った工場ではなく、一人か二人が細々と続けてきた作業の跡だった。創設者を失ったサーカスの下部組織が、界隈向けに素材を闇デプロイし、資金を作っていた線で間違いなさそうだった。創設者本人の現在の動きとの接続を示す記載は、少なくともこの三冊の中には見当たらない。
「偽の赤の件、これで分離できた」
Qは声に出した。カノン再デプロイ体の系統とは別だと、目黒で既に処理していた区別が、現場の帳簿によって裏付けられた形になる。だが言い終えた直後、十一月二十六日の欄の文字列が、まだ画面の端に残っていることを思い出す。
「……分離できたことに、しておく」
言い直して、ウィンドウを閉じた。分離できたという確認と、分離できたことにしておくという保留は、似ているようでいて別のものだった。前者は結論、後者は暫定の処理――Qはその境目を、口に出す声の温度だけで分けていた。今回もまた、その記録自体は記録しない。名前のつかないファイルの棚が、また少し厚みを増した。
外の空気を吸いに、Qは一度、建物の外に出た。コンテナヤードの縁に、アオネが立っていた。双眼鏡は使っていない。裸眼で、搬出されていく段ボールの数を数えているらしい動きが、指先のわずかな動きから見て取れた。契約に基づき、観察のみで参加しない――今回の稼働はその形のまま、最後まで貫かれている。
「箱、十二個」
アオネが言った。誰に向けたものでもなく、確認のためだけの声だった。
「出現件数との照合ですか」
「一つの箱に、六から七体分の素材が入る計算です。十二個なら、七十体前後。確認された出現は七件」
数字の差が、そのまま口から出てくる。Qは手元の端末を見た。
「在庫と実績の差、ということですか」
「まだ使われていない在庫、という見方もできます。でも、それだけとは限らない」
アオネは視線をコンテナヤードの奥、まだ検証の手が入っていない一角に向けた。そこには何もない。ただの空き地だった。
「拠点は一つとは限りません。計算上」
それだけ言うと、アオネは踵を返した。歩き方に迷いはなく、Qが次の言葉を用意する前に、既に敷地の出口の方へ向かっている。見送る間もなく、姿は倉庫の陰に消えた。契約書に記された報酬は、この一言のためにも支払われることになる。
検証が一段落したのは、七時を回った頃だった。空は完全に明るくなり、コンテナヤードの上を、朝一番の貨物船が汽笛を短く鳴らしながら通り過ぎていく。Qは庁用車に戻り、目黒へ向かった。
合同庁舎の資料室に戻ると、いつもの窓のない部屋が、外の光とは無関係な明るさで迎える。Qは押収品目録の写しを机に広げ、報告書の様式を開いた。結論部分は、決まった型に沿って埋めていく。
「本件は、当該倉庫を拠点とする資金獲得目的の非正規流通事案と認める。関与人員は実行担当二名を現行犯逮捕、供給側の担当者は不詳のまま逃走中一名。押収帳簿類より、創設者本人との直接的関与を示す記載は確認されず、資金の流れは残置組織による自己完結型のものと判断する。なお帳簿中一件について記載形式に不整合があり、別途「確認中」ファイルにて継続監視とする」
押収品の保管については、別紙のとおり定型の一文を添える。帳簿類は本部資料室にて施錠保管、保管期間は事件処理の終結まで、返還の要否は追って判断する――このあたりの文言は、どの事件でもほぼ変わらない。変わるのは、その下に付く「確認中」ファイルの数だけだった。書き終えて、送信欄に新Kの名を入力する。決裁が戻ってくるまでには、まだ時間がかかるはずだった。
画面の隅、押収品の一覧表には、五十四枚の写真番号と三冊の帳簿、空薬莢とゴム弾の破片が、それぞれ整理番号を振られたまま静かに並んでいる。十一月二十六日の一行だけが、まだどの棚にも収まらないまま、確認中のタグを付けて浮いていた。