アテンション・プリンセス~空っぽのワタシ、魔法少女になります~   作:樫丹鏡花

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10.ムスク25-Musc 25-

警視庁本部を出た足で、Qは合同庁舎に戻った。取調室の壁の時計が示していた「日付が変わるまで、あと四十分」は、公用車の後部座席で使い果たされていた。地下駐車場から入り、当直の警備員にIDカードを提示した。夜間出入りの記録簿に時刻を書き込む警備員の手つきは慣れたもので、Qの顔を見ても何も尋ねなかった。深夜零時四十分過ぎ、エレベーターホールの照明はすでに間引きされ、二基のうち一基だけが動いている。三階の廊下は、電源の落ちた自動販売機の光だけが青白く漏れていた。空調は二十三時に自動停止する設定になっており、資料室の空気は外の冷たさにほとんど近づいている。いつもは低く唸っているコンプレッサーの音も、この時間はどこかで止まっていた。窓のない部屋で、三面モニターの光だけが唯一の熱源に見える。誰もいない部屋に、Qは上着を脱がずに座った。デスクの端に置いた紙コップの中身は、朝からずっと入れ替えていない。冷めたそれに口をつける気にはならなかった。隣の島の椅子は、日中の使用者が帰ったままの角度で止まっている。誰かがまた戻ってくる前提の角度ではなく、今夜はもう戻らない角度だった。

画面に呼び出したのは、警視庁本部から持ち帰った照合結果――少女の決済端末に振り込まれた三万円の送金元IDと、湾岸の物流倉庫で押収した帳簿の一行。末尾三桁に現れていた規則性は、あの晩と同じだった。「分離できたことにしておく」という保留を、Qはまだ取り下げていない。だが保留は、この先を追う理由を消さない。今夜のうちに一段でも先へ進めておけば、明日の報告書に書ける行が一つ増える。それだけのことだと、Qは自分に言い聞かせた。

まず開いたのは、送金元IDに紐づく決済代行事業者への捜査関係事項照会の回答書だった。三日前に届いていたが、今夜まで開く時間がなかった。名義は合同会社セントラルリサーチ。十三桁の法人番号、設立から八か月、資本金百万円。設立日は、匿流の怒り係数が最初に跳ね上がった時期とほぼ重なっていた。本店所在地は虎ノ門の私書箱型オフィスで、履歴事項全部証明書の住所欄に、実体を持つ事務所は存在しない。目的欄には「経営コンサルティング業」「情報通信業」など五項目が並ぶが、いずれも具体性を欠く定型文だった。代表社員は一人だけ、その名前は他のどの記録にも紐づかなかった――名義貸しの体裁だった。登記事項の変更履歴は一件もない。本店移転もなければ、目的の追加も、代表社員の交代もない――動く予定のない器を、動かす目的だけのために作った、としか思えなかった。合同会社という形式そのものが、公証人の認証も株主総会の記録も要らない、もっとも身軽な器として選ばれたように見えた。

この社名には見覚えがあった。二週間前の強襲で押収した証拠品目録の中、湾岸倉庫の帳簿と一緒に押収された業務委託契約書の写し――先週、証拠品保管棚に眠っていたものだ。Qは棚の番号札を確認し、写しを引っ張り出す。契約の相手方の欄に、同じ「合同会社セントラルリサーチ」の名前があった。業務内容の欄には「情報収集及び広報支援業務」とだけ記され、対価の額は空白のまま、割印だけが正確な位置に押されている。契約書自体は二ページしかなく、特記事項も、解約条項も、ほとんど書かれていなかった。実体のない会社が、内容のない業務を、実在する倉庫の運営者に委託している――中身のなさそのものが、何かを隠すための形に見えた。

このペーパー法人の取引銀行に対しても、Qはすでに照会を一件出していた。来週分として起票したつもりが、担当者の処理が早く、回答は昨日届いている。照会回答書の文面によれば、口座の開設は法人設立と同日で、以後の出金は毎月同じ日――月末――に、同じ金額が、ある個人名義の口座へ送られていた。振込金額は三十五万円、この八か月で一度も変動していない。振込摘要欄には「顧問契約分」とだけ記されている。Qはその個人名を、庁内の人物照合データベースに打ち込んだ。

出てきたのは、一般社団法人産業活力推進機構の事務局員という肩書きだった。この法人は、経済産業省が所管する複数の補助金事業の受け皿として、公開されている交付先一覧にも名前が載っている。理事は四名、評議員は七名、いずれも肩書きは「有識者」とだけ記されて、所属先の記載はない。設立の経緯は「民間有志による自主的な勉強会が発展したもの」という体裁を取っているが、登記上の事務局所在地は、霞が関の官庁街から歩いて五分の雑居ビルの一室だった。法人名を検索した瞬間、Qの手が止まった。この名前は、以前どこかで見た覚えがある――記憶をたどるより早く、名前のつかない棚の中から古いファイルを呼び出す。数か月前、経産省・投資家層が集まったシンポジウムの登壇団体一覧に、同じ名前が一行だけ含まれていた。フューチャーペイの上位接続を追っていたときに「確認中」のタグをつけたまま、更新しないでいたファイルだった。労働力ファンド案の議題に、この法人の名がどう関わっていたのか、当時のQには判断がつかなかった。だが二つの線は、今夜はじめて同じ紙の上で重なった。「確認中」のタグを、Qはまだ外さない。外していい重さの符合には見えなかった。

Qは、この法人の理事・評議員・事務局員の名簿を、これまで別件で積み上げてきた毛利周辺の人物リストと突き合わせた。選挙の夜以来、毛利という名前がついたファイルを迷わず開けるようになってから、Qは業務の合間に、この名前に紐づく人間を少しずつ拾い集めていた。講演会の出席者名簿、政策集の謝辞欄、SNSの投稿に写り込む名札――どれも単体では意味を持たない断片だったが、積み上げれば一枚のリストになる。正式な捜査資料ではない。決裁を経ていない、Q個人の作業用ファイルだった。一致は一件だけだった。評議員の欄にあるその名前は、毛利の資金管理団体が提出した政治資金収支報告書に、過去三年連続で「政策研究委嘱費」として年間四十二万円を受け取っていた人物と同一だった。決済名義、ペーパー法人、契約書の写し、顧問料の振込先、外郭団体の名簿――五段が、ようやく一本の線になって画面の上に並んだ。

Qは画面を見つめたまま、息を一つ吐いた。声には出さない。高揚はなかった。首脳会談の車列に向けて動いた金が、経産省の外郭団体を経由して、政界の中枢に近い一人の名前に行き着く――五段を潰し終えた今、残っているのは、この線が今夜より前からずっとそこにあったという、ただの事実だけだった。誰かが今夜これを見つけたことと、この線がもとから存在していたことの間には、埋めようのない時差がある。あの取調室で、少女は動機欄に書くことを何一つ持っていなかった。だがその金の出所を五段さかのぼれば、動機を持つ誰かに行き着く――欄に書けなかったものが、欄の外側でだけ、正確な形を持っていた。

新しいファイルを開き、名前を入力する欄にカーソルを合わせる。選挙の夜以来、この二文字を打つ指に迷いはなくなっていた――「毛利」。誰に聞かれても答えられる、ただの固有名詞として扱えるようになっていたはずだった。だが今夜、指はキーの上で一度、止まった。爪の先がキートップに触れたまま、押し込む直前で止まる。理由を言葉にする前に、指の方が先に止まっていた。止まっていた時間は、一秒に満たない。

Qは「毛利」と打ち、末尾に今夜の日付と、五段の照会番号を並べた符号を付け足して保存した。ファイル名の文字数はいつもと変わらない。だが保存ボタンを押す指の重さだけが、これまでのどの「毛利」ファイルとも違っていた。この名前のついたファイルが、明日の組織の中で生きていられるかどうか――その予感だけが、指の遅れの正体だった気がした。誰に、どの書式で報告するか、決裁を仰ぐべき相手が誰なのかという判断は、今夜のQの手には余る。これを見せていい人間が、今の組織の中に何人いるのか――その数を数えることさえ、今夜はまだできなかった。

Qは引き出しから外部記憶媒体を一枚取り出した。庁舎のネットワーク資産管理台帳に登録されていない、私物の光ディスクだった。この一枚だけは、これまで一度も庁舎の端末に挿したことがない――挿した瞬間に台帳へ自動登録される仕様を知っていたからだ。今夜組み上げた五段の資料一式を書き込む。書き込みの進捗バーが進む間、Qは画面から目を離さなかった。完了の表示が出るまで、ちょうど四十秒。ディスクの取り出しボタンを押し、指先で表面の温度を確かめてからケースに収める。書き込みに失敗した形跡がないか、もう一度だけ確認する。行き先は地下二階の書庫にある、私物用の小型ロッカーの一つ。証拠品保管室でも、資料室の耐火庫でもない。庁内のどの決裁記録にも紐づかない、Q個人の契約で借りているロッカーだった。番号は誰にも伝えていない。庁内のどんな消去命令も、稟議も、ネットワークを介する限り、この一枚には届かない。

ロッカーの扉を閉め、鍵をかける。誰もいない廊下で、Qは小さく声に出した。

「……置いた」

それだけだった。この一言をQはどこにも記録しない。名前のつかない棚に、今夜また一枚、紙が積まれる――ただし今回は、これまでよりわずかに重みの違う一枚だった。

資料室に戻る前、Qは廊下の突き当たりの窓から外を見た。官庁街の灯りは、この時間でもまばらに点いたままだった。誰かがまだ働いている窓と、消し忘れられたまま誰もいない窓の区別は、この距離からではつかない。数日後には、この部屋そのものが引き払われることになる――そのことを、今夜のQはまだ知らない。Qはしばらくそこに立ってから、灯りの数を数えるのをやめて、資料室へ戻った。

 

 


 

十二月十七日、Qが資料室に入ったのは午前六時前だった。改組を控えたこの数日、決裁待ちの書類が机の端に積み上がっている。今朝はその整理だけのつもりだった。上着を脱ぎ終える前に、四台並んだモニターのうち一番左の画面だけが、通常の監視項目とは違う色――赤に近い橙――で点滅していることに気づいた。

自動収集システムの新着通知だった。時刻は午前四時十二分。投稿元はSNS大手三社のうち一社、匿名性の高い掲示板型のサービス。添付は画像一枚と、文書ファイルが一つ。Qは椅子に座る前に、まず画像を開いた。

粗い画像だった。解像度は横七百二十画素程度――今どきのスマートフォンで撮れば、この倍以上は出せる数値だった。逆光気味の照明の下、金属製のケースに収められた機材らしきものが写っている。側面のラベルには英数字の型式番号、その下に小さく「PROPERTY OF U.S. GOVERNMENT」の刻印。手ブレの跡が縁ににじみ、ピントは機材の右上三分の一にしか合っていない。撮影者が急いでいたのか、そう見せたかっただけなのか、この一枚では判断がつかない。

続けて文書ファイルを開く。犯行声明を模した体裁だった。タイトルはなく、本文はこう始まっていた。

「この国はもう、私たちを守らない。だから私たちが、この国を試す番だ」

続く数行は、要求という体裁を取っていない。日付、装置の名称と称するもの、「これ以上の武力弾圧をやめよ」という一文――弾圧という語が何を指すのか、文書のどこにも説明はなかった。「私たちは、あなたたちの目を、一つ奪った。次に失うのは、耳かもしれない」という一文が、脈絡なく挟まれている。差出人の署名はなく、末尾には色名だけが五つ、団体名のように横並びに置かれていた――赤、青、緑、黄、紫。

文体には妙な継ぎ目があった。前半は候文めいた硬い言い回しが並ぶかと思えば、後半は口語的な断定が唐突に混じる。一人の書き手が最初から最後まで書いたにしては、温度差が大きすぎた。複数の下書きを継ぎ合わせたのか、意図的に文体を揺らして書き手の実像をぼかしているのか――Qはその判断を保留のまま、観察事項として一行だけ書き添えた。

Qは投稿元アカウントを一つずつ確認していく。開設から十二時間以内のものが七つ。フォロワー数はいずれも一桁から二桁の間で、プロフィール画像は初期設定のまま変えられていない。投稿時刻は午前四時十二分から十四分の間に集中し、七つのうち五つが、文言の異なる同じ画像を、ほぼ同じ構図の切り取り方で貼り付けていた。投稿間隔を秒単位で並べると、最短で八秒、最長でも二分に満たない。人の手で七つのアカウントを個別に操作したにしては、速すぎる並びだった。

アカウントの登録に使われたメールアドレスのドメインを洗うと、七つのうち六つが、使い捨てメール発行サービスの同じ系列から取られていた。IPアドレスの記録は匿名化サービス経由がほとんどで、発信地点の特定はできない。唯一、一つのアカウントだけが登録の瞬間に生のIPを晒しており、割り出せる範囲は「都内某所」としか言えない粗さだった。孤立した七つの点が、同じ二分足らずの時間に、同じ方向を向いて灯った。

「揃いすぎています」

声に出して、それだけを記録に残した。作為的、という言葉は使わない。速すぎることは、速すぎるという事実でしかなく、その先の断定は、まだQの持ち分ではなかった。

午前七時、Qの端末が鳴った。Kからの直通だった。

「投稿、確認しました。対応方針は」

「まだ、事実確認の途中です。装置そのものの脅威度は、低いと見ています」

「官邸連絡室への一報は」

「まだです。裏づけが取れてからにしたいのですが」

「時間は」

「三日はかかります。向こうの手続きを飛ばせません」

短い沈黙のあと、Kは「分かりました。動きがあれば、随時」とだけ言って通話を切った。急がせも引き延ばしもしない声だった。かつてのKなら、この一報を待たずに独自の窓口を使っていたかもしれない――そう思う端から、Qはその想像を打ち切った。今の窓口は、これしかない。

画像に本来埋め込まれているはずの撮影情報――EXIFデータは、確認した時点ですでに大半が剥がされていた。ただし消し方は稚拙で、サムネイル生成時に残る断片データの一部だけが消し忘れのように残っていた。記録されていたタイムスタンプは、投稿時刻より二日早い十二月十五日、深夜二時十四分――米軍施設の警備記録と照合するには、まだ何も揃っていない時刻だった。

写真に写った型式番号を検索にかけると、実在する型番であることはすぐに分かった。AN/UDR-14。米軍が基地内の環境調査に用いる、可搬型の水質・土壌汚染測定器の一種だった。放射性物質や化学兵器の検知能力はなく、通信機能も内蔵していない。単体で何かを脅かす能力を、この装置は持っていなかった。

不整合は、Qが確認できただけで三点あった。第一に、この型式を基地外へ持ち出す際は管理官の署名と搬出記録が必須で、紛失や盗難があれば所属部隊単位で即日報告される規則になっている――該当する報告は、日米の連絡窓口のどこにも上がっていない。第二に、装置の重量は本体だけで十一キロ、専用のケースを含めれば十五キロを超える――警備を突破して持ち出したという書きぶりに対して、あまりに嵩張る代物だった。第三に、この型式は年に一度、指定業者による校正を受けなければ数値そのものが信用できなくなる――脅迫の道具として運用するには、手入れがかかりすぎていた。

念のため、防衛省の日米調整担当窓口に非公式の照会を一本入れておく。返信は意外なほど早く、正午前には届いた。「該当型式は当該施設に配備されている。ただし紛失報告は上がっていない。詳細は正式な照会文書でお願いしたい」。非公式の一言は、装置の実在と盗難の不在をあっさり裏づけていた。だが「正式な照会文書で」の一文が、その裏づけをまだ報告書に書ける形にはしてくれない。

Qは報告書の様式を呼び出し、事実関係の欄に三点を並べたあと、末尾に短く書き添えた。

「この装置には、意味がありません」

書いてから、少し迷った。意味がない、という言い方は報告書の文体としてはくだけている。だが他の言い回しには直さなかった。技術的な脅威が存在しないことを、これより正確に言い表す言葉を、Qは持っていなかった。文書番号を捜企二第一三一号として起票し、事実確認済みの区分に「装置の脅迫実体、認められず」と記して保存する。

保存し、決裁ルートに乗せる。この報告書がしかるべき部署に届き、正式な事実確認として扱われるまでには、早くて三日はかかる。証拠品の現物確認、所管部隊への照会、米側担当官との協議――どの手続きも飛ばすことのできない段取りだった。一方で、投稿はすでに拡散を始めていた。反証には手順が要り、手順には時間が要る。物語には、そのどちらも要らない。Qの報告書は、今この瞬間には、どこにも届かない場所で止まっている。

もう一つのウィンドウを開き、怒り係数の推移画面を呼び出す。魔法少女関連のタグは、先週まで一・八から二・一の間を行き来していた。数字が動いたのは、投稿が着弾してから、およそ二時間後――七時十五分の時点で三・六、九時の時点で五・二、正午には六・八まで跳ね上がっている。十四時の時点で数字は七・九に達し、これまでの最大値だった首脳会談当日の四・四を、すでに大きく上回っていた。増分の内訳を洗うと、およそ七割が、これまで匿流の実行犯個人に向けられていた既存のタグ群からの流入だった。怒りの総量が新しく生まれたのではない。向き先だけが、書き換えられていた。関連して伸びているのは魔法少女タグだけではない――「米軍」「隠蔽」「テロ」といった隣接タグの流量も同時に増えており、一つの物語が周辺の語彙ごと数字を吸い上げていく様子が、グラフの上には一目で表れていた。

同じハッシュタグの書式、同じ動画のテンプレート、同じ時間帯に投稿を束ねる仕組み――これまで実行犯の顔写真を晒す目的で使われてきた仕掛けが、今日は装置の写真を晒すために、そのまま流用されている。作った者と使う者が同じかどうかは、この画面だけでは分からない。ただ、道具立てが使い回されていることだけは、はっきりしていた。水路そのものは変わらないまま、水の向きだけが変わっていく。

正午過ぎ、渋谷駅前のスクランブル交差点では、街頭ビジョンに同じ見出しが繰り返し流れていた。「魔法少女、米軍施設から装置持ち出しか」。信号待ちの人だかりの首が、一様に上を向く。誰も足を止めてはいない。歩行者用信号が青に変わると、首は元の角度に戻り、群衆はいつもの速度で交差点を渡っていく。街路樹に巻かれたイルミネーションの電球が、昼の光に負けて存在を主張できないまま、律儀に点滅を繰り返していた。誰もそれを見上げてはいなかった。すれ違う会社員の何人かが、スマートフォンの画面を覗き込んだまま歩いていく。画面の光が、伏せた顔の下半分だけを青白く照らしていた。信号の変わり目、若い女性の二人連れが交わす声が、雑踏の中に紛れて消えていく。

「魔法少女、やばくない」

「テロっぽいよね、それ」

テロという言葉の重さと、口にしたときの声の軽さの落差を、二人とも気にしていなかった。

資料室に戻り、Qは自分にできることの一覧を、頭の中で数え上げてみる。事実関係を確認すること。報告書を書くこと。決裁を仰ぐこと――どれも、この拡散の速度に追いつく手段ではなかった。書式のどこにも、拡散そのものを止める欄はない。Qが扱えるのは、起きたことを正確に記録する権限だけで、起きようとしていることを止める権限は、そもそも与えられていなかった。「確認中」のタグをもう一つ増やし、Qはそれ以上のことをしなかった。

 

 

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