アテンション・プリンセス~空っぽのワタシ、魔法少女になります~   作:樫丹鏡花

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第10章「オーヴァー・ザ・レインボウ」
1.ルージュ・ノワール-Rouge Noir-


十二月二十三日、朝。桜田門一帯に、その日はじめての雪が落ち始めていた。空は前夜から灰色のままで、粒はまだ小さく、アスファルトに触れた端から解けていく。気象庁の予報では、積雪は夕方までに五センチ、深夜には十センチを超える見込みだった。皇居周辺では、夜明け前から警察官が持ち場に配置され、除雪業者の車両が交差点の隅で待機していた。都内の主要駅では、いつもより多い数の制服警官が改札の周りに立ち、荷物検査の列がわずかに伸びていた。始発から動いていた地下鉄の駅構内には、雪で濡れた傘立てが列をなし、アナウンスが遅延を告げていた。近くのバス停では、出勤途中の会社員が数人、傘を差したまま到着しないバスを待っている。誰も、まだ何が起きるかを知らない。無線の周波数の隙間に、雪の音が混じって聞こえる。正確には、雪に音はない。ノイズの帯域が近いだけのことだった。

 

本日、祝賀のため政府要人が一同に会する。式次第の性質は、まだ誰にも公にされていない。〇八時十七分、首相公邸発。車列は皇居へ向かう。予定されていた経路は一本だけで、雪を理由にした迂回路は、事前の計画書のどこにも記載されていなかった。

 

編成は九台。先導の白バイ二台、本隊の黒塗り四台、後衛の随伴車三台。乗員はSP十六名。先頭車、本車、予備車という並びは、いつもと同じだった。運転手たちの吐く息が、フロントガラスの内側をわずかに曇らせる。ワイパーが一定のリズムで雪を払い続けている。車間はおよそ十五メートル、速度は時速三十二キロで一定していた——降雪を織り込んだ数字だった。本隊のうち三台目に、左ハンドルの外国製フルサイズバンが一台だけ混ざっている。車高が他より十センチほど高い。編成表の備考欄には「警護支援車両」とだけあった。この種別の車両が本隊に組み込まれるのは、記録の残る限り初めてのことだったが、それを気に留める者は、車列の誰にもいなかった。タイヤはチェーン仕様、路面温度はマイナス一度。無線の定時連絡は二分間隔——ここまでは、いつもの警備計画と同じ数字が並んでいた。

 

〇八時二十六分。桜田門交差点の南、信号待ちの列から二人分ほど離れて、輪郭の定まらない色がひとつ、立っていた。傘は差していない。肩の上に積もった雪の厚みからすると、しばらくそこに立ち続けていたようだった。コートとも作業着ともつかない色の塊が、雪の下で微動だにしない。街灯の下を通るたび、色そのものがわずかに揺れて見えた——青とも灰ともつかない色だった。周りの通行人は、誰もそちらを見ない。信号はまだ赤、あと十八秒。雪が、輪郭の縁だけをわずかに滲ませて積もっていく。

 

車列が交差点に差しかかった瞬間、その輪郭の内側で、灰緑がかった光が渦を巻いた。腕とおぼしき部分が持ち上がり、次の瞬間、光は太い帯になって放たれる。先導の白バイの前輪をかすめ、アスファルトごと弾けた。雪解け水と黒い破片が扇状に舞い上がる。白バイの運転手が体勢を崩し、雪の上を滑って止まった。光は消えず、道路標識の支柱に絡みつくように這い、支柱をわずかに傾がせてから、ようやく吸い込まれるように収まった。止め方を知らないまま放たれた力に見えた。

 

四十二秒後、別の方角——祝田橋寄りの歩道に、もうひとつ。距離、およそ二百八十メートル。こちらは信号待ちの人波からさらに離れた場所で、ガードレールに寄りかかるでもなく、ただまっすぐ立っていた。積もった雪の重みで、肩の輪郭がわずかに丸くなっている。単独。単独のまま、もうひとつ。群れていない。この種の出現は、多くの場合まとまって起きる。今日は、そうではなかった。それぞれが、それぞれの場所に立っているだけだった。

 

こちらも、車列が近づくのを待っていたかのように動いた。同じ灰緑色の光が、今度は横に薙ぐ形で放たれる。狙いは車列そのものではなく、後衛の随伴車の脇——歩道の街路樹だった。幹が真っ二つに裂け、雪を纏った枝ごと車道側へ倒れ込む。運転手が急ブレーキを踏み、後続の一台がわずかに追突しかけて止まった。二本目の光が、間を置かず地面を這う。雪の下のアスファルトに、白く霜のような筋が走った。

 

倒れた街路樹と裂けたアスファルトを前に、SPの隊列が崩れる。三秒と少し。無線に断片が流れ込む。「――列、乱れ――」「――前方、確認――」「本部、状況知らせ――」「先導、停止できず――」「二名、視認――」「本隊、減速――」「後方も塞がれ――」若い声が一度、上ずって割れる。すぐに別の、低く落ち着いた声が割り込む。「慌てるな、位置を報告しろ」。「東側、およそ十メートル――動きません」「西側も、同様――」交通管制の別チャンネルにも、信号系統の異常を告げる短い通知が重なって流れる。雪の中を、誘導灯の光がいくつも揺れながら動く。誰かの靴が雪を蹴る音が、無線のマイクに拾われて割れる。運転手の一人が、フロントガラスの向こうで身を乗り出し、何かを叫んだ。声は雪に半分吸われて届かない。

 

車高の高い一台、後部扉が同時に左右へ開く。降りてきたのは白い輪郭、三つ。艶のない白の外装に、目に見える継ぎ目がない。同じ歩幅で、同じ速度で、雪を跳ね上げながら地面に着地する。三体の間隔は、いつも一メートル二十センチ。踏み込んだ足跡の深さまで揃っていた。襟元に、識別のための刻印がひとつずつ。雪の重さを気にする様子は、どこにもない。吐く息の白さが、三体ともにない。

 

号令はない。三体の間で、視線が一度だけ交わる。それだけで、制圧が始まった。一体目が、南側の相手の膝裏を払って崩し、雪の上に伏せさせる。細い拘束帯が、一秒に満たない動作で手首にかかり、留め具の音だけが小さく鳴った。二体目は、北側の相手の腕を背後へ回し、動きを封じる。三体目は、通行人と車列のあいだに立ち、視界だけを割る役目に徹する。武器らしきものを構える動作は、どこにもない。手の動きだけで、すべてが終わる。接近に四秒、無力化に四秒、拘束に三秒——合計十一秒だった。号令も、悲鳴も、そこにはなかった。どこにも、感情の湿りが混じらない執行だった。

 

一体が皇居外苑へ走り、追跡された距離は百九十四メートル。雪に残った足跡は途中から乱れ始め、最後の二十メートルは滑った跡だけが残っていた。追った側の歩調は、最後まで乱れなかった。楠木正成像の下で組み伏せられる。銅像の馬上では、甲冑姿の武将が今も刀を掲げている。忠義の象徴として置かれた像の足元に、雪にまみれた輪郭が押さえつけられていた。押し倒された姿勢のまま、動かなくなる。少し遅れて到着した所轄の警官が二人、手錠をかけながら、逮捕の理由を告げる文言を口の中で読み上げていた。時刻、〇八時二十九分。周囲に居合わせた通行人が数人、遠巻きに足を止める。数えれば七、八人といったところだった。そのうちの一人が、手にしたスマートフォンをこちらへ向けたまま動かなかった。報道陣のフラッシュが、雪の中で何度も光った。遠くから、報道用ヘリコプターの音が近づいてくる。

 

確保された二体は、桜田門ではなく、機動隊庁舎地下の一時留置区画へ移送されると無線に流れた。護送車の手配は、通常のこの種の案件より五分早く済んでいた。誰が五分前から動いていたのかを説明する記録は、どこにも残らなかった。身元照会は、二体とも「該当なし」で返ってきた。名前も、学籍も、住民記録も、どこにも紐づかない。指紋の照合も、これから始まるところだった。

 

現場を囲むように、各局の中継車が並んでいた。もともと今日の式典に合わせて、二重橋の絵と、雪に覆われた皇居外苑を撮るために配置されていた面々だった。事件を受けて急遽駆けつけた者は少なく、大半は朝から同じ持ち場に詰めていた顔ぶれだった。だから、現場を囲む陣形は、誰かが仕組んだものではなく、もとからそこにあった配置がそのまま生きた結果に過ぎなかった。在京六局、すべて同じ位置から、同じ引きの構図で撮っている。狙っていたのは二重橋であって、事件そのものではなかったはずなのに、像は、必ず画面の中に入っていた。誰も、そこから動かない。角度の差は、どの局も二度以内。現場に集まった報道関係者は十八名、中継車は五台。いつもより二台多いのは、式典中継の予備人員が回されていたからだった。中継クルーの一人が、防寒着のフードをかぶり直しながら、モニター越しに同じ角度の絵を何度も確認していた。別のクルーが、雪でアンテナの角度がずれていないかを、手袋越しに確かめている。ケーブルの上に積もった雪を、誰かが長靴の先で払いのけていた。速報の一部は、すでに「魔法少女によるテロ未遂」という見出しを打っていた。出典は不明のままだった。「現在、桜田門付近から中継です。詳しい情報は入り次第――」というアナウンサーの声が、複数の局から、ほとんど同じ抑揚で流れていた。ネット上の実況スレッドには、事件発生から二分と経たずに、現場の位置情報が書き込まれていた。

 

同じ頃、桜田門本部庁舎六階の特捜本部にも、制圧完了と負傷者ゼロの報告が届いていた。九時前の数字にしては、早い部類の収束だった。

 

窓の外では、雪の粒がすこしずつ大きくなっていた。予報どおりなら、この降り方は夕方まで続く。桜田門の交差点には、規制線と踏み荒らされた足跡だけが残り、雪はその上にも、変わらず降り積もっていった。倒れた街路樹には、まだ誰も手をつけていない。今日一日の警備計画は、まだ半分も終わっていなかった。雪は、まだ止む気配がない。

 

皇居の石垣の向こうでは、まだこの騒ぎを知らせる連絡が届いていなかった。堀端の松に、雪が音もなく積もっていく。予定されていた到着の時刻まで、まだ間があった。桜田門の交差点では、雪だけが、何ごともなかったかのように降り続けていた。

 

 


 

 

正午前、桜田門本部庁舎六階の資料室に、官邸発表の第一報が入った。窓のない部屋には作業ランプが机ごとに灯り、外の天候は画面越しの気象情報でしか分からない。降雪は継続中、都心部の積雪は七センチに達した見込み——そんな一行が、Qのモニターの隅を、他のニュースと同じ速度で流れていく。Qは午前の襲撃事案の資料を整理し終えたところだった。手元のコーヒーはとうに冷めていたが、飲む手を止める理由にはならなかった。三面モニターの左端に、報道各社への配布文が原文のまま流れ込んできた。

 

「本日未明からの警備事案の発生に伴い、政府として、既に必要な安全確保措置を講じております。関係機関による現場対応は完了しており、参集中の関係者の皆さまの身体に影響はございません。つきましては、警備上の理由により、参集中の関係者は当面、所内に滞在いただくこととなりました。今後の見通し及び対応につきましては、状況の推移を踏まえ、追って改めてご案内申し上げます。関係各位におかれましては、引き続き平常心をもって、ご理解とご協力を賜りますよう、お願い申し上げます」

 

句読点の位置まで律儀な、いつもの官邸文体だった。主語がない。誰が滞在させているのか、誰の判断で滞在が決まったのか、文のどこにもそれを名指す言葉がない。字数は二百十一字。Qは数えた。数える意味は特にない。ただ、手が勝手に数えていた。

 

この文面が届くまでに、Qの端末には下書きの版が二回、誤って流れ込んでいた。一回目は「収容」という語を含み、四分後に「所内滞在」へ差し替えられた版が届いた。二回目は「一時的な」という語が入っていたが、正式版ではその語も落ちていた。誰が差し替えを指示したかを示す履歴は、どのログにも残っていなかった。

 

同じ時刻、宮内庁からも発表があった。「本日、皇居における行事につきましては、諸般の事情により、状況を注視しております」。一行、それだけだった。官邸文の四分の一にも満たない。皇居の内側で誰が何をしているかは、どこにも書かれていない。書かれていないことそのものが、いつもと違う、とQは思ったが、それを裏づける材料は今のところ何もなかった。

 

前回の首相襲撃——東京駅——から、まだ一年に満たない。二代続けての事案に、警視庁・警察庁の内部は、平静を装いきれていなかった。庁内の緊急連絡回線は、朝の第一報から正午までに百十件を超える着信を記録し、そのうち五割近くが折り返しのないまま切れている。当直の交代要員が予定より三時間早く呼び出された部署は、少なくとも四つあった。無線の空きチャンネルが、いつもより二本多く埋まっていた。誰も、それを「混乱」とは呼ばなかった。呼ぶ余裕が、どこにもなかった。

 

十二時二十分、庁内システムの入退記録と、現地警備班からの状況報告の抜粋が、資料室のログに数分遅れで流れてきた。会場となっていた官邸内の広間では、正午を回った頃から、警備担当の職員が折り畳み式の長机を六台運び込んでいた。長机の上に、通し番号を振った浅いトレイが並ぶ。参集していた各省庁の代表者、審議官級以上、計十九名が、そのトレイに携帯端末を預けるよう求められた。内訳は、外務省二名、経済産業省三名、警察庁一名、残りは各省庁の随行者。名簿には役職名だけが並び、個人名は伏字ではなく、最初から記載されていなかった。手書きの白いラベル——一番から十九番まで——が端末ごとに貼られ、施錠式のアタッシュ型ケースへ収められる。ケースの鍵は、警備班のうち一名だけが保持する運用になっていた。廊下の両端に、制服の警備員がそれぞれ二名ずつ立った。エレベーターは七階までしか止まらない設定に切り替わっている。広間の窓には、外側からブラインドが下ろされていた。誰の指示かは記載されていないが、正午の時点ですでに下りていたと、報告書の別項にある。参集者の一人が、家族への一本の電話を求めたという記録が、報告書の欄外に手書きで残っていた。担当者の回答は「追ってご案内します」の一言だった。それ以上のやり取りは、記録されていない。昼食の手配は「特別会食」名目で、弁当十九個、飲み物二十四本と記録された。到着は予定より二十分遅れた。理由欄には「降雪による配送遅延」とだけ記されていた。同じ理由で、警備班の交代要員も、予定していた一便が遅れている。誰も大声を出さなかった。誰も抗議しなかった。手続きは「参集者保護要領」に定められた様式に沿って粛々と進んでおり、書式としては、どこにも不備がなかった。

 

Qがこの光景を直接見たわけではない。それでも、番号を振られた十九のトレイの並びは、抜粋された報告書の文面だけで、じゅうぶんに正確な絵になった。トレイの配置図まで、報告書には別紙として添付されていた。誰が図を描いたのか、作成者の欄は空白だった。

 

Qは官邸文の「滞在」という語を、指先で画面越しに三度なぞった。軟禁、という語は、どの発表文のどこにもない。滞在。ご案内。ご協力。丁寧な言葉だけが並び、そのあいだに、政府要職の名前が少しずつ、連絡のつかない側へ移っていく。

 

この時点までにQが目を通した庁内文書、五件のうち四件が「滞在」の語を使っていた。使っていない一件は「所内待機」という言い換えだった。言い換えられても、意味は変わらない。

 

十三時ちょうど、Qの端末に届いた指揮系統図が更新された。昨夜までの版は、各省庁からの決裁ルートが枝分かれして官邸に集まる、いつもの形だった。文書番号「官房総一第〇〇八号」。今日の版では、その枝が一本ずつ消えている。名前が消えたわけではない。宛先欄が、空欄になっているだけだった。十三時十五分の版では、九本あった経路のうち六本が空欄に変わっていた。消えた枝の一つは経済産業省、もう一つは外務省だった。省庁の名前そのものは残っている。名前の隣にあるはずの、誰につながるかという情報だけが、消えていた。空欄の理由を記す備考欄も、同じように空欄だった。Qは画面を見つめたまま、しばらく手を止めた。止めた時間は、二秒に満たなかった。

 

皇居へ向かった閣僚、各省庁の事務次官級以上について、官邸発表以外の経路で所在・動静を確認できた者は、正午の時点で一人もいなかった。K機関から各省庁の当直窓口へ架けた確認の電話は、七件のうち五件が話し中、二件が「確認して折り返します」という応答のまま、十四時を過ぎても折り返しがなかった。手元にあるのは、官邸発表の同じ十数行だけだった。それ以外は、どこにも何もなかった。

 

十三時四十分の版で、生きている経路は官邸の一箇所だけになった。文書番号は正しく振られ続け、決裁印の押される順番も、規定どおりだった。書式は、正しい。正しい書式のまま、指揮系統が一夜のうちに一本化されていく。声を荒げる者は、どこにもいない。これほど静かに一本化された指揮系統図を、Qは見た覚えがなかった。

 

十三時五十五分。警察庁長官——香椎——も、今日の参集者の側にいることを、Qは人事課の在庁記録で確認した。警察庁長官が滞在措置の対象になるのは、記録の残る限り初めてのことだった。長官車は地下駐車場に待機したまま、走行記録が正午以降更新されていない。運転手も、同じ広間で番号札を受け取っている。本部への通達が、いつもとは違う書式で届き始めたのは、この直後からだった。Qの三面モニターには、通常は何も表示されない「待機」欄がある。Cからの通達が来るとき、内容が届くより先に、四角い灰色の空白がそこに浮かぶことがあった。書式の予告のようなものだった。この空白を、Qはこれまで何度も見てきた。数える気にはならないが、少なくない回数だった。今日、その欄には何も浮かんでいない。まだ何も書かれていない、ということですらない。今日は、最初から何も置かれていない。今日のように、何も浮かばなかったことは、これまで一度もなかった。

 

隣の席の若手分析官が、モニターを覗き込んで「待機欄、今日は静かですね」と言った。Qは「……そうですね」とだけ返した。「いつもは、あの四角いのが先に出るんですよね」「ええ」「今日は、出ないんですか」「今のところは」。それ以上の会話は続かなかった。続ける理由が、今日はどこにもなかった。

 

Qは通達の発信元表記を、二度読み直した。一度目、〈捜企一第〇〇二号・本部長裁決〉。二度目も、同じだった。三度目は、読まなかった。

 

Qは、連絡のつかない高官の名前を、一つの表にまとめた。表は正午の版で七名、十三時の版で十一名に増えていた。声には出さなかったが、指が一つの名前の上で、一瞬止まった。『確認中』ファイルに、Qは新しい一行を足した。連絡不能者リストと、京浜島の帳簿に名前の出てくる団体の会員名簿——重なる名前が、目視で三つ。断定はできない。声には出さず、ファイルを閉じた。

 

資料室に、雑談はなかった。誰かの咳払い、キーボードを叩く音、椅子が軋む音が一度だけ長く鳴った。そのあいだに、エレベーターの稼働音だけが、いつもより頻繁に響いていた。三十分で七回。Qは数えていたわけではなかったが、気づけば七回だった。誰もそれを指摘しなかった。指摘する言葉が、この部屋にはもう用意されていないようだった。

 

連絡のつかない高官の名前は、十四時の版でさらに三名増え、十四名になっていた。増えた三名のうち、二名の肩書きは「事務次官」だった。書式は、最後まで正しかった。正しい書式の向こうで、十四人分の所在だけが、静かに、確実に、空欄へ変わっていく。

 

Qは椅子の背もたれに体重を預け、画面の反射だけを見つめた。窓のない部屋では、時刻は数字でしか分からない。十二時から十三時、十三時から十四時——雪のことも、ヘリの音のことも、ここでは誰も口にしなかった。窓のない部屋の中で、Qは、増えていく空欄の数だけを、静かに見ていた。

 

 

 

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