アテンション・プリンセス~空っぽのワタシ、魔法少女になります~ 作:樫丹鏡花
看板の明かりが届かない路地の奥、個室ブースだけが並ぶ店の一角に、アオネはいた。畳一畳半に満たない区画に、倒したままのリクライニングチェアと、飲みかけで冷えたドリンクバーの紙コップが一つ。備え付けの毛布は使わず、リュックから出した自前のブランケットを膝に掛けている——備品を使えば、洗濯のタイミングで係員の記憶に残る確率がわずかに上がる、という理由からだった。壁の向こうから、隣のブースのキーボードを打つ音が、不規則な間隔で響いてくる。天井の空調が低く唸り、二十分に一度、送風の音だけが大きくなって、また収まる。潜伏して、今夜で四日目になる。会員登録には偽名を使っていた——偽名を使うこと自体は、契約書の条項に抵触しない。条項が求めているのは身分の秘匿であって、正直さではない、というのがアオネの読み方だった。会計は毎回現金で済ませ、レシートは受け取らずに済む設定を選んでいる。食事は初日にまとめ買いした栄養補助食品で足りていた。残りは、あと二食分。空調の吹き出し口から流れてくる空気には、消毒液と、誰かの使い古した毛布の匂いが薄く混じっている。ブース仕切りの上端、天板との隙間から漏れる隣の明かりが、天井の低い一角だけをわずかに明るくしていた。指先はまだかじかんでいる。三日間、外気にさらされていた時間の合計は、体感で九十分に満たない——それでも指先の感覚は、まだ完全には戻っていなかった。
膝の上のノートパソコンに、自分だけが読める体裁で並べた変数のリストがある。ブラウザには、常時七つのタブを開いたままにしていた。この三日間で二度更新し、今夜、三度目の更新が入った。変数は三つ。
変数①、契約主体の消滅と、新候補の観測。警察庁の広報ページに定期更新される幹部一覧から、K・勝京一郎の名前が、今週の更新分で一件、消えていた。理由の記載はない。名前が消えたことの意味を、庁は説明する義務を負っていない——アオネはそう解釈した。予算執行状況を公開する政府のシステムでも、旧K機関の後身組織にあたる予算項目のコードが、今朝の更新で「執行保留」の表示に切り替わっている。理由欄は空欄だった。一方、衆議院のウェブサイト、法律案の一覧に「対等な地位に関する特別措置法案(仮称)」という文字列が加わったのは、三日前のことだった。提出者の欄に、勝啓の名前がある。審議入りの日程はまだ確定していない。だが、議席という形式を持つ人間が、契約の相手方の候補として初めて観測された、という一点だけは記録に値した。加えて、アオネ自身の報酬送金元の登録名義も、「(登録更新中)」の仮表示のまま三十日を超えて放置されている。契約の相手方が実体を保っているなら、この種の事務処理上の空白は通常一週間以内に解消される——過去の実績から割り出した平均処理日数は、四・二日だった。契約主体が実体を失いつつある側と、まだ形になっていないが議席を持つ側——天秤の両端に置く数値は、まだどちらも仮のものだった。
変数②、毛利体制下における適格者の分類。本日〇八時二十九分、桜田門付近での逮捕の中継。在京六局が、出典未定のまま同じ見出しを使っていた——「魔法少女によるテロ未遂」。速報から二分と経たずに、現場の位置情報がネット上の実況スレッドに書き込まれていたことも、アオネは別のタブで確認していた。鎮圧、逮捕、テロ未遂。三つの語の並びから読み取れる分類の方向は、一つしかなかった。適格者は今、鎮圧される側に一括で分類されている。以前は「任意同行」という語が使われていた場面が、今回は「制圧」に置き換わっている——語彙の変化そのものが、分類の変化を裏づける数値の一つだった。これは、アオネが繰り返し口にしてきた自己定義——「私の目的は、今の構造を維持することです」——と、正面から矛盾する動きだった。構造の維持を目的とする者にとって、構造の一部を担っていたはずの側が、一夜で殲滅の対象へ切り替わることは、看過できる誤差の範囲を超えている。正しいかどうかは、まだ分からない。だが、計算はできる。
変数③、桃側の共闘の目的。四日前、午前二時十七分——タマから一度だけ、キヅキの所在を尋ねる短い問い合わせが届いていた。妖精同士は、互いの状態をある程度観測し合える——潜伏中もその回線までは切っていなかった。返信はしなかったが、問い合わせの中身から、目的を逆算することはできた。散らばった界隈の子らを、元いた場所へ戻そうとしている。奪う、でも、作り替える、でもない。壊れる前の配置に戻す、という動き。これは、アオネの目的と、方向において一致していた。一致の度合いを数値にするなら、三割から四割——毛利にクロエが即答した数字と、偶然にも近い範囲に収まった。
三つの変数を、一時退場を決めたあの未明に作った三択表に重ねる。あの夜の選択肢は、残留・協力・一時退場の三つだった。今夜、選択肢は別の三つに置き換わる。潜伏の継続、期待値〇・二二——契約主体が実体を失いつつある以上、待っていても状況は好転しない。単独での復帰、期待値〇・一九——情報が不足したままの単独行動は、リスクに見合わない。共闘への復帰、期待値〇・五七——変数③の一致度を加味すると、残る二択より明確に高い数値が出た。毛利体制への接触という第四の選択肢は、表に載せる前に切り捨てた——変数②の時点で、期待値を計算する意味がない水準だと判断がついていた。計算に、感傷は乗らない。乗せる理由がなかった。
「再開の条件が整えば、戻ります。計算上」——三日前、書き置きの代わりに残したその一文が、今夜、計算上、成立した。
通知は一件だけ送ることにする。宛先はサクラではなかった。タマ宛だった。妖精と契約者の間にある回線とは別の、妖精同士の回線を使う——驚くようなことではない。妖精同士が互いの状態を把握し合っていることは、以前から知られていた事実の延長でしかなかった。文面は短い。復帰。移送車列の観測、担当希望。理由は付け加えなかった。付け加える理由がなかった。数十秒の間があって、短い返信が一つ戻ってくる。「……ほんまに、ええんか」。それだけだった。アオネは「計算上です」とだけ打ち返す。続きは来なかった。移送車列の観測は、自分の担当として申し出るつもりだった。観察は、契約の中でもっとも古い条項にあたる。他の条項がいくつ書き換わっても、この一条だけは、まだ有効なはずだった。
画面を閉じ、電源を落とす。荷物は最初から少ない。折り畳んだ上着の下から丸めた寝袋を取り出し、リュックの底に押し込む。充電ケーブルを二本、コンセントから引き抜き、コードを束ねてポケットに収める。ファスナーを閉める音が、静かなブースの中で、思ったより大きく響いた。三日前、鍵を郵便受けに落とした音とは違う音だった。あの音は、閉じるための音だった。これは、開けるための音だ。チェアを元の角度に戻し、ドリンクバーの紙コップを手に取ってから、片付ける理由と片付けない理由を天秤にかけるほどの数値差ではないと判断し、そのまま置いていくことにする。
外に出ると、雪はまだ降っていた。弱まってはいるが、止む気配はない。街灯の下を、傘も差さずに歩く人影が数人、足早に通り過ぎていく。遠くで、除雪車のブレードが路面を削る音が、途切れながら響いていた。息を吐くと、白さが街灯の光の中で一瞬だけ形を持ち、すぐに散った。アオネは、コートの襟を立て直すこともせず、夜の街へまっすぐ歩き出す。次に確かめるべき数値は、もう決まっていた——移送車列がどの経路を通るか、公開されている道路交通情報と、気象庁が三時間ごとに更新する降雪予報を突き合わせるところから始まる。高速道路会社が公開する通行止め区間の一覧、除雪車の稼働状況を示す地図、この二つを重ねるだけでも、候補となる経路はある程度絞り込める。歩きながら、ポケットの中で画面をもう一度点灯させ、地図アプリの縮尺を変える。指先の感覚は、まだ戻りきっていなかったが、操作に支障が出るほどではなかった。行き先は、もう決まっていた。
深夜、巣鴨方面へ抜ける生活道路の一角で、サクラたちは動き出した。アオネからタマを経由して届いた情報には、座標のほかに、一枚の文書の写しが添えられていた。複合機で複写したらしい、輪郭のぼやけた紙面。表題は「保護措置決定通知書」。日付は本日、十二月二十三日。措置の理由欄には「情勢に鑑み、当分の間」とだけ記され、期間の終わりを示す数字はどこにもない。五日前、ミドリが最初に署名した書類の表題は「任意同行に関する確認書」だったはずだと、キヅキが以前見せてくれた報道写真の切り抜きで、サクラも覚えていた。任意、という文字は、新しい紙のどこにも残っていない。中身が変わったのではなく、言葉のほうが変わっていた。同じ人間を、同じ場所に留め置くための語彙が、五日のあいだに一段階、書き換わっている。礼子の口から出た「措置」「滞在」という語と、この紙の上の「保護措置」という語が、同じ夜、別々の建物で、同じ手つきで使われていることに、サクラは気づいていた。文書番号の欄には十桁の数字が振られ、末尾に「(統合収容先未定)」という注記が小さく添えられている。行き先すら、まだ決まっていない。決まっていないまま、書式だけが先に整っていた。押印の欄には、判読できない小さな角印が一つ。担当者名の記載はない。アオネが同じ書式で照合できた対象は、都内だけで七件——巣鴨のミドリは、そのうちの一件に過ぎない、という一行がメモの末尾に添えられていた。五日前の確認書には、ミドリ自身の署名と、担当した警察官の印影が並んでいたはずだった。今夜の紙には、その両方がない。署名を求めるという発想自体が、もう想定されていないようだった。
現場は、郵便局の裏手にあたる一方通行の路地だった。両側に除雪されない雪が腰の高さまで積み上げられ、路面の中央だけが黒く濡れて光っている。街灯は三本のうち一本しか点いておらず、残り二本は雪の重みで傾いたまま、光を失っていた。路地の入口手前には、月極契約の看板だけが残るコインパーキングがあり、車は一台も停まっていない。路面に残るタイヤ痕は、真新しいものが二筋——同じ切り替えが、ここ数日で繰り返されている証拠だと、アオネのメモは付け加えていた。護送の車列は二台。先頭が護送用のワンボックス、後方に随伴する黒いセダンが一台。両者の車間は、目測で八メートル前後——後続車が急停止しても追突しない距離を、機械的に守っている。ワンボックスの後部扉には小さな窓が一つあり、格子越しに白い息が時折曇っていた。付近に配置された要員は四人。うち二人が車外に立ち、周囲を確認する姿勢を取っていたが、視線の動きは規則正しく、緊張の色は薄い。切り替え地点そのものが、公にはされていない経路の途中にある——警戒の密度が低いのは、そのためだと、事前の情報が伝えていた。アオネの解析によれば、この一角が選ばれた理由は単純だった。防犯カメラの設置が少なく、二つの管轄の境界線がちょうど路地の中央を通っている——どちらの記録簿にも、正式には残りにくい場所だった。到着予定時刻は零時四十分、実際の通過は零時三十七分。三分の前倒しだけが、唯一の変数だった。気温は氷点下一度、風はほとんどない。サクラの吐く息が、街灯の残る一本の光の中でだけ、白く形を持って見えた。右手の人差し指の先、霜焼けの跡がまだ疼いている。
路地の入口、雪をかぶった自動販売機の陰で、三人は最後の確認を交わした。「先頭、止めればいいんだよね」カノンが、抑揚のない声で聞く。「うん。あと、要員は傷つけない」サクラが答えると、カノンは首をわずかに傾げた。「傷つけない、の基準がよく分かんないけど」「動けなくするだけ、でいい」「ふうん」——それだけで納得したのかどうか、表情からは読み取れなかった。コートのポケットの中で、タマが小さく顔を出す。「後ろのセダンの無線、まだ生きとる。先にそっちの息の根、止めた方がええで」。誰に向けた言葉かは、あえて言わなかった。キヅキが、それを引き取るように頷く。「分かった。先にセダンの方から」。役割は、その一言で微調整された。キヅキは、コートの襟元を握ったまま、路地の奥に視線を向けている。「わたしの声、届く範囲、ここからだと車二台分ぎりぎり」「なら、近づいてから」サクラが言うと、キヅキは小さく頷いた。「キヅキ、声、保つ?」サクラが聞くと、キヅキは肩をすくめた。「保つように、言われてるから、保つ」——それが答えだった。役割は、路地に入る前にすでに決めてあった。カノンが先頭車両の進路を断つ。キヅキが要員の注意を数十秒だけ奪う。サクラは後部扉を確保し、ミドリを連れ出す。アオネの観測——車列の速度、切り替え予定時刻、要員の配置——と、タマが道路情報から拾い上げた迂回不能な一点を突き合わせて絞り込んだ、この場所だけの作戦だった。確認を終えると、カノンは足音も立てずに、路地の先の暗がりへ進んでいった。
先頭のワンボックスが、交差点の手前で速度を落とした瞬間だった。乾いた爆発音が一つ、雪を割るように路地の先で響く。音の芯は、サクラたちの立つ位置からいくらか離れた、カノンが進んでいったはずの場所からわずかに逸れて聞こえた——狙われたのは車体そのものではなく、車体の下、路面の一点らしかった。ワンボックスの前輪が浮き、車体が斜めに傾いだまま停止する。誰も乗せていない前部だけが弾かれたように持ち上がり、ボンネットに積もっていた雪が一斉に舞い上がった。フロントガラスに細い亀裂が一本、上端から斜めに走る。後続のセダンが急ブレーキをかけ、路面の凍結で二メートルほど流れて止まった。運転席のドアが開きかけ、しかし最後まで開ききらなかった。
同時に、キヅキの声が路地に満ちた。何を言ったのか、サクラには聞き取れなかった——言葉の輪郭よりも先に、空間そのものが震えた。両側の建物の壁が、その震えをそのまま跳ね返す。要員の一人が腰につけていた無線機が、応答不能なノイズだけを吐いて沈黙した。車外に立っていた二人の要員が、同時に足を止め、顔を左右に振る。距離感を失った動きだった。片方が、すぐ隣にあるはずの車両の側面に手を伸ばし、空を掴む。もう片方は、その場に片膝をついたまま、しばらく立ち上がれずにいた。数十秒——サクラは心の中でだけ数えた。二十、三十、四十。声の効果が薄れる兆しは、まだ見えない。
倒れたままの要員は、一人もいなかった。膝をついた要員のそばに、キヅキが素早く近づき、肩に手を添えて雪の吹き溜まりの浅い場所まで座らせる。凍った路面に直接倒れれば、体温が奪われる速度が変わる——それだけの配慮だった。ワンボックスの運転席の要員は、シートベルトに守られて無傷のまま、ハンドルに突っ伏している。もう一人、セダンの助手席にいた要員は、ドアの開閉を試みたまま、方向感覚を失って車内で座り込んでいた。誰も殴られていない。誰も焼かれていない。倒すのではなく、動けない数十秒だけを作る——A1がいつも口にしていた考え方が、今は本人のいないこの路地で、少女たちの手によって、そのまま繰り返されていた。教わったわけではない。あの人の隣で、何度も見ただけだった。それでも、体は覚えていた。
サクラは後部扉に取りつき、外れかけた鍵の周りを確かめてから、力を込めて引く。金属が軋む音とともに、扉が開いた。中は狭く、向かい合わせの座席が二列。床には、滑り止めのゴムマットが敷かれ、隅に非常用の毛布が一枚、丸めたまま置かれている。座席の脇には、護送記録を挟んだクリップボードが滑り落ちていた。氏名の欄に「森山」、備考の欄には鉛筆で薄く「異常なし」とだけ書き込まれている。片側にミドリが座っていた。手錠は前で組んだ手首にかけられ、鎖の長さは膝までしか届かない。ミドリは顔を上げ、サクラを見て、それから雪の降る外を見た。だが、立ち上がらなかった。腰は座席についたまま、両膝は扉のほうを向いているのに、体重はまだ座面の上にある。「わたしが出たら、出頭した意味がなくなる」——低い声だった。
「意味って、誰が決めるの」サクラが聞くと、ミドリは少し間を置いてから「分からない」と答えた。「……でも、そういうことになってる」。それ以上の説明は続かなかった。視線は、サクラの顔の少し下、肩のあたりで止まっている。膝の向きだけが外へ向き、上半身は座席の背もたれに預けたままだった。動きたい体と、動かないと決めた体が、同じ姿勢の中で拮抗している。手錠の鎖を、指先で二度、確かめるように引いた——外れないことを、自分に言い聞かせるための動作に見えた。金属が皮膚に食い込む感触を、何度も確かめ直しているようでもあった。感覚の過敏な体には、その冷たさが、普通よりも長く居座って残るはずだった。ミドリが出頭したのは、界隈の子らを理由にしてのことだった。自分が捕まっていれば、他の子らへの追及が一段緩む——そう信じて、自分から書類に署名した。その理路は、今もミドリの中でそのまま生きている。ここで連れ出されれば、あの日の署名は、なかったことになる。正しさの重さを、ミドリはまだ一人で背負ったままだった。
キヅキが、扉の外から一歩だけ近づいた。要員の対応を終えたばかりの息が、まだ白く上がっている。「ベンチ、誰も座ってないけど」——それだけ言った。説明も、続きもなかった。ミドリは、数秒のあいだ何も言わなかった。雪が、開いた扉の縁に音もなく積もっていく。遠くで、キヅキが黙らせた要員の一人が、小さく呻く声がした以外、路地には何の音もなかった。
ミドリは、手錠のかかった両手を膝の上に置き直し、それから立ち上がった。座席から腰を浮かせる動きに、迷いはもう見えなかった。扉の縁に手をかけ、雪の積もった路面へ、慎重に足を下ろす。振り返って座席の跡を見ることはしなかった。クリップボードだけが、座席の上に残された。
カノンが先に路地の入口へ戻り、周囲に人影がないことを確かめてから、小さく頷いた。キヅキは、雪の吹き溜まりに座らせた要員の肩に、自分のコートの下に着込んでいた予備の薄手のブルゾンをかけ直し、それ以上は何もせずに離れる。手錠の鍵は要員のポケットから抜き取ってあった——サクラがミドリの手首から外し、雪の中に投げ捨てる。金属が雪に埋もれる、小さな音だけがした。四人と一匹は、来た道とは別の路地を選び、白山通りとは逆の方向へ、足跡が重ならないよう間隔を空けて歩き出す。しばらく進んだところで、キヅキが一度だけ振り返り、遠ざかる現場の方角を確かめた。サイレンの音は、まだ聞こえてこない。除雪車のブレードの音が、まだ遠くで途切れながら響いていた。ミドリは、手首についていた鎖の跡を、コートの袖で覆いながら歩いた。路地を二つ抜けたところで、ミドリがふいに足を止めた。「……ありがとう、とは、まだ言えない」。それだけ言って、また歩き出す。理由は誰も聞かなかった。雪だけが、四人の足跡を、ゆっくりと消し始めていた。