俺が寝取らないと国が滅びる件~無欠の英雄、5人の魔女(人妻)を幸せにします~ 作:ナカザキ
「総員、退避ィィーーッ!! 凍りつきたくなければ走れぇ!!」
視界のすべてが白銀に染まる。
国境の平原は、もはや戦場ではなく、地獄の氷河期と化していた。
耳を劈くような吹雪の咆哮。
我がラインハルト王国の精鋭たちが、悲鳴を上げる間もなく次々と透き通る氷像へと変えられていく。
「ははは! 潰れろ、這いつくばえラインハルトの羽虫ども! 我が妻エレナの魔導の前にひれ伏すがいいた!」
はるか後方の安全圏。
魔法障壁に守られた豪奢な馬車の上から、魔道国の上級魔術師――あのクズ夫が傲慢な笑い声を響かせている。
―――その隣に立つのは、蒼髪を風になびかせた絶世の美女。
彼女こそが異次元から来訪した『5人の魔女』が一、氷の魔女エレナ。
彼女が指先をわずかに動かすだけで、巨大な氷の槍が天から降り注ぎ、大地を粉砕していく。
魔法は本来己の身に満ちるマナを行使して、発動する。しかし、魔女の魔法はマナの限界――人間の限界を遥かに超えた規模だ。剣で大砲に挑むようなものだ。
(……いや、勝てるかこんなもん!!!)
俺は本陣の天幕の影から、引きつった顔でその光景を見ていた。
『無欠の英雄』なんて大層な看板を背負わされているが、俺の聖魔術や剣技は「人間として最高峰」というだけだ。
世界を滅ぼしかけた魔女の広域殲滅魔法を正面から食らえば、一瞬で『無欠のフリーズドライ英雄』が完成してしまう。
「ディン様! 我が軍の右翼が壊滅! もはや正面突破は不可能です!」
「分かっている。……予定通り、これより単独でプランBに移行する。皆はこれ以上の被害を出さないよう、防衛に専念してくれ」
俺は凍える部下たちに、誰もが見惚れるような凛とした、頼もしい微笑みを向けた。
よし、英雄としての仕事(ポーズ)は完璧だ!
俺は混乱する戦場の喧騒に紛れ、仕留めた敵の一般兵からひっそりと甲冑を剥ぎ取った。魔道国兵の薄汚れた鎧に身を包み、顔を泥で汚す。
(よし……。正面から勝てないなら、裏から行く。国を救うためだ、不埒な潜入だろうが夜這いだろうが、やってやろうじゃねえか……!)
心の中で血の涙を流しながら、俺は単身、猛吹雪の戦場へと這い進んだ。
目指すは敵の総大将――あのクズ夫と、氷の魔女が待つ本陣の天幕だ。
◇
夜。
昼間の大激戦が嘘のように、魔道国の本陣は勝利の余韻で弛緩していた。
あちこちから酒を飲む兵士たちの笑い声が聞こえる。
一般兵の甲冑を着込んだ俺は、周囲の警戒の目をすり抜け、ついに最高権力者の私室である、一際巨大な天幕の裏へとたどり着いた。…諜報部のスキルヤバくないか?敵の本陣の位置が筒抜けなんだが。だが、ここまでやって勝てないのか、魔女という存在の規格外さを表しているだろう。
聖魔術で気配を極限まで消し、天幕の隙間から中を覗き込む。
「――おい、エレナ。今日の戦果は何だ。我が魔道国の進軍速度に対して、お前の間引き方が甘い。もっと効率よく殺せと言ったはずだぞ」
豪華な絨毯が敷かれた部屋の奥で、クズ夫がワイングラスを傾けながら、冷酷な声を放っていた。
その前で、昼間はあれほど恐るべき力を振るっていた氷の魔女エレナが、小さく肩を震わせて俯いている。
「……これ以上の広範囲魔法は、周囲の魔力の循環を乱します。それに、私の魔力も限界に――」
「言い訳をするな、この役立たずが!」
ガン、とクズ夫が机を叩いた。
「お前のような身寄りのない不気味な化け物を、妻として引き取ってやったのは誰だ? 我が家に伝わるこの『精神隷属の指輪』のおかげで、お前は暴走せずに済んでいるんだろう。私の命令が聞けないというなら、この指輪の出力を上げて、一生正気を失った操り人形にしてやってもいいんだぞ?」
「っ……! す、すみません、旦那様……。明日は、もっと……上手くやります……」
エレナは青ざめた顔で、自らの左手薬指に嵌められた禍々しい魔導具の指輪を愛おしそうに、いや、恐怖に怯えながら抱きしめていた。
「フン、分かればいい。明日も期待しているぞ、私の優秀な『兵器』」
クズ夫は吐き捨てるように言うと、エレナを部屋に残し、愛妾のいる別の天幕へと消えていった。
静まり返る私室。
一人残されたエレナは、ぽつりとベッドの端に腰掛け、顔を覆った。
その隙間から、ポロポロと涙が溢れ、床に落ちて小さな氷の粒へと変わっていく。
昼間、あれほど世界を震撼させた魔女。
今はただの、傷つき、孤独に震える一人の女性にしか見えなかった。
(……あの野郎、マジで万死に値するな)
胸の奥から、ドス黒い怒りが湧き上がってくるのを感じた。
国を救うため、なんて打算は一瞬で消し飛んだ。ただ純粋に、あのクズから彼女を奪い去りたいと、心の底から思った。
「よし……覚悟を決めろ、俺」
深呼吸を一つ。
女性経験ゼロの心臓がうるさいほど脈打つが、ここで退けば男が廃る。
俺は一般兵の汚れた甲冑を魔術で霧散させ、本来の、純白の裏地がついた高貴な漆黒の外套姿へと戻った。
そして。
音もなく天幕の隙間から侵入し、ベッドに座る彼女の背後へと歩み寄る。
「――誰!?」
魔女としての本能か、エレナが鋭く振り返る。
その指先には、一瞬で俺を肉片に変えるほどの氷の魔術が収束しつつあった。
ここで動じたら負けだ。
俺は世界で一番優しく、そして傲慢な『無欠の微笑み』をその仮面に貼り付け、彼女の前に跪いた。そして、懐からそっと、戦場へ向かう道中で隠密の部下から「これでも使ってください」と渡されていた、温かい蒸気をあげるハーブティーの満ちた魔法瓶を取り出す。
「夜分遅くに失礼します、美しい魔女殿。……お疲れのようですので、少し温かいものでもいかがですか?」
エレナは目を見開いた。敵陣のど真ん中、夫の私室に現れた謎の侵入者。
しかも、殺気ではなく、あまりにも場違いな極上の美貌と、温かいお茶を差し出してくる男に、彼女の思考は完全にフリーズしていた。
「あなた、は……? 旦那様の部下、では……ないわね?」
「ええ。私はディン。……あなたをこの地獄から連れ去りに来た、ただの男です」
(ひええええええ!!! 言っちゃったよ! 何だ今のキザなセリフ死にたい!!!)
内心でのたうち回る俺を置き去りに、世界の命運を賭けた、スリリングすぎる「夜這い(寝取り作戦)」が幕を開けた。
◆
「私を、連れ去る……?」
エレナの動きが完全に止まった。
指先に集まっていた禍々しい冷気の魔術が、戸惑いとともに霧散していく。
無理もない。
敵陣のど真ん中、それも厳重に警戒されているはずの上級魔術師の私室に、誰もが見惚れるような美貌の青年が忽然と現れ、お茶を差し出しながらプロポーズ紛いの言葉を口にしたのだ。
「ふ、ふざけないで。私は魔道国に仇なす『氷の魔女』よ? あなたのような怪しい男、一瞬で凍らせて――」
「冷えますよ」
俺は彼女の脅しをあえて無視し、魔法瓶から温かいハーブティーを美しい陶器のカップに注いで差し出した。
湯気とともに、心を落ち着かせるラベンダーの甘い香りが天幕の中に広がる。
「……何よ、これ」
「ただのハーブティーです。あなたの流した涙が、氷の粒になって床に落ちるのを見ました。そんなに冷え切った体では、温まるものも温まらない。敵だの味方だの言う前に、まずはそれを一口どうぞ」
完璧だ。我ながらなんて紳士的で思いやりに満ちた『無欠の英雄』の振る舞いだろう。
(……いやいやいや! 緊張で手が震えてお茶がこぼれそうなんだが!? 女性にお茶を淹れるなんて人生初だぞ! なんで俺こんなに自然にイケメンムーブかませてるんだ!? 火事場の馬鹿力か!?)
内心でガタガタと震える俺の葛藤など露知らず、エレナは怪訝そうにカップを見つめていたが、漂う香りに抗えなかったのか、恐る恐る白皙の指先でカップを受け取った。
じわり、と温かさが彼女の手のひらに伝わる。
エレナは小さく息を呑むと、意を決したようにカップに唇を付けた。
「……温かい。……美味しい……」
ポツリと漏らした彼女の声は、昼間に戦場で聞いた冷酷なトーンとは全く違っていた。
本当に、どこにでもいる普通の、少し寂しげな女の子の声だ。
「それは良かった。我が国の隠密部隊……あー、いや、私の馴染みの店で特注した、体と心を温める特別ブレンドです」
危ねえ、ストーカーばりにリサーチした隠密部隊の存在をバラすところだった。
「あなた、本当に何者なの……? 私を連れ去るなんて、そんなことできるはずがないわ。私は、あの人の……旦那様の妻。この指輪がある限り、私はあの人から逃げられない」
エレナは自嘲気味に微笑み、左手薬指の禍々しい『精神隷属の指輪』を見つめた。
その瞳には、深い絶望のの色が宿っている。
「その指輪が、あなたを縛っているのですね」
俺は一歩、彼女に近づいた。
昼間、参謀から聞いた情報が頭をよぎる。あのクズ夫は彼女を「兵器」として利用し、モラハラを繰り返している。この指輪の強制力で、彼女の心を無理やり従わせているのだ。
「……怖くないの? 私がその気になれば、この部屋ごとあなたを消し去ることだってできるのよ」
「怖くありません。あなたのような優しい方が、本気で私を傷つけるとは思えない」
(大嘘です!! めちゃくちゃ怖いです!! さっき指先から出てた氷のレーザーみたいなやつ、かすっただけで即死する自信あるわ!!)
だが、俺は『無欠の英雄』の仮面をガチガチに固定し、彼女の左手をそっと両手で包み込んだ。
触れたエレナの指先は、まるで本物の氷のように冷たかった。
「ひゃっ……!?」
エレナが小さく悲鳴を上げる。
男性に、それも夫以外の男にこんな風に優しく手を握られた経験などないのだろう。
彼女の白い頬が、みるみるうちに林檎のように赤く染まっていく。
「エレナ殿。私はあなたを兵器としてではなく、一人の女性としてお守りしたい。そのクズ……ゴホン、旦那様のもとで涙を流すあなたの姿を見て、胸が締め付けられる思いだった。私に、あなたの心を温める資格をくれませんか?」
口から出まかせのキザセリフがノンストップで飛び出す。脳のストッパーが完全にぶっ壊れていた。
だが、俺のまっすぐな眼差し(必死すぎて目が血走っているだけ)を見て、エレナの呼吸が浅くなる。
「あ、あなた、何を……。私は、既婚者、なのよ……? そんな不埒なこと……」
「形だけの婚姻など、真の絆ではありません。あなたの心を本当に愛してくれる人のもとにいるべきだ」
落とせる。このピュアな反応、完全に夫への愛情はゼロだし、優しさに飢えている。
あと一押し、あと一押しで彼女の心を――!
そう確信した、その時だった。
「おい、エレナ! 忘れ物をした。明日の戦術書はどこだ!」
天幕の入り口から、あの不快極まるクズ夫の怒鳴り声が響いた。
足音がこちらに向かって近づいてくる。
「っ!? 旦那様が戻ってきた……!」
エレナの顔が一気に土気色に変わる。
今ここで見つかれば、不倫現場(未遂)の現行犯で俺は死ぬし、エレナもどんな目に遭わされるか分からない。
(うわあああああ!! クソ夫空気読めよ!! 今いいところだっただろ!! っていうか詰んだ!! 隠れる場所なんて――)
俺は本能的に部屋を見回した。
広々とした天幕の中にあるのは、豪華なチェストと、そして――エレナが座っている、大きな天蓋付きのベッドだけだった。
「……っ、こっちに!!」
エレナが慌てた様子で、俺の腕を強引に引っ張った。
天災級の魔力を持つ彼女の力に逆らえるはずもなく、俺の体は一瞬で、ベッドの分厚い掛け布団の中へと引きずり込まれる。
「――エレナ? 返事くらいしたらどうだ」
ジャァァッとカーテンが開く音がした。
俺は今、真っ暗な布団の中で、エレナと信じられないほど密着した状態で身を潜めていた。
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