星の病と呪いの理〜記憶を持たない転生者たちの新たな戦い〜 作:いくと
渋谷と池袋で、五条と夏油が派手な殲滅戦を繰り広げている頃。
本来ならば三箇所目の防衛拠点であるはずの新宿。その路地裏に降ろされた帳の奥底で、アーデンは一人、静かな時間を過ごしていた。
彼は戦場に向かって化け物たちを討伐することなく、結界の内側で奇跡的に無傷で残っていた、こぢんまりとしたアンティーク調のカフェに潜り込んでいた。店主も客も、サイレンの音と共に避難してしまい、店内は完全なもぬけの殻だ。
アーデン「ふふん、豆はブルーマウンテンか。なかなか良い趣味をしてるねぇ、ここのマスターは」
アーデンは軽快な鼻歌を歌いながら、カウンターに入り込み、勝手にサイフォンでコーヒーを淹れていた。
カポッ、ポコポコ……というお湯の沸く音が、妙に心地よく店内に響く。
窓の外からは、遠くで建物が崩れる轟音や、化け物たちの低い唸り声が微かに聞こえてくるが、彼にとってはただのBGMに過ぎない。
カップに注がれた琥珀色の液体から、芳醇な香りが立ち上る。
アーデンがカウンター席に座り、コーヒーを一口啜ったその時だった。
「……随分と、優雅なご身分だね」
店内の暗がりから、不気味な声が響いた。
見れば、カフェの隅にある観葉植物の影から、赤黒い毒を纏った小型の呪霊が這い出している。その呪霊の口元が不自然に歪み、遠く離れた場所にいる『彼』――額に縫い目を持つ男の声を代弁していた。
アーデン「やれやれ、外は随分と騒がしいねぇ。ここのコーヒーは香りが良くて落ち着くのに、君の悪趣味な出し物のせいで貸し切り状態だよ」
アーデンはカップをソーサーに置き、大袈裟に肩をすくめてみせた。
謎の男『私が用意した舞台だ。大いに楽しんでくれているようで何よりだよ。……だが、君が担当するはずの新宿の化け物たちが、まだ野放しになっているようだが?』
アーデン「あんな泥遊びみたいな真似、僕の趣味じゃないからね。それに、君の撒いた毒は僕たち呪術師の呪力を分解するんだろう? わざわざ危険を冒す必要はないさ。適当に時間を潰して、五条が片付けてくれるのを待つよ」
アーデンは嘘ぶきながら、窓の外へ視線をやった。
彼がここで戦わない本当の理由は、五条や夏油が対処できるとわかっている陽動に乗る無意味さを知っているからだ。
謎の男『……五条と夏油の動きが予想以上に早い。すでに渋谷と池袋の群れは半壊しているようだ。流石は特級といったところか』
アーデン「だろうねぇ。君、本気で彼らを足止めできると思ってたのかい?」
謎の男『足止めなら数時間で十分さ。……高専への本命の奇襲は、うまくいっているだろう?』
呪霊の口から漏れたその言葉に、アーデンの瞳の奥が、ほんの僅かに冷たく光った。
カフェの静寂の中、コーヒーの香りだけが漂っている。
アーデンはゆっくりとカップを持ち上げ、もう一度口に含んだ。
アーデン「どうかな。君の蒔いた毒は、僕の可愛い教え子たちには少々刺激が強すぎるかもしれないけど……」
アーデンは言葉を区切り、わざとらしく天井を仰いだ。
アーデン「彼らなら、うまく飲み込んでくれるんじゃないかな」
謎の男『……随分とあのイレギュラーな少年たちを買っているんだな。だが、今回の個体は、これまでにバラ撒いたものとは違う。呪力を喰らい、即座に適応する進化型だ。反転術式を持たない彼らでは、あの物量と毒の前にいずれ力尽きる』
呪霊を介して伝わってくる男の声には、確かな自信が満ちていた。
特級を分断し、手薄になった高専を物量で押し潰す。完璧な盤面だと思い込んでいるその傲慢さに、アーデンは腹の底で嘲笑を噛み殺した。
アーデン「(……本当に滑稽だねぇ。君は五条悟という男の、底意地の悪さと手回しの早さを舐めすぎている。それに、何より……)」
アーデンの脳裏に、ノクティスやプロンプト、グラディオラス、イグニスの姿が浮かぶ。
魂の奥底で繋がった彼らの結束力と、限界を突破して進化し続ける力は、こんな陳腐な毒で潰せるほど安いものではない。
そして、彼らには『彼女』がついている。未知の毒を完全に中和できる、唯一の希望の光が。
アーデン「まぁ、君の言う通りかもしれないね。でも、世の中には予想外のジョーカーってやつが存在するものさ。君のその完璧な舞台の結末がどうなるか……僕はここで、特等席でコーヒーでも楽しみながら見物させてもらうよ」
アーデンが飄々とした態度でそう言い放つと、呪霊は低く唸り声を上げた。
謎の男『……好きにするがいい。だが、彼らが消えれば、私の計画は次の段階へ進む。君には引き続き、高専の内部情報を流してもらうよ』
アーデン「はいはい、了解だよ。お互い、せいぜいビジネスライクにやろうじゃないか」
呪霊がどろりと床に溶け、気配が完全に消え去る。
静寂を取り戻したカフェで、アーデンは深く帽子を被り直し、冷たい笑みを浮かべた。
アーデン「(……僕を都合のいい駒だと思っているなら、大間違いだ。君のその退屈な筋書き、僕の王子様たちがどうぶっ壊してくれるか……本当に楽しみだよ)」
彼は残ったコーヒーを一気に飲み干すと、カウンターに千円札を置き、ゆっくりと立ち上がった。
特級術師たちの圧倒的な力と、狡猾な裏工作が交錯する東京。
見えざる境界線の上で、二重スパイであるアーデンは、来るべき反撃の夜明けへ向けて静かに盤面を回し続けていた。
そろそろ敵視点書かないと…