星の病と呪いの理〜記憶を持たない転生者たちの新たな戦い〜 作:いくと
夜蛾正道が右手を掲げ、それを振り下ろした瞬間、フィールドに設置された結界装置から低い電子音が響いた。その声は校庭に、いや、術式で拡張された交流会用フィールド全域に轟いた。
夜蛾「――討伐レース、開始!」
廃校舎、雑木林、干上がった貯水池を模した人工地形。そこかしこに、あらかじめ捕獲・放流された疑似呪霊と、本物の低位呪霊が入り混じって蠢いている。
各校の生徒たちは合図と同時に散った。得点は討伐数によって加算され、最終的な合計で校の優劣が競われる――建前上は、それだけの催しだった。だが実際には、五校それぞれの思惑が絡み合っている。夜蛾は自校の生徒の実力を測るためにこの形式を提案し、楽巌寺はその裏で密命の実行を静観するつもりでいる。何も知らないのは、フィールドに散っていく生徒たち自身だった。
伏黒恵は短く告げると、印を組んだ。
伏黒「――行くぞ」
地面に影が広がり、そこから二対の白い犬が這い出す。玉犬だ。左右に分かれた双子の獣が、鼻先を低くして低木の茂みへと駆けていく。
プロンプトが目を丸くしたのはほんの一瞬だった。
プロンプト「うわ、速っ……!」
すぐに気を取り直し、虚空から魂具の銃を引き寄せる。手に馴染んだ黒い拳銃――否、それは既に彼の魂に刻まれた「形」そのものだ。重さも、グリップの感触も、指先に伝わる冷たさすらも、彼自身の記憶にない場所から確かに引き出されたものだった。
プロンプト「んじゃ、俺も行くか! ノクト達と違って、こっちはガチの実戦だもんな……」
呟きながら、彼は玉犬が追い立てた呪霊の群れへ銃口を向けた。低位とはいえ数体が固まって動いており、素手で挑めば手こずる相手だ。
だが、プロンプトの指が引き金を引くより早く、玉犬の一頭が呪霊の足を噛み千切り、体勢を崩させる。
プロンプト「――そこ!」
崩れた一体に、迷いなく一発。着弾と同時に、呪力の粒子が淡い光の筋となって刻まれた。術式「穿星」――標を刻む一撃だ。刻印された呪霊は、次の攻撃を吸い寄せるかのように、周囲の攻撃線がその一点へと収束していく。
伏黒が目を細める。
伏黒「今の……」
式神が敵を崩し、そこへ寸分違わぬタイミングで銃弾が突き刺さる。指示も、目配せもない。ただ、まるで最初からそう決まっていたかのように、動きが噛み合った。
プロンプトが照れくさそうに笑いながら、次の弾を装填する。
プロンプト「なんか、恵の犬がどこ狙うか、分かる気がするんだよな……」
伏黒の声は平静だったが、内心では小さくない驚きがあった。
伏黒「……お前もか」
初めて組む相手だ。作戦も打ち合わせもない。それなのに、まるで長年連れ添った搭乗員同士のように、互いの「次の一手」が見える。
刻まれた標は、次の攻撃を吸い寄せるように誘導する。玉犬の牙が、鵺の一撃が、まるで磁力に引かれるようにその一点へと収束していく。呪霊の群れは瞬く間に討伐数を積み増していった。
二人はそのまま雑木林を抜け、崩れた貯水池の縁へと出た。そこには一回り大きな呪霊が三体、水底に蟠って蠢いている。
プロンプト「――あれ、ちょっと厄介そうじゃん」
伏黒「玉犬だけじゃ押し切れないな」
伏黒は次の印を組み始めた。今度は玉犬ではなく、より上位の式神――だが、交流会という場での使用制限を思い出し、指を止める。過度な戦力の切り札は温存すべきだ、と冷静に判断する。
プロンプト「なら、俺が引きつける」
躊躇のない足取りで前に出た。銃を構え、囮となるように呪霊の注意を引く動きを見せる。
伏黒「おい」
プロンプト「大丈夫、大丈夫! 恵がなんとかしてくれるって、なんか分かるし!」
根拠のない自信に見えて、それは奇妙な確信を伴っていた。伏黒もまた、プロンプトが今どう動くべきかを、まるで台本があるかのように読み取れていた。二人は言葉を交わすことなく、互いの位置取りを補い合う。囮となったプロンプトへ呪霊が殺到した瞬間、伏黒の玉犬がその背後から喉笛を狙い、同時にプロンプトの銃弾が標を刻む。
離れた場所でその光景を目にした二年の先輩が、思わず声を漏らした。
二年の先輩「速いな、あの二人」
その声もフィールドの喧騒に紛れて消える。だが、気づく者は気づいていた。初対面同士とは思えない連携――記憶などないはずなのに、まるで魂の奥底で示し合わせたような噛み合い方を。
伏黒自身も、その違和感を拭えずにいた。(……なんで、分かるんだ。こいつの次の動きが)
考えても答えは出ない。だが今は、目の前の獲物を仕留めることが先決だった。三体の呪霊は瞬く間に地に伏し、討伐レースの得点表示が二人の名の横で軽やかに数字を刻んだ。
低く抑揚を抑えた声とともに、木々の隙間から一人の青年が姿を現したのは、その直後だった。青みがかった黒髪を整え、隙のない所作で佇む加茂憲紀――彼の周囲に漂う空気だけで、只者ではないと知れる。
加茂「――邪魔をするぞ」
加茂「京都校、加茂憲紀だ。……そちらの獲物、横から失礼する」
言うが早いか、加茂は自らの手のひらを切り、滴った血を意のままに操った。赤い糸のように伸びた血が瞬時に硬化し、鋭い刃と化して、まだ討伐しきれていなかった数体の呪霊へ殺到する。赤血操術――一分の無駄もない、洗練された一撃だった。
数体の呪霊が同時に絶命し、地に伏す。伏黒とプロンプトが討伐しようとしていた獲物が、まとめて加茂の手によって刈り取られた形だった。
伏黒「……」
伏黒の眉がわずかに動く。
伏黒「これは討伐レースだ。得点を競う場で、他人の獲物を横取りするのは褒められた行為ではないと思うが」
加茂「褒められようとは思っていない」
加茂は淡々と返した。
加茂「私はただ、確かめたかっただけだ。――そちらの式神と、彼の得体の知れない武器が、いったいどれほどのものか」
加茂の視線がプロンプトへと向く。値踏みするような、それでいて微かな警戒を孕んだ目だった。
加茂「その銃、どういう理屈で動いている? 呪力の流れが、これまで見てきたどの武器具現化とも違う。呪力を練って形にしているようで、根本の質が違う――まるで、術式そのものが異なる法則で成り立っているかのようだ」
プロンプトが軽口で誤魔化そうとした。
プロンプト「え、あー……企業秘密ってやつ?」
加茂の目は笑っていなかった。
加茂「私は真面目に聞いている。得体の知れない力を持つ者たちが、京都との交流戦に紛れ込んでいる。――それを見極めるのも、我々の役目だ」
その言い回しに、伏黒はわずかに反応した。(役目、か……。ただの生徒同士の交流にしては、随分と物々しい言い方をする)
楽巌寺から下された密命のことなど、伏黒が知る由もない。だが、加茂の纏う空気――過剰なまでの警戒と、どこか使命感じみた鋭さ――は、単なる好奇心や闘争心とは異なる質のものだと、肌で感じ取れた。
伏黒は式神に新たな印を切りながら答えた。
伏黒「探りを入れたいなら、正面から聞けばいい。俺たちに隠す気はない」
伏黒「ただし、答える義理があるかは別だ」
加茂「……なるほど。手強いな、貴様は」
加茂は薄く笑うと、血の刃を構え直した。
加茂「では、力ずくで見定めさせてもらう。手加減はしない――京都御三家の名において」
その言葉を合図に、三つ巴の戦いが始まった。玉犬が地を駆け、赤い刃がそれを迎撃する。プロンプトの銃弾が加茂の隙を穿とうとするが、洗練された血の盾に阻まれる。
プロンプトが呻いた。
プロンプト「くっ……、硬いな」
加茂の血の操作は、単なる力任せの攻撃とは一線を画していた。無駄のない軌道、最短距離での防御と反撃。まさに京都御三家の名に恥じない技量だった。
プロンプト「――伏黒。お前の式神、もう少し数を出せないのか」
伏黒「出せなくはないが……ここで全力を晒す意味がない」
伏黒は冷静に応じながら、次の玉犬を放つ。二対の獣が左右から加茂を挟み込むように迫るが、彼はそれを見切ったように一歩下がり、血の刃を扇状に展開して迎え撃った。
加茂が僅かに口角を上げた。
加茂「――ほう。無駄な力の使い方はしない、か。良い判断だ」
加茂「だが、私も同じだ。今日ここで全てを見せる気はない。ただ――」
加茂の視線が、再びプロンプトへと向いた。
加茂「その武器の正体だけは、確かめておきたかった。魂具、と呼ぶのだったか」
プロンプトの表情が僅かに強張る。
プロンプト「――なんで、それを」
加茂「噂は耳にしている。詳細までは知らんがな」
加茂はそれ以上追及することなく、血の刃を霧散させた。
加茂「今日のところは、これで十分だ」
激しい攻防の中、伏黒はふと違和感を強めていた。加茂の攻撃には、どこか「試している」以上の何かが滲んでいる。まるで、これから先に起こる何かへの下準備をしているような――。
(……虎杖に対する殺意、か?)
はっきりとした確信はない。だが胸の奥で、小さな警鐘が鳴り始めていた。
加茂はそのまま踵を返し、森の奥へと消えていった。深追いする理由もなく、伏黒とプロンプトは顔を見合わせる。
プロンプトが肩をすくめた。
プロンプト「なんか、変な感じの奴だったな」
伏黒は短く応じながら、消えていった加茂の背を見つめていた。
伏黒「……ああ」
あの視線の奥にあった感情――警戒でも、闘争心だけでもない、何か明確な「目的」を宿した瞳。それが何を意味するのか、今はまだ分からない。
伏黒が新たな印を組み、玉犬を放った。
伏黒「――行くぞ。まだレースは始まったばかりだ」
プロンプトも銃を構え直し、頷いた。
プロンプト「おう。次はもっとスムーズにいこうぜ、恵」
伏黒「……名前で呼ぶな」
プロンプト「え、なんで! いいじゃん別に!」
軽口を叩き合いながらも、二人は次の獲物へと足を向ける。討伐レースはまだ始まったばかりだ。だが、この交流会には、表向きの得点争いだけでは済まない何かが潜んでいる――そんな予感が、伏黒の胸の底に静かに沈んでいった。