スティンガーから極めるゴルフ――HS64を叩き出す無自覚少女、風を切り裂く低弾道でゴルフ界を無双する   作:スティンガー

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第3話 天性のスティンガー

「よし、これなら大丈夫。……由依ちゃん。お願い、もう一球。もう一球だけ打ってみて」

「えっ!? でも、マット飛ばしちゃったし、これ以上ここで何か壊したら本当に大変だよ?」

「大丈夫、マットは私が後で直すから! それに、今度は絶対にダフらせない。私がダフらないための『魔法の構え方』を教えてあげる。だから、ね? お願い!」

 

 葵ちゃんの真剣すぎる表情に気圧され、私は「う、うん……そこまで言うなら」と頷くしかなかった。

 葵ちゃんは鳥カゴの隅から予備の小さなショットマットを引っ張ってくると、埋め戻した地面の上に器用にセットした。そして、キャディバッグから新しい白いボールを一つ取り出し、そのマットの真ん中へ慎重に置く。

 

「いい? 今度は、さっきとは少し違う形を作るよ。まずはクラブを、グリップの真ん中あたり……そう、指二本分くらい短く持ってみて」

「短く? こうかな」

「そう、バッチリ。そしたら次は、ボールの位置。さっきは体の真ん中に置いてたけど、今度は右足の親指の前くらい、思いっきり右側にボールが来るように立って」

 

 私は言われた通りに、自分の体を左側にずらし、ボールが右足の前に来るように位置を調整した。

 

「そう、それ! で、最後に、手元の位置を左太ももの内側の前に出す。そうすると、クラブの棒――シャフトが、ターゲット方向に斜めに傾くでしょ?」

 

 言われて自分の手元を見ると、確かに鉄の棒が左側に傾き、先端の金属の顔(ロフト)が、さっきよりも地面に向かってぎゅっと突っ伏すような角度になっている。

 ゴルフのセオリーなど何も知らない私には、これが何を意味するのか全く分からなかった。けれど、9歳からゴルフを叩き込まれてきた葵ちゃんの目には、私が今作った形が、どれほど異様な、そして完璧なカタチであるかが一目で分かっていた。

 

 ボールを右に置き、手元を左に出す。これはゴルフにおいて、ロフトを立てる、あるいはハンドファーストと呼ばれるアジャストの技術だ。7番アイアンという、本来なら球を高く上げるためのクラブを、わざと4番アイアンや5番アイアンのような、低く強い弾道を放つための大砲へと変形させる構え。

 

 そして何より葵ちゃんを戦慄させたのは、その極端な変則の構えを指示された直後、私の肉体が、またしても一瞬で最適化されてしまったことだった。

 短く持ったことで、私の重心は自然とわずかに左足へと傾く。右足の前に置かれたボールを睨みつける私の視線は、鋭い肉食獣のように固定され、肩のラインはターゲットラインと寸分の狂いもなく平行に引かれていた。

 無駄な力みが一切ない。ただ、凄まじいエネルギーを一点に凝縮し、今か今かと解放の瞬間を待つ弾薬庫のような、静かで、冷徹な美しさがそこにはあった。

 葵ちゃんは息をするのも忘れたように、ゴクリと喉を鳴らして数歩後ろへ下がった。彼女の心臓は、見たこともない何かが始まる予感に、早鐘のように脈打っている。

 

「……由依ちゃん。そのまま、さっきの半分くらいの力でいいから、ボールの横っ面を、低く押し出すみたいに振ってみて」

「半分くらい、ね。ボールの横を、低く……よし」

 

 私は小さく息を吐き出し、右足の前にある白い球へと意識を集中させた。

 御殿場の夕暮れの風が、鳥カゴの網をすり抜けて、私の頬を優しく撫でていく。遠くに見える富士山の巨大なシルエットが、この静寂を見守っているかのようだった。

 半分と言われたけれど、私の中の半分が、ゴルフにとってどれくらいの出力なのかは分からない。ただ、さっきみたいに地面を壊さないように、あの白い球だけを綺麗にひっぱたこう。そう心に決めた。

 

 ゆっくりと、クラブが引き上げられていく。

 短く持ったクラブは、私の体の一部となったかのように、驚くほど軽い軌道を描いてトップへと収まった。ロフトを立てた構えのまま引き上げられた鉄のヘッドは、ターゲットを正確にロックオンしている。

 

 そして、切り返し。

 ドン、と左足の裏がマットを踏みしめた瞬間、私の体の中の連動性が、再び狂気的な速度で駆動を始めた。

 半分に抑えようとしたはずの意識は、肉体が持つ圧倒的なポテンシャルによって、一瞬で最効率の加速へと変換される。腰が高速で回転し、遅れて降りてくる両腕とクラブ。

 

 けれど、今度はさっきと決定的に違う部分があった。

 私の野生的な空間把握能力が、ボールの位置をミリ単位で完璧にトレースしていた。右足の前に置かれた球に対し、鉄のヘッドは地面に触れる直前、もっとも加速が最大に達する、その一瞬のポイントへと、吸い込まれるように導かれていく。

 

 ダフらない。ズレない。

 完全なる、ゼロ・ディスタンスのインパクト。

 鉄の芯と、白球の赤道が、寸分の狂いもなく正面衝突した。

 

 バシィィィィィンッッッ!!!!!

 

 庭先のゴルフ練習スペースという、のどかな場所に響き渡るべきではない、猛烈な破裂音が炸裂した。

 世界最高峰の舞台であるPGAツアーの、あの分厚い胸板を持った海外のトッププロ達が、極限まで鍛え上げられた体幹から放つような、肉厚で、乾いていて、それでいて鼓膜の奥を直接金属で殴られたかのような、凄まじい重低音を孕んだ衝撃波。

 

 あまりの音の鋭さに、後ろにいた葵ちゃんの体が、びくりと大きく跳ね上がった。

 放たれた白球は――上がらなかった。

 

 普通、7番アイアンで打たれた球は、ふわりと上に向かって美しい放物線を描くものだ。しかし、私の打った球は、地面からわずか数十センチの高さを維持したまま、地を這うような、信じられない超低空の弾道を描いていた。

 

 いや、それを弾道と呼ぶべきか。

 

 それはまるで、漆黒の闇を切り裂いて放たれた、目に見えないスナイパーのレーザー光線そのものだった。

 わずか数メートル先のネットの手前。そこには、葵ちゃんのパパがアプローチ練習のためにと置いていた、同心円が描かれた厚手で頑丈な布製の的がぶら下がっていた。

 私の放った白い弾丸は、空気抵抗という概念を置き去りにしたかのように、直線的にその的へと突き進み――。

 

 ズバァァァンッ!! ……バキィィィィィンッッッ!!!!!

 

 ゴルフの練習なんかではおよそ聞き馴染みのない、凄まじい布の引き裂き音と、それに続く木材の爆砕音が鳥カゴの中に轟いた。

 

 球があまりにも高速で飛んで行ったため、手前の布製の的は、まるでナイフで丸くくり抜かれたかのように跡形もなく貫通。その凄まじいエネルギーを維持したまま、最奥にあったクッション材と頑丈なコンパネのど真ん中にダイレクトに突き刺さったのだ。いや、突き刺さったのではない。衝撃に耐えきれず、分厚い木板は衝撃点から亀裂が走り、派手な音を立てて真っ二つに叩き割れていた。

 打球はそのコンパネをも突き破らんとする勢いだったが、最後は一番奥の防球ネットに激しく揉み込まれ、辛うじてその網の中で死んでいた。

 

 しかし、それだけでは終わらなかった。

 

 バラバラバラバラバラッッ!!! カンカンカン! コロコロコロコロ……!

 

 コンパネの手前で、練習用のゴルフボールを入れたカゴがひっくり返って、激震で弾け飛んだコンパネの木片と一緒に、一斉に周囲の床や鉄パイプのフレームへと跳ね返り、四方八方へとけたたましく転がっていく。

 衝撃を完全に吸収しきれなかった防球ネットが、鳥カゴの奥で激しく押し込まれ、網全体が生き物のように大きく波打っている。

 足元まで転がってきた一球のボールを視線で見送りながら、私はまたしても、頭の後ろまで綺麗に振り切ったフォロースルーの形のまま、ピタリと静止していた。

 今度は地面を叩いていない。手のひらに残っているのは、まるで上質な絹豆腐をナイフで滑らかに切り裂いたかのような、手応えが全くないほどの最高の感触(芯の快感)だけだった。

 

「あ……」

 

 私はゆっくりとクラブを下ろし、無残に割れて転がっているコンパネの木片と、鳥カゴの中で無数に跳ねていく白い球を見つめた。

 よく分からないけれど、今度はちゃんと、あの白い球に当たった。マットも飛んでいないし、地面も無傷だ。

「……当たった。葵ちゃん、今度はちゃんと当たったよ! ……でも、あそこにあった板、なんだか凄い音を立てて割れちゃったみたい……」

 

 私は自分のしでかしたことに、急に心細くなってきた。ゴルフの練習なんて初めてだから、勝手が全く分からない。もしかして、空手の板割りか何かみたいに、芯に当たったらパカンと割れるような仕組みの板だったのだろうか。それとも、私の力が強すぎて、練習場の備品を壊してしまったのだろうか。

 

「ええと……ごめんなさい、あれ、割れちゃいけないやつだった? 壊しちゃった……? 弁償、しなきゃダメかな……?」

 

 私はいつもの調子で笑うこともできず、引きつった笑みを浮かべそうになりながら、おそるおそる葵ちゃんを振り返った。怒られたらどうしよう、とお腹のあたりがキュッとなる。

 けれど、そこにいた葵ちゃんは、快活で格好いいゴルフ少女ではなかった。

 

 両手を胸の前でぎゅっと握りしめたまま、小刻みに震えていた。口は限界まで開かれ、目は血走っている。彼女の脳内は、今目の前のわずか数メートルの至近距離で巻き起こった、世界最高峰の怪奇現象と、まだ周囲の砂利の上を静かに転がっているボールの乾いた音の処理が完全に追いつかず、パニックを起こしていた。

 

「な……なに、今の……。なんなのよ、それ……」

 

 葵ちゃんの声は、小刻みに震えていた。彼女は9歳からゴルフを始め、シングルハンデの父親から、ゴルフのすべてを叩き込まれてきた。だからこそ、分かってしまうのだ。今、目の前の都会から来た素人が、何をやらかしたのかが。

 

「7番アイアンよ……? 普通なら、ふわっと浮いてネットの上の方に当たるはずなのに……。それを、至近距離で的もクッションもブチ抜いて、奥のコンパネを叩き割るなんて……どんな初速よ……。ライフル銃じゃないんだから……」

 

 しかも、あの弾道だ。

 高く上げて飛ばしたのではない。地面すれすれの超低空から、風の壁を破壊して突き進むような、あの冷徹なまでの直線。 あれは、全米オープンや全英オープンといった、世界最高峰のリンクスコースで、一握りのトッププロ達が強風を攻略するために放つ、究極のインテンショナル・ショット。

 

「……スティンガー」

 

 葵ちゃんは、ゴクリと唾を飲み込んで、熱い吐息とともにその単語を漏らした。

 

「すてぃんがー? って、何それ?」

「地を這うような低空から、獲物を正確に射抜く、世界で一握りの天才しか打てない弾道のことよ……。あなた、それを……初めてボールにまともに当てたスイングで、完璧に出したのよ……? ブレも、曲がりも一切ない、完全なスティンガーを……!」

 

 葵ちゃんは一歩、また一歩と私に詰め寄り、興奮のあまり私の両肩をガシッと掴んだ。鼻息は荒く、その瞳は完全に輝いている。

 

「意味が分からない! 毎日毎日、手のひらにマメを作って、お父さんに怒鳴られながら、1ヤードでも遠くに飛ばそうってハイドローの練習をしてきたのに……! あなた、何者なの!? どこの秘密組織から来たの!? 由依ちゃん!!」

 

「ええ!? 秘密組織なんて入ってないよ! 普通の、東京の学校に通ってただけだってば!」

 

 私は葵ちゃんの凄まじいテンションと、至近距離の熱量に圧倒されて、慌てて両手を振った。

 でも、葵ちゃんが怒っているのではないと分かってホッとした反面、なんだか別の意味で胸がドキドキしてくる。

 やっぱり、あの板は割っちゃダメなやつだったんだ。それに、ゴルフって本当は、もっと一生懸命練習して、ボールを高く上げて飛ばすスポーツなんだ。 それなのに私は、初めてのひと振りで、その大切なルールも、葵ちゃんが積み重ねてきた努力の常識も、めちゃくちゃに壊してしまったらしい。

 凄いことをした自覚なんて全くなくて、ただただ、取り返しのつかない大失敗をしてしまったような申し訳なさで、背中に冷や汗が流れた。

 

「あの、葵ちゃん……本当にごめんなさい。私ね、本当にただ、葵ちゃんに言われた通りにやっただけなんだよ? 短く持って、右側に置いて、低く押し出すって。だから、これは私の実力じゃなくて、葵ちゃんの教え方がプロ級に上手だったからだよ、きっと! 葵ちゃんのアドバイスが凄すぎたんだよ!」

 

 私はすっかり縮こまりながら、なんとか葵ちゃんの興奮を落ち着かせようと、必死に本心からの言葉を紡いだ。

 

「そんなわけあるかーーーーい!!!!」

 

 御殿場の夕空に、葵ちゃんの嫌みのない渾身のツッコミが響き渡った。

 

「おい葵!! 今の凄まじい爆音はなんだ!! どっかのトラックが資材置き場にでも突っ込んできたのか!?」

 

 その時、鳥カゴのすぐ奥にあるプレハブ小屋の扉が勢いよく開き、一人の大柄な男性が飛び出してきた。現場帰りの作業着に身を包んだ、葵ちゃんのパパ――鉄平さんだった。敷地内の事務所プレハブで明日の現場の段取りをしていたらしい彼は、作業の手を止めて血相を変えてすっ飛んできたのだ。

 

 しかし、目の前に広がるおかしな惨状を目にして、鉄平さんはその場に呆然と立ち尽くした。

 

 ひっくり返って防球ネットの根元に転がっている緑色のショットマット。 丸く撃ち抜かれた布の的とクッション材の奥で、無惨に真っ二つに叩き割れているコンパネ板。バケツからこぼれて転がった大量のボール。そして、地面にぽつんと転がっている、さっき私が一撃でひん曲げてしまったというシルバーの軽量スチールクラブ。

 

「……あ、あの、おじさん、ごめんなさい! 私が下手くそで、力加減を間違えて後ろの板を壊しちゃいました……!」

 

 私は顔を真っ青にしながら、借りていた頑丈な7番アイアン(こちらはもちろん無傷だ)を両手で差し出し、深々と頭を下げた。

 鉄平さんは、引き裂かれた的と、真っ二つになったコンパネ、そして無惨に歪んだジュニア用のクラブを交互に見つめ、それから私の細い腕へと視線を移した。その日焼けした強面な顔が、完全にわけが分からないという困惑で引きつっていく。

 

「……板を壊した? お前が? いや、葵、これ一体どういう状況だ。俺が頑丈にガチガチに固定したコンパネが、なんでゴルフボール一個でこんな風に叩き割れるんだよ」

「えっとね、お父さん! 由依ちゃんがダイナミックゴールドでスティンガーでコンパネをライフルみたいに撃ち抜いたの! 1打目は普通のシャフトを素手でバコーン! グニャって!」

「えぇ……?? お前、何言ってんだ……?」

 

 必死に身振り手振りで叫ぶ葵ちゃんの説明を聞いても、鉄平さんはただ眉間に眉を寄せ、あからさまに「こいつは何を言っているんだ」という顔で頭をガシガシと掻くばかりだった。中1の女の子のゴルフの球が、特撮映画のごとく頑丈なコンパネを破壊したなど、普通の大人なら信じられるはずもない。

 

「とにかく……」

 

 葵ちゃんの説明を何とかかみ砕いた鉄平さんは、大きくため息をつくと、怪訝そうな目で私を見た。

 

「お嬢ちゃん、見ない顔だな。どこの子だ?」

「あ、如月、如月由依っていいます! そこの角の大きな家に、今日引っ越してきたばかりで……」

「如月? ああ、あの東京から来たっていう……。なるほどな」

 

 ようやく身元が判明し、鉄平さんは少しだけ納得したように頷いた。

 

「怪我がないならよかったが、さすがにこれだけ派手にやらかしちまったら放っておけねえな。……よし如月のお嬢ちゃん、俺も一緒に君の家まで行こう。親御さんにちょっと説明して、これからのことを話さないとな」

「あ、はい……本当にごめんなさい……!」

 

 状況はいまいち分かっていないようだけれど、ひとまず怒られなかったことにホッとしながら、私は葵ちゃんが回収したクラブを見つめ、それからスマホを突き合わせて彼女と連絡先を交換した。

 

「葵、お前も来い。そもそもお前の球が外に飛び出したのが原因だろ。如月さんのご両親にちゃんと一緒に謝るんだぞ」

「わ、分かってるよお父さん、一緒に行くよ」

 

 凹んだミカンジュースの缶から始まった、奇妙なハプニング。 それが、私の人生を根底からひっくり返す、大嵐の始まりだとは、この時の私はまだ、1ミリも気づいていなかったのだ。 お父さんがテレビの前で「あぁーっ!」と頭を抱えているだけの、退屈なおじさんのスポーツ。

 私の頭の中にあったゴルフの偏見は、葵ちゃんという一人の少女と破壊されたコンパネの板、そしてそれを見て本気で頭を抱えていた葵ちゃんのパパによって、完全に粉砕されていた。

 

 手の中に残る、あの白球を完璧に捉えた時の、静かで肉厚な感触。 思い出すだけで、私の胸の奥が、トクトクと熱く脈打つのが分かった。もっと遠くへ、もっと鋭く、あの空間を切り裂いてみたい。そんな、生まれて初めて抱く、身体の渇きのような衝動が、静かに、けれど確実に、私の心の中に根を張り始めていた。

 

 後に、私がゴルフのルールやセオリーをちゃんと知って、自分があの時、どれほど常識外れの、とんでもないバグ行為をしていたのかに気づいて、顔を真っ青にするのは、もう少しだけ先のお話。

 

 静岡の、富士山の麓の冷たい風が、私の短いスカートを揺らす。 東京の一等地からやってきた世間知らずの天然お嬢様は、こうして、聖地・御殿場の風の中で、その怪物としての産声を上げたのだった。

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