スティンガーから極めるゴルフ――HS64を叩き出す無自覚少女、風を切り裂く低弾道でゴルフ界を無双する   作:スティンガー

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第7話 動き出す運命

 フィッティングスタジオでのあの日から、3週間が経過していた。

 

 御殿場の街に吹き付ける風は、ようやく巡ってきた春の匂いを孕んで、うららかさを帯び始めつつある。如月家の引っ越し荷物も片付き、新居での生活が完全に軌道に乗り始めた頃――その大砲は、厳重すぎるほどの梱包に包まれて自宅に届いた。

 

「おい、佳乃! 由依! 届いたぞ! 坂本さんから、ついに完成したと連絡があったんだ!」

 

 土曜日の午前中、リビングに響き渡ったのは、大企業の新プロジェクト総責任者とは思えないほど興奮しきったお父さん――達也の大声だった。普段なら休日くらいはゴルフ中継を観ながらのんびり過ごすはずの人が、宅配便のトラックが門の前に止まった瞬間、文字通り玄関へと猛ダッシュしていったのだ。

 

 玄関からリビングへと運び込まれたのは、まるで壊れやすい精密機械でも入っているかのような、頑丈な長方形の段ボール箱だった。側面に大きく印字された有名メーカーのロゴが、どこか神聖なオーラを放っている。

 

 お母さん――佳乃は、キッチンのカウンターから呆れたような、しかしどこか優しさを帯びた苦笑いを浮かべてその様子を眺めていた。

 

 最初の夜こそ、娘を巻き込まないで、と大反対していたお母さんだったけれど、あの土曜日の練習場での衝撃、そしてお父さんの必死すぎる説得とデータ説明(これにはかなりウンザリさせられたみたいだけれど)を経て、今では、やるからには怪我だけは絶対にさせないこと、を条件に私のゴルフを認めてくれていた。

 

「ちょっと、あなた。そんなに大声を張り上げなくたって、箱は逃げやしないわよ。それにしても、随分と大掛かりなものが届いたのね。お値段のことはあえて聞かないけれど……」

「当たり前だ、佳乃! これはただのゴルフクラブじゃない。由依という規格外の原石が、その翼を大きく広げるための本物の翼なんだからな!」

 

 お父さんはカッターナイフを手に持つと、外科手術でも行うかのような慎重な手つきで、テープを綺麗に切り裂いていった。バリバリという小気味よい音がリビングに響く。

 

 箱の蓋が開けられ、中から丁寧に巻かれた大量の緩衝材が取り除かれると、そこから姿を現したのは、深みのある漆黒に染め上げられた、特注のスタンド式キャディバッグだった。余計な装飾は一切ない。ただ、サイドに『YUI.K』とだけ、白い糸で控えめに刺繍されている。

 

「わあ……かっこいい。パパ、これ、私のバッグなの?」

 

 私がのんきに首を傾げながら近づくと、お父さんは「ああ、そうだ。さあ由依、自分で引き抜いてみるんだ」と、ゴクリと唾を呑みながらバッグのフードを開けた。

 

 チャックを開けた瞬間、室内のLED照明の光を反射して、メカニカルな輝きが目に飛び込んできた。

 そこに並んでいたのは、一般的な中学生女子が使うような、ピンクや水色の可愛らしいパステルカラーのクラブでは断じてなかった。

 

 ドライバーのヘッドは、投影面積が小さく塊感のある、アスリート向けの引き締まったマットブラック。アイアンにいたっては、バックフェースが肉厚な一枚の鉄板で構成された、極限まで無駄を削ぎ落としたマッスルバックと呼ばれる形状の代物だった。

 

 何より異様なのは、ヘッドから伸びるシャフトの色だった。メンズ用の、それもツアープロが好むような、鈍い鈍色の輝きを放つ重量級スチールが、ずらりと整然に並んでいる。

 

「……重い。でも、すごく手に馴染む」

 

 私がバッグから7番アイアンを引き抜くと、ずっしりとした確かな質量が、私の両手のひらを通じて骨へと伝わってきた。重量は460グラム超。坂本さんのお店で最後に打たせてもらった、あの男子プロ仕様の『ダイナミックゴールド X7』だ。

 

 一般的なレディースクラブに比べれば倍近い重さのはずなのに、私の体は、その重量を負担ではなく、心地よい安定感として受け止めていた。

 

 家の中ということもあって、天井や家具にぶつけないよう、ごく軽く、体の捻転を確かめるようにして、ゆったりとクラブを引いて下ろしてみる。

 ほんの小さな、けれど凝縮されたような風切り音が、リビングの静寂にそっと溶けた。

 

「うん……すごくいいかも。実際にボールを打つのが、今から楽しみ」

 

 思わず口元が緩んでしまう。これだけ重いのに、私の動きにぴったりと寄り添ってくれる感覚。ただ軽く動かしただけでも、そのポテンシャルの高さがじんわりと伝わってきた。

 

「そうか、気に入ってくれたか」

 

 お父さんは私の嬉しそうな様子を見て、どこかホッとしたように目元を緩めた。その表情は、完璧なチューニングを施した愛車を前にしたメカニックのようでもあり、同時に、娘の喜ぶ顔に目を細める優しい父親のそれだった。

 

 お父さんは満足げに何度も頷くと、急に真剣な面持ちになり、私の目を真っ直ぐに見つめてきた。

 

「いいかい、由依。パパは、君のポテンシャルを100%安全に、そして最大出力で受け止めるための最高の大砲を用意した。……そこでだ。由依、お前、葵ちゃんと一緒に学校のゴルフ部に入りなさい」

「え? 学校のゴルフ部?」

 

 唐突な提案に、私は目を丸くした。

 

「うん。葵ちゃんがゴルフ部だって言ってたのは覚えてるけど……。でも、確か部員が葵ちゃん一人しかいないって言ってたような……」

「そこは心配いらん! 実はな、先日、学校側と、そして葵ちゃんの親御さんである風間鉄平くんと、徹底的に話し合ってきたんだ。その公立中のゴルフ部は、新設されたばかりで実質的に休部状態だった。だが、私が外部指導員(外部コーチ)として登録を済ませてきた。これからは放課後も週末も、パパが合法的に、公式に、お前たちの面倒を見ることができる!」

 

 お父さんはニカッと白い歯を見せて笑った。大企業の新プロジェクトを動かす男の実行力とコネクションは、中学生の部活動ひとつを動かすなど朝飯前だったらしい。

 

「パパがコーチ……? 会社のお仕事は大丈夫なの?」

「ふっ、仕事など、この天才の誕生を見届けることに比べれば些事よ。それに、プロジェクトの基盤はもう固まっているからな。これより私は、地域密着型スポーツ振興の視察という名目で、如月由依のゴルフに全リソースを投入させてもらう!」

「あなた、本当にもう……暴走しちゃって」

 

 キッチンからお母さんの深いため息が聞こえてきたが、お父さんの熱い勢いは誰にも止められなかった。

 

 


 

 

 達也が胸を張って口にした徹底的な話し合いが、どのようなものだったのか――由依がそれを知る由もないが、それは御殿場の冷涼な夜、風間家のガレージで繰り広げられた、男たちの意地と情熱のぶつかり合いだった。

 

 建築工具の横に、ヒートガンやシャフト抜き機といったプロ顔負けの用具が並ぶ無骨なガレージ。作業灯の光の下、缶ビールを片手に、達也が持ち込んだツアー支給品のヘッドと、まだロゴすら印刷されていない特殊なカーボンシャフトの束を、鉄平は剥き出しの好奇心で凝視していた。

 

「……おいおい如月さん、あんた本気かよ。このシャフト、あんたの会社が今秋に向けて極秘でテストしてる、次世代のフラッグシップモデルじゃねえか。ヘッドだってツアー支給品だぞ。幹部とはいえ、なんでこんな最新サンプルを直々に持ってこれるんだ?」

 

 鉄平の驚き混じりの問いに、達也は少し悪戯っぽく笑った。

 

「私の特権ですよ。私は元々、炭素繊維開発の技術屋ですからね。今回、拠点の長として赴任してきたのをいいことに、開発部の後輩たちに、現場でのテストデータが必要だと言って融通してもらったんです。……それにね、風間さん。我が社のこの最新ラインをもってしても、うちの由依ではまともな数字が取れないんですよ」

 

「あー……」

 

 鉄平は思わず苦笑し、先日由依が豪快にひん曲げた葵の古い7番アイアンのことを思い出した。

 

「そりゃそうだ。あのお嬢ちゃんの出力で打たせたら、データが天井突き抜けるか、最悪発売前のサンプルが根元からへし折れるな」

「その通りです」

 

 達也は真面目な顔で頷き、それから、少し照れくさそうに笑って缶ビールを置いた。

 

「ですから、最初は契約ジュニアにでも振らせようかと思っていたんです。ですが……御殿場に来て、葵ちゃんという素晴らしいゴルファーに出会うことができた。葵ちゃんのあの、しなりを活かした完璧なスイングこそ、我が社の開発部が喉から手が出るほど欲しがっている、最高に美しくて価値のある本物の基準データです。……せっかくの素晴らしい縁だ。私は他の誰でもない、葵ちゃんにこの最新シャフトを託したい」

 

 達也の瞳に宿る、冷徹なデータ論と、それを覆うほどの熱いゴルフ愛を見て、鉄平はゾクッと肌が粟立つのを感じた。

 

「へっ……あんた、とんでもねえゴルフバカだな、如月さん」

 

 鉄平は嬉そうに口元を歪めると、ポンと達也の肩を叩いた。

 

「いいぜ、あんたのデータとこの最新素材、無駄にはさせねえ。葵のハイドローなら、このシャフトの復元力を100%活かせる。あいつに完璧にフィットする最高の武器に仕上げてやるよ。……いや、ありがてえな。あいつ、小学生の終わりの大会で負けてから環境の差に燻って、中学の春の大会も自分でパスしちまうくらい冷めてたんだ。親父として、道具や環境のせいで格好悪い諦め方をさせるのは、もう終わりにしたかった」

 

 鉄平は作業台のグラインダーに手をかけ、ガレージの奥を振り返った。

 

「それにさ、何より由依ちゃんに感謝しなきゃな。あいつのあの真っ直ぐで無邪気な一撃が、冷めかけてた葵の心に、もう一回火を灯してくれたんだ。葵が、あの子のゴルフをもっと見たいって目を輝かせたの、久々だったよ。だから如月さん、あんたが最高の道具を、俺が技術を用意して、あいつらの環境を完璧に整えてやろうじゃねえか」

 

 達也は優しく、けれど強く光らせて頷いた。

 

「ええ。道具と、戦うための公式の舞台は私が用意します。学校を巻き込み、私が外部コーチとしてゴルフ部を再始動させる。二人を全国へ送り出せるようにね」

「――ハハッ、実行力も大したもんだ! よし決まりだ、学校への手続きとか大人の殴り込みは任せたぜ、如月さん! その代わり現場の指導員登録は俺もセットだ。現場じゃ俺たちが二人をがっちりバックアップしてやろうじゃねえか!」

 

 鉄平がグラインダーのスイッチを入れると、激しい火花がガレージの闇を鮮烈に照らし出し、2人の父親の満足げな笑い声を包み込んだ。

 

 


 

 

 数日後の放課後。

 私は、届いたばかりの重いキャディバッグを背負い、葵ちゃんに案内されて、校舎の裏手にあるゴルフ部室へと向かっていた。

 

 御殿場市立第一中学校のゴルフ部は、まさに弱小という言葉がこれ以上ないほど似合う佇まいだった。

 

 用意された部室は、体育館の脇にある、かつて運動部の用具入れとして使われていたと思われる、薄暗いプレハブ小屋。扉を開けると、古い畳の匂いと湿気が立ち込め、部屋の隅には埃をかぶった古いパイプ椅子が数脚転がっているだけだった。

 

「ごめんね、由依ちゃん。うちの中学、ゴルフ部なんて歴史に一回もなかったから、予算がゼロなの。実質、私が無理を言って名前だけ作ってもらったような弱小部だから……」

 

 葵ちゃんが申し訳なさそうに頭を掻いた。彼女の背中には、長年使い込まれたジュニア用の小さなバッグが揺れている。

 

「ううん、全然気にならないよ。なんだか秘密基地みたいでワクワクする!」

 

 私がいつもの天然な調子で笑っていると、プレハブ小屋の外から、ガガガガ、と大きな激しい車のエンジン音が近づいてきた。

 

 窓の外を覗くと、そこには一台の白いハイエースが豪快に停まり、運転席からデニムの作業着を着たガタイのいい男が降りてくるのが見えた。葵ちゃんのお父さん――風間鉄平さんだ。

 

「よお、お疲れさん! 葵、由依ちゃん! 待たせたな!」

 

 鉄平さんはハイエースのリヤゲートを跳ね上げると、中から巨大な巻物のような緑色の人工芝マットや、木製の重そうな枠組みをヒイヒイ言いながら引きずり出し始めた。

 

「お父さん!? 何それ、何を持ち込んでるのよ!」

 

 葵ちゃんが驚いて声を上げると、鉄平さんは額の汗をグッと拭いながら、アニキ肌の不敵な笑みを浮かべた。

 

「何って、練習用のショットマットと鳥カゴの骨組みさ! 如月さんの旦那から、部室の環境整備の件で力を借りたいって連絡があってな。俺の地元のツテを総動員して、使われてない工事用のネットと、知り合いの造園屋から極上の人工芝をタダ同然で仕入れてきたんだよ。これをこのプレハブの前に設置すりゃ、いつでもフルスイングできるミニ練習場の完成だ!」

「ええっ!? パパのコネって、鉄平さんのことだったの?」

 

 私が驚いていると、さらに駐車場の奥から、今度はピカピカに磨かれた高級セダンが静かに滑り込んできた。

 

 運転席から降りてきたのは、仕立ての良いポロシャツをパリッと着こなした私のお父さん――達也だった。お父さんはセダンのトランクを開けると、中から何やら、パソコンのモニターのような精密機械と、仰々しい三脚を取り出した。

 

「お疲れ様です、風間さん。素晴らしいフットワークだ。さすが現場のスペシャリストですね」

「おう、如月さん! こっちのネットの設営は任せときな! それより、そっちの高級そうな機械は何ですかい?」

 

 鉄平さんが目を丸くして尋ねると、お父さんはフッ、とインテリジェンスな笑みを浮かべ、その機械を部室の机の上に慎重に設置した。

 

「これは、弾道計測器の最高峰、最大手の最新モデル『トラックマン』です。個人で買うには少々……いや、かなりの予算が必要でしたが、由依と葵ちゃんのスイングデータを分析するためには、絶対に不可欠だと判断しましてね。我が如月家の財力を少々、こちらに回させてもらいました」

「と、トラックマンって……プロが使う、数百万円もするあのレーダー計測器を、こんなボロい部室に個人で買ったの!?」

 

 葵ちゃんが本日一番の絶叫をあげ、その場にひっくり返りそうになった。

 

 それだけではなかった。お父さんはさらにトランクから、スイングの軌道を矯正するための位置調整用スティックや、体の軸を固定するための特殊なトレーニング器具、さらにはiPadを連動させたハイスピードカメラまで、次々と部室へ運び込んでいった。

 

「よし、風間さん。準備は整いましたね」

「おうよ、如月さん。俺が作る特製ネットと人工芝、そしてあんたが持ち込んだ最先端のチートメカ……。おいおい、見た目はボロいプレハブ小屋だが、中身の環境だけ言えば、そこらの名門私立のゴルフ部はおろか、プロの育成アカデミー並みのチート環境になっちまうぞ!」

 

 二人の父親は、がっしりと固い握手を交わした。

 

 都会のカタい大企業幹部であるお父さんと、地元のフランクな職人肌である鉄平さん。年齢も経歴も全く違う二人の大人が、娘たちを世界の頂点へ導くという一点において完全に意気投合し、それぞれの特技――圧倒的な財力・ロジックと、圧倒的な現場力・コネを融合させた結果、弱小ゴルフ部は、大人たちの歪んだ愛と狂気によって、信じられないほどのハイテク基地へと変貌しようとしている。

 

 学校の名前貸し顧問である数学の先生が、おずおずと様子を見にやってきたが、部室を埋め尽くす高級機材と、二人のシングルプレイヤーのお父さんたちが放つ凄まじいオーラに圧倒され、「あ、あの、怪我だけはしないようにね……」とだけ言い残して、事なかれ主義の笑顔で退散していった。

 

「なんか……すごいことになっちゃったね、葵ちゃん」

 

 私がポカンとしながら呟くと、葵ちゃんはしばらく呆然とした後、私の手の中にある、あの重厚な特別仕様の7番アイアンを見つめた。

 そして、その快活な瞳に、かつてないほど激しい、前向きな闘志の炎を灯した。

 

「……うん。でも、これで何も言い訳できなくなっちゃった、由依ちゃん。本物のクラブも、最高の環境も揃った。私……あなたと一緒なら、全国へ行ける気がしてきたよ」

「全国? よく分からないけど、葵ちゃんと一緒にゴルフができるなら、私、どこまででも行くよ!」

 

 私がいつもの天然な笑顔で答えると、葵ちゃんは「よしっ!」と自分の拳を強く握りしめた。

 御殿場のすそ野を吹き抜ける風が、プレハブ小屋の窓をガタガタと揺らす。

 

 大人たちの愛と、二人の少女の友情。それらが完全に噛み合い、私たちの運命の歯車は、誰も止められない猛烈な速度で、本格的に回り始めたのだった。

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