スティンガーから極めるゴルフ――HS64を叩き出す無自覚少女、風を切り裂く低弾道でゴルフ界を無双する   作:スティンガー

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第8話 チート弱小ゴルフ部の始動

 御殿場の春の終わりは、東京のそれよりもずっと鮮やかで、どこか冷ややかな風が吹き抜けていた。

 

 学校の敷地の端、裏山の手前にぽつんと佇むプレハブ小屋。それが、私――如月由依と、私がここに来てから最初の友人である風間葵ちゃんが所属する、御殿場第一中学校ゴルフ部の部室だった。

 

 もともとは運動会の用具や古びたパイプ椅子が詰め込まれていたという、築ウン十年のボロプレハブ。トタンの屋根は錆びつき、引き戸を開けるたびに、ガラガラ、キーッと耳障りな悲鳴をあげる。

 けれど、その扉を一歩またげば、そこにはおよそ公立中学校の部活動とは思えない、あまりにも歪でチートな光景が広がっていた。

 

「よし、風間さん。弾道計測器の初期設定は完了しました。ハイスピードカメラの同期もバッチリです。これで由依たちのスイングを、ミリ単位、コンマ1秒単位で完全に可視化できますよ」

「おう、如月さん! こっちの防球ネットの補強も終わったぜ。俺の仕事場で余ってた特注の太繊維ネットだからな、由依ちゃんのあの大砲を至近距離で喰らっても、これなら絶対に引きちぎれねえよ!」

 

 部室の中で、二人の大人が熱いハイタッチを交わしていた。

 

 ポロシャツをパリッと着こなした都会派のインテリギアオタク――私のお父さん、如月達也。

 そして、作業着の袖をまくり上げ、日に焼けた腕で不敵に笑う地元の現場主義の職人肌――葵ちゃんのお父さん、風間鉄平さん。

 

 年齢は、私のお父さんが48歳で、鉄平さんが41歳。都会の大企業幹部としてカタい世界で生きてきたお父さんと、地元密着でバリバリ働くフランクな鉄平さん。生まれも育ちも正反対の二人だったけれど、夜毎に我が家や風間家でお酒を酌み交わし、ゴルフ理論について激論を交わすうちに、年の差を超えた、奇妙なバディ関係を築き上げていた。

 

 そんな二人が、この弱小ゴルフ部の外部コーチに就任した結果、このボロ部室は大人たちの愛と財力によって、凄まじい変貌を遂げていた。

 

 床には、お父さんが「我が如月家の財力を少々回させてもらった」と言って個人で購入した、プロ仕様の超高級弾道計測器『トラックマン』が鎮座している。数百万円はするというその精密機械の横には、最新のiPadと連動したハイスピードカメラが二台。

 

 さらに、鉄平さんがハイエースで運び込み、あっという間に組み立てた頑丈な打席マットと、プレハブの壁を覆い尽くすほどの特注防球ネット。

 

 部員は私と葵ちゃんの二人だけ。なのに、環境だけは世界のトッププロのプライベートスタジオ並みという、あまりにもアンバランスなチート弱小ゴルフ部が、ここに誕生したのだった。

 

「……ねえ、由依。私、一応確認したいんだけどさ」

 

 部室の隅に置かれた、これまた鉄平さんがどこからか持ってきてピカピカに磨き上げたというパイプ椅子に座り、一人の女の子が呆れたように声をかけてきた。

 

「なによりもまず、これって本当に中学校の部活の光景なわけ?」

 

 彼女の名前は、小野寺(おのでら)(つむぎ)。私と同じ中学一年生で、クラスメイトだ。

 

 都会から引っ越してきたばかりの私を「なんかおっとりしてて面白いじゃん」と気に入ってくれ、いつも一緒にいてくれる現代っ子。彼女はゴルフのルールなんて一文字も知らないし、スポーツ自体にもこれっぽっちも興味がなかった。それなのに、私がゴルフ部に入ると言った瞬間、「由依がやるなら、ウチがマネージャーになってあげる! なんかゴルフって映えそうだし、SNSの担当ってことで!」と、軽いノリで入部してきたのだった。

 

「うーん、パパたち、ちょっと張り切りすぎちゃったみたい」

 

 私は、自宅に届いたばかりの自分専用のキャディバッグから、一本のクラブを引き抜いた。

 お父さんが信頼するクラフトマンのショップで、私の異常なスイング効率に合わせて特注された大砲。中一の女子が持つには前代未聞の、重く硬いシャフト『VENTUS BLACK 8-TX』が挿さった、特注のドライバーだ。漆黒のヘッドが、プレハブの蛍光灯の光を反射して怪しく光る。

 

「張り切りすぎってレベルじゃないでしょ」

 

 紡はスマホを片手に、部室のあちこちをカメラでパシャパシャと撮影しながら、ため息をついた。

 

「ウチさ、昨日ちょっとネットで調べたんだよね。その、おじさんが如月家の財力で買ったっていう、パソコンのモニターみたいなやつ。あれ、値段見てスマホ落とすかと思ったわ。普通の公立中の部活の予算、何十年分よ? 完全に大人のエゴじゃん」

「あはは……。でも、お父さんたちのサポートのおかげで、私たちはここで思いっきり練習できるから」

 

 隣で自分のアイアンを丁寧に磨いていた葵ちゃんが、苦笑いしながらフォローを入れる。

 

「それにね、紡ちゃん。由依ちゃんのスイングは……この機材が本当に必要なくらい、普通じゃないの。大人の目できちんと数字にしないと、何が起きているのか誰も説明できないんだから」

「ふーん……まあ、ウチ的には、由依がカッコよくて面白い動画がいっぱい撮れれば何でもいいんだけどね」

 

 紡はスマホの画面をタップしながら、ふと、トラックマンと連動しているiPadの画面を覗き込んだ。

 

「あ、設定終わったみたいだよ。画面が緑色に変わった。ねえ由依、とりあえず一発打ってみてよ。ウチ、動画回すから」

「うん、わかった。じゃあ、やってみるね」

 

 私は特注のドライバーを両手で握り、鉄平さんが設営してくれた打席マットの上に立った。

 足元にあるのは、まだ傷一つない真っ白なゴルフボール。

 

 東京にいた頃の私は、ゴルフなんておじさんがテレビで見ている退屈なスポーツ、としか思っていなかった。でも、あの夕暮れの鳥カゴで、葵ちゃんに教わって放ったあの一撃――白い球の真ん中を鉄の塊が射抜いた瞬間の、まるでお豆腐を上質なナイフで滑らかに切り裂いたかのような、あの手応えのない、奇妙なまでに軽やかな感触。あの快感が、今でも私の手のひらに、じわじわとした熱となって残っている。

 

 すうっと息を吸い込み、アドレスに入る。

 お父さんと鉄平さんが、それまでの談笑をピタリと止め、固唾を呑んで私を見つめる。葵ちゃんも、アイアンを握る手に力を込め、私の動きを凝視した。部室の中に、張り詰めたような静寂が満ちていく。

 

 ルールも、セオリーも、私はまだほとんど知らない。

 けれど、体をどう動かせば、あの気持ちいい手応えが再現できるかだけは、私の肉体が完全に記憶していた。

 

 テークバック。線の細い私の体が、バネのようにしなやかにねじれていく。

 そして――トップから、一気にダウンスイングへ。

 私の天性の加速力が、初手から最大出力で発揮される。

 

 ――バシィィィィィンッッッ!!!!

 

 プレハブの壁を、屋根を、そして鼓膜を直接震わせるような、肉厚で乾いた猛烈な破裂音が炸裂した。

 日本の女子プロはおろか、並み居る男子プロゴルファーでも決して出すことのできない、空気が正面衝突して爆発したかのような重低音。

 

 放たれた白球は、地を這うような超低空の鋭い弾道を描き、至近距離に設置された鉄平さん特注の二重ネットへと、目にも留まらぬ速さで突き刺さった。

 

 ズガァァァンッ! とネットが激しく波打ち、プレハブの骨組みがガタガタと音を立てる。凄まじい衝撃波が部室の中に吹き荒れ、一瞬の静寂のあと、打席の後ろでスマホを構えていた紡が「ひゃいっ!?」と短い悲鳴をあげて飛び上がった。

 

「な、何今の音……!? ちょっと、耳がキーンってするんだけど! っていうか、プレハブ壊れるじゃん!」

 

 紡が耳を押さえながら絶叫する。

 お父さんと鉄平さんは、慣れっこになってきているとはいえ、やはりその弾道の凄まじさにゴクリと唾を飲み込んでいた。

 

「相変わらず……凄まじいエネルギー効率だ。特注のシャフトが、インパクトの瞬間、全く負けずに球を押し潰している……」

 

 とお父さんが眼鏡を押し上げながら呟く。

 そんな大人たちの反応を余所に、紡は恐る恐る、数値が表示されているiPadの画面に目を向けた。

 

「……ねえ、画面の数字が変わった。何これ、エラー?」

 

 紡が画面を指差す。

 

「ええと……一番上に、大きく『64』って書いてあるけど。これって、何? 球のスピード? 時速64キロってこと?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、お父さんと鉄平さん、そして葵ちゃんの三人の動きが、完全に停止した。

 

「……紡ちゃん」

 

 葵ちゃんが、カチコチに固まった表情のまま、恐る恐る尋ねる。

 

「その64って数字、どこの項目のところに書いてある……?」

「え? ええと、ヘッドスピードって書いてあるよ。ほら、ここ。64.2m/sって」

「ぶふっ!!!!」

 

 鉄平さんが、手元に持っていた缶コーヒーの口から派手に中身を吹き出した。

 

「げほっ、ごほっ! ろ、ろくじゅう……よん……!?」

 

 鉄平さんは「おいおいおいマジかよ!?」と目玉をひん剥いて狂ったようにiPadに飛びつき、画面を覗き込む。葵ちゃんもまた、幽霊でも見たかのように青ざめた顔でスマホの画面を凝視していた。

 

「嘘だろ如月さん! いくらなんでも測定器のバグじゃねえのか!? 中一の女の子のヘッドスピードが、64って!」

「……いや、バグじゃないよ、鉄平さん。そのトラックマンのレーダーは正常だ」

 

 二人とは対照的に、お父さんはひどく静かな、それでいてどこか遠くを見るような乾いた声で言った。すでにフィッティングスタジオでこの世の終わり(常識の崩壊)を特等席で目撃してきたお父さんには、目の前のパニックの理由が痛いほど分かっていた。

 

「スタジオの数値で出ていた数値と同じだな……。ミート率は1.5の満点。ボール初速は、96を超えている。この練習場の環境でも、彼女はあの大砲を完璧に乗りこなしてみせたんだ……」

 

 お父さんの手が、恐れと、静かな感動でガタガタと目に見えて震え始めた。

 ゴルフのルールを全く知らない紡は、二人のただならぬ慌てぶりと、お父さんの重々しい態度に、すっかり置いてけぼりを食らって首を傾げていた。

 

「あのさ、だからその64がどれくらいヤバいのか、ウチにも分かるように説明してよ。新幹線より速いの?」

「新幹線とは比べられないけど……」

 

 葵ちゃんが、頭を抱えながら、限界を迎えたような声で紡に説明を始めた。

 

「いい、紡ちゃん? 日本のトップ女子プロゴルファー……テレビに出ているような飛ばす人たちでも、ヘッドスピードはだいたい42、3くらいなの。大人の男性アマチュアで、40前後」

「うん」

「で、体格のいい男子プロゴルファー……日本のツアーで戦っているプロの平均が、だいたい50前後。海外の、あの筋肉モリモリの怪物のプロたちで、ようやく55から、いって60の世界なのね」

「……え?」

「64っていうのは……世界最高峰のドラコン選手権とかに出る、大男のプロが全力で振り回して、ようやく届くかどうかっていう……人間の、肉体の限界を超えた領域の数字なの。それを……今日、部活が始まって、さらっと一本目にドライバーを振った、線が細くて普通の中学1年の女の子が……出しちゃったのよ」

 

 葵ちゃんの説明を聞くうちに、紡の顔から徐々に無邪気な笑みが消え、代わりに引きつったような表情が浮かび上がってきた。彼女はスマホを持つ手を震わせながら、私と、iPadの画面を交互に見つめる。

 

「じゃ、じゃあ何……? 由依って、人間じゃないの……? 世界クラスの化け物より速く振ってるってこと……?」

「あはは、私は普通の人だよ? ちょっと、東京にいた頃から、ビンの蓋を開けるとか、一瞬だけ力を入れるのが得意だっただけ」

 

 私はへへ、といつもの天然な調子で笑い、ドライバーをポンと肩に担いだ。

 

「でも、この新しいクラブ、すごく振りやすいよパパ。前の葵ちゃんのクラブみたいに、グニャって曲がる感じがしなくて、思いっきり引っ叩いても、ちゃんと私の手に付いてきてくれる感じがする」

「……当たり前だ、由依」

 

 お父さんは、感動のあまり今にも泣き出しそうな、それでいて深い絶望に囚われたような、ひどく複雑な顔で私を見た。

 

「それはドラコン選手並みのハードヒッターが使うスペックなんだ。お前がその細い腕で、それを完璧にしならせて芯を喰わせていることで、パパの25年のゴルフ人生の常識が、跡形もなく崩壊しているんだよ……」

「がはは! こりゃ傑作だ!」

 

 鉄平さんが、お父さんの肩をバシバシと叩いて豪快に笑い飛ばした。

 

「いいじゃねえか如月さん! 俺たちの手で、世界を驚かせる怪物を育ててやろうぜ! このチート部室で、徹底的に鍛え上げてやろうじゃねえか!」

 

 大人たちのそんな熱い盛り上がりと、紡の「マジでバケモノじゃん……」という呆然とした視線の中で、私たちのチートな弱小ゴルフ部は、最高の、そして最悪に狂ったスタートを切ったのだった。

 

 それからの毎日は、目まぐるしく過ぎていった。

 放課後になると、私たちはこのボロ部室に集まり、あるいは練習場に集まり、お父さんや鉄平さんが居るときは指導のもとで練習に励んだ。

 

 私にはゴルフの知識が全くない。だから、お父さんがトラックマンのデータを見ながら「アタックアングルがどうとか、ダイナミックロフトがどうとか」とか、鉄平さんが「理屈じゃねえ! 要はあのネットの真ん中を、右手の平でぶっ叩くイメージだ!」とか、正反対の指導をしてくるのを、私は私なりに感覚としてブレンドし、ただひたすらに、あの気持ちいい音を出すことだけに集中した。

 

 そんなある日の放課後――部活が始まって一週間ほど経った頃、紡が「ウチ、一応マネージャー兼広報だからね!」と、スマホを片手に私のスイングを撮影し始めた。そして『#中一女子』『#ヘッドスピード64』『#バグスイング』といったハッシュタグをつけ、軽いノリでネットの海へと投稿したのだ。

 

 それが、投稿からわずか数時間の間に、ネット掲示板や地元のジュニアゴルフ界を揺るがすほどの大騒動に発展したことも、紡が自室のベッドで、一人で頭を抱えて奮闘することになってしまったことも、その時の私はまだ知る由もなかった。

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