五年は組の商人(前日譚)   作:ジェーンドェは彼方

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10話

 ーー春、それは愛おしい季節。そんな春に、私はずっと囚われている。名ばかりだが、一年の節目にはちょうど良いよな、そりゃ。春のせいで、色んなものを江戸に置いてきてしまった。主に心とか、気持ちとか、大好きな人とか。

 

『嫌いじゃないけど、好きにもなれないな』

 

 この季節は、私から色んなもを奪っていく先日、私は父と約束をした。一年だけ時間が欲しいと、それまでにちゃんと決めるから待っていて欲しいと。

 私も立派な人になりたい。誇れる自分になりたい。あいつのように、誰かを思いやれる人になれなくても、師匠のように、輝かしい人になれなくても、父のように、強かで、聡明で、優しい人になれなくても、私は、私らしく在ろうと。

 

『さて、もうすぐ父上も起きる頃かな。戻って準備しないとな』

 

 私は手に開いていた本を閉じると、立ち上がって軽く伸びをする。木々の生い茂る森の中、心地よい風がその間を通り抜けて私を髪を吹き上げていく。此処しばらく、悩んでばかりいたせいで疲れていたんだろう。緊張の糸が解れていくみたいで気持ちが良い。

 

『しばらく切ってなかったから、随分と伸びたな、ーー結ぶか?あいつみたいに低く結ぶと女っぽいし。まァ、こんなもんでいいか』

 

 父譲りの真っ黒な髪。ただ、光に当たると緑っぽくなるせいか、保護色だなって師匠に言われたっけ(あの言い方なんか気に入らないんだよな)。

 然し、この目だけは違う。ある人は、私のような目をこう言ったらしい。ーー眼は丸く、青きこと玻璃のごとし、とね、目をガラスや水晶のようだと表現するのは、なんだか独特な物言いだなと思っていたけれど。でも、実際にそうだったんだ。なんたってこの目は、母とお揃いなのだから。

 初めて出会う人は皆、私の顔を見ると一瞬驚くようにな目をする。それが何故か、最初はわからないでいたが、当然と言えば当然だった。こんな目をした奴が父の子だとは思いもよらない。卑下して言うわけではないが、似ても似つかないのだ。

 それでも、こんな目でも、母と同じというだけで私は嬉しい。唯一の手がかりなのだ。物心ついた時からいなかった母のことを、何度か必死に思い出そうとした。それでも脳裏に過ぎるのは、海を渡る時、私を愛おしそうに見つめた母だけ。

 

『元気だといいな』

 

 想いを口にしたって誰も応えてはくれないが、せめて母が私に幸せであって欲しいと、今も願ってくれているなら、私は幸せだと胸を張って言えるように、そんないつかの日のために元気でいなければ。

 

 

『もとより入学させる気だったのなら、そう言ってくださればよかったのに』

「いや、私が思っていたより、話が通るのが早かったんだ。いつ来ても構わないとも、伝えられもした」

 

 父は私が入学を決めると分かっていたらしい。ーー本当か?まあ、本当にそうなったが、なんだか、こうもここまで見透かされていると悍ましいのだが。

 私はこの山道で父と別れることになった。大した量の荷物も持ち合わせていない私だったし、江戸にいた頃は店だけじゃなく、近所の手伝いもしていたため、お金もまあ十分なほどだ。この先は今まで得た知識と、この商人の腕を信じよう。それに、私は父と違ってこの持ち前の愛嬌もある!と言ってもアルバイト先をいずれ探さなければならんのだな。

 

『やはり、時々店番を手伝いに言ってもよろしいでしょうか…』

「構わんが…」

『今まで通りお小遣い稼ぎはさせてください』

「ああ、そういうことか。よろしい」

 

 私はその答えに満足する。ーーただ、私がこれから通う学校は、父の拠点から少し遠いいそうで、ごく稀にしか手伝いに行けないだろうな。

 

『文を書いても?』

「構わんが」

『なら安心です。必ずお返事を』

「……わ、わかったから、早く行きなさい。日が暮れる」

『ええ、では父上、お体に気をつけてくださいね。ちゃんと食べなくてはなりませんよ。いつまでも帳場で椅子に座っていては腰にきますから、時々伸びをーー』

「わかったから行きなさい。全く……」

 

 父は困った顔をして笑った。そうそう、笑っていて欲しいのですよ父上。ぶっきらぼうな頭を撫でられ、私は背中を押される。父は手を振って、私とは反対に歩いていく。振り向かず。ただその背中は大きく私に安心を与えるだけ。

 私は藤ノ木屋の若旦那だった。では、これからは?未来とは未開なもので、わかりませんな。 ただ、少し待ち遠しいね。

 

 ーーそれでは、ごきげんよう江戸の町。

 今まで世話になったね。私は今、西で笑う予定さ。

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