父は時折、旅人を家に招く。私はその間、茶の用意や店の案内をするなどを任される。店の案内といっても、どこの取り扱いなのかといった単純なコミュニケーションの様なもので、ーーある日、父が留守になった際、店番をしていた私は父を真似て骨董品を紹介した。
すると、運の良いことに購入が決まった。
それからというものの、父は私に店番を任せる様になったのだ。
もちろん、父も父で、奥の帳場では顰めっ面を崩すことなく、貿易に関する諸事を片付けている。私は商人としての腕を実感した。江戸は栄えた町だからこそ人足が多く、日々店名前を通って横目に入れて、後から戻ってくる人もごく稀にいる。
ただ黙々と、明日も明後日もこの商いが続くかのように、古びた算盤を弾いている。ーー然しですよ。詰め込みすぎてはなりません。時として、羽休めというものが無くては!
そんな時、私はいつもこうやって言うのです。
『父上。店頭のカステラ、そろそろ下げませんか?日も経って悪くなりますから』
「そうか」
『お茶を入れ直しますので、頂きましょう』
父は短く応じると、少しだけ表情を緩めた。顰めっ面に変わりはないが、この頃、帳場に籠りきりで身体が固まってしまったんだろう。
一つため息を吐くと立ち上がって適当な皿を二枚取り出す。私はすかさずそこへ丁度二人分のカステラを並べた。
夕方、店番を任された私は、相変わらず物の手入れと帳簿の整理を行っていた。日が落ち始め、辺りが薄暗くなった頃、向かいの茶屋から疲れ切った様子の店主がやってくる。
「遅れてすまない。頼んでおいた瀬戸焼の受け取りにきた」
『おや、茶屋さん。お待ちしていたんです』
話を聞けば、店じまいの直前にやってきた客がどうも長居をしたらしく、店を閉めるのが大幅に遅れてしまったのだという。
「いかんいかん!遅くなった手前、僕までここを長引かせては人のことが言えん!若旦那、頼んでおいた瀬戸焼の確認をさせてくれ」
『ええ、勿論です』
私は丁寧に包みを解き、中から瀬戸焼の皿を取り出す。夕闇の中でも、瀬戸独特の深い青は沈むことなくそこに在った。吸い込まれるような青と、白磁のコントラストが混ざり合ったその美しさは、どこか冷たく、けれど気品に満ちていた。
「ああ、なんて美しい器なんだ。こんな貴重な瀬戸焼があるなんて、誰が信じてくれるだろう…この麗しい器に、栗の甘煮、それから蕨餅を盛り付けたい!ーーああ。素晴らしい……ありがとう、若旦那。包んでくれ」
店主は子供のように目を輝かせ、うっとりと器を眺めている。私はその様子に口元を綻ばせながら、再び瀬戸焼を慎重に包み直した。お代は父が事前に頂戴しているため、封をしたら受け渡すだけで良いのだ。
『喜んでいただけでなにより。私も、この瀬戸焼の青が気に入っておりまして、店へ入ってきた時は、思わず見惚れてしまいましたよ』
「アハハ。お目が高いな、若旦那」
瀬戸焼は有名だが、真に良い品にはかなりの値がつく。一般的な店での取り扱いは少なく、藤ノ木屋のように時折こうした美品を揃える商人は珍しかった。本来なら相場よりもずっと値が張る代物だ。
然し、茶屋の店主は向かいの店というだけでなく、カステラのような南蛮菓子を試したいと父へ出荷の直談判をするほど、藤ノ木屋を頼りにしてくれている。
つまるところ、長年の誼というわけで、父も今回ばかりは安値での譲渡を容認したのだった。
ーーそれに、茶屋の店主が作る甘味は絶品だ。もっと有名になってしまってほしいと思う反面、江戸のご近所だけのお墨付きとして留まっていてほしいという我儘な気持ちもある。とはいえ、店が向かいにあるのも考えものだが、私は特別な時しか行ってはいけないのだと自分を律している。そうでなければ……いや、そうしなければ、足繁く通い詰めることになってしまうのが目に見えているからだ。
『茶屋さんのお作りになる甘味はこの上なく絶品で、遠くから足を運ばれる方も多いでしょう?そんな甘味たちが、この瀬戸焼にて提供されるとなれば、嘸噂になるでしょうね。この青にはそれほどの価値があります』
「ーー若旦那!よくわかっている!その通りだ。この瀬戸焼をお目に掛かるというだけでも、客を呼ぶ価値がある。若旦那ッてばさ、ほんッとうに僕の言いたいことを言ッてくれるよ!」
私は自分のことのように嬉しくて、あどけなく笑った。それをみて、「他人事なのに、そんなに嬉しいか?」と、茶屋は眉を下げて照れくさそう下げると優しく微笑んだ。
私は少し気恥ずかしくなりながらも、言葉を紡いだ。
『最近、なんとなくですが、父が商人をやっている理由がわかってきたんです。人と人とが繋がって物が届いてゆく物流の良さに。
私は、ひとりひとりが物に抱く価値を特別だと思っているんです。ーーだから、できるだけ、喜びを共有したいんですよ』
今まで胸に秘めていた言葉を、やっと誰かに言えた気がした。
江戸の街はいつも騒がしい。絶え間なく人が行き交い、時には見知らぬ誰かの怒号が響くこともある。油断すれば足元を掬われるような、そんな穏やかではない空気感がこの街には常に漂っている。ここへやってきたばかりの頃、不安だった私をずっと気にかけてくれたのは、向かいの茶屋の店主だった。
ーーそんな彼だったから言えたのかもしれないと思うと、少しだけ顔が熱い。
「ーーったく、オメェさんはいってえ幾つだよ!立派に商人らしくなっちまって!!賢い、賢いぞ!そして偉い!!旦那の背中見て、今よりもっと立派になれよ」
茶屋の店主は私の前に、無骨な拳を差し出す。私は笑って、その拳に自分の拳を軽く合わせた。
「今度店に来た時は、特別な甘味をご馳走してやっからさ」
月に照らされた逆光の中、振り返った彼の笑みはひどく優しく思えた。