五年は組の商人(前日譚)   作:ジェーンドェは彼方

7 / 10
7話

 あれから、二日が経った。

 夕方、父に頼まれていた商品の箱詰めを終え、指定された地への配送手続きを済ませる。

 ーーしかし、伝票を書き写す手が不意に止まった。宛先のほとんどが、西の国々へ集中している。これまで扱ってきた商圏とは明らかに異なる不自然な偏りに、私は胸の内に募る予感を拭いきれなくなった。

 

 (夜逃げ……)

 

 かつて、父から突然の移動を余儀なくされるたび、私は何も聞かされずただ黙って従ってきた。しかし、その理由…背景を知ってからは、これは私たちが生存を勝ち取るための最善だと、受け入れざる終えなかった。

 ーー商人潰しだ。江戸へ来る前、父が話してくれた。第三勢力の影は迫りつつあって、それは刻々と規模は拡大しており、嫌でも噂は耳に入る。

 品を売るだけではなく、情報を売ることもある商人は嫌われやすい。おまけに父は長い年月、商人一筋でやってきているからこそ、信頼故に殆ど情報に信憑生が高くつく。

 そこまで考えてから私はふと、最悪を考えた。ーーもし、今晩ここ立つことになったら。私は……。もう二度とあいつに会えなくなる。寺子屋は休みで、あいつは私の家を知らないし、私も、あいつの家を知らない。明日になれば、また会える。そう信じて疑わず、寺子屋で肩を並べて学び、日が暮れるまで川辺で遊んで、未知の山中をどこまでも探検した。

 移動を繰り返す暮らしの中で、私が常に抱えていた「いつか来る別れへの怯え」を、あいつと一緒にいる時だけは忘れられた。

 知らない世界を、遊びの楽しさを、誰かと繋がる喜びを、あいつは私の真っ白な日常に刻み込んでくれたのだ。

 この町で唯一、私が心から友達だと思っていた。

 ーーひどく、心臓が焼けるように悔しい。

 けれど、これが私の家なのだ。藤ノ木屋という商人が、生き残るために選んできた術だ。どれほど慣れ親しんだ場所でも、どれほど惜しい縁であっても。いつか、自分という「危険」を断ち切っていかなければならない。ーー私も父のように。母を置いて海を渡ったように。

 守りたいと思う相手ほど、幸せを願う相手ほど、側に置いておくことはできないのだ。書き連なった帳簿を優しく閉じた。

 江戸の下町に営む藤ノ木屋の若旦那として、私は、最期の仕事を終えた。

 

 江戸の下町に店を構える、謎大きな商人がいた。

 ーーその商店の名は、藤ノ木屋。しかし、その商店は一晩にして忽然と姿を消し、動揺の声は瞬く間に広がった。近所の人々、寺子屋で肩を並べたあの子、いつも気にかけてくれていたあの人。

 誰もが彼らの行方を知らず、困惑の中で取り残されていた。だが、その噂を掻き消す様に、凶報の数々により江戸の下町は混沌の嵐に変わった。

 ある者は行方不明になり。

 ある者は店が火に包まれたり、

 ある者は、変わり果てた姿で項垂れていたり。

 その被害者の大半がーーいや、その殆どが商人であった。

 我々は江戸に振る死の鉄槌に逃れたということだ。それでも、住めば都なんて言えた土地を捨てたことに変わりはない。逃れたと言っても、一時的なものだ(私自身がその知らせを聞いたのは何月も後のだったが、以前も同じようなことがあったため、あまり気に留めていないというのが事実だ)。

 それに、こんなこと分かっていても止めようがない。私たち商人は命と犠牲を天秤にかけて生きている。突然、払うのは犠牲だ。

 

 ーー恋文、もうすぐ降りるぞ。と父の呼びかけでハッと目を覚ます。

 私たち藤ノ木屋は、江戸を立ち退いてすぐ、一晩かけて山道を歩き、朝一番に国境まで行くという飛脚と合流をし、交代で荷物の見張や馬引きを行った。

 道中、疲労が限界に達していた私は、馬引き役の主人によるご厚意に甘えて荷台で仮眠をとらせてもらったのだが……「仮眠」の範疇を大幅に超えて眠りこけてしまった。ーークソ。悔しい。こんなところを師匠に見られたら絶対に笑われるじゃないか。

 ーーおやおや〜?隙だらけですなァ。恋文くんは隙だらけで、気づかないうちにやられてしまいそうだ!先生心配になっちゃうなァ。

 などと言って、口元を手で隠し、あの吊り目を細めてニヤニヤと私を煽り立ててくるに違いない。思い出すだけで腹立たしい。私の平穏な日々にあの男が割り込んできてからというもの、己の情けなさを自覚するたびに、あのムカつく笑顔が脳裏をよぎるようになった。

 今までは失敗をしても、「気をつけなさい」と父から仏頂面で言われるだけで、ここまで滅入ることなどなかったのに。

 

「……どうした顰めっ面をして」

 

 父は困ったよう言って私を見やる。相変わらず眉間に皺を寄せているが、陽の光が眩しいのだろうか、いつもに増して目が細い……父なりの心配なのだろうけれど…貴方ほどじゃありませんよ。

 

『…なんでもない』

 

 反射的に素っ気なく返してしまったが、もうこれ以上アレを考えたくないんだ!放っておいてくれーー

 (この時、素っ気なく返したことをきっかけに、この時の父の色眼鏡には「反抗期」の三文字が写っていたことを、私は知る由もなかった)

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告