【完結】 『大切な人を救うために死に戻る能力』 作:破れ綴じ
あれこれヤンデレかな。
もしかしたらヤンデレじゃないかもしれないな。
ヤンデレっていうのやめときますね(予防線)
──ピピッ
……うーん。
「……兄さん、何度だった?」
「38.4度だ」
「そっかぁ……」
……中々下がらないな。
朝が38.6度。そこから2時間おきに測って、これで5回目。上がってもいないが……下がってもいない。上がり続けていない以上悪くなってはいないが、まだ山の途中だとも考えられる温度だ。
まあ、風邪の熱は出始めてから2日目くらいまでが一番高い。今日が1日目なら、横ばいなのは予定通りだ。
下がり始めるのは早くても明日の夜、普通なら明後日か。
問題は解熱剤を使うかどうかだ。
熱そのものは体がウイルスを押さえるために上げている。無理に下げたところで治りが早くなる訳じゃない。使うべきなのは、つらくて眠れない時と水分が摂れなくなった時。
アラタは話せるし、水も飲める。朝は真っ赤だった顔も、今は少し落ち着いている。
ならあとは痛みだな。
「アラタ。頭は痛いか?」
「……ちょっとだけ」
「10段階で言うと、いくつだ」
「……3、くらい」
3か。
母さんが偏頭痛の時に言う「3」よりは、顔色も声もずっと柔らかかった。すぐに言わずに少し考えてから数字を出した……ということは、実際にもそのぐらいの痛みなんだろう。少なくとも痛みで思考がまとまらないというレベルではない。
なら、眠れないほどじゃないか。今は使わずに、5時半の検温で上がっていたらその時に飲ませることにしよう。
夜の分も考えておかないといけないな。寝る前に飲ませておけば、夜中に熱で目を覚ます回数を減らせる。
効き目は4時間から6時間だし……10時に飲めば、夜中の2時から4時までは持つ。
よし。
次の検温までは様子見で。
「……ごめんね、兄さん」
「何も謝ることじゃない。季節の変わり目だし、よくあることだ」
「そうじゃなくて……決まり、破っちゃったから……」
……またか。
今日だけでもう3回目だぞ。少し気にしすぎだ。
確かに、我が家には母さんを守るための決まりがいくつもある。
1. 母さんを極力一人にしない。
2. 母さんのためでないなら母さんに嘘はつかない。
3. 母さんのためでないなら母さんに隠し事はしない。
4. 母さんの目の前で母さんが悲しむようなことはしない。
5. 母さんより先に死んではいけない。
他にも色々……病気についての取り決めだって当然ある。
それを考えればこうして病気にかかることもあまり望ましい状況とは言えない。
だが、今の状況はそのどれにも違反していない。
家には僕がいるし、母さんは一人じゃない。感染対策はばっちりだし、この部屋に出入りしているのも僕だけ。母さんも、自分の体が一番弱いと分かってくれているから、今回だって一番に協力してくれている。
僕が怪我で入院していた時はアラタが母さんを守る役目を完遂してくれたんだ。それならアラタが辛い時は僕がそれを支えるのが当然というものだろう。
というか、最近の僕はかなりの頻度で外出しているからな。アラタ任せにすることが多くなった分、もっと僕に色々言っていいと思うんだが。
「破っていない。熱を出したのはアラタのせいじゃないし、治れば母さんの心配も消える」
「でも……『息子二人が動けなくなる状況を作ってはいけない』って……」
「大丈夫だ。アラタが動けない以上、僕が同じ状態になることは無い。信頼してくれ」
「……そうだね。兄さんは、規則を守ってくれるから……」
病気の時に守るべきルール。
二人が病気や怪我で行動不能になるなどして、母さんの手を煩わせてはいけない。
母さんを見守る手段を失ってはいけない。緊急時に母さんを守れないようでは駄目。
そして、僕は絶対にこのルールを破らない。
だから、アラタが病気で苦しんでいる間、僕は何があっても病気にはならない。
アラタはただ安心して、病気を治すことだけを考えていればいい。
とりあえず、感染力の強いインフルエンザじゃなかったのはひとまず安心だ。
検査キットは熱が出てから12時間以上経たないとウイルスの量が足りずに陰性と出てしまう。だがアラタ曰く寒気がし始めたのは夜中の2時頃とのこと。
だから、昼の2時以降に調べた結果が陰性だった以上、信用していいだろう。
しかし、そうなると気になるのは原因だな。
春休みだから、学校で誰かにうつされた訳じゃない。外に出たのも、入学の準備で何度か買い物に行ったくらいだ。やはり空気の乾燥と寒暖差が原因だろうか。
まあ、アラタがわざわざ病気にかかるような真似をしないだろうし、ただの偶然なんだろうが。
再発防止の目途は立たなさそうだ。
「……兄さん。ふふ、それ」
「ん?」
「完全装備だね。なんだか、面白いや」
「当然だ。ここで僕までうつったら、さっきの話が全部嘘になるからな」
というか、これでもまだ足りないくらいだ。
風邪のウイルスは、咳やくしゃみの飛沫と、それが付いた物を触った手から入ってくる。マスクで口と鼻を塞いでいても、その手で目をこすれば意味が無い。
だから、この部屋の物に触った手は、部屋を出る前に必ず洗う。
マスクを外す時は紐だけを持つ。
アラタのタオルも食器も、洗う時は僕達の物と分けて、一番最後に回す。
換気は1時間に1回、5分。それ以上開けると部屋が冷えすぎて、アラタの体に障る。
自分の体温も測ってはいるが、風邪の潜伏期間は1日から3日。
今日が平熱でもうつっていないという保証にはならない。明後日までは気を抜けないな。
「……兄さん」
「どうした」
「……手」
「手?」
……ああ、握っていてほしいのか。
さっき洗ってから、この部屋の物は体温計と布団にしか触っていない。どうせ部屋を出る時にはまた洗うんだし、問題は無いな。
……今思うと、母さんを看病した経験があるからかもしれないが、やっぱりアラタは母さんに似ているな。特にこうして、弱った時に誰かの手を握りたがるところとかそっくりだ。
僕はそこまで母さんよりの顔つきじゃないんだよな。羨ましい。
「ほら」
「……兄さんの手、冷たくて気持ちいいよ」
「アラタの手が熱いんだ。38度もあれば相手の手は冷たく感じる。せっかくだし何か食べるか?」
「そうだなぁ……ゼリー食べたい。ある?」
「勿論」
「じゃ……あーん」
……別に片手で食べられないことも無いだろうに。
いやまあ、もう片手を僕に握られた状態で、器を抑えることもできず、震える手でスプーンを握れというのも酷な話か。
せっかくの看病中に、「一人でできるだろうから一人でやってくれ」と突き放すのも兄として褒められた態度ではない。
普段あまり見ないアラタのお願いだからちょっと戸惑ってしまったが、病気の時は心細くなるのが人間というものだろう。それがスプーン一杯のゼリーで和らぐならむしろいくらでもやってやるべきだ。
量はスプーンに半分。
朝から喉も痛いと言っていたし、一度に多く入れると飲み込むのが辛いだろう。
ほら。
「ん……おいしい」
「そうか。それならよかった」
「……兄さんに看病してもらえて、嬉しいよ」
「『お父さんがいる』って、こんな気持ちなのかな」
……。
……お父さん、か。
「瀬尾家にはお父さんがいないでしょ? だから」
「まあ、僕は父親代わりだからな」
「……お父さんって呼んで欲しい?」
「兄さんと呼んでもらえないのも案外寂しいぞ」
父親代わりになると言い出したのは僕だ。
とはいえ、具体的に何をすれば父親なのかは、正直よく分かっていない。この家には、何故か手本にできる「父親という存在」がいなかったからな。何故か。
母さんを支え、アラタを導き、家計を支える……ことはまだできないが。少なくとも家に入れられる金は今後もっと増えるだろう。
ただ、それで父親と呼んでいいのか。客観的に教えられたことはなかった。
だが、アラタにそう見えたなら……少なくとも、間違った方へは進んでいないんだろう。
ふと、アラタがそう思う程度には、父親の責務を果たせていると。なら十分だ。
さて、ゼリーも食べ終わったし、そろそろ補水液のおかわりを作って来るか。
アラタも眠そうにしているし、次の検温まではあと1時間半弱ある。
「どこ行くの……兄さん」
「下だ。補水液を作ってくる」
「……寂しいよ。すぐ戻ってきてね」
「20分で戻る」
「……ん」
……。
……15分で戻るか。
*
「あっマコト。アラタはどうだった? ご飯食べられそう?」
「……母さん。僕がするのに」
「いいじゃない。雑炊ぐらいは作らせてよ」
「母さんがそう言うなら……」
出汁の匂いがするから何かと思ったら……優しい母さんが雑炊を作ってくれていたのか。
まあ、この人は「何もしないでいてください」って言って素直に「じゃあ待ってるね」って言ってくれるような人じゃない。子供が風邪をひいたら心配なのが親心というものだし、体力もついてきたから何かできることを手伝おうとしてくるだろうことも想定できた。子を思う母の気持ちに何故だか涙が出てきそうだ。
アラタの空腹の具合については何も問題無いだろう。
さっきゼリーを食べきって眠そうにしていたアラタだが……。
1. 「母の手料理を前にすると覚醒する」
2. 「母の手料理を前にすると空腹になる」
3. 「母の手料理を食べると美味しく感じる」
4. 「母の手料理を食べると健康的になる」
5. 「母の手料理を食べると元気が湧いてくる」
……といったスキルを、僕達は当然のものとして身に着けている。どこの家庭でも共通の一般常識だな。
母さんは夕食の時間に合わせて完成させるつもりなのだろうが、今すぐ持っていってもアラタはペロリと完食してしまうだろう。
……待てよ? ということは、アラタは母さんの雑炊を食べられるということか。
いいなぁ。
「それで、アラタのお腹の調子は?」
「僕が作っても『お腹いっぱいだから無理』と言うだろうが、母さんの雑炊なら問題無く食べられると思う」
「そう、良かっ……ん?」
母さんの手を煩わせることはしない。普段の決まりの通りなら、ここは僕が代わるべきことだ。
だが、元はと言えばこのルールは僕とアラタが勝手に作ったもの。母さん自身が「何かしてあげたい」という気持ちを邪魔するために存在しているルールではない。
母さんが自分でやると決めたことを僕達の決まりを理由に取り上げるのは、守っているんじゃなくてただの押し付けだ。
それに、優しい母さんがアラタのためを想ってする行いを、例えそれがどんなことであれ「煩わしい」と思うことは無いだろう。
そう考えれば、「僕達のせいで母さんの手を煩わせてはいけない」というルールは、実質それを煩わしく思わない母さんのおかげで形骸化してしまっているとも言える。
結局やることは変わらない。母さんの意思を尊重し、母さんの愛をいつも通り受け止めるだけ。
今日も瀬尾家は母さんの優しさで回っている。
「じゃあ、アラタの病状はどう?」
「会話もできるし、意識もしっかりしている。熱も上がる気配を見せないし、すぐに治ると思う」
「良かったぁ~……」
「じゃあ僕も補水液を作るから」
「おねがーい」
任された。母さんから任された。
世界一の経口補水液を作ってやろうという気概が湧いてくる。
手は部屋を出る前に洗ったし、台所に入る前にもう一度洗った。マスクも替えてある。
母さんとは調理台を挟んで反対側。これだけ離れていれば問題は無い。
水1リットルに、砂糖40グラム、塩3グラム。
塩は多すぎるとかえって喉が渇くし、少なすぎると水を飲んでも体に留まらない。こういうものは目分量で済ませず、アラタのことを考えて正確に……。
「でも、こうするのも久しぶり。二人とも全然病気になんてかからなかったでしょ?」
「かからないように注意しているから」
「ほら、覚えてる? 小さい頃、二人とも同時に流行り風邪にかかっちゃったとき」
「覚えてるよ。あの時は大変だった」
「大変だったね~」
ああ、当然覚えている。
あの時の母さんは本当に大変そうだった。僕達ではなく、母さんが。
風邪を引いた僕達のせいであそこまで母さんを苦しめたんだ。忘れる訳がない。
あれがあったから、二人とも病気にかからないようにしようと、取り決めに非常事態用の項目を追加したくらいだ。
僕もアラタも意識が不明瞭で、薬も中々効かなくて、脂汗もずっと止まらなくて。
当時、家にはもう一人大人がいたはずなんだがな。「うつりたくねえ」とか言って早々にどっかに飛んでった大人が一応いたはずなんだが。
「あの時はごめんね。お母さん、二人に怖い思いさせちゃった」
「母さんが謝ることじゃない。あの時、母さんは一人で二人分やっていたんだ」
「マコト……」
「むしろ母さんはあのことを一生誇り、僕達はその恩を一生かけて返さなければならない」
「いやそれはちょっと大袈裟では」
きっと当時の母さんも風邪にかかっていたのだろう。時折、咳をしていた。
にもかかわらず、僕とアラタを病院に連れて行き、昼夜問わず二人の寝床を行き来して。二人分の看病を、自分も熱っぽいのに、CKDであまり無茶ができない状態で一睡もせず続けてくれた。
あの時の母さんの心配そうな表情と、その時の顔色は、今でも忘れていない。
だからそれ以降、僕とアラタは「二人が行動不能になる事態を作ってはいけない」と心に誓ったんだ。
「……でもね、マコト」
「何かな」
「今のマコトは、何でも自分がやる、任せてくれ、当然だって言うでしょ」
「……うん」
「それってちょっと心配だけど……でも、すごく頼り甲斐があるの」
えっなんだ。
急に褒められた。
頼り甲斐が?
て、照れるぞ。
どうして急に。
すごい嬉しい。
あっ手元がっ。
あっ塩入れ過ぎた!
「……そ、そうかな。そうかな……?」
「そうそう。だからね、今のマコトは……」
「なんだか、『本物のお父さん』みたいだなって」
……砂糖も入れ過ぎた。
……これはもう自分で飲もう。
「ほら、マコト、父親代わりになるって言ってたでしょ?」
「う、うん」
「それで、今のマコトは、十分父親代わりやれてるよって」
……。
……か、感激だ。一瞬泣きそうになった。この年で。
そんな……アラタに続いて母さんまで「父親代わり」を認めてくれるだなんて。
いや、多分二人とも初めから否定するつもりは無かったんだろうけど。
でも、それを口にしてくれたのは……今日が、初めてかもしれない……。
去年に宣言してからもう半年。これで合格かどうか誰にも分からないまま、毎日一人で答案を書き続けてきたような気分でもあったのに……それが今日、採点者本人から合格を言い渡された。しかも口頭で。
大学の合格発表の時より嬉しいかもしれない。いや、間違いなく嬉しい。あれは努力すれば誰でも届く合格だが、こっちは世界で母さんにしか出せない合格だ。
今日は瀬尾家の記念日にするべきではないか?
アラタにも伝えなくては。一回では足りないな。最低でも10回は。ふふふふふ……。
まあそう言われて嬉しいからアラタが風邪をひいて良かったとは思わないが。
ウイルスのくせにアラタを苦しめていること、まだ僕は許してないからな。
「まあ? それでも? ちょっと過保護なのは玉に瑕だけど?」
「そうだろうか。母さんを脅かす敵を滅するのは当然のことだと思うが」
「ほら過保護~。なんか二人で私専用のルールも作ってるでしょ。お見通しだからね?」
「そうなんだ。実は最近、ルールブックが5冊目に到達して」
「………………か、過保護~」
そうか、過保護か。
言われてみれば、否定はできない。
部屋に入らせない、看病をさせない、食事だって僕が作るから……母さんから見れば、息子二人に囲まれて何もさせてもらえないようなものだ。
だが、CKDが治ったからといって、母さんの生まれつき弱い体が強くなった訳じゃない。無理をすれば、倒れるかも……それは母さん自身も分かっているはず。
だから、瀬尾家にはこれぐらいがちょうどいい。
僕達が過保護なのだって、何かが起こってからでは遅いという意識があるからこそ。今これで瀬尾家が順調に回っているなら、周りにいくら過保護と言われようと……まあ母さん直々に拒否された時は別だが。そうでもない限り、変わらず今の暮らしを続けていくつもりだ。
「こ、こほん! とにかく!」
「咳か?」
「違いますー!」
そうか。咳じゃなくて咳払いか。
良かった。
……こういうところが過保護だって言われているんだろうな。
「私は去年マコトが、父親代わりになるって言ってくれて、嬉しかったんだよ」
「うん」
「今日だって、アラタのこともお母さんのことも、全部考えてくれて」
「ああ」
「今のマコトは、本当に頼れる『自慢のお父さん』だから。それを言いたくて、ね?」
「……っ」
……っ、駄目だ。
これは駄目だ。
自慢。
自慢のお父さんと、そう言ってくれたのか、今。
……お、落ち着け、瀬尾マコト。
今ここで泣いたら、補水液に涙が入る。塩分濃度が狂ってしまう。
「将来のマコトのお嫁さんは幸せ者だね。羨まし~」
「……泣いていいか」
「へ?」
「泣く」
「ちょっ……わ、わわ、目から経口補水液が! な、泣かないで~!」
*
「──という訳でな、僕は母さんに認められて……」
「兄さん。その話、何回目かな」
「14回目だが?」
なんだその言い方は。
暇だから一緒に話でもしようと言い出したのはアラタじゃないか。
瀬尾家の人間であれば雑談の内容は母さんについてのものに限定されるべきだし、何回聞いても飽きることは無いはずだ。
アラタが寝るまで話し続けても良かったんだが。
「羨ましいんだよ。僕だって、母さんに褒められたいのに」
「ああ、そういうことか。アラタだって母さんの雑炊を食べたじゃないか」
「そういえばそうだね。美味しかった。すごく美味しかったよ」
「ぐぬぬ」
いや、確かに、どちらかといえば狡いのは僕の方なんだ。
あの夜の作戦を考えたのは初めからアラタだった。カツラを使って初めから、身代わり作戦の土台を作ったのもアラタだし、外であの男の囮になったのもアラタ。僕は最後の美味しいところだけ奪って、母さんの前で父親代わり宣言をしただけだ。それで母さんにお褒めの言葉を貰っているのだから文句を言える立場ではない。
だけど、雑炊を食べている時のアラタの嬉しそうな表情と言ったら。
感染的な意味もあるんだろうが、遂に一口も貰えないまま終了した。
疲れている母さんにもう一食分作ってくれと頼む訳にもいかないし……そもそも息子が母親に食事を強請るなんてあってはいけない。
そんなことをした暁には、僕は自戒の念を込めて自分の舌を切り落とすだろう。母親なら息子に食事を作って当たり前……少なくとも僕は、そんな人間に今後食事を楽しむ権利は存在しないと思っている。
まあそれなら弟から強請るのもそこそこNGなんだが。
今から舌切ろうかな。
──ピピッ
「おっと。失礼するぞ」
「んふふ、くすぐったい」
「我慢してくれ……37.2度だ」
「下がったね」
「ああ。母さんの雑炊のおかげだな」
「うん。今すぐにでも走り回れそうなくらい元気だよ」
流石母さんの手料理。
やはり瀬尾家の人間は母さんの手料理を食べると元気になる。
解熱剤はまだ飲ませていない。つまりこの1.2度は、母さんの雑炊が下げた分だ。
食べて、寝て、水分を摂る。風邪を治すのに必要なのは結局それだけだ。その「食べる」を完璧にこなしたのが母さんなんだから、雑炊のおかげなのは間違いない。
それはそれとして僕が作った雑炊ならここまでは下がらなかっただろう。
下がっても0.4度ぐらいか。
「でも……ふふ、そっか。お母さんも、兄さんのこと、お父さんだって思ってるんだ」
「何だ? 母さんと考えていることが一致して嬉しかったか?」
「うん………………まあ、お嫁さんなんてものは要らないんだけどね」
……要らない?
思春期かな。
しかし、アラタが僕に父性を感じ取ったのも案外必然だったのかもしれない。
母さんは僕達をここまで育て上げてくれたが、自分のことを蔑ろにすることが多かった。自分の身をそこまで顧みなかったり、嫌われ役を買ってでも問題を解決しようとしたり……それこそ、僕に「親子なんだから」と言って、わざと自分に不満を集めようとした時もそうだった。
幼いアラタにもその傾向は見られた。僕は自分のことを大事にできているが……あのまま何も知らずに育てば、アラタ自身も自分の身を顧みない性格に育ってしまったことだろう。
それにアラタは、昔のセイラほどとは言わないがそこそこ排他的な性格だ。
あまり友達ができたという話も聞かないし、外で遊んでくる頻度も僕に比べれば遥かに少ない。僕が遊びすぎという見方もできるが。
だから、アラタにさらなる心の教育を施せるのは、僕以外いなかった。
母さんを守る決まりなど含め、今のアラタを形作っているのは……自慢じゃないが、僕なのかもしれない。
「そっか。今日特別に父性を感じただけで、僕のお父さんはずっと兄さんだったんだね」
「嬉しいか悲しいか分からなくなるから、できれば『兄さん』と呼んで欲しいんだが」
「ふふ、兄さん」
「ありがとう」
……そう思うと、下手なことは言えないな。
今もアラタは僕を一つの基準として見ている。
アラタを父親代わりとして導くと決めたのは僕自身だが、例え僕が間違った発言をしたとしても、アラタはそれが正しいかどうかを自力で判断できないかもしれない。
僕も間違ったことを言っているつもりはない。
1. 母親より早く死ぬだなんて、許されることではない。
2. 母親を悲しませる人間なんて、蔑まれて然るべきだ。
3. 母親を泣かせた人間は一生を後悔して生きてほしい。
こういった言葉は、よっぽど特殊な状況でもない限り間違いのない事実だと、胸を張って言える。
だがそれ以外にも、自分の言葉は必要以上にアラタに影響を与える可能性があると、そうはっきり認識すべきだな。
そしてアラタには、カリンのような客観的視点で鋭いツッコミを入れてくれる社交的人間と友達になった方がいいと。そう伝えておかなくては。
まあカリンのことだ。きっとアラタともすぐ仲良くなれるだろう。そのあたりの心配はしていない。
「さあ、次にすることは分かるな?」
「元気があるから母さんのために家事をする?」
「早く寝る、だ。悪化したらどうする」
「冗談だよ。『母さんより早く死んではいけない』、でしょ?」
「分かっているならいいが」
いや良くないな。
たかが風邪でそこまで残酷な未来を想像しないでほしい。
病は気から、とも言うんだ。冗談でも、母さんの目の前で「自分が死ぬ可能性」については言及しないように、と。また明日、アラタが元気になったら言い含めておかなくては。
部屋を出たら、手洗いとマスクの交換。それで今日の看病は終わり。
明日には熱も下がりきるだろうし、最悪長引いたとしても……入学式には間に合う。
僕もあまり長居しすぎない方がいい。ここでアラタから風邪を貰ってしまって、それが悪化して将来的な死因へと繋がってしまい、訳も分からないままセイラの世話になる……そんな結末は御免だ。
大丈夫、アラタは勝手に夜更かししたりしない。寝ろと言えばきちんと寝てくれる。
「じゃあ、また明日。しっかり解熱剤飲むんだぞ」
「分かってるよ」
「……おやすみ、アラタ」
「おやすみ、兄さん……」
何も心配は要らない。
アラタは、僕の言ったことをちゃんと守る子だからな。
*
「……大丈夫だよ、兄さん」
「母さんより先に死んではいけない。母さんが悲しむから」
「母さんを悲しませてはいけない。母さんが泣いてしまうから」
「母さんを泣かせてはいけない。それが一番大事だから」
「安心して。兄さんの思いも、母さんの気持ちも、僕は全部分かってる」
「だからもし、僕か兄さんが死ぬことになったら、その前に……」
「その前にちゃんと──二人で母さんを殺そうね」
感想やご意見をお待ちしていますのでよろしければ……(´・ω・`)
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