【完結】 『大切な人を救うために死に戻る能力』 作:破れ綴じ
ただ素朴な疑問なんですけど(´・ω・`)
参考にしたいだけなんですけど(´・ω・`)
R-15ってどこまで書いていいんですか?
……一つだ。
何度数えても一つだ。
扉を開けた正面にある、白いシーツの、やけに大きなベッド。
枕は二つ並んでいるのに、ベッドは一つしかない。いわゆるダブルベッドというやつだろう。知識としては知っていたが、実物をこうして目の前にするのは初めてだ。
一旦落ち着こう。
まずは状況の整理から始めていくべきだ。
ここは韓国、ソウル市内のホテルの一室。
GW旅行として朝一番の便で日本を発ち、1日中ミオに連れられてソウルを歩き回って、夕食を済ませて、ようやくチェックインした。荷物を置いて、明日に備えて休むだけのはずだった。
予約をしてくれたのはミオだ。「ウチに任せて♡」と言うから、僕は宿のことには一切口を出していない。金額については、後で僕も払うから一時的に立て替えてくれと。
結果、部屋は一つで、ベッドも一つ。
「えっと……ミオ。これは……」
「……こ、こここ、こっ、これは……」
「いや、事情があるなら無理に説明しないでいいから」
「その……ありがと、マコっち……」
そして当のミオは顔を真っ赤にして、キャリーケースの持ち手を握りしめたまま、完全に硬直してしまっている。
これは、つまり……。
──「……部屋が同じでも?」
──「構わない。一度できたことが、君にできない理由がない」
──「…………ベッドが同じでも?」
──「寝苦しそうだが良いだろう。耐える覚悟はできている」
……手違い。
予約ミス……と、いうことだろう。
合格祝いの日、ミオは僕に「部屋が同じでも?」「ベッドが同じでも?」と聞いてきた。
だが、本当にこんな状況になるとは思っていなかったはずだ。
あれは僕が即答できるかどうかを確かめていただけで、もし彼女本人が意図してこの状況を仕組んだのならここまで顔を真っ赤にして狼狽えているはずがない。
セイラと僕が二人きりだったことに怒っておいて、自分自身も同じ状況に飛び込むだなんて……単純に矛盾している。
つまりこれは、純粋な手違いだ。
海外のホテルの予約サイトは部屋の種類が細かく分かれていると聞く。ツインとダブルの表記を見落とすくらい、誰にでも起こり得ることだ。
部屋から見える夜景の素晴らしさを考慮すれば……ここがかなりいいホテルなのは間違いない。せっかくの思い出作りで選んだホテルの部屋を直前にキャンセルなんてこともできる訳が無い。
ミオもこのことには既に気づいていたのだろう。だが、そんなことを僕に伝えてしまえば、せっかく観光を楽しんでいるこの空気に水を差すことは必至だ。人の顔色を気にしすぎる彼女がその情報を開示できなかったのは必然と言える。
そして、今のこの状況だ。
もう観光を楽しむ楽しまない以前に、今日はもうこの部屋に泊まるしかない。避けられない現実を前に、焦燥とか羞恥とか申し訳なさとかが色々重なって何も言い出せず顔を真っ赤にしている。
僕としてはそれを責める気になれない。ダブルチェックすべきだったのではという思いが無いでもないが、このホテルを選んだのは彼女の「サプライズしたい」という思いもあってのことだろう。それを踏み躙って、「何ミスしているんだ。次からは君の計画を全部事前に開示しろ」だなんて空気の読めない真似をするつもりもない。
「……とりあえず、荷物を置いて、順番にシャワーを浴びよう。いつまでも唖然としている訳にはいかない」
「う、うん……」
……それに、今思い返してみれば。
確かに、不自然なところは色々あったような気がする。
例えば……。
*
例えば、空港だ。
「マコっちすっごいキョロキョロするじゃん」
「いやぁ……普段見ない景色だからな」
今日は僕にとって、人生で初めての海外だった。
パスポートを作ったのだって今年の3月だ。申請書の記入例を三回読み直して、写真のサイズを定規で測って、窓口の職員に「完璧ですね」と言われた時は少し誇らしかった。
母さんの体調を考えれば、数日の外泊ならまだしも、海外まで渡航することはできなかった。母さんを飛行機に乗せる訳にもいかないし、飛行機が無ければ帰れない場所というのも不安が残る。
僕にとって海外とは母さんの体調が回復した今だからこそ、ようやく行ける場所だった。
セイラの死に戻り問題もあったが、彼女自身「……いいよ。それでも助けてくれるんでしょ」と許可を出してくれた。
いざとなれば韓国にあるWPPOの支部を頼れるし、今の僕はセイラと距離が離れているが、いつも通り協力することができる。
だから、今朝の僕は相当緊張していたと思う。
液体物は100ミリリットル以下の容器に入れて、透明な袋にまとめる。モバイルバッテリーは預け荷物に入れない。刃物は爪切りの小さな刃でも引っかかることがある。規則は全て頭に入れてきた。
結果として一度も引っかからなかったが、他の客もこうして全規則を頭に叩き込んでから来ていると思うと……海外旅行というのは大変だと実感できる。
実際、ミオは妙に詳しかった。
「マコっち、入国審査の時はね、帽子とサングラス外すんだよ」
「韓国のエスカレーターって、右に立つんだって。大阪と一緒」
「あとホテルの歯ブラシ、韓国だともう置いてないとこ多いらしいよ。持ってきた?」
一応、全て知っている内容ではあった。
入国審査の注意事項は外務省のページで読んだし、エスカレーターの立ち位置も旅行案内の冒頭に書いてあった。歯ブラシについては、使い捨て備品の無料配布を規制する法律の条文まで確認済みだ。当然、予備も含めて二本持ってきている。
だが、その時点では「知っている」と言うのは野暮だと判断した。
ミオが僕のために調べてきてくれた。その事実の方が、情報そのものより何倍も価値がある。
普段の勉強会では、ミオに教えるのはいつも僕の方だった。それが今日は逆になっている。ミオも「ウチ、マコっちに教えるの初めてかも♡」と得意げにしていたし、ここで「別に教えなくていい」と暗に告げるほど僕も無粋じゃない。
正直に言えば、少し嬉しかったんだ。だから、一つずつ「なるほど」と頷いておいた。
だが、問題はその次だ。
「それとね、海外のホテルって、予約したのと違う部屋が出てくること結構あるんだって」
「ベッドとかもね、思ってたのと違ったりするらしくて~」
「だからさ、もしそうなっても、あんまり怒らないでね?」
そう……言っていた。
確かに、言っていた。
これも、知識としては一応知っていた。
オーバーブッキングで別の部屋や別のホテルに回されることがある、という話は僕も事前に読んでいたから。
だからいつも通り「なるほど」と頷いて、ミオが調べてきた知識の一つだと思って聞き流したんだ。「怒る訳がないだろう。ホテル側の事情なら仕方がない」とまで答えた気がする。
……だが今思えば、あれは。
1. 「予約したのと違う部屋が出てくる」
2. 「ベッドが思ってたのと違う」
3. 「怒らないでね」
これ以上ないほど、今のこの部屋の状況そのものじゃないか。
やはりミオは、空港の時点で既に分かっていたんだ。自分がダブルの部屋を予約してしまったことに。
だが、旅の初日の朝一番にそれを打ち明ける訳にはいかない。言えば、せっかくの旅行が始まる前から気まずくなる。かといって黙ったまま夜を迎えれば、ホテルに着いた瞬間に全部が明らかになってしまう。
だから先に「海外ではよくあること」として話しておいた。部屋を見て僕が驚いても「ほら、言ったじゃん」で済むように。
彼女は、予防線を張っていたんだ。
なんて健気なのだろう。自分の失敗を隠すためならホテルの話題を振ったりはしない。僕の旅行の初日を台無しにしないために、ミオは朝から僕のショックを打ち消す方向で振舞っていたんだ。
そう考えると、今日1日のミオの他の言動にも、急に別の意味が見えてくる。
……特に、そう。
*
確か、明洞のコスメの店だ。
入国を済ませてすぐ、キャリーケースを引いたまま向かったのがあの通りだった。
通りの両側に化粧品の店がずらりと並んでいて、どの店先でも店員が日本語で呼び込みをしている。
棚という棚には「1+1」の札。一つ買えばもう一つ付いてくるという、韓国の店でよく見かける売り方だ。旅行案内で読んだ通りではあったが、壁一面がその札で埋まっているのを見ると、さすがに面食らった。
ミオはといえば、通りに入った瞬間から目の輝きが違っていた。僕の腕を引いて、迷わず一番大きな店に入っていったくらいだ。
「ねね、マコっち! ちょっと手かして♡」
「これどう? あ、待って待って、こっちも! あとこれも嗅いで!」
「でさ、マコっちはどれが一番好き? ……マコっちが選んで♡」
吹きかけられたのは……確か、ボディミストだった。
花、柑橘、石鹸、甘い果実。ミオは一つ吹きかけるたびに僕の手首に顔を寄せて、自分でも香りを確かめては「ヤバ、いい匂い~」とはしゃいでいた。それが十回は続いて、最終的に僕の両手首は香りの見本市と化していた。正直、途中からどれがどれだか全く分からなかった。
自分の手首で試せばいいのに、と思ったのを覚えている。
一番好きなものを聞かれた時は、最初の石鹸の香りを選んだ。
母さんの使っている柔軟剤に近かったからだ。
そう正直に答えたら、ミオは一瞬ぽかんとしてから頬を膨らませて僕の腕を叩いてきた。
それでも結局、ミオはその石鹸の香りを籠に入れていたが。
「じゃ、じゃあ次! リップ! ね、これとこれ、どっちのウチが好き?」
「血色とかじゃなくて! ウチに似合うかって聞いてるの!」
「……ふーん。普段の色、覚えてるんだ……えへへ♡」
次はリップだった。
ミオは二本のリップを自分の唇の横に並べて、ぐいっと顔を近づけてきた。どちらも血色が良く見えると答えたら怒られたので、左の方がミオの普段の色に近いと答えた。
覚えているも何も、勉強会で毎回顔を合わせているんだ。それくらいは記憶している。
だが、ミオはなぜか耳まで赤くして、嬉しそうに左のリップを籠に入れていた。
その時の僕は、ミオがただ買い物を楽しんでいるだけだと思っていた。
初めての二人旅で、お気に入りの店に連れてきて、はしゃいでいる。自分の好みより僕の意見を聞いてくれたのは、せっかくだから男性の視点も参考にしたかったんだろう……くらいに考えていた。
……だが、今なら分かる。
あれは、この部屋のためだったんだ。
香りというのは、狭い空間ほどこもる。
この部屋も狭すぎるというほどではないが……ミオが何かを身に着けていれば、その香りは一晩中僕の鼻に届くことになるだろう。もしそれが僕の苦手な匂いだったら、それだけで眠れなくなってもおかしくない。
だから「マコっちが選んで」と言ったんだ。今夜その香りを一晩中感じるのは、他でもない僕だから。
僕の手首に顔を寄せていたのも、同じ距離で嗅いだ時の印象を確かめていたんだろう。至近距離で香りがどう感じられるかは、実際に近づいてみないと分からない。
十回も試させたのにも理由がある。
香りというのは、嗅いだ瞬間の印象と、長く嗅ぎ続けた時の印象が違う。
最初は良い香りでも何時間も鼻の前にあれば気になってくることがあるし、逆に最初は控えめでも、時間が経つほど馴染んでいく香りもある。
今夜は一晩だ。少なくとも7時間。ミオはその7時間を想定して、僕がどの香りなら最後まで耐えられるかを一つずつ検証していたんだ。
僕は「母さんの柔軟剤に近い」と言った。
つまりミオがあのボディミストをつければ、この部屋は母さんの洗濯物と似た香りになる。
異国の地で、慣れない部屋で、同じベッドに他人がいる。そんな状況で眠れるかどうかは、どれだけ安心できるかにかかっている。そして僕にとって一番安心できる香りが何かと言われれば、母さんの香りに決まっている。
ミオはそれを一瞬で理解し、僕が少しでも安心して眠れるように、その香りを選んだ。
リップも同じだ。
同じ部屋に泊まるということは、明日の朝、寝起きの顔を僕に見られるということだ。化粧をする前の顔を人に見せるのは、女性にとっては抵抗のあることだと聞く。
だからせめて、普段と違和感の無い色を選んだ。僕が「普段の色に近い」と言った方を。朝一番に顔を合わせた時、少しでも僕が戸惑わずに済むように。
耳まで赤くしていたのも、寝起きの顔を見られる日のことを考えて、恥ずかしくなったからなんだろう。
……ここまで、気を遣わせていたんだ。
僕は彼女が楽しめさえすればいいと思っていた。僕自身も勉強になることが多かったし、海外旅行とはこういうものなのだろう。
しかし、彼女は本当に楽しめていたのだろうか。頭の奥には常に僕と同じ部屋で眠る事実が行き来していて、十分に楽しめていなかった……そんな可能性もあるということじゃないか。
そうだ。
確かあの時も、ミオの様子は少し妙だった。
*
あれは、夕食の焼肉の店だ。
明洞から少し歩いた路地にある店で、ミオが「ここ絶対行きたかったの!」と言っていた場所だった。
席に着くと、店員が分厚い豚肉を鉄板に並べて、焼けたそばからハサミで一口大に切っていく。肉を切るのにハサミを使うのは韓国では当たり前なのだと、旅行案内で読んではいた。だが実際に目の前でやられると、合理性に感心してしまう。包丁とまな板を持ってくるより、よほど衛生的で早い。
焼けた肉をサンチュで包んで、味噌と一緒に頬張る。想像以上に美味しかったのを覚えている。
ただ、ミオの様子はこのあたりから少し変わっていた。
1日中はしゃぎ通しだったはずなのに、席に着いてからは肉を包む手がやけにゆっくりで。口数そのものは多かったが、話題がやけに偏っていたような気がする。
「ねえ、マコっちって寝相いい方? いびきとかはかく?」
「寝る時ってさ、何着てんの? パジャマ派? Tシャツ派?」
「抱き枕って……その、ど、どう思う?」
全部、正直に答えた。
寝相は良い方だと思う。いびきはかかないと、アラタのお墨付きがある。
寝間着は母さんが選んでくれたパジャマで、季節ごとに三着を回している。
抱き枕はあると嬉しい。無くても眠れるが、抱き心地の良いものを嫌う人間は少ないだろう。
その時の僕は、修学旅行の夜の雑談と同じだと思っていた。旅先の夜というのは、普段しない話をしたくなるものだろう。
ミオは一つ答えるたびに「へ、へえ~……」と相槌を打って、なぜか烏龍茶を一気に飲み干していたが。
「……ね、せっかくだしさ。ちょっとだけ、飲んでみない?」
「マッコリ。韓国だと、もう飲めるんだって」
「一応、ウチもマコっちも……こっちだと19歳と同じ扱いだし」
これには、少し驚いた。
だが、ミオの言う通りだ。
韓国の青少年保護法では満19歳未満が青少年にあたるが、その年に19歳になる者は1月1日から除外される。僕もミオも今年の4月以降に19歳になるから、韓国ではもう酒を飲める扱いだ。日本の法律も、罰則の対象は本人ではなく親権者や販売者で、国外での飲酒にまでは及ばない。
つまり、何の問題も無い。
問題が無いなら、楽しまない理由も無い。旅先でしかできない経験だ。
ミオが飲みたいと言うなら、僕は普通にゴーサインを出していただろう。
ただ、僕自身は頼む気になれなかった。
初めての一杯は、母さんと飲むと決めているからだ。
二十歳の誕生日、母さんと食卓を挟んで、母さんの手料理を肴に乾杯する。そのために、グラスまで心の中で選んである。僕の人生最初の酒の席に、母さん以外の人がいてはいけないんだ。こればかりは、法律の問題ではなく僕の誓いの問題だ。
だからミオには「君は存分に楽しんでくれ」と伝えて、僕はシッケという米の甘い飲み物を頼んだ。
「……マコっちが飲まないなら、ウチもいいや」
そう言って、ミオも結局シッケを頼んでいた。
それから店を出るまで、ミオはずっとシッケのグラスを両手で包んだまま、ちびちびと飲んでいた。
……今思えば。
あの質問も、あのマッコリも、全部この部屋に繋がっている。
寝相、いびき、寝間着。
彼女はもう同じベッドで眠る覚悟を決めていた。あの質問が、もはや冗談ではなく現実のものになると、あの夕食の最中に理解していた。
寝相が悪ければ夜中に当たるし、いびきをかけば相手が眠れない。何を着て寝るかは、気まずさに直結する。
抱き枕についてはよく分からないが。
そして……マッコリ。
酒で気を紛らわせたいほど、ミオはこの部屋のことを考えて気まずくなっていた。肉を包む手が遅くなったのも、烏龍茶を一気に飲み干したのも、夜が近づくにつれて落ち着かなくなっていたからだ。今の彼女の様子を見ていれば、あれが緊張なのだろうとすぐ理解できる。
それでも、ミオは飲まなかった。
僕が素面なのに自分だけ酔っては、夜に迷惑をかけると思ったからだ。
……全部、繋がった。
空港での予防線も、コスメの店での香りもリップも、夕食の質問もマッコリも。
ミオは1日中、この部屋のことを一人で抱えていた。
それでも僕の前ではいつも通り笑って、少しでも楽しめるようにと振る舞っていたんだ。
*
「上がったぞ」
「……う、うん。おかえり」
……やはり、まだ目を合わせてくれない。自分のポーチを抱きしめたままベッドの上で微動だにしない。
当たり前だ。シャワーを一回浴びれば気分もさっぱりして悩みも忘れ、男女一つの部屋、一つのベッドだろうと気兼ねなく床に就ける……そんな訳がない。
今彼女は頭の中でどうすべきかとぐるぐる思考を巡らせているはずだ。
何とか先延ばしにしていたが、もうここまで来てしまった。自分はセイラとのことで僕を叱ったというのに、同じ状況を作り上げてしまったダブルスタンダード。
そして、もし解決できず、僕に「勘違い」されてしまい、二人の関係が壊れることになったら……そういった懸念をどう解決するか、風呂上がりの火照った体で必死に考えている。
……でも寝間着はもうしっかり着てるんだよな。もしかしたら諦めてるのかもしれない。
だが、僕は諦める訳にはいかない。
せっかくの海外旅行だ。その土台を作ったのはミオ、ならミオに「もう心配はしなくていい」と言えるだけの環境を準備するのが僕の役目じゃないのか。
部屋に漂うあの石鹸の香りに少し気が抜けそうになるが……いけないいけない。
「(……だ、大丈夫。勇気出せ勇気……覚悟は決めてたはず。ウチに主導権がある間はぐいぐい行って、後はマコっちの思うがままって流れで……)」
油断するな瀬尾マコト。今のミオを見るんだ。
ほら全然普段通りじゃないだろう。問題は深刻だ。
これは母さんの柔軟剤の香りではないんだ、しっかりしろ。
そう考えたらやっぱり全然違う匂いに感じてきたな。やはり母さんには及ばないか……。
1. 床で寝る。
広さだけなら問題無い。
ベッドの横にも窓際にも、人一人が横になれるくらいの余裕はある。
だが、予備の布団も毛布も見当たらない。この薄いカーペットの上に何も敷かずに一晩寝れば、朝には背中も腰も悲鳴を上げているだろう。
それに、すぐ横の床で僕が転がっていたら、ミオは一晩中それを気にして眠れないだろうな。気を遣わせないための選択が、かえって一番気を遣わせることになる。床は却下だ。
2. ソファで寝る。
窓際の二人掛けのソファ。夜景を眺めるには丁度いい大きさだが……僕が横になれば、膝から下が肘掛けの外にはみ出す。足を折り曲げれば収まらなくもないが、一晩その姿勢でいれば、明日の朝は膝が伸びなくなっているかもしれない。
明日もミオは何か計画を立ててくれているはずだ。僕が体を痛めてふらついていては、それこそ台無しになる。
……座ったまま眠るのは受験期に何度かやったことがあるが、あれは机に突っ伏せたからできたことだ。ソファも却下。
3. 浴槽で寝る。
シャワーしか使っていないから、実際に浴槽に入った訳ではないが……一応、足を曲げれば体は収まりそうだ。
外からバリケードでも作れば、一応浴室とホテルの部屋で二分できる。ミオとしてもより安心できる設計ではあるだろう。
……だが、これは言われるまでもなく却下だな。
陶器の浴槽は、夜の間にどんどん体温を奪っていく。体を冷やして風邪を引けば、帰国後に母さんにうつしかねない。瀬尾家の決まりに真っ向から反する。論外だ。
4. フロントで部屋を替えてもらう。
GWの真っ只中だ。空き部屋が残っている可能性は低い。それに僕は韓国語を少ししか話せない。
だが、可能性がゼロという訳でもない。キャンセルが一部屋でも出ていれば話は別だ。言葉は翻訳アプリでどうにかなる。身振り手振りでも、誠意があれば伝わるだろう。
金自体も、この旅行に備えてかなり余裕をもって準備してある。WPPOの給料が想像以上に良かったことに今は感謝だ。
何より、ミオにこれ以上気まずい思いをさせない方法は、これしか残っていない。
……よし。
「ミオ。少しフロントに行ってくる。君はここで休んでいてくれ」
「えっ」
「空き部屋を探してもらう。そうすれば君も安心して……って」
……あ、あれ。
どうして袖を掴む。そんなに赤い顔をして。
何だ。何か言い忘れていたことでもあったか。
寝間着姿の君は中々刺激的だからあまり長居したくないんだが……用事は何だ? 力もほとんど入ってないし、このままでは簡単に振りほどけてしまうぞ?
「……ぁ……っ……」
「……ミオ?」
「……べ、別に……」
「……べ、別に、そんなこと、しなくていい」
「……しなくていい、とは」
「だ、だから……! その……っ……一緒の、部屋でも……って」
「その場合、僕と同じベッドで眠ることになるが」
「ぃ、いいよ。べっ、別に、マコっちは、何もできないもんね……っ」
……一緒の部屋でも。
つまり、部屋を替えなくていいと。
この部屋で、このベッドで、二人で寝ればいいと。
ミオは……それでいいと言っているのか?
どうしてだ。
ついさっきまで、あれだけ黙り込んでいたじゃないか。手違いに気づいてから、1日中一人で抱え込んでいたはずだろう。これではただ空気を壊さないために自分の身を犠牲にしているようなものだ。
そもそも僕は三好ルナとの約束があるから手を出すことなんてあり得ないが……そのことをミオには話せないし、今の君から不安を取り除けたことにはなっていないのに。
なのに、どうして、そんな決断を……。
「あ、あのさ、マコっち」
「何だ」
「ウチ、その、こーいうの初めてで。だから、恥ずかしくて、めっちゃテンパってんだけど」
「ああ」
「でも、全部分かってやったから。だから、その……」
「……」
「ヘタレるなら、ウチの方から、してあげる、から……」
……そうか。
そういうことか。
やっとすべてを理解できた。
ミオの気持ちは、そういうことだったんだな。
今のこの状況も、手違いによりこうなってしまったものではなく、初めからこうするつもりだったと。彼女も、初めてだから緊張こそしていたが、やることは分かりきっているから、覚悟は決まっていたと。
そういうことだ。
なら、僕はどうする。
僕としては別にどちらでも構わなかった。この内容だけであれば三好ルナの約束に違反する訳でもないし、多少の不自由こそあれど僕だってこの部屋を利用できるならそれが一番だ。
つまり、僕が判断基準にすべきだったのは「ミオがどう思うか」であり……そのミオが、今こうして「自分からでも構わない」と主導権を主張している以上、これからの行為にネガティブな受け取り方をされることは無いと証明されたことになる。
それなら、何も問題は無い。
いや、初めから問題は何一つ無かった。
ミオは緊張しているが、準備はできていた。
僕が不自由を許容すれば、何も問題はない。
「(大丈夫、大丈夫、大丈夫……主導権はこっちにある。後は、ちょっと挑発してみたりして、それで……)」
「ミオ」
「ひゃいっ!?」
──寝ている相手の布団に押しかけるのは普通のことなんだろうか。
──もしかすると女子特有のものなのかもしれない。
──もしかしたらこれが普通なのかもしれないな。
「じゃあ、一緒に寝よう。ほら」
「へ………………えぇっ!!?」
そうだそうだ。
よくよく考えれば、女子というのは仲のいい人物の布団に押しかけたり、抱き着いたりするのが普通のことなんだった。ただ、相手が男性なのは初めてで緊張していたというだけ。
抱き枕のことも、きっとこの話だったんだろう。実際、こうして二人でベッドに入っていると否応無しに体が触れ合ってしまう。抱き着いたりでもしなければ落ちてしまうからな。
好きにすればいいさ。僕は君の悩みを解消したかったんだし、君は同じ部屋でも問題無いんだし、既にセイラと経験済みだ。同じベッドで眠るときの作法は弁えている。
唯一不自由なのは、僕が我慢をしなければいけないことだが。
まあ、ここまで信頼してもらっておいて、自分でそれを踏みにじることもないだろう。
すぐ近くにシャワーもあるし、何かあれば頭を冷ましに行けばいい。
「マママママコっち!? な、なんか色々、当たって……!」
「これから3泊、毎晩こうなるからな。もし嫌ならすぐに言うんだぞ?」
「イ、イヤじゃないイヤじゃない! で、でも、その、顔、近……あっ♡」
「後、僕がシャワーに行ったら追いかけないでくれ。少し危ないかもしれないから」
「へ? あ、あのマコっち。そ、それ、って、もしかして……」
「ミオ、僕の指示を守れるよな?」
「はい♡ 言う通りにします♡」
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