「初めからこうすればよかったんだ。逃げ回って時間かけて、バカみたい」
「離せ! 辻セイラ、何をするんだ! 授業中だぞ!」
──引っ張られているだと!
何が起きた。
さっきまで僕は席に座っていた。辻セイラが飛び出して、僕も立ち上がって、廊下に出た。ここまではいつも通りだ。
なのに今、僕は追いかけるどころか手首を掴まれて走らされている。辻セイラに。
……あの辻セイラに!?
初めからって……何が「初めから」なんだ。何の初めだ。
授業中なのに僕は教室の外へ出てしまったんだ、これは重大な校則違反だぞ。先生にだって何も言えていない。というか人の腕を無断でつかんで引っ張ること自体がどうなんだ。
その辺のことよく分かって──おっと。
「──っ、急に止まるな!」
「……ここら辺でいいか。ねぇ、話聞いて」
ここら辺? 話?
こんな、四階の奥の、階段の踊り場で? わざわざ人気のない場所まで連れてきて何を話す気だ。
「一つ聞くよ」
「……何だ?」
「もし、今まで私が授業中に飛び出してた理由を全部説明して、筋が通ってたら──助けてくれる?」
……ぉぉ。
ぼ、僕としたことが。思わず面食らってしまった。
完全に虚を突かれた。
理由を説明するから……筋が通っていたら『助けてほしい』?
驚いた、辻セイラがそんなことを言うのか。この僕に。
今までもこういうことはあったが、理由を説明しようとするそぶりは見せなかったはずだ。
その辻セイラが、自分から切り出している。しかもこんな真剣な目で。
一番大嫌いなはずの僕に。
「……当然だ。納得できれば、それが君であっても力を貸そう」
……であれば、こちらとしてもこの問いかけ自体を拒否する理由は、ない。
癪ではあるが、これは僕がずっと求めていたことだ。こちらから何度も追及して来た機会そのものだ。今更こっちから断るなど、それこそ筋が通らない。
しかし、僕を納得させられるだけの事実を喋れるというのか。どんな突飛な言い訳が出てくる。「授業がつまらなかった?」「腹が痛かった?」「家に忘れ物をした?」。
もしかして、「私は能力者だ」なんて、反証不可能な主張をするつもりじゃ──
「私は、能力者」
……は?
「『大切な人を救うために死に戻る能力』を持ってる」
おい、待て。
「今、ママの命が危ない。それで何回も巻き戻ってる最中」
……本当に?
能力者の自称。死に戻り。おそらく人の死という条件で発動する。証明は不可能。
これは……言ったもん勝ちじゃないか。能力者を自称する偽証の前例は過去にいくらでもあるんだぞ。歴史上、何度も繰り返されてきた手口だ。だからこそ利用される。反証できない嘘ほど便利なものはないから。
態度がいつもと違う、それは認める。だが態度の違いだけで信じるほど僕は甘くない。態度なんかいくらでも変えられる。結局、コイツの言葉を信じようとした僕の気持ちは無駄だったということなのか。
「証拠は──」
「──で、前の周で、あんたの母親が病弱だってことを聞いた」
……おっと?
「どうして、そのことを」
「いつどうなるか分からない、誰にも言ったことないって、聞いた」
今、何を言った。
今この女は何を言った。
母さんのことを。
病弱だと。いつどうなるかわからないと。
……誰にも言っていない。一度も。
家庭の事情だ。外の人間に言ったところで治るわけでもない。同情されたいわけでもない。心配をかけたいわけでもない。だから黙ってきた、友人にも教師にもクラスメイトにも。誰一人として。
あの家の中だけの話だ。僕と母さんの間だけの。毎朝母さんの顔色を見て、「今日も大丈夫だった」と確認して、それだけを心の中で繰り返して学校に来る。その恐怖を飲み込んで生きている。
それを。
「……合ってる、よね」
「……」
知っている。この女が、知っている。知り得るはずがないのに。
母さんの情報を、『脅し』に使おうとしている。
……整理しろ。
難解な問題は冷静に考えれば全て結論が出る。整理するんだ瀬尾マコト。
つまり重要なのは「僕が教えたことのない事実」を辻セイラが知っているということだ。
一応色々な他の理論は考え付く。しかしどれもそれらしくない。
1. 例えば、盗聴は?
有り得ない。僕は外で口に出していないし、家の中でだって母さんと面と向かって「いつ死ぬか分からない」なんて会話はしていない。盗聴する対象の言葉自体が存在しないし、あらかじめこうやって脅すために準備をしていたと結びつけるのは無茶苦茶だ。
2. 人伝いに聞いた?
それもあり得ない。誰が言う、知っている人間が存在しないはずだ。母さんの事情を知るような人間が周囲にいるはずも無いし、そもそも滅多に外に出ないんだ。こじつけようにも「病弱だ」という結論に行きつくにはそもそも無理がある。
3. 病院の記録。
母さんは通院していることを周囲に隠していた。近所付き合いも最低限だ。噂が流れる経路がない。高校生が僕一人の家庭事情を暴くためだけにそんなものを調べないし、動機がない。そもそも病院に心当たりがある時点で察しがついていることになる。
それ以外に、この情報を辻セイラが知り得る方法は、一つだけ。
僕が、教えた場合だ。僕自身の口で、辻セイラに伝えた場合。それなら辻褄が合う。
だが僕は教えていない。教えた記憶がない。
つまり、「僕が教えた記憶」はないが、どこかで「僕が教えた事実」は存在する。
パラレルワールドか、マインドコントロールか、はたまたタイムリープか。そのいずれかにしても、なんらかの『能力』らしき力が働いて、それを発言した過去はどこかで確実に存在する。
──「『大切な人を救うために死に戻る能力』を持ってる」
……時間が巻き戻れば、記憶も消える。
前の周回で、僕がこの女に母のことを、何かの流れで口にした。
口にした流れは大体見当がつく。辻セイラは「ママの命が危ない」と言っていた、だから何の証拠も提示されていない僕であれば、「母の命を逃げる言い訳として利用するな、よりにもよってこの僕に」と口にするだろう。自分のことであればそれぐらい想像できる。
そして時間が戻った。僕の記憶は消えた。辻セイラの記憶は……残った。
だから知っている。
能力者であること。繰り返していること。教室を飛び出していた理由。
辻褄が合う。僕が教えたという前提を置けば、全部繋がる。
筋は、通っている。
「だから、意味不明かもしれないけど、私──」
「よし。協力しよう」
「……えっ?」
嘘である可能性はまだ残っている。完全には消えていない。
ただ、そういう能力が存在することを「あり得ない」と断言するまでには至らない。
僕は依然として君が嫌いだ。大嫌いだ。一番嫌いな人間だ。
しかし、母さんの話をしたのは「それをネタに脅す」ためではなく、「自分が死に戻りしていることを理解してもらう」ための証拠として、僕に提示したということだ。
もしこれが事実なら、無視していい話じゃない。無視してはいけない話だ。
「い……いいの? 信じ、る? 自分でも、だいぶ無理言ってる自覚あるんだけど……」
「『筋が通っていれば助ける』。そういう話だったはずだ。そして筋は通っていた」
「いや、まだ全然事情説明してなかったし……というか、あれだけで理解したの!?」
「僕の知らない記憶がある。つまりはそういうことだろう」
「……!」
何だその反応は。
信じてもらえないと思って告白したのか。だとしたら何のために言ったんだ。
まるで「こんなに理解があるのか」「なんて手っ取り早いんだ」「もっと早く言っておけばよかった」とでも言いたげな表情じゃないか。いつもそれぐらい大きなリアクションを見せてくれれば友人も増えるだろうに。
別に、現時点で授業を飛び出し、かってに行動をしているという重大な校則違反は変わらない。後で叱責を受けるのは間違いないだろう。
しかし、今の話を信じるなら一人の人間の命に危険が迫っているということだ。生きる権利は公共の福祉に反しない限り、最大の尊重を必要とするはず。
僕はこの高校生活で悔いのない生き方をすると決めている。
校則に従事し、その結果罪のない命が失われると言うのなら、僕はきっと後悔する。
「勘違いするなよ。君のことが好きになった訳じゃない。一人の人間の命を救うために尽力したいから協力するんだ。それを忘れるな」
「……分かってる。別に気に入ってもらいたくてこんなこと言ってるつもりじゃない」
そうか、別にそれでいい。
君の評価を裏返す訳じゃないし、君の今までの素行が許された訳でもない。校則違反の数々も、今まで僕の注意を聞き流してきたことも、全部帳消しになんかなっていない。
僕は「筋が通っていれば」と宣言したのだ。
それを反故にすることこそ、筋が通っていない。
だからこそ君のことを信じよう。
君のことは嫌いだ。しかし今自分の気持ちは重要じゃない。
この女が何を見せようとしているのか、何を説明しようとしているのかまだ分からない。
何故それを親しくしている友人ではなく僕に聞くのか、その意味も分からない。
だが聞くと言った以上、最後まで聞く。それが僕の出した結論だ。
「とにかく時間がない。着いてきて」
「どこにだ」
「図書室」
……ん?
ま、まさか……また廊下を走ることになるのか!?
それは校則に違反あっちょっ引っ張るなこの!
*
……図書室か。普段お世話にはなっているが、授業中ここにいるなんて初めてだ。
まぁ、とっくに校則違反が積み上がりすぎて今更一つ増えたところで……いや、よくはないが。今はそれどころじゃない。
「時間はないから手短に、私の『能力』を説明する。聞きながら理解して」
「頼む。余計な問答は増やさない方がいいんだろう」
「そう。まず一つ──」
一つ。
辻セイラは──辻セイラの『大切な人』が死亡した、あるいは長期的な死の要因が確定した瞬間に、自身の脳内が圧縮・破裂し、死亡する。その後、時間の巻き戻りが発生する。
二つ。
巻き戻りの時間はケースによって変動する。
数分のこともあれば、数日、数週間のこともある。
三つ。
巻き戻りにより記憶を保持できるのは辻セイラだけ。
今のこの会話も、次の周になれば僕は何も覚えていない。
「──とりあえず分かっておけばいいのはこの三つ。理解した?」
「理解、したが……これは。い、いや、とりあえず理解した。続けてくれ」
……そういう能力があることは、とりあえず理解した。
しかし……これは、事実であれば、極めて辛い構造だ。
つまり、彼女の主張によれば、この死に戻りは「自分が死亡した瞬間に時間が巻き戻る」とは、少し言い難い。正確には「自分の『大切な人』が死亡した瞬間に、自分の死と巻き戻りが確定する」ということだ。
彼女が言うには『大切な人を救うために死に戻る能力』だが、本当にそうか。『大切な人を生かせなければ二度と終われないループを引き起こす能力』なんじゃないか。
それに、その死に方は……なんなんだ。他になかったのか。
能力の作用なんだろうが……自分の脳内が圧縮・破裂して死亡する? どうして数ある中でそこまで惨たらしい死に方が採用されたのか訳が分からない。能力に意思があるなら、君は僕と同様その能力に嫌われているぞ。
「今回はママが危ない、巻き戻り時間は15分。ママは今日、友達に呼ばれてて、そこに車で向かうはずだった。パパとカリン……じゃなくて妹、あと他の大切な人も大丈夫ってことはもう分かってる」
──15分?
……たった、15分しかないのか? 15分後に、君の母親が死亡すると。
これは……相当厳しいぞ。ここまで来るのにも時間を使っているはずだ、残りはもっと短い。もし普通に追いかけ合っていれば、間違いなく追い詰めた瞬間に死亡していた。だから、彼女は時間がないと何度も……。
いや、待て。
要因を特定できている?
大切な人は一人じゃないはずだ。父親はともかく、妹がいることは初めて知ったが……きっとそれだけじゃないだろう。
時間だって15分しかない。15分かけたとして、その時間内でどれだけの人の無事を確認できる? 無事の確認方法も、時間制限の瞬間にその人が無事かどうかを確認しなくてはいけないはず。一度に複数にすることは難しい。
その中で、既に母親が要因だと特定できている? まさかだとは思うが……。
「……今で、何回目だ?」
「24回目」
……なん、だと。
……24回。この15分を、24回だと……。
掛ければ360分、6時間だ。今を含めれば6時間分のこの15分間を繰り返している。つまり既に23回自分の頭が潰れて23回死んでいる。
それだけやって解決していない……相当に詰んでいるということじゃないか。
この女は、それをずっと一人で。
……いや、今は感情的になるな。まずは情報だ。
彼女は一人じゃどうにもならないから僕に助けを求めている。
彼女のためにも、情報を集めなくては。
「……目的地はどこだ。それともまだ家にいるのか?」
「えっと……あっ、やっと地図帳見つかった。目的地は……ここで、家はここ。もう出てるはず」
ああ、そのための図書室か。
確かに、地図帳であれば、地名を知らなくても具体的に地点が分かるが……ああ、この距離は駄目だ。学校から車を出しても30分はかかる。15分じゃ絶対に届かない。
しかも、この場所なら……おそらく、最短ルートだと「藤見台」を通る必要があるな。
となれば、原因は自動車事故か? あそこは見晴らしが悪いし、昔から事故が少なくない。辻セイラも命が危ないとは言っていたが死因は断定していなかった。現場まで行けないからそれも当然だろうが。
「電話は」
「運転中。出ない」
……そうだ。道路交通法の第71条5の5に違反する。
運転中なら掛けても出られないのが当たり前。今の口ぶりからすると同乗者もいない。つまり、連絡手段がない。
……考えろ。15分で、学校から、連絡手段なし。
何ができる。
「運転ルートを変えさせるのは。それで未来は変わるか?」
「変わると思うけど、連絡取れないのにどうやって」
……そうだ、今自分で確認したばかりだ。
連絡が取れないんだから変えさせようがない。
他の人に連絡しても間に合わない。父親や妹や、その他頼れる人に連絡しても母親に電話が通じないならどれも意味がない。24回も繰り返しているなら彼女自身既に試しているかもしれない。
「目的地の友人には。向こうから接触を図れないか」
「やった。間に合わなかった」
……全部ダメだ。
何を言っても一言で返される。当然だ。これまで23回分の蓄積がある。僕が今この場で思いつく程度のことは全部試し尽くしている。15分で考え付くことを6時間分やって、それでも駄目だった。
僕は今、24周分の絶望を早送りで聞かされている。
何か、何かないのか。
23回で出なかった答えを、24回目の僕が出さなきゃいけないのに。
そんなことが……いや、可能かどうかじゃない! やるしかないだろう。この女が僕に助けを求めたのは、自分一人では足りなかったからだ。自分にない情報を、自分にない視点を、僕が持っていると思ったからだろう。
地図。
事故の場所はおそらく藤見台のこの周辺、この道路、この辺りの──
「……待て」
「なに?」
僕はどうしてこの付近に事故が多いことを知っている?
それはこの付近に僕自身ゆかりがあるからじゃないか。
待て、あるぞ、あるじゃないか。
15分で間に合うかは分からないが──近くに叔父の家がある。
叔父は自営業だ。この時間なら家にいる可能性が高い。
叔父に連絡して事情を説明して、道に出て辻セイラの母親の車を止めてもらう。目的地の手前で車を止められれば事故は起きない。電話をどう手に入れるかが問題だが……間に合うかもしれない。
これは辻セイラが持っていなかった情報。一人では絶対に辿り着けなかった手札だ。
これなら──
──パアァンッ!
え。
赤い。顔に何かが、かかって……温か、い。
辻セイラの頭から──血が。これは。
もう、なのか!? もう、15分経った、のか!?
せっかく思い出したのに、間に合わないだと!?
「……っ!? ……っ!」
「!? 辻セイラ! だ、大丈夫なのか!?」
まだ意識が……ある!?
即死するんじゃないのか。いや、それは断言されていなかった。彼女が完全に死亡した瞬間に死に戻りが発動するのか。だから今は、辛うじて生きているだけだと。
冗談だろ、この状態でまだ生きているのか、それはどれほど……いや違う! 今考えるべきはそうじゃない! 彼女を憐れむより先にやることがある!
「辻セイラ! 聞こえているか! 聞こえているよな!」
「ぅ……ん……!」
今伝えなければ。今叫ばなければ。この情報は永遠に届かない。永遠にだ。
彼女はまだ諦めていない。脱力すれば楽になれるかもしれないが、僕の「待て」を聞いて、希望を見出した。だから、最後の情報を聞こうとしている!
「次の周で僕に聞け! 藤見台に叔父がいる! 目的地の近くに僕の──」
*
僕は激怒した。
必ず、かの邪知暴虐のクラスメイトを正さねばならぬと決意した。
「瀬尾! アンタ、ケータイは持ってる? とにかく着いてきて!」
は?
持ってる訳ないだろう。それは校則第六条にあっちょ引っ張るな制服が伸び──
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