「──って訳。ここまでが基本的なこと。ここからは、たぶん初めて聞く話」
「僕にとっては全て初めて聞く話なんだが」
というか待ってくれ……とてつもない情報量だぞ。
まさかと思っていた……「辻セイラが能力者だった」という予想が的中してしまったことはまだいい。
しかし……死に戻りに、母親の命の危機だと。
信じ難い話ではあるが、「前の周に僕が教えた情報」の件で論理的に否定できないことはもう分かった。辻セイラは本物の能力者だ。それはいい、受け入れた。
だからこうして保健室ではなく、図書室に連れてこられたのか。もし本当に何度も死んでいるのなら……それは、相当な負担になる。あんな顔で「助けてほしい」と言ってきたのも頷ける。
……じゃあもっと頼れる別の人に頼ればいいのでは。
ああいや、今はそれどころじゃないな。時間が無い、というのが聞いたうえでの結論だ。
「元々……かなり前の周で、あんたに何回か協力してもらってた」
「ん? そうなのか?」
「うん。それで方針が見えたから、一人でやれると思ったんだけど……」
……その口ぶりだと、言いたいことはなんとなく分かる。
きっと「前の僕」も同じように説得を受けて、協力することに決めたんだろう。僕はそういう人間だ。人の命がかかっていると知って、これまでの辻セイラの行動の意味を理解し、手伝おうとしたんだ。
そして作戦会議を行っていき、最終的に解決方針が見えた。だから、そこから先は一人で行うことにした。なるほど、合理的だ。
一人で済むなら一人でやるべきだ。協力者が増えれば説明の時間が増える。15分しかないなら無駄は削るべきだろう。その判断自体は正しい。
しかし、「助けてほしい」と言ってきたということは……そういうことなんだな。
その、方針とやらを実践しようと思い立ったが……。
「でもダメだった。何周やっても解決しなくて」
「……なるほどな」
「だから、今後も協力してほしい。アレは本当に痛いし、やっぱりアンタがいた方がマシだって分かったから」
マシ。
マシときたか。僕の助けが欲しくはあるが、僕がいた方が「マシ」にできるから、と。嫌いな相手に頼みごとをする態度として、なかなかの最低点だと思うが。
……だが、この女がわざわざ大嫌いな僕のところにもう一度来た。その事実の方が重い。せっかく上手くいきそうだったのに失敗したのがショックだったのか、プライドを捨ててでも来なければいけないほど追い詰められている。それは分かる。
僕だって、自力でどうにもならなくて、君に頼らないといけなくなったとしたら……。
いや普通に頭を下げられるな。役目を果たせない方が御免だ。
まぁいい、彼女の態度には期待していない。
そもそもこの女は僕が嫌いだし、僕もこの女が嫌いだ。好き嫌いの話をしているんじゃない。人命の話をしている。そこだけ一致していればいい。
「分かった。約束通り、協力する。今は何回目だ」
「36回目」
……既に35回も死んでいると。
前に協力したのが何周目かは知らないが、そこから今までの間、この女はずっと一人でやっていたのか。何周も何周も、一人で死んで、一人で戻って、一人で試して。
それでもダメで、また僕のところに来た。
「まず、さっき言ってた作戦の『110番通報』は最終的に成功した。警察を出動させるところまではできるようになった」
「本当にそんな作戦を僕が提案したんだな……」
「やったのは私だから一々気にしないで。説得には手間取ったけど、3回目で成功してる」
そう簡単に言われても。
その『110番通報』というのは警察に虚偽の通報をして、藤見台まで母親を誘導し動きを止めるというものだよな。僕がそんな提案するなんて、どこまで追い詰められてたんだ。
しかし、「3回目で成功してる」という言い方からするに、彼女はループを何周か使って情報収集し、行動の最適化を行っているということか。
どう説得すれば信じてくれるか、どう言えば一番早く動いてくれるか、どういう通報内容ならパトカーが来るか。それを一回ごとに色々変えて、反応を見て、次の周で修正する。
トライアンドエラーの究極形だな。何度やっても相手はリセットされるから、同じ相手に何度でも試せる。
「それで、確かにママが藤見台付近を通ることは確認できた」
「そうか。原因がより絞れたんだな」
「ただ、上手くいかなくて。警察だけじゃ結局ママの車を止められなかった」
……そうか。
何回試したのかは分からないが……まぁ、要因は色々あるだろうな。
パトカーを呼びつけることには成功しても、「母の車を停めてくれ」と通報できた訳でもない。上手く注意は逸らせたかもしれないが、それだけでは止めることができなかった。「藤見台付近を通ることは確認できた」と言っているあたり、ニアミス程度までは漕ぎ着けたのかもしれないが……。
方針は定まり、一人でも可能なことが分かって、一度は希望が見えたが──上手くいかなかった。それが結論という訳だ。
だから、再び僕を呼び出し、次の作戦を練ることにしたのか。なら僕がやることは迅速に他の案を出すことで……。
「で、近くに消防署があるの見つけて。119番で消防車出させることにした」
「なんだお前その行動力は」
流石我が校を代表する不良女学生。すぐその切り替えができるの凄いぞ。
褒めてないからな。消防法44条に違反するからアウトだぞ。普通に犯罪だ。
いやまあ確かに。あの近くには消防署があった気もする。前の周の僕は警察署に目が行ってしまって気づかなかったのか、それともその方法が思いつかなかったのか。今の僕には分からないが。
それに、消防車を呼ぶと言うのは確かに有効な手段かもしれない。
パトカーなら邪魔にならないように進めば影響は少ないが、消防活動という点なら周辺地域に規制が敷かれる。人伝いに辻セイラの母親を止めるというより、その近くに入る手段を奪うという方向性だ。もっと根本的な解決に繋がる。
ん? いや待てよ?
僕達は学校にいるんだ──現場に火がつけられないじゃないか。いくら通報に成功し、消防車を呼ぶことができたとしても、火がついていないなら消防活動は行われない。
じゃあこの作戦は駄目だ。『110番通報』だけじゃなく、『119番通報』にも失敗したから僕を頼りに来たというのが、今の辻セイラなのか。
消防活動が行われなければ規制も張られない。結果、狭い通路に消防車が近づいて消防隊員が苦労をするだけに終わってしま……。
あ。
「そうか、消防車で道を物理的に塞ぐつもりか!」
「そう。やっぱり話が早くて助かる」
そうだ、物理封鎖だ。
警察では特定の車を止められない。ならば道そのものを塞いでしまえ。消防車が道路に展開していれば、一般車両は迂回せざるを得ない。母親の車も含めて。
警察での阻止が不可能だから物理封鎖に切り替えた──すごく合理的だ。
ではそれが失敗したのは……。
「だけどいざやると、ママがどのルート通るか正確に分からなくて塞ぐ場所がずれる」
「……なるほど」
「何周やっても当たらない。藤見台って道が何本もあるから、どこを通るか」
そうか、作戦自体は成り立っている。
消防車の位置さえ正確に合えば、母親の車を止められる。ロジックは通っている。
問題は、母親の正確な経路。ここが壁になっている。
藤見台は幹線道路から一本入れば細い道がいくつも枝分かれしている。そのどれを通るかは運転者の判断次第で、同じ目的地に向かうにしても複数の経路がある。ナビの指示通りとも限らない。
母親が毎周同じルートを通る保証もない。いや──死に戻りで時間が巻き戻るなら、同じ条件なら同じ判断をするはずか。つまりルートは毎周同じ可能性が高い。だが、それを特定する手段がない。
消防車の配置は一箇所。道は何本もある。一回の周で試せるのは一本。外れたら死んでやり直し。総当たりでは何周かかるか分からない。
つまり、必要なのは藤見台の道路構造から母の走行ルートを推定すること。
僕なら──地図と土地勘で絞り込めるかもしれない。
「だから、助けてほしい。藤見台の道、詳しくない?」
「……一応」
叔父が付近に住んでいる。子供の頃から何度も行っている。多少の土地勘はある。
多少。地元の人間ほど詳しいわけじゃないが。
「じゃあ、ママの車を止められる場所、分かる?」
止められる場所。
……多分、分かる。
……母親の出発地がここで、目的地がここ。北から藤見台に入るなら使える道は何本かある。だが危ないのは一箇所だ。
藤見台の東寄りに、見晴らしの悪い道がある。カーブとブラインドが続いて、昔から事故が少なくない。叔父の家に行く時、母さんが「この道だけは嫌なのよね」と言っていたのを覚えている。近道ではあるから一般的なナビはそっちに誘導する、性質の悪い道だと。
原因はおそらく自動車事故だ。
なら、その事故が起きる場所はおそらくあそこだ。あの道の入り口を塞げばいい。入口にある建物で火を見たと言えばいい。
しかし、それは──犯罪だ。
場所を特定した。消防車を呼ぶべき地点を、僕が指定しようとしている。通報するのは辻セイラでも、どこに呼ぶかを決め、教えるのは僕だ。
それは共謀になる。虚偽の119番通報を行うための具体的な情報を提供する行為。教唆、あるいは共同正犯。もはや「辻セイラがやったこと」では済まない。僕が設計して、辻セイラが実行する。犯罪の主体は二人になる。
……法律を犯す。虚偽通報。それも消防への虚偽通報。
しかもこれが成功したとして、客観的に見れば「人命を救った」とは誰にも映らない。死に戻りの証明はできないんだ。事故は起きなかった、で終わる。残るのは「面白半分で消防に嘘の通報をした高校生二人」という事実だけだ。
そしてその高校生の片方は、場所まで指定している。計画的な犯行だと見なされる。
前科がつく。
前科がつけば──母さんが悲しむ。
「……瀬尾?」
「待ってくれ。場所だな、待ってくれ」
「もし、無理なら、やっぱり私一人で」
「いや、分かる。できるはずだ」
「そう……」
……母さん。
どうして僕は、こうなんだ。
どうして僕はこんなに規則に縛られているんだ。
人命を守るか。法律を守るか。
どっちの規則に従えばいいか分からなくなっている。
……いつからこうなった。
いや……いつからじゃない。最初からだ。
うちは母子家庭。物心がついた頃から、家には母さんと僕と弟しかいなかった。父親がいない理由は聞いたことがない。聞く必要もなかった。母さんがいればそれでよかった。
母さんは身体が弱い。だから、心配をかけたくなかった。手のかからない子でいたかった。
学校で問題を起こさない子。先生に褒められる子。忘れ物をしない子。宿題を出す子。校則を守る子。そうしていれば母さんは安心してくれた。あの人の顔から不安が消えた。
母さんに「マコトは真っ直ぐ育ってくれた」と言われた時、嬉しかった。この人を安心させられている、と思った。この人に心配をかけない自分でいられている、と思った。
規則を守ること。
それは僕にとって、母さんを安心させることそのものだ。
ルールを守る自分は、母さんを悲しませない自分だ。
だから、母さんを悲しませる訳にはいかなくて。ルールを守ることが軸になった。
その軸が揺れて、僕は判断を下せないでいる。
……指が動かない、声が出ない。
場所は分かっている。頭では分かっている。住所を一つ言えばいいだけなのに。
「……場所が分かったなら教えて。あとは私が119で火災通報する」
「……」
「ママを助けるために」
──っ。
ママを、助けるために。
自分が、死ぬからじゃない。
この女の根底にあるのは……母親を、助けたい気持ち。
……僕が規則を守る理由は何だ。
母さんのためだ。母さんを安心させたい。母さんを悲しませたくない。だから正しくあろうとした。それが全ての出発点だ。
辻セイラが規則を破る理由は何だ。
母親のためだ。母親を死なせたくない。母親を助けたい。だから犯罪だろうが何だろうがやる。35回死んでもやる。
どっちも同じじゃないか。
方法が違うだけだ。普段は喧嘩してばっかりの僕達だが、今この瞬間においては正反対の方向に歩いているように見えて、同じものを守ろうとしている。「母のために正しくある瀬尾マコト」と「母のために法を犯す辻セイラ」。
根が同じだ。同じ場所から生えている。同じ気持ちから始まっている。
なら──母を守りたいという気持ちのため法を犯すことは、僕の軸を折ることじゃない。
母を守ることが僕の軸そのものなら、これは軸に従っているんだ。
辻セイラの母親が死ぬ。それを防げる情報が僕の頭の中にある。
言えば助かる。言わなければ死ぬ。それを言わずに、母さんに「真っ直ぐ育ってくれた」と言ってもらうのか。人が死ぬのを知っていて何もしなかった息子を、母さんは「真っ直ぐ」だと言うか。
言わない。絶対に言わない。母さんはそういう人じゃない。あの人は──助けられる命を見捨てることを、正しいとは言わない。
「……北側から入った、東寄りの道だ。事故が起きるのは多分そこだが……入口は少し変わった場所にある。ここだ」
迷いなく言えた。住所も、目印も、全部出た。
最後まで言い切った。声が震えなかった。
……犯罪者になった。共犯者になった。でも不思議と、後悔がない。
これでいい。これが正しいかどうかは分からない。法律的には間違っている。校則的にも間違っている。だがこれが僕の選択だ。母さんなら分かってくれると思う。分かってくれなくても、僕はこの判断を後悔しない。
もし、これが辻セイラだけで解決できる問題なら、僕は踏み込めなかっただろう。二人の力が必要になる瞬間、僕は初めて自分の軸を見直すことができた。
初めてだ。規則を破って、後悔しないと思えたのは。
「緊急通報で消防車が到着するのは早くて5~10分だ。急げ」
「言われなくても、184-119っと」
「当然のように持ち込んでいるんだな……」
「今はいいでしょ……ありがとね」
……今、確かに礼を言ったな。聞き間違いじゃないよな。
小さすぎるだろう。もう少し大きな声で言ってくれても罰は当たらないと思うが……まぁいい。
というか非通知にするのか。
抜け目ないな。
「後のことは私がどうにかする。これもプリペイドだし、心配しなくていい」
「……だから不良少女な訳だ。今までこういったことをしてきたから噂だったんだな」
「うっさい。自分の仕事が終わったらそれ?」
ぐぬ。
少し言い方が嫌味っぽかったか。それは失礼した。
でも、この女に対する見方は少し変わったな。
今までとんでもない不良少女だと、校則違反を繰り返す悪い噂塗れのとんでもない女だと思っていたが、それにも全てやむにやまれぬ事情があったのかもしれないと思えるようにはなった。
……いや、それでも性格的に彼女のことを好きにはなれないが。
しかし、それぐらいでいいか、僕達は。彼女の母親が無事でさえあれば、何でもいい。
「まぁいいよ。次の周──いや、これからもアンタを頼るつもりだし」
「え? 今なんて」
「しっ、繋がった。黙ってて」
おっと。
「──あ、もっ、もしもし! か、かじ、火事です! 煙っぽいのが、見えて、匂いもして!」
ええぇ演技すご。
「……はぁ、はぁ……」
「……辻セイラ」
「大丈夫、大丈夫だから」
……どれだけ時間が経った。
1分か、3分か、15分か。もしかしたらまだ30秒かもしれない。
こんなに時間が経つのが遅く感じるなんて。
隣の辻セイラもさっきから小刻みに震えている。意識していなかったが、やっぱり死の瞬間は怖いのか。本当に痛いと言っていたし、そうなのかもしれない。
いや、そうだ。当たり前だ。死ぬなんて怖いに決まっている。辻セイラは今、瀬戸際にいる。いくら嫌いな相手でも、これを「気味が良い」とはとても思えない。
通報は成功した。辻セイラの演技は見事なものだった。
消防車は間に合ったのか。彼女の母親は無事迂回できたか。
事故は回避できたのか。15分は経ったのか。緊張で頭が回らない。
今は三時間目の途中だったはずだ。教室から出たのは何時何分だったか。
もし、失敗していれば、話によると……隣にいる辻セイラの脳が圧縮して破裂する。
血は……浴びるだろうな。犯した罪は同じなのに、受ける罰に差がありすぎる気がする。
あと数秒だ。どんな音がするのか、どんなことになるのか。まだ何も分からない。
分かるのは、辻セイラの様子からして──それがとてつもなく苦痛を伴うということ。
「……っ、はぁ……」
「……これが終わったら、保健室に行こう。元々そう言って教室を出たんだ。アリバイを作らないと」
「! ……ふぅん。アンタもそんな考えするようになったんだ」
「言い訳だ。君は本当に休むべきだ。君がいつも一緒にいる友人も連れて来る」
「別にいいよ……もう」
いいだろ別に、僕だって緊張しているんだ。
変なことを言っているかもしれない。それでも、今はこの時間を待つしかないんだから。
──キーンコーン……カーンコーン……
……あ、ああ。
そうか、これは……授業終わりのベルの音か。三時間目が終わったのか。
15分はいつまでだ? 死の恐怖に怯える辻セイラに聞く訳にはいかないし……。
「ふ、ふふふ」
……ん?
辻、セイラ?
「やっ……た! 9時間ぶりの、チャイムだ……!」
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