「マコト、こっちだよ。ふふ、今日もきっかり15分前だね」
「当然だ。集合時間というのは約束で、約束は守るためにあるんだからな」
しかし、日曜の映画館はやはり混んでいる。
ロビーの人口密度は平日の三割増しといったところか。朝一の回を取ったハルキの判断は正しかった訳だ。昼間だったらどうなっていたことか。
しかし、ハルキもかなりここの常連になってきたな。ここまで乗り気なのも珍しい。
気になってる映画がある、二人で観よう、内容は当日まで秘密……題名を聞いても「観てからのお楽しみ」、せめてジャンルをと食い下がっても「ネタバレは犯罪だからね」の一点張り。
勿体ぶる理由は大方想像がつく。僕との映画にも慣れてきて、今度は自分がホスト側として映画を楽しみたいと思うようになったんだろう。なら、僕も余計な詮索はせず期待して待つのが親友への礼儀というものだ。
「今週のマコトは例の転校生の世話でずっと忙しそうだったね。金曜まで残る必要はあったのかい?」
「委員長として当然の職務だぞ。転入直後は分からないことだらけだからな」
「……ふうん。職務、ね」
なんだ、その間は。
まあ、心配してくれているんだろう。
校舎案内に教科書の受け取り、提出書類に学習進度の確認……世話係というのは実際やることが多い。金曜のプリント仕分けまで把握されているのは少し驚きだが。よく見ているじゃないか。
親友が過労で倒れないか気にかけてくれるなんて、ハルキはなんて良い奴なのか。大丈夫だ、僕の体力配分は完璧だぞ。
「ま、今日は僕達だけだから安心だよ。君が桐島さんも呼んだ時は本当に空気が悪かったからね」
「でも、映画自体は面白かっただろう?」
「面白かったよ。恋愛映画というのも悪くないなと、そう思えるくらいには」
「だよな。だが、そういう映画を男二人で観に行くのは気恥ずかしくて」
「……そうかな」
あの時は確か、話題になってる映画があったから僕が観に行こうと提案したんだ。原作は知らなかったが、男女関係なく感動できるとあったから前前から楽しみにしていた。
ただ、男二人というあまりにも華の無い面子で恋愛映画……というのはどうにも羞恥心が勝ってしまう。だから、丁度勉強会をする予定だった桐島ミオを一緒に誘って三人で見ることにしたんだ。
桐島ミオも「次はどっか外行かね?」と言っていたし……振り返っても、悪くない会だったはず。だから、空気が悪かったことだけがずっと謎なんだよな。
二人とも「一緒に映画を観に行こう」と言った時は酷く喜んでいたのに。まあ、人には言語化したくない感情もあるんだろう。映画の趣味とはデリケートなものだしな。
最終的には、ハルキは「脚本の完成度が高い」と満足げだったし、桐島ミオに至ってはパンフレットを複数持ち帰って友達にも宣伝すると言っていたから、楽しめていたことは事実だ。
「はい、チケット。ついさっき買っておいたから」
「ふむ……やっぱり知らないタイトルだ。今から内容が楽しみだよ」
「僕はあらすじだけ読んだけれど、とても面白そうだったんだよね」
「それなら期待できるな」
書かれている席番号は……ふむ、隅の方か。壁、ハルキ、僕の順番と。
ハルキのことだし、隣に人がいる場所は避けたかったんだろう。
僕も良いと思う、壁際寄りだが画面に近すぎず、遠すぎず。いい塩梅の席だ。左右のバランスが崩れたせいで肝心の映画の内容が楽しめない……そんなことあってはいけないからな。
「ほら、こっちの方だよ」
「あの席か。隣にポップコーン持った人が座ってる……」
「そうだよ。僕が壁際だから、よろしく……」
「あっ、瀬尾さんと……ご友人の宮野さん! 奇遇ですね、お二人とも」
えっ。
白い眼帯。
えっ。
見間違えようもない、九条ノドカだ。
どうして君がここに。
「……なんで君がここにいるんだい?」
「えっ、私、奇遇ですねって……」
……落ち着こう。昨日の今日だぞ。
昨日はバイト先に「護衛」として現れて、今日は休日の映画館……これで「偶然です」と言われて、そう簡単に信じようとは思えないんだが。経験則から言うと、彼女の行動の後ろには大抵「規則」と「指示」が控えていると、僕はもう学習してしまっている。
じゃあ、今日も任務なのか? 昨日みたいに、この場所で「何か」が起こるのか?
それとも本当にただの休日で、単純に映画を観に来ただけで、僕の考えすぎなのか。
「九条ノドカ。君も映画を観に来たのか」
「はい。本日はこちらの作品を。ただ……ふふ、お席までお隣なんて、本当に奇遇ですね」
「…………聞いた? マコト。隣だって。僕たちの真横だって」
……聞いたよ。
だが、聞きたいのはそれじゃない。もっと別のことが聞きたい。
だが聞けない。
ハルキの前で「君、今日も護衛か」なんて口にできる訳がない。
僕と九条ノドカは、あくまで世話係と転校生……それ以上の関係を匂わせる訳にはいかないんだ。頼むから、せめて判断材料をくれ。その「奇遇ですね」は業務なのか、素なのか。
……いやでも、彼女にそんな高度な芸当ができるかどうかは疑問だな。
木曜日までなら、まだ深い意図があるかもしれないと思えたが……今の僕は彼女が結構ポンコツであることを知っている。ただ単純に、映画を楽しみに休日を過ごしている一般女子高校生の可能性も十分考えられるんだ。
「……僕たちさ、二人で来たんだよね。二人で。前も途中から三人になったことがあったけど、今日はそういう予定じゃなかったんだけどな」
「三人、良いですね。感想を言い合う相手は多い方が楽しいと聞きますし…………あっ! それに私、『瀬尾さんのご友人』とは仲良くなっておきたかったんです。良い機会だと思います」
「マコトぉ……なにこの人……」
お、おお。
可哀想に。君は予定の変更が嫌いだからな。
そして、九条ノドカ。
さては君、今日は本当に何も考えず映画を観に来ただけだな? 「僕の友人と仲良くなりたい」というのは「聞き取り調査をする上で業務を円滑に進めたい」という意味だろうが、変な間があったぞ。多分、今思いついただろう。
そもそも、本当に任務があるならそんなポップコーンの準備万端で待機なんてできないはずだ。僕達の隣に座るには、僕達がどこの席を買うか知っている必要があるのに──僕達より後にチケットを購入して、その上ポップコーンを準備して先回りするだなんて無理がある。一緒に映画を観るために未来予知を使うのも考えにくいし。
こうして考えてみると、宮野ハルキ×九条ノドカは宮野ハルキ×桐島ミオより相性が悪そうだ。
彼女は見かけによらず単純だから、悪意どころか遠慮の概念すら無さそうで、言葉を全部額面通りに受け取ってしまう。おかげで皮肉っぽいハルキとは会話が中々噛み合わない。きちんと言葉の応酬を理解し合って言い合いができる桐島ミオより、相手がしにくそうな気がする。
「……どうしてお二人は座らないんですか?」
そして僕達には断る理由が、まず無い。
彼女は正規にチケットを購入した一人の客で、僕達に他人の鑑賞を制限する権利なんてどこにも無いんだ。憲法が保障する幸福追求権を、上映前の客席で踏みにじる委員長がいてたまるか。
そして、仮にこれが任務なら……僕が断ったところで、彼女は規則に従って職務を果たすだけ。なら、視界の外をうろつかれるより、目の届く場所にいてもらった方が余程いい。
昨日の鳩の前例だってあるんだ。彼女が現れる日には「何か」が起こるのかもしれない。警戒対象と非常事態、その両方を近くに置いて監視できるなら、それに越したことは無いだろう。
「まあ、いいんじゃないか。同じ回を観るぐらい」
「マコト!?」
「正規のチケットで隣に座っている知人を追い返す規則でもあるのか?」
「……もういいよ。マコトはそれでいいよ」
……なんだか投げやりだな。
ハルキ、上映前から機嫌が悪いぞ。あんなに楽しみにしていた映画の直前だというのに、彼女の登場がそこまで気に障るのだろうか。感想の言い合いは君も好きじゃないか。
それとも、日曜の混雑のせいか? 人混みが苦手だという話は聞いたことが無いが……本編が始まるまでに機嫌を直してくれるだろうか。せっかくの映画が、悪感情で台無しになってしまっては可哀想だ。
まあいい、席に着こう。
壁際からハルキ、僕、通路寄りに九条ノドカ……つまり、僕が二人の間。もし君が九条ノドカを気に食わないというのなら、僕が壁になるから何も気にしなくていい。
九条ノドカから見ても、これは護衛対象の真横ということになる。チケットを買ったのはハルキで、彼女はそれより先に着席していた……偶然のはずなのに、結果だけ見れば完璧な護衛配置が完成だ。
なら、両者とも文句はないだろう。
「よろしければ、お二人もポップコーンいかがですか。塩味です」
「……いらない。ね、マコト」
「では、いただこう。うん、正しい塩加減だ」
「……マコト」
なんでそんな睨むんだよ。
好意で差し出されたものを断る理由が無いだろう。
それに、塩味を選ぶあたり九条ノドカは分かっているな。
キャラメルは手がべたつくから、上映中の飲食には塩が合理的なんだ。
彼女の膝の上のそれは……ああ、パンフレットか。
僕はあまり映画の内容を直に受け取りたいから、あまり読まないことが多いが……彼女はマニュアル人間。こういったものにも目を通しておくのが普段通りなんだろう。
「……九条さんは、学校で毎日マコトに世話されて、休みの日までこうして隣で、退屈しないのかい? 普通、息が詰まると思うんだけど」
「いえ、まったく。瀬尾さんのご説明はいつも正確で丁寧ですので、何度伺っても退屈しません」
「…………そう。良かったね、マコト。信頼されてるじゃないか」
……今褒められてるんだよな。
それにしては空気が険悪になっている気がするんだが。
あれ、なんか嫌な予感がするぞ。
僕、映画に集中できるのか?
*
──『親父、俺はこの町で一番の善人になるぜ。目標は、徳のカンストだ』
……とは思ったが、杞憂に終わったか。
あの空気のまま二時間を過ごすのかと、上映前は本気で心配していたが……始まってしまえば関係なかった。ハルキも九条ノドカもすっかり映画に集中しているし、さっきまでの空気のことなんてお互い忘れている。
そしてそれは僕も同じだ。未だに少し引っかかりはあるが、かといって目の前の映画に勝るほどのものでもない。集中というのは、不安をかき消してしまうものなんだな。
地方都市、平凡な青年、日常の隙間に挟まる不穏なニュース……導入から丁寧な作りだ。
ハルキ、君の選択は正しかったぞ。夏から僕と何度も映画を観た甲斐があった。凄まじく感性が磨かれていることを感じるよ。
ふむふむ、爆発物の出所。
軍からの流出品が、業者を経て犯人の手に渡った……そういう筋道か。
──『おかしいですよ係長! 軍の爆薬がフリマアプリで転売されてたんです! しかも購入者の評価欄に「迅速な発送ありがとうございました」って!』
……転売。
そういえば、あの女もそんなことを言っていたな。
確か……水曜日の教室だったか? あの女が机で、誰に言うでもなく「転売、かぁ……」と呟いていた気がする。あの時は九条ノドカが同じ教室に着席中で、近づけなかったが……。
結局、あれは何の話だったんだ?
買う側なのか、売る側なのか。本人は「本当に一切法律に反することはしない」と誓っていたし、実際、転売そのものは違法じゃない。古物営業法に触れるのは業として反復する場合、チケット不正転売禁止法が縛るのは特定興行入場券……どちらも、あの女の生活と接点があるとは思えない。
なら、なぜ隠すんだ。
合法で無害だと繰り返す人間が、隠す必要のないはずのことを隠している……。
いや、やめよう。
せっかくの映画だ。画面に戻ろう。
──『燃やすぞ相棒。この倉庫ごと全部だ。証拠も、思い出も、先月ローンで買ったテメエのマッサージチェアもだ!』
──『チェアは外に出せっつったろ!』
……燃やす。
そういえば、木曜日に自販機の裏で桐島ミオが「『やっぱ燃やすか……』と辻セイラが呟いていた」と教えてくれたな。あの時は状況が状況で軽く流していた気がするが、やっぱり変な気がする。
何を燃やすつもりなんだ、あの女は。燃やすという行為が要る場面とは?
1. ゴミの処分……わざわざ口に出して悩む話じゃない。
2. 落ち葉焚き……12月の住宅街でやれば消防と条例の出番だ。
3. 証拠の隠滅……犯罪とは無関係だと本人が誓っている。
4. 手紙や写真の処分……それこそ失恋でもしていない限り。
駄目だ、どれも噛み合わないぞ。ただの女子高校生が何かを燃やすというイメージがまず出てこない。彼女は「ただの」ではないが、それでも本人が主張する通りなら今は普通の状態のはずなんだ。
……いや、映画だ。映画を観よう。
隣二人が集中して見ているというのに、どうして僕だけ思考が脱線しているんだ。こんなに面白い内容なんだから、素直に映画を楽しめばいいじゃないか。
何か心当たりがあるのは、偶然そういうワードが出てきたからだ。今気にすることじゃない。
──『見てください係長、この連載……「深夜の爆破グルメ探訪」第八回。犯人しか知らないはずの、爆破前夜のカツ丼の写真が載ってます』
──『つまり、記者が犯人か、犯人が記者か、カツ丼が歩いたかだ』
連載。
連載。
金曜の旧校舎裏で、「連載だって長期化したら大体碌なことにならないし」と。あの時は、彼女の口からそんな例えが出るのは珍しいと、ただ珍しいと思っただけだった。
だが今思えば、あれは少し浮いていなかったか。
辻セイラの語彙としては、明らかに。
だって、そうじゃないか。
彼女は直叙で喋る人間だ。重要な情報を正確に伝えないといけないのに、わざわざ回りくどい比喩や歪曲で、聞く側の相手に一度理解を必要とさせる行程を挟むような人間じゃない。
なのに、あの場面では似合わない比喩を使っていた。それほど自然に出てくる状況だったということだ。
……ああ、ダメだ。さっきから辻セイラの発言ばかり気になっている。
今この場に辻セイラはいないし、辻セイラはこの映画に一切関係ない。無視しろ。
今はただ、映画を楽しめばいいだけで……。
──『そんな……俺の徳が、まだ半分も積めて……な──』
……ん?
あれ、主人公が死んだぞ。
嘘だろう、まだ中盤も中盤じゃないか。
もしかして、何か重要なシーンを見逃したか? 映画に集中できていないせいで、僕が気づかないうちに主人公交代していたとか──
──『……朝? 親父、この目玉焼き……焦げてた場所まで、先週と同じだ』
……ん?
目を覚ました主人公、その部屋、その日付……先週と同じ朝?
全部、巻き戻って──
「……!」
これ、ループ物か!
なんだそういうことか、びっくりした。主人公が死んでどうするのかと思っていたんだ。
ああ、これだけの情報ですぐ理解できた僕も僕だな。この一年で何回もそういった状況に巻き込まれたが故の知識と言うか……。
……。
…………。
………………。
──『親父、俺はこの町で一番の善人になるぜ。目標は、徳のカンストだ』
*
「面白かったですね。驚きの展開の連続でした」
「……僕も面白かった。君と意見が合うのが悔しいよ」
「そうだな……面白かったな……」
……正直何も覚えていない。
ループ?
ループだと?
おかげで全部思考が引っ張られてしまった。
……例えば、金曜日の密会の時。
あの女は、木曜日に転校生を突っぱねただけのはずだ。会話は成立していない。九条ノドカ本人が「まるで相手にされず。何の会話もできずじまいで」と落ち込んでいた。
なのに、あの女は金曜日、何と言った?
確か「特に噂になってる正当防衛とか怪談の話については」、そう言っていなかったか?
具体的に、二つともだ。会話が成立していない相手の狙いを、どうしてそこまで正確に名指しできる。あの時の僕は「すごい、凄いぞこの女」と感心した。感心して、それで終わりにしたが……本当に流してよかったのか?
それだけじゃない。
他にも「その話はもう……いや、そうか」と言っていた。
もう、何だ。もう済んだ? もう聞いた? ……いつ?
水曜日の携帯だって。
注意したら、この世の終わりみたいに嫌そうな顔をして、それでも片付けた。だから、これは切羽詰まっていない余裕の証拠だと僕は判断した。
……しかし、逆かもしれないぞ。何周も同じ説教を聞かされていれば、聞き流す気力の方こそ惜しくなる。そういうものじゃないのか。
「しかし、少し複雑でしたね。感想戦、私も混ぜて頂けませんか?」
「……まぁ、仕方ないね。本当はマコトと二人が良かったんだけど……確かにこの感動を二人だけで分かち合うのは勿体ないかもしれない。本当に不本意だけど!」
「どうして私、そんなに嫌われてしまっているんですか……?」
「……」
「マコト?」
「瀬尾さん?」
……すまない、ハルキ。
君が選び抜いた映画は本当に面白かった。
面白かったんだが──今の僕は多分、この劇場で一番失礼な客だ。
異常が見られてから明日で一週間。
今もなおおかしいようであれば、話を聞きに行く判断は間違いではないはずだ。
そうでなくても、今の僕は彼女のことが気になりすぎて、他のことが頭に入らない。
明日、辻セイラにもう一度話を聞きに行こう。
本当に君はループしていないのか、と。
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