「ど、どゆこと? さっき『1年間泣きはらす方がマシ』って……」
「おい、辻セイラ。聞こえているか」
「うぐっ、ぐすっ……」
「ちょ、セイラ? な、なんで泣いて……」
……1年? 泣きはらす方がマシ?
いや、今はそっちはどうでもいいか。目の前の問題の方が先決だ。
何が起きているんだ、これは?
本当に泣いているのか? この女が?
いや、何が起こったかは大体想像がつく。ループだ、それ以外にない。
彼女はとてつもない難題のループに巻き込まれ、そして問題を解決できないままタイムリミットを迎えてしまい、死に戻った……それが今だったんだ。急変の理由はどう考えてもそれだ。
しかし──涙? そんなもの、僕は一度も見たことがないぞ。
いつもなら、疲れた、腹立つ、もう嫌だ……そういう言葉なら聞かなかった訳でもない。だが、いくら何が起こっても涙を流して僕に縋りつくなんてことは無かったはず。
500回死んでも泣かなかった女が、なんで今、僕の肩口で。
「顔を上げてくれ。それじゃ話もできない」
「ごめ、ごめっ、んっ……ひぐっ……」
おおお素直に謝ろうとしている。
しかしそれもできないまま、嗚咽を止められていない……大丈夫かこれ?
どうしよう。今、僕の右側から抱き着かれてるし、僕は左手しか動かせない。
右腕まで動かせない訳じゃないが、安静にするよう言われているし──利き手じゃない方一本で泣きながら抱き着いている人間を押しのける? 正直罪悪感で力を入れられる気がしない。
というか、むしろさっきから少しずつ力が強くなってきている気がする。
……一体なんだ? 何が彼女をここまで追い詰めた?
影中トオルのようなとてつもない凶悪犯に大きな恐怖を植え付けられた?
数字現象の時のように睡眠時間が取れず、精神的な疲労が限界になった?
どうしようもない外的要因のせいで、何の目途も立たず絶望で涙が出た?
……いや、それでも彼女が泣くイメージが湧かない。今までの彼女はどれだけ絶望的な状況を突きつけられようが、毎回腹を立てるか嫌そうな顔するかして解決のために動こうとしていたじゃないか。
「(……ねえ、マコっち)」
……ん? ミオ?
いつの間にこんなに近くに……。
「(……なんだ)」
「(セイラってちっちゃい頃、泣き虫で。今みたいに、急に泣き出すことがあって)」
「(……初耳だ)」
「(うん。『なんで私がこんなこと!』ってボロボロ泣く子でさ。ウチとルナが『何で泣いてんの』って聞いても教えてくれないし……中学上がってからはなくなったケド)」
想像できない……。
あの女が、泣き虫……普段の姿からは想像もつかないというか。本人がそんな素振り見せないから初耳なのも当たり前だが。
しかし一応、理由自体は想像がつく……というか、そのすごく残酷な事実は理解できる。
彼女が言っているのはつまり、僕が関わる16回目以前のループのことだろう。協力者がいない状況で、難易度の高いループに直面してしまい……しかも当時の彼女は、中学生、小学生、そういった時期だったはず。
まだ幼い彼女が、自分の脳が破裂する中で誰にも頼ることができず……それでよく泣いていたということだろう。あまりにも残酷すぎる話だが。
でも、そうか。
彼女は……元から、強かった訳ではないんだな。
「(なのに、ウチでもルナでもなくてマコっちに。やっぱり、セイラも……)」
「(……違うんだ、ミオ。彼女は君を頼りたくない訳じゃなく)」
「(ううん、分かるよ。マコっち頼りになるし。多分理由があるんでしょ)」
そして、ミオも三好ルナも頼れなかったのは──「君のせいで自分が苦しんで死んでいる」と話せるわけがないから。ミオには、僕を頼る理由が「僕のことが大嫌いだから」なんてまるで想像つかないだろう。
辻セイラがそれを言うことは決してないし、僕が勝手に喋ることもできない。
……普段通りではあるが、改めてなんて状況なんだ。
親友が、親友の自分には一切頼ろうとせず、友人の友人にだけその内心を曝け出そうとしているだなんて……ミオも相当複雑な気持ちを抱えているはず。僕だってハルキが、僕に頼らずアサヒに声をかけようとしていたら「えっ僕は?」となってしまうだろう。
「……ウチ、ちょっと出てるね」
「え? お、おいミオ──」
「──マコっち! 絶対、セイラに手ぇ出しちゃダメだから! いい!?」
「当たり前だろう! 何言い出すんだ君は!」
──バタン!
な、何を急に。
辻セイラに手を出す? そんな訳あるか。色んな意味であり得ない。
ここは病院だぞ。そんな場所で「女性に手をかけていい」なんてルールがある訳ないし。
今、彼女は絶望で涙しているんだ。その悲しみに付け込むような真似していい訳がない。
部屋に男女が二人きり……とはいえ、そういうムードになっているなんてこともないし。
そもそも僕達は仲が良くない。彼女が抱き着いているのは頼れる相手が他にいないから。
なんでミオはあんな忠告をしたんだろう。
そんなこと、僕も辻セイラも君以上に分かり切っていることだというのに。
……ああいや、あれは彼女なりに空気を変えようとしてくれたのか。
じゃなきゃあんなこと言う必要ないものな。
ずっと落ち込んだ空気のままじゃどちらも何も言い出せないままだ。
彼女には後で礼を言おう。今日はもう、何度目か分からないが。
「……辻セイラ。何があった」
「……ぐす」
「おい。聞こえてはいるんだろう」
だが結局、どうしたらいいんだ、本当に。
この女との接し方なら、とっくに決まっていたはずなんだ。協力する時は協力する、それ以外の時はいつも通り。僕達は共に問題を解決するパートナーであって、友人じゃない。その上、それでずっと成立してきた間柄なんだ。他の人ならともかく君を慰めるにはどうすればいいかなんて、考えたことも無かった。
まあ、できるのは動かせる左手で撫でて落ち着かせてやる……ぐらいか?
アラタが小さい頃はよくやっていたが、生憎それくらいしか思いつかない。
「ほら、落ち着くまでこうしてやる。嫌だったら言えよ」
一応害は無いはずだ。別に大丈夫……いやでもこれセクハラになるのか?
彼女の僕に対する好感度は-2。そんな相手に急に撫でられても背筋が冷たくなるだけだろう。後で我に返ったこの女が何と言うか……。
「……うん」
……まあ、それは。
彼女が落ち着いて、話ができるようになってから考えればいいか。
*
「……ありがと。だいぶ、落ち着いたかも」
「それはよかった。礼なら僕の左手に言ってくれ」
「ありがと、瀬尾の左手……」
「相当疲れてるんだな……」
まあ、落ち着いてくれたのなら良かった。
目元も腫れているし、声も掠れているから万全とはいえないが……看護師さんに無理を言って面会時間を延ばしてもらった甲斐があったというものだ。
個室でよかった。おかげでミオが毎日入り浸れるし、こういう時にも融通が利く。
僕達を見つめる看護師さんの生暖かい目が少し気になったが……まあ些細な問題だろう。
「それで、何があった辻セイラ。適正な距離感を間違えていると思うんだが」
「……そんなこと言わないで」
……えぇ?
……。
???
「本当にどうした? さっきミオに『1年間泣きはらす方がマシ』とかなんとか言っていたんだろう。今の君の態度はどう見ても直前の発言と矛盾しているぞ」
「……私、そんなこと言ったっけ」
「言った言った。ほんの数分前の会話を……」
……いや待てよ?
ほんの数分前? 何を言っているんだ僕は。
数分だと思っているのは僕だけで、彼女は既にループを終えてきた身のはずだろう。もしループ期間が3日間なら、さっきの発言は3日+数分前の発言ということになる訳で。覚えていないのも……。
……無理があるな。
3日前の発言内容を忘れる? もし彼女が普通の人間であればありえるかもしれないが、目の前にいるのはループに特化したあの辻セイラだ。果たしてそんなことあり得るのだろうか。
だとすると……。
「……待て。君、今何周目だ。ループが開始してから、どれだけの時間が経っている」
「確か……今が、6回目。ループが始まってから、今で……」
「……たぶん、合計1年、経ってる」
……は?
「い、いいい、1年? 1年だと?」
「タイムリミットは、何もしなければ、2月の上旬……だったはず」
「……!?」
えっ年上……?
辻、セイラ……さん?
いやいやそんなこと考えている場合じゃない。
目上の人に敬意を払うのは当然のことだが、彼女の体に変化はない。一応まだ同級生だ。
だが……1年?
そして、タイムリミットが2月の上旬? 大体、1.2ヶ月ぐらい?
……えぇぇ?
だ、大丈夫か? 僕の代わりにベッド使うか?
「そ、それなら当たり前だ。自分の発言を覚えていなくても無理はない……」
「ごめん……」
「いや、君が謝ることじゃない。ここまで長いループの経験は?」
「ない……」
……なるほど、ここまでダメージを受けたのは初めての経験だと。
ループ期間を短く感じるのも当然だ。今回ループ期間が極端に長かっただけで、実際に『大切な人』が死ぬイベントが起こったのは週単位ではなく、月単位だったんだから。
1.2ヶ月……どれほどのループなのだろう。聞くのが怖くなってきた。
1.2ヶ月というのは、ただ期間が長いというだけでは無い。
それまで生まれた様々な思い出も消えてしまう。
新たに築いた関係性等もリセットされてしまう。
いつ解決したのか、それが分かるのもかなり後。
同じことを繰り返すのだって相当苦痛なはずだ。
だから、ここまで疲労をしたと。
そして、5回繰り返しても、それでもなお解決せず、つい涙がこぼれて……。
「……今が6回目と言ったな」
「ん」
「タイムリミットは、2月の上旬だったか?」
「そ」
……6ヶ月?
5×1.2は6だ。12ではない。1年ではない。
彼女の計算ミスか? いいや、彼女はそこまで馬鹿ではない。そんなことはあり得ない。
つまり、5回のループの内にタイムリミットを先に伸ばせた周が存在したということだ。
平均1.2ヶ月も期間を延ばせるだけのループ内容だったということで……。
……なんだそれ?
あまり思いつかない。問題が先延ばしになるのは分かるが、そこまで時間がかかるというのは……どういう?
「……それで、今回はどんなループなんだ?」
「おばあちゃんの………………寿命が」
「待ってくれ」
……寿命?
寿命と言ったのか、彼女は。
「うん」
「待ってくれてありがとう……事実なんだな?」
「うん……お医者さんも、もう長くはないって」
…………………………はあ!!?
おかしいおかしい。
この能力は『大切な人を救うために死に戻る能力』だろう。寿命って。
老衰なんてどうしたって回避できないだろう。
何を言っている。そんなものあって堪るか。
一応、老衰にも不可逆的なタイミングは存在する。
それは、回復力が閾値を下回った瞬間か、決定的な合併症が始まった瞬間だ。
しかし、WPPO-HBの存在により、この世のほぼ全ての合併症は治せることが分かっている。つまり、所謂老衰と呼ばれるものは「体が完全に限界を迎える」という現象のこと。
生活動作の低下、筋力や体重の減少、日常生活全般への介助、食欲や水分摂取量の減少、意識や反応の鈍化……そして眠る時間が増えて最終的に死に至る。
最後の「眠る時間が増える」というのはもう引き返せない段階のはずだ。能力が定義するタイムリミット、つまり「まだ引き返せる段階」というのは……2月上旬に見られる「摂取量の減少」や「意識の鈍化」まで、ということになる。
逆に考えると、今は「昔ほど動けなくなった」「食が細くなった」「もう歳だからね」となっている状態か。そこから辻セイラが努力して平均1.2ヶ月、タイムリミットを先延ばしにし続けたと。
しかし、それはおかしいはずだ。
「君の……母方の祖父、父方の祖父母の時は、どうやって解決したんだ?」
「……」
君の家族構成は知っている。妹、母、父、母方の祖母。以上だ。
その三名は既に老衰で逝去したはず。その時はどうやって解決した? 今があるということは解決した過去があるということだよな? その時と同じ方法を取ればいいだけではないのか。
「……パパの、おじいちゃんとおばあちゃんは、私が生まれてすぐに亡くなってた」
あ、ああ。
それがあったか。
要は『大切な人』になる前に、交友が深まらなかったということだな。
彼女の『大切な人』というのは彼女の主観に依存する。だからこそフィクションの人間にも対応してしまう訳だし、生まれてすぐの頃なんて大切なのは日常的に接する機会の多い両親ぐらいのものだろう。
あるいは、自分が生まれる前に死亡していた、そういうケースもあるはず。
その場合であれば、確かに解決した過去が存在していなくてもおかしくはない。
となると、解決法を一から模索しなくてはという問題が……。
「でも、ママのおじいちゃんは、寿命で亡くなっちゃったけど」
「え」
「優しい人で……あの頃の私にとって、大切な人で……」
……ま、待て。
君の、『大切な人』は君の主観によって決まる。
もう二度とフィクションにはハマらないことで解決した過去のループからそれは事実だ。
だと、すると……まさかとは思うが。
そんなことが、あっていいのか。
「でも、私、ループになって、それで、私、おじいちゃんに……」
「『おじいちゃんなんて、大っ嫌い!』って、それで、私……」
「言わなくていい。大丈夫だ、大丈夫だから」
「うぅ、うっ、うわああああん……!」
最悪だ。
最悪だ。
本当に最悪だ。
だが、それは事実だ。
彼女の能力は彼女の主観に依存している。
彼女の『大切な人』であっても、彼女が嫌いになってしまえばその対象のリストから外れてしまう。嫌いだから死んでも気にならない──「どうでもいい人」になってしまう。それなら解決するのも当然だ。
さっき「あの頃の私」と言っていたのだから……どれぐらい過去だろうか。
中学生? 小学生? それよりずっと年下の時期の可能性もある。そんな年頃の少女が、脳が圧縮・破裂する激痛を何度も何度も味わい続け、肉体の劣化を止める術なんて存在しないのにひたすらにループを繰り返し繰り返し繰り返し……。
勿論、本人も「ループを脱したい」と思って発言した訳ではないだろう。だが、ループの中で生まれてしまった「どうして私が」「どうしてこんなことを」という行き場のない怒り、悲しみ、絶望を……原因である祖父に向けずにいろというのは、無理な話だ。
しかし、実際に彼女は「祖父に嫌気が差し」、それでループを脱出できた。
その代償として「何度も救おうと努力した祖父」を失った。しかも、『大っ嫌い』なんて言葉を向け、それの謝罪ができる暇もなく、向こうに「自分は孫から嫌われた」という思いを抱えさせたまま……。
嫌いになったから問題解決? そんな訳はない。本当に完全に嫌いなままで今後一生生きていけるなら、当時のことをここまで後悔なんてしないだろう。実際に死んでしまうと、その相手に対する想いが蘇ってしまうんだ。それがどれほど辛いことか。
どうして辻セイラが泣いていたか?
老衰という高すぎるハードルに絶望したから? 違う。
「わっ、私、おばあちゃんのこと、嫌いになりたく、ない……いやっ、いやだあ……!」
「分かってる。今は泣けばいい。僕の胸ぐらいいくらでも貸すから」
当たり前だ。
そんなこと誰だってしたくない。僕はなんてことを聞いてしまったんだろう。
理屈の上ではそれが最善の策だと分かっている。
この能力は老衰も『大切な人の死』に含めるカス能力であり、老衰はもう避けられるものではなく、かつて彼女にはそれを解決した経験があり、この手法は何度でも使える……。
でも、こんな手法使える訳がない。
フィクションの人間を嫌うのと同じ感覚で、肉親と喧嘩別れしたまま死んでもらうだなんて……そんな行為、何度も何度もできる訳がない。
この女が排他的に振舞っているのは外の人間にだけ。いつでも家族を切り捨てられるほど冷酷な人間ではないし、それができる人間なら僕を振り切ってまで教室を駆けだす必要なんてないんだ。
気になることは他にもある。
周囲の人間だって、全員最終的には老衰で死ぬのにどうするのか。
君自身も『大切な人』のはずなのに、自分の老衰はどうするのか。
完全にではなく、「適度に嫌う」等のいい塩梅は存在しないのか。
でも、今の彼女をそんな風に質問攻めする気にはとてもなれない。
彼女が今どれだけの絶望に包まれているのか、そんなこと僕には微塵も分からないんだ。
今の辻セイラは「最終的には祖母のことを嫌いになって、喧嘩別れしなくてはいけない」というどうしようもない事実を突きつけられている。薄々自分でも、そうしなければいけないと理解し始めている。
そんな中で、「もしかしたら」「瀬尾マコトに頼れば」「何とか解決してくれるかもしれない」……そんな一抹の希望に全てを懸けて、こうして僕に相談してくれた。
「瀬尾は……1年間、ずっと私に、『大丈夫か?』って……ずっと、声をかけてくれて」
「いい。それが僕の役目だ。そう約束したんだから」
「ごめん、ごめん、ごめん……もう少し、ぎゅってさせて……」
彼女は、僕に「老衰」を解決することを期待している。
できる訳がない。そんなこと、どうすればいいか、僕にだって分からない。
でも、そんなこと彼女には言えない。
今年の春は、まだそう言えたかもしれないのに。
僕達は、もうただの知り合いじゃなく……共に問題を解決するパートナーなんだから。
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