[25:00] あるマザコンの3ヶ月
4月。
3年生になった。
受験まであと一年を切っている。
志望校は既に確定。現状の成績なら問題ないが、油断していい理由にはならない。
委員長は──まあ、またやるんだろうな。誰もやりたがらないし、成績優秀生でないと時間が取れなくてそれどころではない。2年間やってきた実績がある以上、ここで降りる方が無責任だ。
となると、他に学年が上がって気になるトピックといえば……。
「あっマコト。あったよ、僕と君の名前」
そう。
クラス替えだ。
「待て待て。今全員分覚えてるんだ。あと10秒くれ」
「別に僕達が一緒ってだけでいいじゃないか。残りは追々覚えて行けばいいよ」
「ハルキ、名前は大事だぞ? これから1年を共にするクラスメイトなんだし」
「せめて教室入ろうよ。顔見る前に覚えるのはマコトぐらいだよ」
そうだろうか?
名前を早めに覚えて悪いことなんか全くないし、何より母さんが『名前は早く覚えてあげた方が相手も喜ぶんじゃないかしら』と幼稚園に入る前に教えてくれた。あれは金言だ。あまり交流の無い人からも自分の名前が覚えられていると人は案外嬉しいものだからな。
実際、こういうことをしていると時間さえあれば、その場で百人程度なら顔と名前を覚えられるようになるぞ。その記憶力を実践で試せた記憶は一度も無いが。
しかし、結構理想的なクラス配分だな。
流石に友人全員が一堂に会しているという都合の良い振り分けでは無いが──
「──おっ、委員長じゃん!」
「ん、アサヒか」
「げ……日高君だ」
「委員長も1組か? 奇遇だなぁおい!」
ああ、1組だ。僕も嬉しいよ。
せっかく仲良くなれた君と──幸運にも同じクラスになれるだなんて。
ハルキもきっと嬉しいだろう。彼と初めて出会ったのは12月の病院だが、1月には僕に誘われて三人でゲーセンにも行った。春休み期間には三人でアクション映画も観に行ったし、もうほとんど第二の親友みたいな……あれあんまり嬉しそうじゃないな。
しかし、ハルキとアサヒだけじゃない。
ミオ、九条ノドカ、辻セイラ、三好ルナ……他にもこの一年で顔見知りになった面子がそこそこいる。三好ルナは顔見知りというほどの仲でもないかもしれないけど。
確かに、新たに友人を作ろうという観点においては、こうして顔見知りばかりが同じクラスに集中するのは好ましくない状況といえる。
しかし僕達はもう受験生だ。見知った人間同士で協力できる方が都合もいい。
そう考えると、やはり理想的なクラス配分と言えるだろう。
「マコっちー!」
──ドンッ!
「うおっ!」
「同クラじゃーん! やったー!」
だ、誰だ! なんだこの柔らかい感触は!?
まさかミオか!? おいやめろ隣にアサヒがいるんだぞ!
「(またマコトの周りに人が増えた……)」
「おお桐島じゃん。今委員長からすげー音しなかったか?」
「あっアサヒじゃん、おはー。マコっちなら大丈夫っしょ、ウチ信頼してるし♡」
「待ってよ~……あっセイちゃんとミオちゃんのお気に入りちゃんだ。おは~」
「お、おお……? 三好ルナか」
あれ?
変だな。ミオがきちんとアサヒに気づいているぞ。
大丈夫なのか? アサヒの前でこんなことして変なイメージ持たれないか?
三好ルナがついてくるのは想定内だったが、彼女も見ているぐらいなら止めろよ。ミオの想い人については君だって承知だろうに。
……いや、さてはこれ、嫉妬を狙う作戦では?
あの入院の時期から、ミオは友達のような距離感でアサヒと接するようにしていた。
つまりこれは彼女なりの相手の気の引き方なんだ。これまで上手く接することができないでいた桐島ミオはもう終わり、これからは気軽にスキンシップできる雰囲気でより彼の欲求を引き出す方向にシフトしたと。
なんだ、作戦なのか。それなら勉強会の時に言ってほしかった。
そう考えれば今の行動にも全部納得がいく。僕は踏み台としての責務を全うするほかない。ハルキの機嫌がさらに悪くなったのはこの際見逃すとしよう。後で話を聞いてやればいい。
ちなみにアサヒの彼女は君に負けず劣らず繊細だぞ。強敵だと思う。
「マコト。そんな不良は捨て置いてもう教室に行こうよ。ここにいても人の邪魔になる」
「おっと。そうだな、他の皆もクラスメイトの名前を覚えたいだろうし。移動するぞミオ」
「え? いや、そんな不良は捨てれば……」
「あっちょっ、マコっち……! そ、そんな急に脚掴まないで……♡」
「(お~委員長大胆だな)」
「(ミオちゃん頑張ってるね~)」
「……何やってんのアンタ」
あっ辻セイラ。
「? どうしておんぶしているんですか?」
あっ九条ノドカ。
「へ? あっ……セイラ」
えっちょっミオ首締まってる痛い痛い痛い首抱きしめないで。
「と、とりあえず全員移動しないか。皆1組だし……あとミオ首締まってる」
「えっごめん。苦しかった?」
「全然。降りるか?」
「降りない。運んで♡」
そう? 周りの目とか気にならないか?
まあ君がならいいけど。別におんぶを禁止する校則も無いし。
でもあんまり仲良くしてると辻セイラに怒られそうで怖いんだよな。
「こんな男よくないよミオ」
「ウチもセイラと男巡って喧嘩はヤだよ」
「私とマコトはそういうのじゃないって……」
しかし、辻セイラもなんとか立ち直れたか。
祖母の死後は3日間全く連絡も取れなかったし、忌引きが終わって以降もずっと落ち込んでてミオと三好ルナがずっと慰めていたのが昨日のことの様だ。
一度辻家にもお邪魔させてもらったが、辻カリンも辻母もテンションが低かったし。辻父に「どうしよう」と頼み込まれたときはこっちこそどうしようかと。
ただ、例の作戦は上手くいった。寿命相手にあの作戦が通用することは確認できた。
彼女は祖母との関係を悪化させることなく無事に最期の別れを告げることができた。
WPPOからも特に怪しまれてはいない。九条ノドカも普通の友人として暮らしている。
「辻セイラ」
「ん。なに」
「あれ以降、大丈夫だったか? 『何か』問題は起きなかったか?」
「……うん。『何も』起きてない、ありがとね」
そして彼女は、こうして素直に学校に来れるようになるまで回復した。
結果論にはなるが、僕の判断は正しいかどうかはともかく、少なくとも間違っていなかったということだ。
1年前まで、この中で知り合いはハルキだけだったのに。
辻セイラは仲の悪いクラスメイトで、ミオも三好ルナはよく注意する相手。アサヒとノドカについては知りもしなかったのに、この一年で全部変わった。
その原因があのカス能力というのは癪だが……今の関係性は、そう悪い気はしない。
「(こんな人達がいても、君の邪魔になるだけだよ……マコト)」
*
5月。
ゴールデンウィークだ。
「『何か』問題は起きていないか?」
『まだ大丈夫、何も起きてない。GWでも心配?』
「夏休み期間中に勝手にループした前例があるだろう。何もないなら良いが」
『ふーん……何の音? ごはん?』
「そうだ。今日は僕が料理当番だから」
これでも我が家の台所は気を遣うんだ。
母さんには食べさせられない食材が色々あるし、栄養面にだって気を配らなきゃいけない。塩分とタンパク質、水分にも注意する必要がある。今日は手を抜こう、有り合わせで済ませようなんて発想は母さんがいない食卓でしか許されない。
僕がいないときはアラタがアラタらしい少し拙さの残る料理を。
アラタがいないときは僕がグラム単位で栄養素を推定した料理を。
二人とも時間を取りにくい日は母さんが骨身を削って愛情の込めた料理を。
我が家の当番表はこれで固定だ。
本当は毎日母さんの手料理だけ食べていたい。
しかし母さんにそこまでの負担を強いる訳にはいかない。
我が家で台所に立つのは男だけで十分だ。
母さんは居間でただ待ってくれるだけでいい。
あれ、だとすると僕はいつ母さんの手料理を……。
「兄さん、ちょっといい?」
「っと、アラタ。すまない辻セイラ、切るぞ」
『分かった。またね──』
「──よし。で、なんだアラタ」
「理科で習った内容で質問があるんだ。今大丈夫かな」
「中学の範囲なら料理しながらでも答えられるさ。遠慮しなくていい」
アラタも今年で中学三年生。つまり僕達と同じ受験生だ。
将来は母を楽にさせたい、だから医者になりたいと言っていたこの子がもう来年には今の僕達と同じ高校生……なんて感慨深いんだろう。あの母さんとはどう足掻いても釣り合わないカスの代わりに僕は今猛烈な親心を感じている。
内容は……ふむふむ、腎臓か。
今のうちから生物に関する知見を深めようとするアラタの気持ちはこの世で二番目に尊いものだ。一番目は勿論母さんだが。彼はきっといい医者になるだろう。激務だと聞くから無理だけはさせたくない。
医者だったらきっと僕も母さんの役に立てるんだよな。今からでもいいから僕も医者の方向性を目指してみるか? 自分で診察ができるようになればすごく安心できるかもしれない。
……っと。
思考がめちゃくちゃ逸れてしまった。僕は一体何を。
「腎臓って血液を濾過するって書いてあるけど、何を濾過してるのかな」
「老廃物と余分な水分と電解質だ」
「電解質っていうのは?」
「母さんを苦しめる憎きナトリウム、カリウム、リン、カルシウムとかだ。バランスが崩れると体が動かなくなる」
「なるほど……ありがとう、兄さん」
「どういたしまして」
うむ。
しかしそうなると、アラタは我が家の食材に様々な制限がある理由を中学三年生になって本格的に知ることになったということか。これまでは僕が「ルールだからダメ」「母さんのために」と言ってきたが、アラタも腎臓の仕組みを勉強して理由を理解できたと。
腎臓の排出機能が不完全だと血中濃度が上がって心臓が止まってしまうからな。
より深い知見を得てこれからも母さんに尽くすべきだと心に誓うんだぞ。
「……息子たちは好きなもの食べていいのに~」
「あっお母さん。わざわざ台所まで来なくても大丈夫だよ」
「その通りだ、母さん。話があれば僕達の方から行く。それに、母さんが控えなければいけない栄養素は今後も僕が管理するし、僕達の好みより母さんの健康の方を優先すべきだ」
「よよよ。私のせいで息子たちが修行僧みたいになっちゃう……」
そんな。
別に他所の家に行ったり、外に遊びに行くときはきちんと食べているのに。
果物も芋類も豆類も、乳製品も加工食品もスナック菓子も、インスタント食品だって食べた経験はあるんだから、十分すぎるほどだ。逆にそれらを沢山食べてはいけない母さんの前で、見せつけるように食べる人間の方がどうかしている。
しかし母さんが悲しんでいるところは見たくない。
今の言い方だと修行僧は好みじゃないみたいだ。
一度完全な衛生管理を施し、我が家で減塩ではない醤油を使ってみるか……?
「いや、違うか。いつもありがとうね、マコト、アラタ。こんなに無理させちゃって」
「何を言っているんだ母さん。僕が一番幸せなのは母さんの世話を焼いている時なのに」
「そうだよ。お母さんと兄さんがいれば瀬尾家はそれで充分だよ」
「……息子たちが私に甘すぎるわ~」
……まあ、辻家を見た僕からすれば、少しこの家がおかしいことは分かる。
過度に制限された食生活。栄養を取りすぎても取らなくても駄目。毎回精密に管理して食卓の内容を決める必要がある。ただ除去するだけではいけない。
末期ではないが、外にはあまり出られない母親。日常生活は送れるが、あくまで送れるだけ。僕が養えるようになったらすぐにでも無職になってほしい。
そして、父親がいない。
まああんな男いたところで何の役にも立たない……むしろ有害だが。
どうして離婚届がまだ出ていないのだろう。
もし出ていれば完全に他人になれるのに。
それでも僕はこの家が好きだ。母さんが好きだ。アラタが好きだ。
きっとこの家を出ることはないだろう。僕が母離れできる日は来ない。
それで僕は満足だ。
父親がいないこの家を回しているのは自分。その自負が僕にはある。
家族を守っている辻セイラも、こんな気持ちなのだろうか。
今思うと、改めて残酷な提案をしたものだ。
──ピンポーン
ん?
「あら? お客さんかしら」
「配達は頼んでいないが……すまない、アラタ。見て来てくれるか」
「分かった。兄さんは料理中だからね、僕が見てくるよ」
……誰だろう、こんな時間に。
アポなしで、夕食時に。可能であればお引き取り願いたいものだ……。
*
6月。
梅雨の時期だ。
雨は正直嫌いだ。母さんが体調を崩しやすい。
それに大体1年前に大事なプリントを雨で全部駄目にしてしまった記憶がある。
あれは割と落ち込んだ。
おかげで学生鞄の中には傘だけではなくビニール袋まで常備するようになった。
しかし、雨が降っていると人の動きも疎らになる。
濡れたくないから影に集まる人が増えるし、逆説的に誰も見ていない場所が増える。
つまりは、密会がしやすくなるということ。
「でさ、アンタ最近、ミオとくっつきすぎ」
「それって僕が悪いのか」
「悪いよ。大事な親友がこんな規則男と登校から下校の時間までイチャイチャイチャイチャ……普通に不快。なんかモヤモヤする」
「許してやってくれ。彼女なりの健気なアピールなんだ」
「なんなのこの男……」
なんなのとはなんだ君。
ミオが結構純情なことは君もよく知っているだろう。
彼女はアサヒを振り向かせるために今日も努力を欠かしていないだけだ。
もしこれが練習でなければ「もしかして僕に気があるのでは……!?」という悲しい勘違いをしていただろう。1年前ならともかく、今の彼女は普通に仲の良い友人。意識しないこともない。
流石に見られてもいない時間帯まで徹底してアピールしてくる意味は分からないが、いつ何時もプロ精神を忘れない彼女の意識の高さには常々驚かされる。
分かってるか九条ノドカ。
君に言ってるんだぞ。
最近は平和過ぎて九条ノドカが普通に高校生やってるからな。
もう長いこと職員としての彼女の顔を見ていないぞ。
「しかし、せっかく密会までしてする話題がこれなのか?」
「仕方ないでしょ。実際、ミオのいるとこでアンタと話とかしにくいし」
「そうだな。僕も最近、ハルキが近くにいるとこうした話がしにくいことに気づいた」
「あの男もなんか重いし……」
4月から思っていたがハルキは一体全体どうしたのだろう。
アサヒとは辛うじて仲良くなれたみたいだった。今では三人で映画に行ってもそこまで嫌な顔はしない。ミオと違って相性が悪い訳ではなさそうだし、アサヒもそこまで勉強ができないから、たまに詰まったところを教えてあげているのをよく見かける。
ただ、他の面子と僕が喋っていると決まって不機嫌になる。
それも「一番の親友を取られて悔しい」とかじゃなくて、なんかもっとドロっとしたものを感じるようになった。もしかしたらハルキの視線からは赤外線以外のものが出ているのかもしれない。
そういえばベクトルは違うが、最近ミオも同じような目をするようになった。こわい。
「カリンのアレルギーは?」
「進展なし。前の診察でほぼ治ったから優先度が下がって予約が取りにくいんだって」
「それは……良かったのか? 快復傾向にあるなら一応朗報だよな?」
「まあ、一応。『マコトくんにたこ焼き奢ってもらうー!』ってよく言ってる」
なんかカリンめっちゃ僕に奢らせようとしてくるな。
だが、例のFDEIA発覚からもう早1年か。1年でアレルギーが治るWPPO-HBも大したものだが、本当にしっかり小麦ルールを徹底して守り抜いている彼女も素晴らしい。
祖母の死からも比較的早く立ち直ったと聞いているし。やはり精神的な面では辻セイラに肉薄する強靭さを兼ね備えているのかもしれない。似たもの姉妹というか。
とにかく、ルールを守り続けているのは好印象だ。
たこ焼きだけじゃなく他の粉物でも奢ってあげてもいい気がする。
前は結局アイスを奢りそびれているし。
姉は妹の素直さを見習った方が良いぞ。
「……」
「……」
「……」
しかし、それぐらいだな。
もう議題が無い気がする。もうすぐ今年が始まって半年なのに、驚くほど平和だ。
平和なのはいいことだし、そうなればこの密会すら必要なくなるのだが。
辻セイラもすっかり立ち直ったことだし、慰めの言葉すら不要になってしまったらいよいよ僕には手持ちが無い。今日は早いがもうこれぐらいでお開きにすべきだろう。
「……ねえマコト」
「なんだ」
「その……今月は言ってくれないの? 『何も起こってないか』って」
えっ……。
た、確かに。気づけば今日は聞いていなかった。
何か起こってるのか? ま、まさか半年ぶりの死に戻りか?
……それならこんな遠回しな言い方しないか。
僕がいつも聞いていた質問をしなくなって違和感を覚えたんだろう。
「一応、何も起こってはいないんだけど……なんかあった?」
「なんかとは?」
「だってアンタ、最近キレがないというか……疲れてる?」
「……」
疲れて、そう。か。
そうか、そう見えるのか、今の僕って。
「まあ、個人的な悩みが……ちょっとな」
感想やご意見をお待ちしていますのでよろしければ……(´・ω・`)
お気に入り・評価・ここすき等も、可能であればぜひお願いします。非常に助かります。