7月。
そろそろ夏休みだ。
ということは期末考査がある。
受験も近いし、これまでと同じ態度ではやっていけない。
……ふぅ。
ただ「勉強をしろ」と言うだけでは人はやる気にならない。
元から言われなくても勉強にしか興味が無いハルキは問題ないとして、勉強への意欲を実らせるためには様々な工夫が必要だ。逆にそれらを用意してやれば、ある程度の人間は勉強に意欲的になれる。
僕は昔から友人にはしっかり勉強する習慣を身につけるように再三主張していた。
そのための工夫も欠かさなかった。成功体験の反復とか、メリットの存在の定着とか、次への活力の源になるイベントとか、継続可能な目標とか、分からない内容を気軽に教える役とか。だから、基本的に僕の友人でテスト前になって焦り出すような人間はいない。
しかし、ここ最近の1年はそうもいかない。
あまり勉強の得意な方ではない友人が、急に増えてしまった。
「さ、桜台って……こんなレベル高いの? マジで?」
「手が止まってるぞ。良い大学に入りたいんじゃなかったのか」
だから今日は期末考査数日前の緊急勉強会だ。
丁度ここには、教える側と教わる側の人間が3人ずついる。
ミオが急に僕と同じ大学を目指してると言い出した時は驚いた。
僕と同じ法学部は流石に断念するらしいが……偏差値的にも無理があるように思えたし、アサヒが行く大学とも違う。距離でいえばかなり離れているはずだ。
しかし、考えてみれば、堅実な未来を見ているとも捉えられるだろう。
桜台大学は地元とはいえ国立大学。もし実際に合格すれば彼女の人生設計にも大きく影響するはずだ。少なくとも、今の学力のままが限界の大学よりは就活でも有利になれる。
将来的な貯蓄が増えればいずれ来る未来の恋人との生活でも余裕を持てるだろう。
そういうことを踏まえた上で、「良い大学に入りたい」と言ったのかもしれない。
アプローチにしてはちょっと遠回りな気もするが。
あー……僕も疲れているからそれ以上はよく分からない。多分色々あるんだろうな。
「だけど、だけどぉ……」
「ミオ?」
「はい先生♡」
実際、最近のミオは勉強への意欲が目に見えて上がっている。
彼女の現状を踏まえると桜台は今から本気で取り組まないと間に合わない。
1年前のミオからは想像もできない変化だ。あの頃は校則違反を繰り返し、授業への意欲もまちまちで、とても今の姿とは結び付かない。アサヒの存在が彼女をここまで変えたのだとすると……恋の力というのは大したものなのだな。
いいな、僕も恋したい。アサヒが羨ましいよ。
一方、そんなアサヒは……。
「なんでマコトが……ああやって人に教えるだけだなんて……」
「お、おうハルキ。オレも疲れてきたしちょっと休憩すっか?」
「いや、いいよ。君に教える分には構わない。ただ隣が気になるだけで……」
「なんで教える側が集中切らしてんだ……?」
彼は、メンヘ……束縛癖の強い彼女の意向で、少し離れた大学に進学するらしい。バスケサークルが活発だから彼自身に不満は無いようだが、今の学力では少し不安らしいので僕の隣でハルキからの集中講座中だ。
ハルキ曰く、感覚派だからか意外と呑み込みが早く、順調に実力をつけられているとのこと。今の調子で伸ばしていけば、入試には余裕をもって間に合いそうらしい。
なんだか大変そうだな。ミオの横恋慕は果たして成立するのだろうか。
加えて、ハルキの機嫌がずっと悪いのも気になる。
前々から「あと1年、あと1年我慢すれば……」とぶつぶつ呟いていたので怖かった。
気を紛らわそうとして「桜台志望が他にも何人かいるみたいだぞ」と言ったら、喜ぶどころかさらに絶望した表情を見せていたのが記憶に新しい。怖かった。
アサヒとは順調に仲良くなれているのが唯一の救いか。
「ノドちゃんは教えるの上手だね~」
「ええ。辻さんの友達は私の友達でもありますから、任せてください!」
「特に能力学が分かりやすかったな~……本職の人だったり?」
「えっ」
あの二人は相性がいいんだろう。
縁は無いが、どっちも天然そうだからな。息が合いそうだ。
三好ルナは親の意向で、富裕層向けの学校に通わされるらしい。
辻セイラの『大切な人』が違うキャンパスに通うことになるのは正直気が気じゃないが、流石に親の意向に歯向かってまで進路先を変えろと言う訳にもいかない。結局、何も事情を知らない九条ノドカが、入学までの学力維持のためこうして教える役になっている。
そんな九条ノドカ本人は僕と同じ桜台志望。
まあ……こっちは当然だろうな。僕の調査任務があるし、嫌なら拒否できるだろうが彼女自身は今の環境を気に入っている。上から「ちょっと大変だけど桜台目指せる?」と言われれば二つ返事で了承するだろう。
教えながらボロ出しそうになっているところは気になるが、まあ学力はハルキ並だし。
正直余裕で合格できると思う。
そう考えてみると、この集まりは2/3が桜台志望なのか。
なんだか途端に優秀なグループに見えてきたな。
「うぅ、やっぱムズイ……頑張ったご褒美とか………………ちらっ?」
「ねえ日高くん。男同士の友情ってどう思う? 男女にはそんなもの無いよね」
「急に何言ってんだ……? 受験ってそういうのも勉強すんのか?」
「本職……はてさて、一体何のことを言っているのか分かりませんね……」
「ノドちゃんすっごい目ぇ泳いでるよ。トンボ?」
……いや、気のせいだな。
本当に優秀ならテスト前に勉強会なんてしないものな。
「皆集中が切れているし、一回休憩しようか」
「さんせーい」
このままこれ以上続けていても非効率なだけだ。
皆他に気になることが色々あるみたいだし、一旦気持ちを落ち着けてから再開した方がいいだろう。
僕もなんだか疲れてしまった。期末考査までには調子を整え直さなければいけない。
ハルキと九条ノドカは問題ないだろうし、残り3人の分かっていない点だけ潰して、今日は一旦終わりにしてもいいかもしれないな。
「ねーマコっち」
「なんだ?」
「セイラも、桜台なんだよね」
「そうらしいな」
「……やっぱり、セイラも」
彼女が桜台を選ぶのは至極当然だろうな。
いざという時にすぐ動ける環境が整っているし、何より。
1. 『大切な人』のミオが志望している。
2. 奥の手こと九条ノドカが志望している。
3. 協力者の僕が志望している。
これだけの条件が揃っているんだから、他の学校を選ぶ必要性がまるでない。
ミオがこの勉強会に来ない彼女を心配する気持ちも分かるが……ハルキやアサヒがいる以上、『大切な人』が増えるリスクがある。きっと来ないだろう。
だが、学力的にも何も問題は無いはずだ。
辻セイラは邪魔な用事を潰すためや、時間作りの口実としてテストの得点を調整して取っている節がある。それ自体は非常に好ましくないことだが、意図的に点数を調整できるということはその気になれば高得点を取れるということ。
ただでさえ他より1年以上余計に高校生をして生きている訳だし、他の生徒より学習内容が定着しているのは確定だろう。そもそも必要になれば彼女はどんな手段を使ってでも目的を達成しようとするだろう。
彼女は彼女のペースで進めばいい。もし苦労するようであれば僕が教えればいいんだし。
……いや。
今の僕に、辻セイラでも分からないような問題を教えられるほどの余裕は無いか。
「そういや委員長。この前の小テストは何点だったんだ?」
「あっそれウチも気になる。なんか変に難しかったじゃんね」
「模試も近いので難易度を上げていたのでしょうか? 私も1問ミスをしてしまって……」
「ルナちゃんもケアレス多かった~……お気に入りちゃんはその辺きっちりしてそーだね」
「何言ってるんだい皆。マコトは今日も満点に決まっているよ。ねえマコト──」
「いや、96だったな」
「──え?」
「おーすげーじゃん! さっすが委員長だなー」
「お気に入りちゃんすごー。ハルくんとノドちゃんとで1位タイ?」
「4ってことは……え、計算問題ってコト?」
「そういえば変に複雑なものがありましたね。あれでしょうか?」
「そうだな。普通に前提条件を間違えて解いていたみたいだ」
人生で満点以外を取ってしまったのはいつぶりだろう?
小学校でテストの存在を知って以降すぐ対策したはずだから……大体11年ぶりか?
こんな様子じゃ駄目だな。テストなんて教わったものをルール通りに解くだけで満点が取れるものなのに。最近の僕は弛んでしまっているようだ。こんな姿、母さんには見せられない。
今日の勉強会は復習の意図もあったんだ。
ミオも分かっていなかったみたいだし、人に教えることで見直しを図るという……。
……それにしても、どうしてあんな単純なミスをしてしまったんだろう。
冷静になればあり得ない計算だった。きちんと集中していれば解けたはずだったんだ。
本当に疲れているんだな、僕は。
早く家に帰ってアラタを見て癒されていたい。
母さんと同じ空間にいることで元気を補給したい。
……でもやっぱり、今は帰りたく……。
「え、え、え? え? は? マコト?」
「ハルキ? どうしたんだ」
「マコトが? 満点を? 取れなかった? え? 嘘だろう?」
「残念ながら本当だぞ」
何その反応。
怖いんだが。
ほら周りもドン引きしてるじゃないか。
どうしたんだ急に。
さては、もしかしたらハルキに見限られてしまう? 満点を取れなかったから?
それは困るぞ。君が勉強と勉強できる人間を高く評価しているのは知っているが、それ以上に僕達の間には確かな友情があったんだ。少しのミスで見放されてしまうのは正直辛い。
というか、毎回最高得点は返却時に黒板に書かれるじゃないか。
見ていなかったのか……っと、うわっ!?
「ちょ、ちょっと来てマコト!」
「お、おい! 引っ張るな!」
「来て!」
「わかっ、分かったから!」
「えっ待ってマコっ──」
──バタン!!
*
「マコト。説明してくれるかい」
「人生初壁ドンなんだが。しかもされる側だなんて」
「僕だってする側になりたくなかったし、こんな形で初めてを使いたくなかったよ」
急にどうしたんだハルキは。
こんな人気のないところまで連れてきて。
普通壁ドンって背が高い方がやるものじゃないのか。
傍から見たら抱き着いてるだけだぞこれ。
「でも、分かってるのかい。マコトが満点を取れなかっただなんて」
「……それについては反省している。油断していた」
「油断? その程度で君がミスするものか。11年間一度もなかったのに。あまり僕を舐めない方が良いよ。そんな口八丁手八丁で誤魔化せると思ったら大違いだ」
「えぇ……」
……まあ、今の彼が極めて珍しい状態にあることは理解できる。
普段の彼は冷静で、穏やかで、僕の隣で静かに本を読んでいるタイプの人間だ。ハルキがこうして強引な手段を取ろうとすることはこれまで無かった。
勉強一筋でやって来た男だ。ハルキにとって、僕の満点は当然のものだったんだろう。勉学に関連する、ずっと変わらなかったものが急に誤作動を起こしたから動揺してしまっているんだろう。
……それにしても、少し過剰な気がするが。
しかし、僕自身、動揺しているんだよ。
96点。たかが4点……されど4点だ。
あの問題は前提条件を読み落としていた。いや、読み落としたんじゃない、読んでいる最中に頭が別のところに行っていた。5月の、あの夕方の──
「思えば、ずっと様子はおかしかったんだ」
「……」
「去年の4月から、急に君は辻さんを注意しなくなった。夏からは桐島さんとも仲良くし始めた。辻さんの家に泊まりに行ってるのも見た。クリスマスには桐島さんと二人きり? 変だ、変だよマコト」
「いやそれは──」
「今年の5月からもっとおかしくなった。放課後すぐ帰るようになったし、店長さんから聞いたよ、バイトの数も減らしただろう。授業中もたまに上の空になることがあったし、委員会の仕事を『明日やる』って言い出したこともあった。さっきも桐島さんに教える手が数秒止まってたし、疑問に思ったことをあまり深く考えずに後回しすることが増えたし、代わりに家族の話をすることが減ったよね。毎月こっそり辻さんと二人でどこかに行っているのは何か理由があるのかい? あと君、桐島さんによくつけられてるよ。結局あの怪我が何だったのかも聞いてないし、そもそも僕はあの問題解けたから君が間違うはずが無いんだ。それと……」
「あわわわわ」
ええええええ。
な、何が起こっている……?
どうしたどうした。「こんな強引な君は見たことが無い……」だなんて思ってたのに。それを上回るインパクトを出してくるんじゃない。びっくりするじゃあないか。
というか、そこまで僕のことを見ていたのか? え、なんか最近ハルキとよく目が合うなーとか呑気に思っていたんだが。もしかして、僕はずっと観察され続けていたのか? それが今堰を切ったように溢れ出して……いやいや、流石に溢れすぎだ。こんなもの、「ちょっと過剰」どころじゃないぞ?
僕達はずっと純粋な親友同士だったじゃないか。一体どうしたって言うんだ。
もしかして、ずっと何か我慢していたのか? それならそうと言ってくれれば……。
「君はやっぱり、あんな不良達と関わるべきじゃなかったんだ。あの女狐達のせいで……」
「……ん?」
「君ならあの程度の不良達も簡単に、掌握すると思っていたのに。気づいたら辻さんに良いように持っていかれて、桐島さんにはベタベタベタベタベタベタベタベタ……」
待て。
待て待て待て。
「急に何を言っている」
「え……? 君が集中できていなかったのは、あの不良達のせいじゃないのかい?」
「全くの誤解だ、彼女達は関係ない」
「え、あ……そ、そうなんだ。早とちりしてしまった」
君の気持ちは分かる。
君は不良を嫌っていたからな。
だがいくらなんでも今のは論理の飛躍だ。今指摘しているのは「僕が満点を取れなかったこと」であって、君はそれを「去年の4月から続く個人的な不満」と混同してしまっているだろう。
最近の僕の異変を勝手に去年からの延長線上に置かれても事実と異なるから困る。君の言い分だと「あの連中と関わったせいで、ついにここまで来た」と繋げていることになるが、その理論だと僕は去年の4月からおかしくなっていないといけないじゃないか。
……あっ。
「……じゃあ、何が原因なのさ。こんなに変わってるのに、全部気のせいだって言う訳じゃないだろう。何か言いにくい理由でもあるのかい?」
「それは……」
しまった、どうして否定してしまったんだ。
否定すれば、さらに追及されることは分かり切っていたじゃないか。
「……まさか、君のお母さんに何か? その、それなら、失礼したよ。ごめ──」
「──いや、違う。そうじゃない、そうじゃないんだ」
母さんは関係ない。
母さんは変わっていない。
ハルキに謝られる筋合いもない。
母さんのことを心配してくれるのはありがたいが、方向が違う。
変わったのは母さんじゃない。家の中の人数だ。
5月のあの夕方、アラタが玄関を開けて、そこに……。
「……っ」
「マコト……?」
……だが、それをハルキに言ってどうする?
確かに、彼の「どうして?」を解決することはできるだろう。
一時的に今の苦しい状況から逃げ出す言い訳を作ることはできる。この場を切り抜けるためなら、言った方が楽なのは確実だ。僕が疲れているのも事実だし、聞けば彼も安心できるかもしれない。ハルキは我が家の事情を知っているから納得するし、それ以上何も聞いて来なくなるだろう。
しかし、言ったところで何か解決する訳じゃない。ハルキにできることは何もないし、法的に解決できない問題を一番の親友に背負わせるのは間違っている。「教えてほしい」と言っている親友の感情を、わざわざ「聞いて後悔した」に変える意味なんてない。
だから、僕は……。
「……もしかして、『父さん』の方が?」
「ッ、ゃ、止めてくれ!」
「! ご、ごめんっ!」
違う、違うんだ。
君は何も悪くないし、その呼び方は間違っている。
そうだ、その呼び方は間違っている。
あんな言葉を使わせて、ハルキの口が汚れてしまった。
吐き気がする。
気分が悪い。
頭が痛い。
「僕に、『父』はいないんだ……」
「マコト……」
「あんなもの、『瀬尾家の父親』なんかじゃない……ッ!」
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