「まぁ能力者がいる世界ならそういう組織があってもおかしくないよね」ってことで見逃してください。
「よく来たね。逃げたらどうしようかと」
「呼びつけておいて随分な言い草だな」
こっちは帰ってすぐ、母さんに外泊することを伝えて、許可をもらってきて、荷造りをして、「勉強会」のための教科書を選別して、弟に母さんを頼むと伝えて、教えられた住所まで寄り道せず真っすぐ向かってきて……この短い時間でとにかく大変だったんだぞ。
それに、同年代の女性の家に泊まるのは初めてだし、これでも結構緊張しているんだ。僕がこの家に辿り着くまでどれほどの苦労を要したか、無茶ぶりする側の君にはきっと分からない。
「……まさか、意識してる?」
「勘違いするなよ。僕は君の妹を救うためにこの作戦に乗ったんだ。君のためじゃない」
「良かった。ここで変なこと言ってきたらドア閉めるところだった」
……ありがとう。そこまで言われると緊張する気も失せてきた。
僕のことが嫌いだし、嫌わないといけないからわざとそんな態度を取るのも分かるが。
やっぱり僕も君のことが嫌いだ。それがしっかり再確認できた。
「とりあえず入って。あと、家族の前では普通にすること」
「普通とは」
「仲の良いクラスメイト」
「無理があるだろう」
「やれ」
*
……案外、普通の家だ。
普通のリビング。普通のソファ。温かい照明。家族写真まで飾ってある。辻セイラの家と聞いて、もう少し荒んだ空間を想像していた自分が恥ずかしくなるくらい、普通の家庭だ。
少し偏見を持っていた自覚はあるが、思っていた以上に綺麗に片付いているし、小物の趣味だって悪くない。変な匂いもしないし……むしろ少し良い匂いがする。ハルキの家みたいだ。
そして、肝心の……辻セイラの『大切な人』である、この両親。
「わざわざ来てくれてありがとう、瀬尾くん。セイラが男の子の友達を連れてくるなんて」
父親は眼鏡をかけた落ち着いた感じの人だ。
年頃の娘が男を連れてきたんだからもう少し警戒すると思っていたが……よっぽど辻セイラを信頼しているのか。排他的な彼女が友人を連れてきたことが相当に珍しいのか。
「いつもの二人じゃないのね。お友達が増えて嬉しいわ」
母親は柔らかい笑顔の人だ。
セイラの話によれば、この人が藤見台での事故で死亡してしまうはずだった。こうして、実際に死亡するはずだった人が生きていると、自分のあの判断も間違っていなかったと思える。
温厚で、真面目そうで、穏やかで。至って普通の、健全な両親。
どちらも辻セイラから想像していた人物像とは完全にかけ離れている。不良の家庭だから荒れた環境なのだろうと思っていたが、見当違いも甚だしいと言うべきか。
というか……この二人からあの辻セイラが生まれたのか? 彼女に事情があったことは承知の上で、正直それでもなお信じ難いぞ。遺伝子はどこで道を間違えたんだ。
「瀬尾マコトです。セイラさんと同じクラスで、学級委員長を務めています。本日はお招きいただきありがとうございます。これから三日間、お世話になります」
……堅すぎるかな。
いや、初対面の保護者にはこのくらいで丁度いいはずだ。
思ったより普通の両親だったんだから、むしろこれが妥当だろう。
唐突に即日泊めてくれる懐の深さがあるんだし、逆に足りなかったかもしれない。
「あらあら、しっかりした子ねぇ」
「セイラ、こんないい子と友達なのかい?」
「……まぁ、そう……だね」
「へぇ~。今朝急に言われた時は驚いたけれど、歓迎するわよ」
「勉強会だったっけ。学級委員長ならきっと頭もいいんだろうね」
「うぅー……ん」
それに比べて辻セイラ。何だその歯切れの悪い返事は。
まぁじゃないだろう。仲の良いクラスメイトを演じろと言ったのは君だぞ。もう少し頑張ってくれ。
しかもお泊りのこと親に伝えたのは今朝だったのか。昼間、僕を家に呼ぼうと行動していた時点で、既に辻家では僕のお泊りが確定していたということなのか。恐ろしい。
しかも、今日の小テストの点数が悪かったことが原因の勉強会だよな? どうして小テストをやる前から提案してしまっている。そもそも勉強会ってテストの前にするものじゃないのか。全容を聞いていないだけに、君の伝えている段取りが凄く不安だぞ僕は。
……まぁ、ご両親は満足そうだし、これでいいのか。
嬉しそうな顔をされると悪い気はしない。人の子の親御さんに好印象を持たれるのは委員長としても本望だ。排他的な我が子に友達がいるだけで安心できるんだろうな。
そして、あそこにいる……アイスを食べている子が、件の。
「へ~、男の子の友達なんだ! 意外~、いつから知り合ったの?」
辻カリン。
今回、病気に感染し、将来病死する可能性のある少女。
髪は短い。辻セイラのように髪を染めている訳でもない、至って健康的な風貌だ。
当然ピアスの跡なんて微塵も見えないし、辻セイラよりもだいぶ社交的に見える。
気になることと言えば少し薄着なことぐらいか。半袖に短パン。もう片手にはうちわ。
まだそこまで暑い時期じゃないと思うが……気にならないなら、暑がりというだけか。
「さては……お姉ちゃん彼氏~? 彼氏連れてきたんでしょー」
「うっわ鳥肌立った。それ二度と言わないでねカリン」
「えっ友達なんだよね?」
「……」
「なんで無言……?」
僕も鳥肌立った。滅多なこと言わないでほしい。
下世話な性格なんだろうか。それとも僕達の間に隠された微かな不仲をなんとか感じ取ったんだろうか。
しかし、妹相手には声のトーンが全然違うな。両親に対しても同じだ、学校で僕に向ける声とは完全に別物。「二度と言わないでね」の「ね」にすら柔らかさがあるぞ。
僕に向ける「ね」はもっと刺がある。あれはなんというかこう……刺されたのかと勘違いしそうになる。多分真正面から本気で受け止めると、実際に痛いとすら思う。それがない。
「にしてもお姉ちゃんがテスト不合格とか。めっずらしー」
「ねぇカリン、今回は散々だったの。ハグさせて、お姉ちゃん疲れちゃったなぁ……」
「えーいやだー。あっついしー」
「いいじゃん少しくらい。可哀想なお姉ちゃん慰めてくれないの?」
「やーだー。暑苦しいもん」
……何だこれは。
全然知らない人間がいるぞ。ドッペルゲンガー?
あの辻セイラが妹にハグをせがんでいる。あの投げやりで不機嫌で取りつく島もない辻セイラが、「お姉ちゃん疲れちゃった」だと、声が一オクターブ上がっている。テストの成績が悪かったフリまでして。わざと低い点を取ってきたくせに、それを妹に甘える口実にするのか。
カリンの方は暑い暑いと全力で嫌がっている。本当に暑がりなんだな。アイスを食べて、薄着で、姉に抱きつかれるのも「暑いから嫌」。元気な子で何よりだ。
しかし、ここだけ見たらやっぱり普通の仲良しな姉妹だな。
「……何その目。文句でも?」
演技はどうしたおい。
温度差で風邪ひかないかお前?
「家族には優しいんだな」
「何その言い方。『大切な人』は大切にしなきゃ駄目でしょ」
ふぅん。家族に対しては、こうなのか。
学校とは完全に別人だ。これが本来の……素の辻セイラなんだな。大切な人の前では、こんな柔らかい顔をして。大切な人を守るために何十回も死んでいる人間の、素の顔が、これ。
君にとっての「大切」は、文字通り命を懸けた「大切」だ。この温かいリビングにいる全員を守るために、君は何十回も死んできたろう。
そして今もまた死のうとしている。それをこの家族の誰も知らない。
「……二人は友達、で合ってるよね? なんでギスギスしてるの……?」
辻カリンは本当に元気そうだ。
アイスを食べて、暑い暑いと文句を言って、姉のハグを嫌がって、仲良く振舞っている僕達を勘ぐって。中学生の女の子として、これ以上ないくらい普通に見える──とても「金曜の夜に死の原因を抱える」人間には見えない。
だが、だからこそ辻セイラは6周かけても解決できていない。目に見える異常がないから誰も動かないし、この家族の誰もが「大したことない」と思っている。辻セイラだけが知っていて、辻セイラだけが焦っている。
しかし、この状況はどうしようか。
現時点では医者に診せるよう進言するほどの様子はまるで見られない。
「──もうすぐご飯できるからね。瀬尾くんは、苦手なものとかあった?」
「いえ、大丈夫です。ご馳走になります。ありがとうございます」
肉じゃがと焼き魚の匂いがする。
和食か。温かい家庭の匂いだ。
「じゃ、ご飯終わったら『勉強会』するから、皆部屋入ってこないでね」
「ああ、そうだったな。客間の準備をしてくるよ」
「最中にちょっと様子見に行くのは……いえ、野暮ね。分かったわ」
……我が家とは違う。
父親がいて、妹がいて、母親は元気で台所に立っている。
普通の家族の、普通の夕食。
こういう光景を、辻セイラは守ろうとしているのか。何十回も死んで。何百回も死んで。
「ちょっかいかけに行っていー?」
「駄目。私が一人の時ならおいで」
「それじゃあいつも通りじゃんか。マコトくんからも言ってやってー!」
「駄目だ。辻セイラが一人の時に頼む」
「ちぇ、冷たいの」
そして彼女は本当に、体調不良なんかあるようには見えない。
とても病死する姿なんて想像できない。
この温かい食卓の向こう側で、僕達はこの家族に言えない作戦を練ることになる。この両親の前で「しっかりした子」の顔をして、裏ではその娘と共謀する。
……嫌な役回りだ。だが、それが今の僕の仕事。
僕は、この温かい家を守るために来たんだから。
*
「まさかママとパパがあそこまでこの男を気に入るなんて……」
「部屋に入った途端に本性出してきたな。正直誤魔化せてなかったが」
「うるさい。座布団出してあげないよ」
そういうところだぞ。
言わないけど。
しかし──これが辻セイラの部屋か。
僕は今、同年代の女性の部屋にいる。人生で初めて。
なんというか、標準的な優等生の部屋という感じだ。
整頓されている。必要最低限のものしか置かれていない。
緊張とかそういうものはもう玄関先で使い果たしたから今更何も感じないが、ただ純粋に、意外だ。
化粧品の類はあるが、それも棚にまとめられていて雑然としていない。本棚には小説が何冊か並んでいるが、どれも背表紙が日に焼けていて、最近買い足した様子はない。読み返しているのか、それとも昔読んでいたものをそのまま残しているだけなのか。
全体的に、生活感が薄い。この部屋で過ごす時間が少ないのか、あるいは——自分のために空間を飾るという発想自体がないのか。
僕が来るから趣味のものや服を隠したとも考えられるが。
……まぁいいか。
部屋の分析は今の仕事じゃない。
「とりあえず教科書出しておいて。誰か来た時に不自然じゃないように」
「本当に勉強会にしてもいいんだが」
「良い訳ないでしょ」
仕方ない。
ノートを広げて、教科書を並べて。体裁としてはこんなものだろうか。万が一ご両親が覗きにきても「ちゃんと勉強している」ように見える程度には整えておこう。
嘘の上塗りだ。この家で僕がやっていることは全部嘘だ。仲の良いクラスメイトも嘘、勉強会も嘘、この家に来た本当の理由も言えない。
せめてこの作戦会議が終わったら今回のテストの復習でもしておこうか。
「じゃあまず確認したい」
「どうぞ」
それも、この作戦会議が無事に終了し、具体的な結論を出せればの話だが。
「まず──今回の目的は何だ? 妹を病院に連れて行くとはいうが、金曜に感染イベントを防ぐだけでは駄目なのか?」
「何周か衛生管理を徹底したけど無理だった。ループ前から兆候が出てるし、既に何かが進行してるんだと思う」
「ふむ……」
「だから金曜までに診察して、何の病気か特定したい。それを次の周に持ち帰る」
……簡単に「次の周」なんて言われると現実感が無いな。
つまり今回は情報収集が目的か。
今回のループで全てを解決するのが理想だが、最低限の目標としては「具体的な病名の特定」。病名さえ分かれば、次の周ではもっと効率的に動ける。治療法も対処法も、病名が分かった上でなら調べようがある。
つまりこの三日間は「何が起きているのかを突き止める」ための周だと。6周やっても辿り着けなかったものを、僕が加わることで辿り着こうと。
特定を第一にする理由もなるほどな。
まっさらな状態から金曜日に初めて引き返せなくなるのではなく、ループ開始時点で既に体内に何かがある可能性が高いということか。
前々から体調不良の兆しがあったらしいし、水曜の朝に巻き戻っても辻カリンの体はその時点で既に「何か」を抱えている。金曜日はあくまで、その「何か」の段階が上がるか、抵抗力が落ちているために感染してしまうポイントという訳だ。
となると、やはり医療介入が必要だな。検査して、見つけて、あわよくば治療する。
そのためにはまず病院に行かなければならない。
「体調不良というのは。具体的に分かるのか」
「カリンは水泳部なんだけど、部活の後に倦怠感、微熱、腹痛を訴えることがあった」
「水泳部? 毎回か?」
「出る日と出ない日がある。だから本人も家族も『疲れ』で片付けてる」
水泳部か。
暑がりな彼女が選びそうな部活ではあるな。
出る日と出ない日がある。規則性が不明確だから「体質」や「疲労」で説明できてしまう。
確かにこれでは家族が深刻に受け止めないのも分かる。毎日症状が出るなら流石に病院に行くだろうが、出ない日があるせいで「たまたま調子が悪かっただけ」で済んでしまう。
厄介だ。
「彼女の暑がりはどうだ」
「関係ない。生まれつきすごい暑がり」
「家の食事や環境が原因という可能性は?」
「それならわたし達にも影響があるはず。だから家の外で何かに触れてると思う」
そうだな、その通りだ。
暑がりだって生まれつきなら、微熱が常態化しているとかでもない。本当に日常の彼女は健康体そのものなんだ。
だとすると何だ。家の外、辻カリンだけが接触していて、他の家族は接触していない。
中学生の女の子が家の外で日常的に触れるもの。学校、通学路、部活、友人の家、習い事——範囲は広いが、「水泳部の活動後に症状が出やすい」という情報を加味すれば、最も怪しいのは……。
「……プールか?」
「私もそう思ってる。プールから何か貰って来たんじゃないかって」
「だよな。それなら自力で特定できそうか?」
「いや、ネットで調べたけど、本職じゃないから正直よく分からない。感染症にしても種類が多すぎて」
プールを介した感染症。確かに存在する。塩素消毒が不十分な場合に繁殖する細菌や寄生虫、あるいはプール熱のようなウイルス性のもの。
だが、どれも症状が微妙に一致しないような。
それに、プールが原因なら水泳部の他の部員にも同様の症状が出ていないとおかしい。カリンだけに出ているなら、プールだけが原因とも言い切れないか。
いや——他の部員にも出ているが、全員「疲れ」で済ませている可能性もある。それはカリンの学校に行かないと分からないな。
「……能力者の能力による『特殊な病気』の可能性は?」
「それならもっと大規模なパンデミックになってると思う。カリン個人を狙った可能性もあるけれど、症状が出るタイミングが毎回同じだから人為的なものにも思えない」
それもそうか。
そもそも、この世界には世界平和維持機構(WPPO)がいる。能力犯罪に関しては彼らの管轄だし、規模の大きい事件なら確実に察知して動くはずだ。防止率は100%と言われている組織だし。
逆に言えば、WPPOが動いていないということは「能力犯罪として認知されていない」ということ。個人を標的にした小規模なものか……しかしその線もさっき潰された。そもそも能力者の関与は可能性が低いか。
……整理しよう。
家の外で、カリンだけが何かに触れている。
金曜日に「何か」が限界を迎え、引き返せない状態に突入する。
プールが最も怪しいが確証がない。症状は出たり出なかったりする。病名は不明。
つまり——今ある情報だけでは何も確定できない。
必要なのはカリンの日常生活を直接観察すること。何に触れているのか、いつ症状が出るのか、環境に何があるのか。それを自分の目で確かめなければ先に進めない。
僕だって、辻セイラの伝聞による症状を鵜呑みにして診察を推進することはできないし、そもそも本当に辻カリンが原因なのか分からない。具体的な症状やその重大さを見てから判断すべきだ。
「じゃあ、どうする。何か手はあるのか」
「ある。カリンの症状を実際に見れるかもしれない作戦が」
「!」
あるのか。情報不足でかなり絶望的な状況だと思うが、既に案はあると。
それなら話は別だ。金曜に診察を行うために、木曜日──明日にはもうアクションを起こさなければいけない。僕達にも学校があるし、時間は限られている。
これまでの6周で実行できていないということは、僕という事情を理解した人材がいないと実現できない、あるいは実現しにくい提案という訳だ。難易度はきっと高い。
しかし、実現できれば、辻カリンの怪しい病床を再現できるということだ。両親への進言にも大きく役立つし、素人目ではあるがおおまかな病名の特定だってできるかもしれない。
僕から他に提案できる作戦は無いし、大人しく従うのが得策か。
「聞かせてくれ」
「うん。明日、カリンの水泳部は活動があるから……」
「まず、明日私達は学校を欠席する」
「待て」
「そして、カリンの中学に侵入し、実際に症状が出ているところを確認する」
「待て待て!」
「一緒に侵入して見張り役か、それとも警備の陽動役か。どっちがいい?」
「待て待て待て!!」
建造物侵入罪だぞ!
どうして君はそう真っ黒な方法ばかり提案するんだ!
……おい待てどうして締めに入ろうとしている。
まさかさっきの案で確定なのか? 明日僕は中学校に不法侵入するのか!?
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