──さん……せ……ん……
……ん、んん?
なん、だ。なにが……おき、た……?
──尾さ……瀬尾さ……
僕は……どうなった。
今、何が起こった。ここは……どこ、だ。僕は、誰……だ?
──瀬尾さん、瀬尾さん……!
……誰かに呼ばれている気がする。
なんだか、全身がきしむように痛む……。
というかなんだこれ。かなり痛いぞ。
体の節々が動かしにくい、なんだか凝ってるみたいな。
え……と?
ループか? ループが起こったのか? 九条ノドカは死んでしまった?
いや、それはおかしい。もしループが始まったのなら、開始時点の……三人で、ロープウェイにいた辺りの時間まで巻き戻っているはずだ。そして自分は、何も覚えていないはず。
僕にループが起こったかどうかと意識できている時点で、これはループではない……。
覚えている、覚えているぞ。おかしいな。
ガードレールが折れたんだった。雪の力というのは想像以上に偉大だった。あんなふわふわしたものの塊があそこまで破壊力を持つものなのか。巨大な雪だるまがぶつかってきたと考えれば確かに妥当かもしれないが。
しかし、地震が起き、雪崩が発生したということはタイムリミットを過ぎてしまったということじゃないのか。タイムリミットを過ぎたのにどうしてループが起こっていない。どうして僕はここまでの経緯を記憶できている。
僕もループの記憶を保持できるようになった?
まさか、能力というものは成長しないし変化しないし劣化しない。今までできていなかったことが本人の成長などで急にできるようにはならない……つまり根本原因が解決している。
じゃあ、今話しかけている声は……。
「瀬尾さん! 瀬尾さん!」
「……九条、ノドカ?」
「ああ、よかった! 目を覚ましたんですね!」
九条ノドカが、死んでいない。
ループを……突破出来ている?
「こ、ここは……どこだ。何が起こった」
「あの一本道の谷底です。私達は雪に流されて落下してしまったんです」
「じゃあ……なんだ。ここは天国か? やっぱり僕達は、死んでしまったか?」
「いえ、瀬尾さんが掴んだガードレールが引っかかり、地面への直撃は防がれました」
……お、おお。
OK、OK。大体理解出来てきた。痛みのおかげで頭がすぐ冴えてきたぞ。
つまり、僕達は雪崩に巻き込まれ谷底に落下。乗車まであと一歩といったところで、手元を固定された僕達はガードレールごと三位一体で押し出されてしまった訳だ。
そのまま落ちていけば、谷底に叩きつけられて転落死するか、降り積もった雪に深く沈みこんで窒息死していたか……間違いなく終わりだった訳だが、どこかしらで狭い谷間か、斜面の木にでもガードレールが引っかかったのか。それで谷底に一直線で落下するのは免れたと。なんて幸運だ。
いやとんでもない不運だな。なんだよ雪崩に巻き込まれるって。
だとすると、この全身の痛みはガードレールが引っかかった際に、九条ノドカの重みで引っ張られて体に強い負荷がかかったせい? 僕は彼女の手を強く握った状態で固定していたし、落下中に急停止した衝撃が全部肉体に来てしまったのか。息をすると脇腹が痛い。
そしてその衝撃で気絶し、気づいた九条ノドカが足場を見つけてから、能力を解除して安全に着地。ガードレールから分離し、意識のない僕に呼びかけを行っていたと……。
「だとすると、この節々の、凝り固まった感じは……」
「私が落下中に瀬尾さんの関節を固定しました。変に脱臼したり、捻じ曲がったりしないように」
「そうか、助かった……」
なんて臨機応変な対応だ。
もし衝撃が直で僕の肉体に及んでいたら、全身で骨が外れるなり折れるなりしていただろう。かといって全身が固定されてしまえば衝撃を逃がしきれずに肉体内部に負荷がかかってしまう。
だから彼女は落下する寸前に、節々に大きなダメージがいかないよう急いで固定したと。
おかげで僕は今、少し違和感がある程度で、問題無く手足を動かせている。
凄い。流石護衛。こんなところまで気が利くとは。
それでどうして普段はポンコツなんだ。
「い、いえ! 雪崩に巻き込まれた時点で、私は……護衛失格です」
「今は休暇期間だから、そんな時まで護衛しなきゃならない義務はないだろう。実際僕は助かっている、ありがとう」
「せ、瀬尾さん……」
そんな泣きそうな顔しなくても。
君の両眼を見るのは久しぶりなんだ。勿体ないじゃないか。
事情も分からないまま車を呼び、僕に付いてきて、能力で負荷を軽減し、気絶した僕を介抱してくれた……そこまでやってくれたのに、不十分だというほど僕は偉い人間じゃない。
というか、服の中まで雪が入り込んでて冷たい。
君は擦り傷で済んでいるからいいが、二人ともずっとこの場所にいるのは危険だ。風は吹いていないが陽の光は当たっていないし、周囲が完全に雪だけだから、このままじゃ二人とも凍えてしまう。
「とにかく一旦連絡を入れよう。救助してもらわないと、助かったことにはならないからな」
「はい、分かりました」
きっとWPPOは大慌てだろう。
ループが解除されてしまったのだから、この現象は突如発生した意味不明な現象のはずだ。今すぐに電話をして、この現状を伝え、急ぎ救助を行ってもらえるように取り計らわなくては。
……そう、だよな。
これで、解決するんだよな。
*
おかしい。
「……繋がりません、何処にも。瀬尾さんはどうですか?」
「……僕もだ。さっきまで辻セイラと連絡できていたんだが」
圏外で繋がらない。こんなはずでは。
一本道を歩いていた時は、運転手からの返事も辻セイラへのテキストも届いていた。谷底に落ちたことが原因なのか? それのせいで電波が届かなくなってしまったのか。
……あるいは。
谷沿いに通っていたはずの通信のケーブルか何かが、雪崩で切れてしまったのか?
もしかすると谷の中は、温泉街ごと外と連絡が取れなくなっているのでは……。
「大丈夫です。すぐに救助が来ます。こんな地震、上が把握していないはずがありません」
「しかし、その未来予知で、君は年明け通常業務をしているのだろう」
「それは……」
君の通常業務は僕の調査だ。それができているということは君だけじゃなく、調査対象の僕にも一切の問題が存在しないということ。
だが、雪崩に巻き込まれ、死ぬ一歩手前の状況を体験し、世論が「WPPOが自然災害を許してしまった」と動揺している中でいつも通りに? 僕はとてもそんなことできるとは思わない。
そして、今の状況。
地震についての情報を発信することができる九条ノドカは連絡不可。僕も右に同じ。
辻セイラが言っていたように、地震は極めて局地的なもので谷の外にいる人々にはそこまで自覚がない。そして、谷の中の人々はおそらく通信ケーブル断線の影響で電話ができない。
そして雪崩で唯一の出入り口が塞がれてしまっている以上、中に入ることも外に出ることも不可能。復旧用の車両も通れないから、通信が戻るのは早くても数日後になる可能性がある。
もし電話ができていれば、通報が可能であれば……今頃、WPPOがそれを予知して地震を削除していたはずだ。それが起こっていないということは今、誰もこの状況をWPPOに報告できていないということ。
昔は気象庁が揺れを観測する仕組みを作っていたらしいが、維持や運用に莫大な費用がかかるうえ、WPPOが地震を削除してしまうため無用の長物となり撤去されたと聞く。
だから、WPPOは今回の地震について認知できていない。
彼らがこの情報を知るのは、報道を通じてだけとなってしまう。
「でも、どうしてでしょう」
「……」
「総司令官が、このことを見逃すはずがありません。あの規模の地震に雪崩、間違いなく死傷者が発生しています。なのにどうして……」
「そうだな……」
いや、なんとなく答えは薄々分かっている。
WPPOは大慌てだろうと思っていたが、認知すらできていないなら話は別だ。
未来予知ができるのだから認知しないということはあり得ない。
そしてそれを、現地にいる九条ノドカに伝えない訳がない。
ということは、この地震は報道されないということ。
もっと言えば、報道より先に、それをかき消す何かが起こるということ。
もし本当にループが解けていたなら、この地震はいずれ誰かの口から外に伝わって、報道され、WPPOの未来予知に引っかかるはずだ。地震が起きる前に消していたはずだ。
けれど、地震は起きた。ということは、この地震が報道される日は来ない。
つまり……まだループは終わっていない。
地震の報道が起こる前に、辻セイラの『大切な人』の誰かが死亡する。
おそらくは。
「……っ、さ、寒いですね……! な、なんとかなるでしょうか……」
九条ノドカの命の危機が、まだ完全には去っていないということ……。
「大丈夫だ。きっとなんとかなる」
「瀬尾さん……そ、そうですよね!」
まさか、完全にそうだと決まった訳では無い。
こうも頑張って「谷の外に出るという選択肢は誤りでした」だなんて言われても困る。
もしかしたら、WPPOの対応が偶然遅れてしまっただけではないか?
実は運良く死傷者ゼロ人で済んだため優先度が低かったのではないか?
本当は既に対応班が動いていて、被害を受けたのは僕達だけなのではないか?
僕達は実際に今の温泉街を見た訳じゃないんだ。意外と大丈夫なのかもしれない。
考えてみれば色々な可能性がある。
これがWPPOが初めて対処できなかった自然災害という可能性だってゼロじゃない。
だってあの辻セイラのカス能力が関わってるんだ。普通の自然災害ではない。
だから、必ずしも目の前の彼女が死亡すると決まった訳じゃない。
「この斜面は……登れなさそうですね」
「日も傾いてるし、明るくなるまで待つべきだな」
「あっそれなら、任せてください。色々持って来たんですから」
「そうか。準備して来たって言ってたな」
ひとまず、今は夜を越えられる場所探しだな。
脇腹も痛いし、少し休めるところが欲しいと思っていたんだ。
明日、明るくなったらもう一度動き出そう。
辻セイラも心配しているだろう。なんとか救助に気づいてもらえるようアピールするか、自力で脱出できる道を見つけるか、安全な場所にさえ出れば。
そうすれば、彼女の命はきっと安泰なはず。
*
場所は針葉樹の根元。
枝が傘のように雪を受け止めるから、幹の周りは他より雪が浅くなって、くぼみになっている。すぐ後ろが斜面のえぐれになっている場所なら風も避けられるし、休むにはうってつけだろう。
雪から体は離すべきだ。
雪の上に直接座ると、体温がどんどん奪われる。針葉樹の低い位置の枝を何本も折って、くぼみの底に厚く敷き詰め、その上に九条ノドカのリュックを置き、二人で並んで座るとかなりマシになる。
濡れを放置してはいけない。
襟元と袖口を広げて、服の中に入り込んだ雪を振り落とさなくては。濡れたところはタオルで押さえるように拭いて、手袋は予備のものにつけかえよう。九条ノドカの準備が万端で助かった。
靴下も履き替えなくては。
替えは一足しかないから、これについては九条ノドカに譲るしかない。乾いた靴下の上から小さなビニール袋をかぶせて……その後に靴を履けば、靴の中の湿り気が靴下に移るのを防げる。僕は我慢だ。
カイロは貼る位置が重要だ。
平均温度が50℃前後で、10〜12時間ほど持続するものが一般的。これなら十分朝まで持つ。首の付け根の下や腰、それと腹。太い血管の近くを温めると効率がいい。
食料は同じく九条ノドカが持って来た携帯食のチョコと羊羹だけ。
飲み物はステンレスの保温ボトルに入った温かいお茶。少量で熱量の取れるものを一口ずつ分け合って行けばこの夜を越すための活力の一助となるだろう。
「す、すごい快適になりました……」
「君がしっかり準備してくれたおかげだ。おかげでこうして耐えられている」
「瀬尾さんってサバイバルの知識もあるんですね」
「いつ母さんと遭難するとも知れないからな。備えは万全でなくてはならない」
「ふふっ、面白い冗談ですね」
「なんだと?」
何が冗談だ。
こっちは本気だ。
それに、こういう知識があると、友人との会話だって弾むんだ。
この前もミオに「ウチと無人島で二人きりになったらどうやって脱出する?」なんて雑談を持ち掛けられたが、この知識のおかげでとにかく盛り上がった。知識が多いに越したことは無い。
そう、あの時はすごい盛り上がった。2~3時間は話していた気がする。
なんで途中で二人の家作るフェーズ挟んだんだろう。脱出するって話だったよな。
まあ、九条ノドカには縁のない話か。
WPPO所属の人間である以上、遭難なんて状況がマニュアルに載る訳もないのだし。
逆に知識が無いのにどうしてここまでの準備を? 辻セイラからの指示か? あり得るな。過保護な彼女のことだし、念のためという名目で、合流までの時間に準備させていてもおかしくはない。
「でも、こんなにくっつくのは……恥ずかしいですね」
「緊急時だ。保温シートも1枚だし、仕方ない」
「逆に気にならないんですか?」
「こんな状況じゃなければときめいていたかもしれないな」
本当にこんな状況じゃなければな。九条ノドカが恋人だったら今の状況もすごくロマンチックなワンシーンに変わるんだろうが、生憎僕達はそういう関係でもないし。
同年代の女子と身を寄せ合って眠るだなんて普段なら緊張するんだが、今この場で血を心臓まで回す余裕もない。柔らかいし良い匂いもするが、生憎僕はミオのせいでかなり耐性がついてしまった。距離近いんだよな彼女。
思えば九条ノドカと出会ってから随分時間が経ったものだ。
初対面でWPPOの職員だなんだと言われて能力行使され、そこから緊迫の監視生活が始まるのかと思いきや、始まったのは結構余裕のあるポンコツ転校生との日常。
今回も、意図したものでは無かったが旅行先が同じになり……最終的には二人で遭難してしまう始末。1年3ヶ月前の僕に今の状況を教えても果たして信じてくれるだろうか。
「瀬尾さん」
「なんだ」
「その、私。『調査対象の信頼を稼げ』って任務を任されたのは瀬尾さんが初めてで」
だろうな。
ルールを厳格に守る人間だから僕と馴染み易かっただけで、君は本来そういう任務を任せられるタイプの人間ではないと思う。どう考えても臨機応変な対応が求められる任務だろうこれ。
どっちかというと君に最適なのは、犯罪者の拘束とか、能力がかけられているかのチェックとか、そういう仕事の方じゃないか。僕も正直どうして君に任せられたのか疑問だった。
……いや、逆か?
そういう経験が一切ないが故に、彼女にこの任務が任されたのか?
九条ノドカは不器用な性格だ。指示を受けた内容通りにしか動けない。余計なことができないということは、すべてが確定している単純作業においては非常に有用だが、自分で状況に合わせて行動する任務とは相性が悪いはず。
しかし、WPPOにも色々な任務があるだろう。強力な能力者とはいえ、本人の経験不足から選べる選択肢が狭まってしまうのは誰も望まないはずだ。
だから、僕と相性が良く、高校生という年齢も生かせて、かつ失敗しても致命的なリスクが無い……WPPOの上層部は経験を積ませるという意味合いも見込んで、九条ノドカにこの任務を任せたのでは。
「でも、瀬尾さんは沢山隠し事があるじゃないですか」
「まあ否定はしないが」
「だから時々、私は本当に瀬尾さんの信頼を勝ち取れるのか、不安になるんです。こうして二人きりになると、まだ順調だった初めの頃のことを思い出してしまって……」
「あー……」
それも、そうか。
僕からは本当のことは言えないし、能力者疑惑についてはひたすらに否定するしかないんだが、彼女からすれば任務内容まで明かしているのにずっとずっと態度が同じままだから進捗が見えなくて不安なのか。
いくら急ぐ必要が無いとはいえ一切任務完遂の目途が見えないというのは堪えるだろう。
初めの一週間は転校生とその世話係という名目で明確に付き合いができたし時間も取れた。だがそれ以降は完全に自分で考えてアクションを起こす必要があるし、接触できるかどうかも確実ではなくなる。
思えば、僕を見つける度に彼女は積極的に声をかけようとしていた気がする。もしかしたらあれは、彼女なりの「早く仲良くなろう」というアプローチだったのかもしれない。
「ですから、不謹慎ですけど、今の状況は……ちょっと、良いな……って」
「……」
お、おお。
急に勘違いしそうなこと言ってくるじゃないか。
これも僕の好感度を稼ぐための作戦か?
それとも、ただ単純にそう思っているだけか?
これ、もし僕が一気に距離詰めるような発言してしまったらどうなるんだろう。
例えば、「君と一緒じゃないと意味がない」とか。彼女はずっとその言葉を待ち望んでいた訳だし、逆に僕が九条ノドカの好感度を稼ぐ形になってしまうのでは。
なんだか怖くなってきたな。迂闊な発言はしない方がいいかもしれない。
「吊り橋効果というやつだな。これで二人とも生き残れたら大きな好感度が稼げそうだ」
「も、もう。濁して言ったのに……」
「ここまで話しておいて濁すも何もないだろう。ほら、君は早く体を休めるんだ」
「瀬尾さんったら……はい、分かりました。おやすみなさい」
眠るときは二人同時ではなく、交代で見張ること。
見張りは相手の呼吸と震えを確かめ、カイロも飲み物も少しずつ使う。
明かりは救助への合図のために節約する。
人の気配がしたら三回肩を叩くこと。
大丈夫、ここまで厳格に生存戦略を切り詰めたんだ。きっと大丈夫なはず。
君の狙い通り、お互いこの経験がきっかけになって、僕達は深い信頼を抱くようになるだろうさ。とはいえ僕は辻セイラの秘密を喋ったりしないが、少なくとも君の不安は解消されるんじゃないか。
まあいい。見張りの一番手は僕だ。
どうせ脇腹が痛くてすぐには眠れそうにないし、丁度いい。
僕だって死にたくないし、生き残るために全力を尽くさせてもらう。
きっと明日の昼頃には、二人で「良い連携だった」と笑い合えるようになるさ。
……待て、これ完全に死亡フラグじゃないか?
縁起でもない。今のは無しだ、無し。希望的観測は希望が見えてからしよう。
遅れてごめんなさい……<m(__)m>
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