「おはよ~ミオちゃん。お気に入りちゃんも~」
「うおっ」
「わっ、びっくりした!」
「だから、お気に入りちゃんには、ちゃんと言っとくね」
「……何をだ?」
「いやね、セイちゃんのことなんだけど。お気に入りちゃんのこと、覚えてないの」
「とりあえず異常なし、また様子見で来いって言われたし」
「……っ」
「で。なんで、『瀬尾』が、ここにいるの? ……ス、ストーカー?」
「瀬尾さん、お待たせしました!」
「すまない。忙しかっただろうに」
「いえ! 私こそ、すぐに時間を作れなくて申し訳ないです」
「必要であれば、上の人に電話して、直接聞けるよう取り計らいましょうか?」
「いや、十分だ。聞きたかったのはそれだけ。助かった」
「……そうですか。あまり役に立てた実感が無いのですが」
*
──しかし、分かったのは「僕にできることはない」という結果だけだったな。
「楽しかったですね、瀬尾さん!」
「まさか夕方まで遊び歩くことになるとは……」
確かに、不機嫌そうだったからランチの後も「行きたい所があるなら付き合う」と言い出したのは僕だ。だが、まさか雑貨屋と本屋と映画館をはしごすることになるとは。
まあ、悪くはなかった。彼女のことは友人だと思っているし、受験終わりに少し遊んだと考えれば、それなりに楽しめたと思う。
しかし、九条ノドカは僕に呼ばれたというだけで今日の午後丸々空けていたということになるのか。
結果論でしかないが、楽しんでくれて本当に良かった。
「あの旅行以降、なんだかギクシャクしてたじゃないですか、私達」
「そうだったか?」
「そうですよ! 私、あの日から何故だか気持ちが落ち着かず……」
──プルルルル
「って、あれ。電話鳴ってますよ」
「おっと。すまない、出てくる」
「はい! どうぞ」
落ち着かないとは。
ああ、あれか。僕の予知のことを上に報告すると宣言していたことか。
向こうからすれば僕は能力者であることを隠しているように見えるから、仕事とはいえその意に反するような行為をしてしまって気になっていたんだろう。
別に僕は気にしていないのに。そもそも能力者じゃないんだし。
それより、電話だ。
表示は……。
……辻家の固定電話?
辻セイラなら携帯からかけてくる。
カリンも同じだ。わざわざ家の電話を使うとなると……辻母か?
辻母が僕に直接かけてくるなんて、滅多に無いことだ。
……もしかして、辻セイラの記憶が戻ったという知らせだったりしないだろうか。それなら、真っ先に僕に連絡をくれてもおかしくはない。
「もしもし」
『瀬尾君?』
「はい、瀬尾です」
『ごめんなさいね急に。今、少しだけいいかしら』
「大丈夫ですよ」
『この前は本当にごめんなさいね。うちの子が、あんな失礼なこと言って……』
……ああ、そっちか。
記憶が戻ったという知らせではなかったらしい。
勝手に期待したのは僕だが、少し肩透かしだな。
もしかしたら、辻セイラに関する何か悪い知らせでもあったのかと思ったが……声に若干緊張している感じが見えるものの、上ずっているような様子ではない。急いでいる訳でも無さそうだ。
じゃあ緊張した様子なのは……ああ、それもそうか。娘をあれだけ叱りつけた2日後に、叱る原因になった相手へ自分から電話をかけているんだ。気まずくもなるだろう。
僕としては本当にどうでもいいんだが、こういうのは「気にしていない」と言ったところで向こうの気が済むとは限らない。とはいえ、言わないよりは言った方がいいはずだ。
他所の家とはいえ、母親は母親。母親は大事にしなくてはいけない。
「気にしていませんよ。記憶が無いんですから、家に上げた覚えのない男がいたら警戒するのは普通です」
『そう言ってもらえると、助かるわ……あの子、あの後もずっとむくれてて』
「でしょうね。昔は犬猿の仲だったので、ああなることは予想できました」
『えっ。うちに初めて来たときは、信頼できる友達って紹介されたのに……』
おっと。
そういや辻セイラはそんな設定で僕を家族に紹介したんだったな。余計なことを。
しかし、少し空気は緩んだ気がする。
これで謝罪の件は片付いたと見ていいだろう。
ただ、本題がこれだけとも思えない。
謝るだけならテキストでも済むし、わざわざ固定電話を使う理由もない。カリン経由で伝言を頼む方がよほど気楽なはずだ。誠意を示しているだけとも捉えられるが……それならこの人は面と向かって謝罪することを選択する人だろう。
さあ。
本当は何か他に聞きたいことがあるのでは?
「それで、他にも何か?」
『あ、ええ。大したことじゃないのよ。セイラ、そっちに行ってないかしら』
「辻セイラが、ですか?」
『そう。お昼を食べてから、散歩してくるって出て行ったの。忘れちゃったことの手がかりを探したいからって』
手がかり、か。
なるほど、本人も気にはしているらしい。
医者には異常無しと言われている。
家族のことも、ミオのことも、三好ルナのことも覚えている。
それでも、どこかが抜け落ちているという感覚だけは残っているんだろう。
そうなると、自分の足で歩いて、何か引っかかるものがないか確かめたくなるのも分かる。じっと家にいて思い出せるならとっくに思い出しているだろうし。
だから、昼から外に散歩に出ていると。
今は夕方だから……結構な時間外にいるんだな。
『それでね、あの子が忘れてるのって、瀬尾君のことだけでしょう? だからもしかしたら、瀬尾君のところに行ったんじゃないかと思って』
「いえ、今日は会っていませんね。僕も今は外にいますが、見かけてはいないです」
『そう……』
まあ、そうだろうな。
いきなり面と向かって「ストーカー?」と言い放ったんだ。その相手の元へ自分から訪ねてくるとは思えない。ましてやその件で母親にあれだけ怒られた後だ。僕の顔なんて当分見たくもないはず。多分、散歩の途中で僕を見かけたとしても声を掛けずそのままそそくさと撤退するのではないだろうか。
ただ、手がかりを探すという話なら、行き先はある程度絞れる気がする。
抜け落ちているのが僕のことだけなら、僕と関わりのある場所を回るのが一番の近道だ。学校、通学路、駅前……あとは、ループのたびに二人で走り回った場所のいくつか。
とはいえ、そのどれも彼女にとってはただの見慣れた街の一部でしかない。「ここで瀬尾と何かあった気がする」なんて都合よく思い出せるかどうかは怪しいところだが。
『携帯にもかけたんだけど、近くで鳴ってると思ったらセイラの部屋に置きっぱなしで』
「じゃあ今、辻セイラの部屋ですか? 他に何か手掛かりは?」
『特に……そうね、無いわ。いつも通りのセイラの部屋のまま』
「そうですか……」
『夕飯までには帰ってきてほしいのよ。まだ暗くなるのも早いし、頭を打ったばかりなんだから、あんまりふらふらしてほしくなくて』
ふむ。
電話を掛けたら、部屋に置きっぱなしだった。
部屋に入ってみたが何か手掛かりがある訳でもない。
つまり、行き先が分からない、と。
……うーん。確かにそれは心配だ。
帰りが少し遅いだけで、普段より何倍も気にかかってしまうのは仕方がない。
医者に異常無しと言われたところで、家族からすれば娘が頭を打って記憶の一部を失ったことに変わりはない。失った記憶が僕についての情報だけで、他は全部いつも通りのままだとしても……あまり遅い時間まで帰ってこなかったら不安になるのは自然なことだろう。
とはいえ、こちらとしてもできることは少ない。
何より、僕が探しに行ってしまっては意味が無い。
もし本当に記憶を取り戻すために回っているのなら、そこで当の僕と鉢合わせでもしたら最悪だ。手がかりを探しに出たのに、その途中で「ストーカー」にまた遭遇した、なんてことになる。
思い出すどころか、余計に警戒されて終わりだろう。
それに、ただの散歩だ。
記憶を失ったと言っても、街の地理を忘れた訳でもない。
携帯は置いてきたらしいが、住み慣れた土地で迷子になるような歳でもないし、少し考え込んで歩いているうちに時間を忘れているだけだろう。そのうちけろっとした顔で帰ってくるかもしれない。
「もし見かけたら、家に帰るように伝えます」
『ごめんなさいね。お願いできるかしら』
「任せてください」
母親を心配させるとは頂けないが。
家族が心配すると分からないほど辻セイラは愚かではないし、妹の受験を気にかけられるような人間が「家族に心配をかけてもいいから散歩を優先」なんて考えることも無いだろう。
きっとすぐに戻ってくる。
そのはずだ。
『あ、最後に』
「はい」
『もしかして、誰かと一緒だったかしら? お邪魔だったりしない?』
「いえ。友人と一緒でしたが、問題ありませんよ」
『そう、お友達。良かったわ。それじゃあまたね』
……。
……何が良かったんだろう。
*
辻セイラは、帰ってこなかった。
*
「瀬尾君! どうだった!?」
「駄目です。駅の東口から商店街の端まで見ましたが、どこにも」
「そ……そうか……」
「……そちらは?」
「河川敷の方面を……だが」
辻セイラが記憶を失って4日後。
ストーカー呼ばわりされて3日後。
辻母から電話が来たのが昨日のこと。
きっと帰ってくるだろうとは思っていた。
しかし結局、彼女は今も帰ってきていない。
異常事態だ。
「すまないね、瀬尾君まで朝から……」
「謝らないでください。僕が勝手に探しているだけなので」
「……ありがとう。カリンが家にいるから、何かあったらそっちに」
「分かりました」
……行ってしまった。
次はどこを見るんだろう。あの様子だと、本人も決めていないのかもしれない。
しかし、辻セイラはどこへ行ってしまったんだ。
夕飯の時間を過ぎても、夜の11時を過ぎても、翌日になっても影も形も見せないだなんて。
カリンから「お姉ちゃんまだ帰ってこない。マコトくんのとこ、本当に来てない?」とメッセージが来たのは、日付が変わる少し前だったか。その時間帯には家にいたから、当然来ている訳もない。
辻家は夜のうちに警察へ届けを出したらしい。
朝からは手分けして街中を探していて、辻母は辻父と逆方向に、ミオと三好ルナは隣の駅の方を回ってくれているとのことだ。カリンは帰ってきたときに誰もいないと困るから、と家で待機。
僕にも朝一番で連絡が来た。来なくても、探しには出ていたと思うが。
家族を心配させるようなことはしない、その判断自体は今でも間違っていないと思う。
だとしたら、辻セイラは帰ってこないんじゃなくて、帰ってこられないのか?
事故か。それとも急に具合が悪くなったのか。
頭を打ったのは4日前だ。医者は異常無しと言ったらしいが、後から症状が出ることもあると聞く。どこかで倒れて、そのまま……そういった可能性だってゼロじゃない。
あるいは、誰かに、誘拐されて……。
……いや、だが命の危機には陥っていないはずだ。
致命的な事故であったり、体調の悪化であったり、拉致監禁であったり。辻家もその可能性を懸念して焦りを加速させているが、実際に今すぐ命が危ないということは無いだろう。
もし現在危険な状態にあるなら、彼女が帰ってこなかった昨日の時点で辻セイラの「確定した死」に死に戻りが反応し、今頃ループが起こっているはず。だが、今に至るまでループは起こっていない。今も僕がこうして連続して思考できているのがその証拠だ。時間はまだ巻き戻っていない。
だから、現時点で「放置していれば死ぬ状況」ではないはず。
いずれそうなるかもしれないが、少なくとも今はまだ生存している。それだけは確実だ。
「他の知り合いにも、協力を頼むか……?」
現状探しているのは辻家の面々と僕とミオと三好ルナと警察だけ。
もし状況が深刻なら、僕やミオの人脈を使ってもっと捜索人数を増やすべきなのかもしれない。
しかし、何処に?
何処だか分からないから人手を増やす訳だが、それにしては手がかりが無さすぎる。
学校はもう確認済みだ。
辻家から連絡が行っていたらしく、先生達が朝のうちに校内を一通り見てくれていた。空き教室も、図書室も、屋上の扉の前も。それでも、いなかった。
通学路も駅前も、さっき回った。
残っているのは……どこだ。
辻セイラは、記憶の手がかりを探すために散歩に出た。
忘れているのが僕のことだけなら、僕と関わりのある場所を辿るのが一番の近道。
しかし、僕と関わりのある場所なんて、もうほとんど見終わってしまった。
なら、逆に考えるべきか。思い当たる場所は皆で探した。それでも見つからないのなら、辻セイラがいるのは誰も思い当たらない場所ということになる。
携帯は部屋に置きっぱなし。その状態で夜を一晩外で過ごしている。
財布を持っていたかどうかは分からないが、ネットカフェやファミレスで夜を明かしたのなら、女子高生一人だ、店員の記憶に残る。警察が聞き込みをすれば、すぐに足取りは掴めるだろう。
それがまだ掴めていない。
つまり、人目のある場所にはいなかった。
人目の無い場所、か。
まず思いつくのはこの商店街の裏通りだな。
表通りはさっき見たが、裏手までは覗かなかった。
とても清潔とは言い難いし、屋外で一晩過ごそうとする人間がそんな場所にいるとは考えにくいが……何も手掛かりが無い以上そういった場所を探すしかないのかもしれない。
「じめじめしていて気は引けるが……よいしょ、っと」
……うわ。
思っていた以上というか……あまり長居すべきではない場所というか。
表通りから一本入っただけで、ここまで空気が変わるものなのか。
どこかの飲食店の裏なのか、油と生ごみの混ざった匂いがするし、室外機から出てくる風は妙に生温い。足元もぬかるんでいて、一歩ごとに嫌な音がして、あんまり良い気はしない。
とはいえ辻セイラであれば、必要とあらばこういった場所に踏み込むことも辞さないだろう。抵抗こそあれど汚いだの臭いだのといった理由で足を止める人間ではない。やると決めたら、手段も場所も選ばない。それが辻セイラだ。
しかし、今の彼女に、そこまでの「必要」があるかどうかは分からない。記憶の手がかりを探すための散歩だ。こんな路地裏で見つかるようなものではない気がする。
「辻セイラ、いるか!」
……まあ、ここで出てくるならとっくに見つかっているか。
もう少し奥まで行ってみ──
──ガンッ
「痛っ……!」
っ!
な、なんだ、何か蹴ったぞ。金属か?
こんな通路の真ん中に物を放置するなんて、どこの店だ。
いや、そもそもこんな場所を人が通るとは想定していないんだろうが。
物を遺棄するならちゃんと決められたルールに則って、定められた日に処分すべきだ。人が見ていない、来ない場所だから適当にしていればいいという話でも無いん……だぞ。
「……スコップ?」
あれ、思ってたのと違うな。
なんでこんな所に──スコップがあるんだ?
もっとこう、使い捨ての金属ゴミか、あるいは使い終わった金属部品だと思ったんだが。
この辺りに園芸店は無かったはずだし、そもそも店の備品なら裏口の脇にでも立てかけておくだろう。通路のど真ん中に倒しておく理由が無い。まるで、使っている途中で手を離したような……。
というか、ほぼ新品同然だろう、これ。
かなり綺麗だし、何なら柄に傷一つ無い。最近買ったばかりなのか?
汚れているのはせいぜい刃先ぐらいか。
変に黒い。土の色じゃない。土ならもっと茶色いし、どちらかというと……赤黒い。
……あれ?
これ──血か?
「待て。待て待て待て」
血?
血、だよなこれ、どう見ても。
少し薄暗かったから分かりにくかったが、明るい方に翳すとすぐ分かる。
錆にしては新しすぎるし、塗料ならこんな乾き方はしない。
なんで血のついたスコップが、こんな所に。
もしかして、このスコップを使った人間は、誰か人に怪我を負わせたのか?
そして、それを隠すために、目立たない商店街の裏手に遺棄したんじゃないのか。
じゃあ、もしかすると、その被害者は。
いや、その被害者こそが……。
「い、いや、決めつけるのはまだ先だ」
落ち着け。
ループは起きていない。辻セイラは生きている。それは変わらない。
仮にこの血が辻セイラのものだったとしても、生きているなら、まだ間に合うということだ。
……間に合うなら、ここで立ち止まっている場合じゃない。
スコップを隠すために捨てたのなら、使った場所もそう遠くはないはずだ。血のついた物をわざわざ持ち歩いて、人目につく危険を冒してまで遠くへ運ぶ理由が無い。
この先は、確か行き止まりだったか。
隠れるにしても、隠すにしても、一番奥に……。
「……っ! あ、あった!」
く、靴だ!
靴があるぞ。どうして、靴が、あんなところに転がって……。
いや違う。これは転がっているんじゃない。
脱げただけだ。すぐ近くに、人の足みたいなものが見えた。
「っ、おい!」
やっぱり、人だ。人が倒れている。
嘘だろ。待ってくれ。まさか本当に……!
……へ?
「誰、だ?」
辻セイラじゃない。
背丈も、肩幅も、全然違う。
それどころか、性別まで違う。
男だ。僕の知らない、男。
それも……全身血塗れで、息が浅くなっている、男だ。
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