「じゃあ、そろそろ行ってきます」
「もうそんな時間? いってらっしゃい。気をつけてね」
「いってらっしゃい、兄さん」
さて。
今日の予定は、まず学校で辻セイラを捕まえることだ。
自由登校だから来るかは分からないが、もし来ていなければ帰りに辻家へ寄ればいい。
聞きたいことは一つだけ。旅行のあの日の、『ごめん、次からは一人でやる』の意味だ。
旅行が終わってすぐ聞きに行っても良かったが、あれから色々ごたごたした上、避けられているのか中々二人で時間も作れなかったし。受験への緊張感が本格化してきたからあまり邪魔しに行く気にもなれなかったんだよな。
だが、受験が終わった以上、もう遠慮する理由も無い。
何を言われるか分からないが、とにかく今日は本人の口から聞かせてもらお──
「──おはよ~、お気に入りちゃん」
「うおっ!? ……み、三好ルナ?」
「そだよ~。ルナちゃんで~す」
……び、びっくりした。
なんで僕の家の前にいるんだ。
まだ8時前だぞ。三好ルナの家は……ここからそこそこの距離じゃなかったか? この時間にこの場所にいるということは、わざわざ早起きして僕が出てくるのを待っていたということになるが。
というか、僕の家の場所を知っていたのか。ミオあたりから聞いたのだろうか。それにしたって、約束も無しに人の家の前で待ち構えるのは、ちょっとした事件だと思うんだが。
「……おはよう。どうしてここに?」
「セイちゃんのことでね~、お話があって」
……辻セイラのことで?
ますます分からない。
三好ルナと辻セイラは親しい間柄だが、その間で起こった話をなぜ僕に。それも、わざわざ家まで来てだなんて。辻セイラが直接僕に言うなら分かるが……君と僕にはあまり接点が無いじゃないか。
まあいいか。
用件が辻セイラなら、ループの可能性がある。聞かないという選択肢は無い。
「今朝ね、セイちゃんに電話したんだけど」
「ふむ?」
「セイちゃん昨日の夜にね~、お家の階段で足滑らせて、頭ぶつけちゃったんだって」
「えぇ……」
なんだそれ。
頭を? 大丈夫なのだろうか。
だが、あの辻セイラが? そんなドジを?
にわかには信じがたいな。九条ノドカじゃないんだから。
どこをどう打ったんだろう。意識はあるのだろうか。病院には行ったのか。
……いや、電話に出られたなら、少なくとも意識はあるのか。あるんだよな?
辻セイラは死ねば巻き戻る。だが、死ななければ巻き戻らない。命に関わるような打ち方をしていたら、その時点でループが発生しているはずだ。僕に連絡が来ていないということは、そこまで大事に至るほどのものではないということか。
「大丈夫だったのか?」
「うん、元気そうだったよ~。でもね?」
「お気に入りちゃんのこと、あんまり覚えてないって」
「え?」
「だからちょっと心配でね~」
「だって、今日から7泊8日の大旅行らしくて~」
「………………えっ?」
……?
……。
……?
……待て。待ってくれ。
今、二つ言われたよな? 一つ目を飲み込む前に、二つ目が来たぞ。
覚えて、ない?
待ってくれ、今のは「大丈夫なのか」の答えなのか?
元気ではある。ただ、僕のことは覚えていない。
それが、彼女の今の「大丈夫」の中身なのか?
というか、7泊8日って。
7泊、8日? 今日から?
昨日の夜に頭をぶつけた人間が、その翌朝から?
8日間?
「……ど、どこへ?」
「ちょっと東京見て回って~、それから小笠原だって~」
「小笠原!?」
小笠原。小笠原諸島。
確か、空港の無い島だ。東京から船で丸一日かかって、その船も毎日出ている訳ではなく、週に一便あるかないかだったと思う。一度渡ったら、次の便まで何日も帰ってこられない。
そうか、それなら7泊8日という数字にも納得がいく。
……いや、納得している場合じゃないだろう。
頭を打った翌日に行く場所じゃないぞ、そこは。
向こうで具合が悪くなったらどうするんだ。頭の怪我は後から来ることだってある。島の診療所で手に負えなければ、本土の病院まで何日もかかるかもしれないのに。
「前から決めてた旅行で、どうしても行きたかったんだって~」
「えぇ……?」
「周りも心配してたけど、他のことは全部覚えてるし、受験も頑張ったのにお気に入りちゃん一人のせいで旅行までパーとか絶対イヤ~……だって?」
……。
……ふむ。
……。
「……誰と行くんだ」
「一人だって~」
……そうか。
おかしいな?
どう考えても異常事態だ。
「一応聞くが、記憶喪失とは」
「あれ~? あんま驚かないね? 切り替えの早さにルナちゃんびっくり」
「他に考えることができた。質問の答えは」
「ルナちゃんのこともミオちゃんのこともちゃんと覚えてたよ~。お気に入りちゃんのことだけ、『あんまり』だって。変だね?」
そうだな。変だ。
今の辻セイラは明らかに異常行動を取っている。
まず、その記憶喪失とやらがやけに都合の良い代物であることは置いておこう。
十中八九嘘だろうし、彼女は頭こそ打ったかもしれないが実際には僕のことを忘れてなんかいないはずだ。頭に異常は一切存在しないと考えていいはず。
問題は旅行だ。
前から決めていた、と言われたがどう考えてもおかしい。
彼女は『大切な人』とのアクセスが絶たれてしまう状況に酷く敏感だったはずだ。だから、旅行については家族旅行のように『大切な人』がそのままついてくるものか、そもそも行かないかの二択に限定されていたはず。
実際、九条ノドカの旅行であそこまで苦労していたんだ。その苦労をほんの3ヶ月程度で忘れてしまった訳がない。にもかかわらず「個人で旅行」、これがおかしいと気づかずに何が協力者か。
そもそも来週はカリンの受験だったはず。
妹が本番を控えているこの時期に、何日も連絡のつきにくい島へ一人で?
家族に余計な心配をかけるのを何より嫌がる、あの辻セイラが?
何か裏があると考えるべきだろう。
そう考えると、記憶喪失とやらにも意味があることが分かってくる。
もし本当に僕の記憶だけ消えたとすれば、彼女にとって今の僕は見知らぬ赤の他人。排他的かつ新たな『大切な人』を作らないように細心の注意を払っている彼女からすれば、百害あって一利なしの存在だ。
だから普通に考えれば、僕だけ記憶喪失というのは『僕を遠ざけようとしている』ようにも考えられる。辻セイラとの関係が浅い2年前の僕であれば、安直にそう考えていただろうな。
相手はあの辻セイラだ。
疲れ切ってまともな思考ができていないならまだ分かるが……理由も無いのに僕を遠ざける意味がない。いや、彼女に嫌われているからといえばそれまでだが、そのために家族に嘘を吐く必要性が無い。
きっとこれは、12月の旅行の時に僕へ送り付けたあの暗号と同じだ。限られた情報しか僕に提供することができず、その中でなんとか意味を見出して僕に行動してほしいという目的の表れなんだ。
彼女が旅行に消極的という方針は僕と関わる前から存在していた。僕がいようといまいと、旅行中に死に戻りが発生するリスクは平等に存在する。記憶喪失といえど、「僕の記憶」しか失っていないなら、今の彼女は変わらず一人の旅行なんて考えもしないだろう。
にもかかわらず、彼女は一人の旅行を決行した。「ずっと前から決めていた」だなんて、周りは納得させられても、僕のように事情を知る人間からすれば嘘としか思えない理由で。
つまり、今の彼女は死に戻りのループ下にある。
僕に連絡を寄越さなかったのは意味不明だが、きっと前のループの時のように何か事情があったのだろう。そうでなければ、こんなバレバレの嘘を吐くはずがない。
行き先は東京と小笠原諸島。
小笠原諸島に行くにはどちらにせよ東京を経由する必要があるから……目的地は東京そのものではなく小笠原諸島の方だな。何かループ解決の手がかりになるものがそこにあるのか、あるいは手掛かりになる人物がそこにいるのか。手がかりを特定したということは……既に何周もしているな?
ああ、こうなるなら避けられてるとかどうとか気にせず、早い段階で暗号の意味を聞いておくべきだった。
「ねえ、お気に入りちゃん」
「何だ」
「セイちゃんね~。電話で『大丈夫だから』って、いっぱい言ってたの」
「そうなのか」
「でもね、お気に入りちゃんに『助けてほしい』って言ってるようにも聞こえたんだよね」
「そうか。なら助けに行かなくてはいけないな」
「わお~、流石だね~」
「当たり前だ」
筋が通った事情があるなら誰であろうと助けに行く。
僕はこの高校生活で悔いのない生き方をすると決めている。
最後の最後で、暗号の意味を理解できていたにも関わらず彼女との約束を破って静観し、そのままループを解決する彼女の足を大きく引っ張ってしまう……そんなことをして悔いが残らない訳がない。
僕だけに通じる暗号。十分推測できる行き先。急がなければいけない状況。
判断するに十分な情報は揃った。明日のバイトは休みの連絡を入れなければな。
「ルナちゃんも力になりたいけど、どうすればいいか分かんなくて」
「無理をする必要はないと思うが」
「ううん。だから、何か困ったことがあったら、ルナちゃんを頼ってほしくてね」
「……そうか。ありがとう」
「ううん。それだけ言っておきたくて、じゃあね~」
お、おお。
は、早い。言うだけ言ってもういなくなってしまった……。
しかし、三好ルナもああして心配している。
口では『大丈夫』と言いつつ、彼女に『助けてほしい』という気持ちを見抜かれているのだから、今回のループは相当な難易度なのかもしれない。三好ルナも今の状況を黙って見ていられないのだろう。
となると、今日の予定は全部取り消しだな。自由登校日で良かった。
まずは辻セイラに連絡を入れるところからか。電話越しには喋りにくいだろうが、必要最低限何をすべきか意見だけでも聞いておこう。
その後は辻家に行って何か伝言でもないか聞いてみようか。
カリンと辻父はともかく、辻母ぐらいは在宅しているだろうし。
「……」
「……あれ」
お、おかしいな。
繋がらないぞ。
あれ? 暗号……だよな? 本当は協力してほしいんだよな?
実はただの深読みで、単純に僕を遠ざけたかっただけ……とかないよな?
*
「(あ、あれ……マコっちは?)」
「(ウチのメモだといつもこの時間にここ通るんだけど……おっかしーなぁ)」
「(……リサーチ不足? ストーキング足りなかった?)」
「(……あっヤバ! 今日自由登校日じゃん! うっかりしてた!)」
「(えっじゃあこのチョコどうしよ……)」
「(ぐぬぬ……こうなったら旅行の時にサプライズリベンジしてやる~……!)」
*
暗号を読み解くヒントを得るため、辻家に来たのは良かったが……。
「──それでね、朝一番で病院に行って、何ともなければそのまま出発していいって約束だったのよ。そしたら本当に『異常無しだった』って連絡が来てね」
「そのまま、東京へ」
「そうなの。頭を打った次の日なんだから、せめて一日くらい様子を見たらって言ったんだけど……数ヶ月前から決めてた旅行だからって、どうしても聞かなくて」
……朝一番で病院に行って、その足で東京へ。
異常無し、というのはひとまず良かった。医者がそう言ったのなら、少なくとも今すぐ倒れるような怪我ではないということだ。そこだけは素直に安心していいだろう。
そして、この急ぎよう。
頭を打った翌朝に病院へ行って、診察が終わったその足で出発。
一日休むどころか、家に一度戻る時間すら惜しんでいる。
辻母が言う通り、一日くらい様子を見てから出かけたって、7泊8日の旅行なら大した差は無いはずだ。新幹線の料金は確かに痛いだろうが、前日でも取れないことは無いだろう。
だから、やはりこれはループの可能性が高い。
……まあ、新幹線の予約もあるし。
数か月前から決めていた旅行だと言われれば、急ぐのも分からなくはないが。
加えて、ここへ来るまでの間に一応調べてはおいた。
小笠原へ行く船──おがさわら丸の予約は、遅くても出港の3日前まで一応可能ではある。東京を何日か回ってから島へ渡るなら、乗るべき次の便は明後日だ。その予約の締め切りは、ちょうど昨日。
旅行についても、家族に打ち明けたのは昨日のことだったらしい。何か月も前に決めていた旅行の予定を果たして前日に言い出すだろうか。
だから、やはりこれはループの可能性がある……はず。
……まあでも、数か月前に取っていても、何もおかしくない。
現状、どちらとも言えない。
「ごめんなさいね、瀬尾君。あの子、瀬尾君のことだけ、うまく思い出せないみたいで……」
「そんな、謝らないでください」
やめてほしい。
辻母に頭を下げられると、こちらの方が居たたまれない。
カリンのFDEIAの頃から、この家では何かと良くしてもらってきた。辻家の中で僕は、娘の頼れる友人として通っている。その娘本人だけが僕を知らないという状況で、よりにもよって「母親」に謝られる。
どういう顔をすればいいのか、正直よく分からない。
話を聞いたところ、どうやら辻セイラは僕との協力関係が初めて締結された高二の春頃あたりの記憶が曖昧だと主張しているらしい。そのせいか、僕への態度というか気持ちがほとんどリセットされているようだとかなんとか。そして、それ以外の記憶は全て万全であると。
医者は異常無しだと言っているが、もし本当に記憶を失って、2年前の辻セイラになっているのなら……「は? なんでよりにもよってあの委員長を覚えてるかどうかで私の旅行が中止になるの?」とか言い出しても決しておかしくはない。
いや、でも……。
記憶喪失は嘘のはず。きっと今、ループ中で、彼女は助けを求めているはず……。
「でもね、ちゃんと連絡はくれるのよ。ほら」
「写真ですか」
「さっき、新幹線の中から。これから行った所は全部写真で送るから心配しないでって」
写っているのは辻セイラ。
それと窓の外の景色と、駅弁らしき包み。
確かに、旅行の始まりとしてはこの上なくそれらしい一枚だ。
もしこれからも「東京の観光地を楽しんでいる写真」が沢山送られてきたら、「本当に旅行が楽しみだったんだな」「そこまで活動的に動ける元気があるんだな」「安否確認」という三つの名目で家族は安心できるだろう。
……そして、この旅が純粋な観光である可能性がますます高くなってしまう。
一応、送られてくる写真が全て捏造の可能性だってある。
何せ相手は辻セイラだ。僕は彼女から証拠捏造のノウハウを学んだ。観光写真の捏造なんて、ネットで探せば元画像がいくらでも出てくるんだから、そこに楽しんでいる自分の姿を張り付けて調整するだけだ。
写真の一枚や二枚、どうとでもしてみせるだろう。
だから、写真が送られてきたところで、それが純粋な観光だと証明する訳でもない。
……その、はず。
「……一つ、お願いしてもいいですか」
「なにかしら?」
「今、辻セイラに電話をかけてもらえないでしょうか」
「今? ええ、いいけど……確かに瀬尾君の声を聞いたら、何か思い出すかもしれないものね」
……そう受け取ってもらえるのは、ありがたいが。
思い出してほしいというより、本当に忘れているのかを確かめたい、というのが本音だ。
辻母がこうして電話の話を持ち出しているということは、通話できない状態にあるということではないのだろう。そうなるとどうして僕の電話にだけ出てくれないのかが気になるが。
一応、僕の電話にだけ出られない事情があったのかもしれない。もし他の端末を用いて通話可能ならそれで連絡を取ればいい。何か情報をくれないと、動きたくても動けないんだ。
「もしもし」
『──もしもし、ママ? どしたの?』
「セイラ? ちゃんと着いた?」
『まだ新幹線。さっき写真送ったじゃん。大丈夫だってば』
「そうなの。あとねセイラ、今ここに瀬尾君が来──」
──ブツッ……
「あら……切れちゃったわ。電波が悪いのかしら」
「……」
「その……ごめんなさいね、瀬尾君」
「……いえ」
「もう一回かける?」
「はい……」
……待ってくれないか辻セイラ。
君、記憶喪失は嘘だよな? 家族を置いて旅行になんか行かないよな?
今のこの状況は、ループ中の僕に託した暗号なんだよな?
きっとそうだ。普段のループも僕達は暗号でやり取りしているし、警戒心の強い君が生の情報を信頼性の薄い連絡手段で送ることを嫌っているのは知っているんだ。
まあ、記憶喪失なら……それすら知らない訳だが。
ただ嫌な男が電話をかけてきて、切った、それだけのことなんだが。
でも辻セイラ、僕は君を信じているんだ。
今の君には明らかに異常な行動が多すぎる。周囲の目を誤魔化せても僕の目は誤魔化せないぞ、何回ループに協力したと思っている。下手な演技は止めておいた方が君のためだ。
だから、情けないことだが、これが暗号なら……もうちょっと何か情報をくれないか?
僕は君と情報共有したいが、電話が無理なら対面でしか不可能じゃないか。
いくらなんでも流石に今回は情報量が少なすぎる。
現在地くらい教えてくれないと僕も困るんだ。
な?
──ブツッ……
「あらら……?」
じょ、冗談だろう?
僕は、あの限られた暗号だけを頼りに、今から君を追いかけて新幹線に乗り、どこにいるか分からないのに君を見つけるために、東京中を駆け回らなければいけない……そう言いたいのか?
……ちょ、ちょっと厳しいと思うぞ?
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