世界間を移動できるようになったので世界を弄り回す 作:Ура
深夜。自室のパソコンに向かい、先ほど作ったばかりのテキストファイルを見つめていた。
ファイルの先頭に打ち込まれているのは、たった一行。
『ダンジョン造成計画』
その文字を見るだけで、自然と口元が緩んだ。
これまで小説や漫画、ゲームの中でしか触れられなかったものを、実際に存在させる。
頭の中で設定を考えるだけではない。
自分の足で中へ入り、現実の人間が未知の空間を発見し、調べ、装備を整えながら先へ進んでいく。そんな光景を本当に見ることができる。
航平はキーボードへ手を置き、ダンジョンに欲しい要素を思いつくまま書き出していった。
巨大な地下空間。
未知の植物。
地球には存在しない生物。
特殊な性質を持つ鉱物。
崩れかけた遺跡。
奥へ進むほど変化していく環境。
持ち帰る価値のある何か。
数行書いただけで、項目は次々と増えていった。
しかし、画面を埋めていく文字を眺めているうちに、航平の指が止まった。
「……いや、最初から全部入れるのは違うな」
今作ろうとしているのは、ゲームの舞台でも小説の設定でもない。
実際に人間が足を踏み入れる場所だ。
思いついた要素を何も考えずに詰め込めば、面白いダンジョンになるとは限らない。内部の環境が成立しなければ、植物は枯れ、生物は死ぬ。逆に危険な生物が増えすぎれば、人間が探索できる場所ではなくなる。
それ以前に、作った本人である航平自身が、何がどこにあるのか把握できなくなる可能性もあった。
航平は先ほどまで書いていた項目を別のファイルへ移し、新しい見出しを作った。
『第一試作』
最初から理想を完成させる必要はない。
一つ作り、問題を確認し、その結果を次へ反映すればいい。
仕事で新しい機能を作るときも、初めから何もかも盛り込んだ完成品を出すわけではない。まず最低限動くものを作り、実際に触りながら修正していく。
今回も同じように考えればよかった。
航平は、最初のダンジョンに必要な条件を書き始めた。
地球側へ置くものは、内部へ入るための入口だけ。
ダンジョンの本体は地球上へ直接出現させず、別世界に存在する空間を利用する。
そうすれば、巨大な地下空間を日本の地面へ無理やり埋め込む必要はない。地球側には人間が出入りできる程度の入口を設け、その先をダンジョンとして使う空間へつなげればいい。
内部で暮らす生物が存在する場合は、地球側へ出られないようにする。
何か問題が起きた場合には、入口と内部の接続を切る。
危険は残すが、入った瞬間にどうしようもなくなる場所にはしない。
人間が事前に準備し、内部の情報を集め、装備や方法を工夫すれば進める程度にする。
そこまで書いた航平は、椅子の背もたれへ寄りかかった。
「最低限は、このくらいか」
安全なだけの場所を作るつもりはなかった。
危険がまったくなければ、未知の場所を探索する意味も薄くなる。だが、何をしても助からないような環境では、探索ではなく処刑になってしまう。
その間に収める必要がある。
もっとも、航平自身には、ダンジョンを運営した経験などない。
人間がどの程度の危険まで対応できるのかも、詳しく知っているわけではなかった。
だからこそ、最初は小さく始める。
一つの巨大な階層。
洞窟の中に植物が生え、水が流れ、未知のものを調べながら歩き回れる場所。
迷路のように通路を細かく分ける必要はない。まずは異なる環境の中を探索すること自体が成立すればいい。
◇
大まかな方針を決めた航平は、パソコンの前で目を閉じた。
これまでの検証で、望む条件に近い別世界を探せることは分かっている。
ただし、何もかも理想どおりの世界が一度で見つかるわけではない。
条件が曖昧なら、能力が拾い上げる候補も広くなる。
航平は頭の中で、欲しい場所の姿を組み立てた。
広い地下空間。
人間が呼吸できる空気。
極端な暑さや寒さがない。
歩ける地面がある。
水が存在する。
できれば、地球では見られない植物も生えている。
条件を定め、最初の候補へ移動する。
自室の明かりが消え、次の瞬間には岩肌に囲まれた空間へ立っていた。
足元には黒い岩が広がり、遠くには天井まで届く太い岩柱が並んでいる。携帯していたライトを向けても、その先まで照らしきれない。
規模だけを見れば悪くなかった。
だが、航平は息を吸った直後に顔をしかめた。
空気が熱い。
湿気もひどく、じっとしているだけで額へ汗が浮かぶ。岩の隙間からは白い蒸気が立ち上り、鼻を刺すような臭いも混じっていた。
長く滞在してよい環境には思えない。
航平はすぐに自室へ戻った。
「広ければいいってもんじゃないな」
候補として記録する必要もない。
最初の一件で、条件を追加した。
異臭がないこと。
地球人が長時間活動できる程度の気温と湿度。
地面や天井が極端に不安定ではないこと。
条件を整理し直してから、次の候補へ移動する。
視界が切り替わった直後、航平はしばらく何も言えなかった。
そこも地下だった。
高い天井は暗闇の中へ消え、どこまで続いているのか分からない。足元には柔らかな土が広がり、その間を縫うように細い水の流れが続いている。
空間を照らしているのは、航平が持ち込んだライトだけではなかった。
岩壁や地面に沿って生える植物が、淡い青緑色の光を放っている。
葉のような薄い器官を持つもの。
細い茎の先端だけが光るもの。
岩へ張りつき、苔のように広がるもの。
それぞれの光は弱いが、数が多いため、周囲の地形を見分ける程度の明るさはあった。
航平は足元へ気をつけながら、近くの水辺まで歩いた。
水は濁っていない。
手で触れることは避けたが、流れもあり、少なくとも淀んだ水たまりではなかった。
空気はわずかに冷たいものの、呼吸に苦しさはない。変な臭いも感じられない。
遠くから、何かが水へ落ちたような小さな音が聞こえた。
この場所にも生物はいるらしい。
航平はその方向へ近づかず、周囲の景色を記憶した。
「これは、かなりいいな」
ダンジョンらしい見た目がある。
真っ暗ではないため、内部で何も見えずに立ち往生することもない。
水と土があり、植物が育っている以上、ここには何らかの循環が成立している。
何より、航平自身が歩いてみたいと思える場所だった。
ただし、見た目がよいだけで即決するわけにはいかない。
どのような生物が暮らしているのか。
植物に毒があるのか。
空気中に人間へ害を与えるものが含まれていないか。
地面の下や水中に何がいるのか。
確かめるべきことは多かった。
航平は、この世界を基礎候補として覚えておくことにした。
自室へ戻り、見たものを記録する。
発光植物。
土壌。
流水。
広い地下空間。
呼吸可能。
目立った異臭なし。
生物の存在は未確認。
次は、ダンジョンへ入れる生物の候補を探そうとした。
しかし、条件を指定しかけたところで思い直す。
知らない生物を見つけたとしても、姿を一度見ただけでは何も分からない。
何を食べるのか。
どの程度の数で暮らしているのか。
人間を襲うのか。
毒や病原体を持っているのか。
仮に一匹だけなら危険でなくても、群れになれば手に負えないこともある。
航平は生物そのものを探す前に、先ほどの地下空間をもう少し調べることにした。
◇
再び移動し、今度は蓋つきの容器をいくつか持ち込む。
発光する植物の一部。
地面の土。
水辺に落ちていた小石。
植物の近くに残っていた、薄い殻のようなもの。
手当たり次第には持ち帰らず、少量だけ採取した。
それらは地球側の自室へ直接出さず、最初に訪れた何もない世界へ送る。
そこなら、地球の環境へすぐ影響を与えることはない。
航平は小さな範囲だけ自室と同じ空気へ接続し、採取した植物をしばらく置いてみた。
しばらく観察していると、淡く光っていた葉の明るさが徐々に弱くなった。
すぐに枯れたわけではない。
だが、元の地下空間に生えていたときとは明らかに様子が違う。
土を一緒に入れたものは変化が小さく、植物だけを分けたものは光が弱まるのが早かった。
原因までは分からない。
水分かもしれない。
土に含まれる成分かもしれない。
空気や温度のわずかな違いか、航平には認識できない別の要素が関係している可能性もある。
少なくとも、植物だけを持ってきて地球側へ植えれば、そのまま育つわけではなさそうだった。
航平は並べた容器を見ながら、考えを改めた。
一つの植物を別の世界から持ってくる。
別の世界から生物を連れてくる。
さらに別の世界から土や水を持ってくる。
それらを航平の好みだけで同じ場所へ詰め込んでも、まともな環境になる保証はない。
植物は植物だけで生きているわけではない。
水や土、目に見えないほど小さな生物、気温、空気、周囲に存在する別の植物や動物。
航平には分からない無数の関係によって、その場所の環境は成り立っている。
「一つずつ集めて組み立てるより、最初から成立してる場所を使った方がいいな」
最初から存在している環境なら、少なくとも現在まで維持されてきた理由がある。
航平が余計に分解しなければ、その関係もまとめて残せる。
地下森林から植物だけを抜き出すのではない。
水も、土も、空気も、そこに暮らす小さな生物も含め、空間そのものを切り出す。
その方が自然だった。
もちろん、危険なものまで一緒についてくる可能性はある。
だから、切り出す前に範囲を調べる必要がある。
航平は『ダンジョン造成計画』へ、新しい方針を書き加えた。
『基本環境は、一つの世界から範囲ごと使用する』
『別世界の要素を追加する場合は、環境への影響を確認してから行う』
最初のダンジョンの基礎は、先ほど見つけた発光植物のある地下空間にする。
まだ決定ではない。
生物や地形を調べ、使える部分を選ぶ必要がある。
入口をどこへ置くかも、誰が最初に発見するのかも、その後に考えればよい。
◇
航平は机の上を片づけると、再び地下森林へ移動した。
青緑色の光が満ちる空間へ戻り、周囲を見渡す。
先ほどは、移動した場所の近くしか確認していなかった。
ダンジョンとして切り出すなら、この空間がどこまで続いているのかを知る必要がある。
航平は水の流れに沿って歩き始めた。
発光植物の間を抜け、岩の張り出した場所を回り込み、緩やかな斜面を下る。
少し進めば終わる程度の洞窟だと思っていた。
だが、水の流れは途切れない。
植物の光も、その先へ延々と続いている。
岩壁の向こうにはさらに広い空間があり、その奥にも別の通路が口を開けていた。
進むほど、地下森林は新しい姿を見せる。
天井から無数の根が垂れ下がる場所。
発光する植物が水面を覆う小さな池。
航平の背丈を超える葉が密集した一帯。
地面へ半ば埋もれた、色の違う岩盤。
航平は途中で立ち止まり、来た道を振り返った。
最初に想像していたよりも、ずっと広い。
少し見回った程度では、全体の形すら把握できそうになかった。
それでも、航平は困った顔をしなかった。
すべてを使う必要はない。
この広い地下森林の中から、最初のダンジョンに適した範囲だけを選べばいい。
水があり、植物が育ち、人間が歩ける地形が続いている場所。
危険な生物が少なく、必要なら外部とのつながりを閉じられる場所。
条件に合う一角を探し、その周囲ごと切り出す。
航平は淡い光に照らされた森を見渡した。
「まずは、この中から使う場所を決めよう」
第一試作のための素材は見つかった。
次にすることは、その広大な地下森林の調査と、切り出す範囲の選定だった。