HELLSINGの少佐がミレニアムで教師をしている話 作:海鮮横丁
ナイフをステーキに刺す。
スッと肉にナイフが通り、切り分けられる。
「流石はトリニティの高級レストラン。いい肉だ」
満足そうに頷き、一口に頬張る。
ソースはトロッと粘る。ほんのりと甘みを感じるのはワインのせいだろう。
「いい味だ。どうしたのかね」
対面に座って、こちらをしげしげと眺める少女に声をかける。
「いや、何でもない。その、本当に私も食べていいのか?」
テーブルについてから何も手に着かず、膝に拳を置きジッと少佐の顔を見るアズサ。
「当たり前だろう。白洲アズサ君。君が案内してくれたお陰で私は今日いいものが見れた」
「あれは、マリーのお陰だ。私は何もしていない」
ナイフが肉を切る音だけが、しばらくテーブルの間に落ちていた。
アズサは相変わらず、フォークにも手を伸ばさない。視線だけが、目の前の料理と、そして目の前の男を行き来している。
「マリーのお陰、か」
少佐は小さく繰り返して、グラスのワインを軽く揺らした。
「それは謙遜というものだよ、白洲アズサ君。たとえ誰かの助けがあったとしても、“そこへ辿り着いた”のは君の役目だ」
「……そういう理屈は、よく分からない」
アズサは眉をひそめたまま、ようやく小さく息を吐く。
「私はただ、案内しただけだ。大聖堂への道は私がたまたま知っていただけで。別に普通のことだし……」
「だからこそ、だよ。アズサ君。君の親切に私が救われた。だからお礼に食事に誘った」
大きな肉塊を一口。
ワインを一口。
満足げに唸る。
「こちらはいいね。まさか、ワインが飲めるとは思わなかった」
「…マダムが飲んでいたから知っているが、美味しいのか?」
グラスに満たされた赤色の液体をぼんやりと見る。
少佐はグラスを軽く持ち上げ、光に透かすように揺らした。
深い赤が、照明を受けてわずかに濃淡を変える。
「美味いか、だと?」
一瞬だけ考えるような間があって、それから静かに口元を緩める。
「“美味い”というのは少し雑な言葉だね。これは……記憶の味だよ」
「記憶……?」
アズサは眉をひそめる。理解できない、という顔だ。
少佐はそれを見て、わざとらしく肩をすくめた。
「葡萄が育った土地の空気。樽の中で眠っていた時間。作った人間の癖。それらが全部混ざって“今この瞬間の味”になっている」
グラスを軽く傾け、一口含む。
「つまりこれは、味覚というより“時間”だ」
静かに飲み下すと、少佐はナイフで皿を軽く叩いた。
コツ、と乾いた音。
「君が見ているのは赤い液体だろう。だが私は、その背後の年月を飲んでいる」
アズサはじっとワイングラスを見つめたまま、少しだけ黙る。
「……よく分からない」
正直な言葉だった。
少佐は笑う。
「分からなくていい。飲めば分かる類のものでもないしね」
「じゃあ、何のために飲むんだ?」
その問いに、少佐は珍しく即答しなかった。
フォークを置き、グラスを指で軽く回す。
「……生きているという感覚を確認するためだよ」
アズサの視線が、わずかに上がる。
少佐はそのまま続ける。
「痛みや戦場ほど分かりやすくはないがね。こういう静かな時間の中にも、“まだここにいる”という証拠はある」
ワインをもう一口。
今度は、少しだけ長く味わうように。
「それに、君みたいな真面目な人間がこうして目の前にいる。十分すぎるほどの贅沢だ」
アズサはその言葉を聞いて、少しだけ視線を逸らした。
「……私は別に、そんな大したものじゃない」
「そう言う者ほど、厄介な価値を持っているものだよ」
さらりと返されて、アズサは言い返せなくなる。
代わりに、グラスをそっと持ち上げた。
未成年ということもあり、こちらはただのジュースだ。
柑橘類の淡い匂いがまだしている。
「考えても仕方ないかもしれないな。特に貴方のような人については」
こくりと小さな音を立てて飲み込む。
濃厚な味が喉を滑る。
何とも嬉しそうに顔を歪め、残ったステーキを片付ける。
「さて、君も食べたまえ。折角の食事だ。別に待てを覚えた犬ではあるまい」
「…嫌な大人だな貴方は」
ナイフを持ち、スッと刃を向ける。
刺す気など毛頭なく。威嚇目的でもない。
警戒と恐怖心の現れでしかない。
「食事中に止めたまえ。勿体ない」
優雅にワインを飲み、満足そうに身体を揺する。
「…そうだな。折角の温かい食事が勿体ない」
諦めたように食事を開始する。
拙い手付きで、ナイフとフォークで何とか切り分け、苦心して食べるアズサ。
「そうか。こういう食事は慣れてなかったか。すまなかったね」
「…何か間違っていただろうか?」
不思議そうに周囲を眺めるアズサ。
客の配置、店員の人数。全て把握済みだ。
テーブルに置かれた皿の数も全てではないが把握してある。
ナイフもフォークもだ。
「君は戦場では完璧なのに、テーブルでは素人だね」
「そういうのは苦手だ」
苦虫を嚙み潰したような顔でアズサが舌を出す。
「分かるよ。私としても食事は美味ければいいと思う人間だからね」
「だからそんなに丸いのか少佐は?」
「立派だろう。育てるのに苦労してね」
ポンと道化のように腹を叩く。
「ふむ。マナーか今度ヒフミに頼んでみよう」
「それがいい。友達は存分に頼りたまえ」
先程までと態度が一変し、ニコニコと生徒を褒めるような態度をとる少佐。
「ミレニアムの生徒は大変だな」
「何をいう。私なぞミレニアムではただの一観客に過ぎんよ」
軽く指を振り、アズサの皮肉を流す。
「…先生もそうだが、貴方達は本当によく分からない人だ」
「あの聖人も何度か話したが、随分と面白い人間だね。私も気に入っているよ」
「本当か。なら今度ヒフミと一緒に先生を誘って買い物に行くんだ。一緒に来るか?」
「…ほう。私を誘うとは」
「む。迷惑だったか。コハルから、お礼はしっかりとするべきと言われたばかりなんだ」
「君の友人は本当に愉快だね」
「ああ、いい人たちだ」
アズサは何度も笑顔で噛み締めるように頷き。
自然な動作で少佐の顔を見る。
「断ってくれても構わない。だが、日常の中での貴方を見てみたい」
「熱烈な誘いはありがたい。私としても願ってもないお誘いだ」
「だが」
「今度は私が誘う方が自然だろう」
少佐が言ったことを理解できなかったようで、暫くアズサが止まる。
「…どういうことだ?」
グラスの縁を指でなぞり、店員を呼びお代わりを注文する。
ゆっくりと机の上に肘を置き、顎を手の甲に乗せる。
「君に私は道を聞いた」
「それはマリーが助けただろう」
「順番の話だよ。アズサ君」
「その礼ならこの食事がそうじゃないのか?」
一拍開ける。
「これは君への興味が大きい」
「…私にか?」
「君達に、の方が自然かもしれんがね。アリウスは面白かった。結果としては酷くつまらないものになってしまったが」
「…貴方もマダムの仲間?」
「いいや。面識すらないよ。ただね。アズサ君、実験というものは古今東西、何処でだって行われているものだ」
「ただ、残念なことにアリウスは再現性が低い。だから生き残った君達に興味がある」
歯を見せてアズサに笑いかける。
「だから、アズサ君。ミレニアムに来たまえ。君が何をするのか見てみたい」
「…貴方はまるで、前にハナコが言っていた旅人を誘う悪魔だな」
「あんなものと一緒にされては困る。契約に縛られず、自由に動き。何かを成し遂げる人間が楽しいのだ」
ようやっと慣れてきたナイフで残った肉を切る。
冷えているのに余り固くなっておらず、それだけ料理人の腕がよい証拠だろう。
「面白そうな提案だが、断らせてもらう。私はまだトリニティでは何も成せていない」
「いい言葉だ。君が何を成し遂げるのか遠いミレニアムで思いを馳せていよう」
ワイングラスをゆったりと回し、一口飲む。
「さて、説教染みてしまったな。どうも面白い若者を見ると直ぐこれだ」
「アズサ君。どうせならもう一枚温かいステーキを頼んだらどうかね。ここはレアもいけるようだよ」
「私はこれでいい。十分食べられる」
事実として、アリウスで食べていたものより何倍も上等だ。
「逆境が人に与える教訓ほどうるわしいものはない。というが、君はまさにそれかもしれんね」
「?何だそれは?」
黙々とステーキを食べ進めていたアズサの手が止まる。
不思議そうに眼を細めて少佐を見る。
「昔の舞台の一節だよ。悪くない人生訓だ」
「ふーん?私と何か関係あるのかそれは」
「何もないよ。ただ、お勧めの舞台だから今度友人を誘ってみてみたまえ」
「分かった。今度誘ってみる」
素直にこくりと頷き、最後の肉を食べ終える。
「ふう。ごちそうさまでした」
「おや、もう終わりかね。デザートもあるよ」
「そこまでされる理由がない」
「そうかね。なら仕方ない。帰るとするか」
席を立つ少佐を目で追う。
本当に少佐だったのかという位には隙だらけだ。
文官だったのだろうか。
その後ろ姿を見て、何かが繋がった気がした。
「そうか。貴方は楽しみたいんだ。自分の箱庭で」
店の出入口付近で、こちらを見詰める少佐を見つける。
「わざわざ待っていたのか?」
「一応君も生徒だからね。先生のように送ってはやれんが、気を付けて帰りたまえ」
「…貴方の相手をしているとどういう風にしていいか困るな」
「何、自然体でいたまえ。それが一番君らしい」
言い終えると背中を向けて、去っていく。
あの道の先は観光客向けのホテルが立ち並ぶ一角だ。
もう夜も更けているから泊まるつもりだろうか。
「…表面上はいい人そうだったんだが、私も見る眼がない」
帰ってヒフミに話してやろう。
ミレニアムのとても変わった先生の話を。
しっかりと警戒するよう言い含めて。