HELLSINGの少佐がミレニアムで教師をしている話 作:海鮮横丁
大尉とグラフティ
「あ、大尉。いいところにいるじゃん」
フラフラとよさげなグラフティが描ける場所がないかと徘徊しているマキの眼に飛び込んできたのは、見慣れた軍服姿だった。
「……」
「うん。いい場所探してるの」
近くにあった自販機から適当にジュースを買い。手渡せば律儀に頭を下げお礼をする姿に少し胸が擽ったくなる。
ジュースを無言でチビチビと飲む姿に変に感動を覚えながら壁に寄りかかり、何故彼がこんな場所にいるのかと考える。
いつも少佐の傍にいるあのドクとかいう神経質そうな男性と違い。大尉は基本的に何処にでも現れる。
一時期彼は液体なのではないかという噂がまことしやかに囁かれたものだ。
「……」
無言で見下ろす彼の視線を受けて少しだけ目線を逸らす。
彼は勘もいいのだ。前に悪戯を仕掛けようと頑張ったが、成功しなかった。
マキは誤魔化すようにジュースを飲み、それから空を見上げた。
夕方の裏区画は静かだった。
遠くで機械音が響き、配管から時折蒸気が漏れる。
そんな景色の中に軍服姿の男が自然に溶け込んでいるのが妙におかしい。
というかこの男、本当にどこにでも居る。
食堂。
廊下。
屋上。
人気のない倉庫。
何故か閉鎖区画。
しかも本人に「何してるの」と聞くと、大抵「…」と返ってくる。
謎である。だが、何故か彼の言いたいことは伝わるのだ。
以前など、三日連続で別々の場所から現れたせいで、
“実は増えてる説”
“分裂している説”
“液状化して配管を移動している説”
などが真顔で議論されていた。
特に最後は妙に支持率が高かった。
「……」
大尉はいつものように短く沈黙する。
それだけなのに、
“否定するのも面倒だ”
“好きに想像しろ”
“まあ少し面白かった”
あたりの意味が何となく伝わってくるから不思議だった。
マキは耐え切れず吹き出す。
「やっぱ液体説あるよね」
「……」
「否定しないじゃん!」
大尉は缶を傾け、中身が減っていることを確認するみたいに軽く揺らす。
カラン、と小さな音。
そのまま何でもない顔で、指を真っ直ぐに伸ばす。
その方向に顔を向ければ、路地の奥。
フェンスの隙間、そのさらに向こうに、薄暗い搬入口が見えた。
大きなシャッターは半分だけ開き、コンクリートの壁面には古い塗装跡がまだらに残っている。
配管が何本も這い、天井近くには黄ばんだ照明が一つだけ瞬いていた。
「……おぉ」
思わず声が漏れる。
“描ける”。
見た瞬間にそう分かる場所だった。
適度に荒れていて、無機質で、少しだけ不気味。
スプレーの色が映えそうな灰色の壁。
しかも広い。
マキの目がみるみる輝いていく。
「え、何ここ。めっちゃ良くない?」
「……」
大尉はどこか満足そうに頷く。
「昔の搬入路とかかな。ミレニアムて急開発で大きくなったらしいからこういう隙間多いみたいだし」
マキはフェンスへ駆け寄り、隙間から中を覗き込む。
奥はかなり深い。
音も独特だった。
遠くで水滴が落ちる音がして、その度に反響が遅れて返ってくる。
何より、“誰にも見つからなさそう”なのがいい。
「ここ絶対描きたい」
大尉は静かに搬入口を見上げる。
何かを懐かしむような遠い瞳。
無言で佇む大尉の背中を軽く叩き、急かすようにフェンスを揺する。
ガシャン、という乾いた音が裏路地に響く。
「ほらほら。案内人なんでしょ大尉」
マキが悪戯っぽく笑いながらもう一度フェンスを揺する。
大尉はそんな様子を振り返り、僅かに目を細めた
目深に被った帽子から覗く彼の瞳が面白そうに輝く。
南京錠へ、大尉の手がゆっくり伸びる。
無造作な動きだった。
軍服の袖が擦れ、
細い金属音が小さく鳴る。
次の瞬間。
――カチャリ。
「……え?」
マキが瞬きをする。
南京錠は、何事もなかったみたいに開いていた。
数秒遅れて、
「いや待って待って待って」
我に返る。
「何で開くの!?」
「……」
「こういう時も喋らないのは困るって!」
無言で外れた錠を軽く揺らす。
まるで出来の悪い手品だ。
この男はこういう芸当もできるらしい。
「…はー少佐もそうだけど芸達者だなあ」
ドクもキャラが濃いとは思っていたが、大尉もか。流石は存在が液体説を持つだけはある。
無言でドアを開け、こちらをちらり、と見る。
「………」
まるでホテルのドアマンみたいな仕草だった。
「いや雰囲気だけは一丁前なんだよなぁ……」
マキは笑いながらフェンスをくぐる。
足を踏み入れた瞬間、
空気が変わった。
ひんやりしている。
湿ったコンクリートと鉄の匂い。
奥で鳴る低い換気音。
外の夕暮れとは切り離された、都市の裏側の空間。
「うわー……」
思わず見回す。
広い。
思った以上に広い。
壁一面まるごと使えそうだった。
しかも途中途中に古い注意書きや番号が残っていて、妙に味がある。
これは絶対映える。
「うわ……ほんとに良いなここ」
壁を見上げながら呟く。
近くで見るとさらに凄い。
古いペンキ跡の上に、また別の塗装。
剥がれた注意書き。
焦げ跡みたいな黒ずみ。
時間が積み重なっている壁だ。
大尉はその少し後ろをゆっくり歩く。
軍靴の音が一定で、
妙に落ち着いていた。
「大尉は何か描いて欲しいものある?」
「…?」
「ほら。せっかく見つけたんだしさ」
マキはスプレー缶を指でくるくる回しながら振り返る。
「リクエストくらい聞いてあげよーかなって」
大尉は少し黙る。
相変わらず表情の変化が薄い。
けれど、帽子の下の目だけがゆっくり壁へ向いた。
灰色の巨大な空白。
その前で数秒考え込み――
こちらが床に並べたスプレー缶の一つを指さした。
赤だ。赤がいいのか大尉は。
彼のイメージ的には黄色とか灰色だが。
「いい色だねえ。こういう場所で赤は映えるだろうし」
マキは床の缶を一本拾い上げる。
笑いながら、マキは赤のキャップを外す。
シュー、と試し吹き。
鮮やかな色が床へ小さく散った。
「じゃあ今日は赤祭りだ」
いつの間にコンテナへ腰掛けた大尉は、
長い脚を適当に組みながら壁を見上げていた。
軍服姿のまま、
薄暗い搬入口の片隅に自然に溶け込んでいる。
彼というか彼らは絵になる。無駄に目立つし動きもある種洗練されている。
マキは赤い線を走らせながら、ちらりと横目で大尉を見る。
やっぱり絵になる。
薄暗い照明。
古びたコンテナ。
無骨な軍服。
その全部が妙に噛み合っていた。
こちらを無言で見詰める瞳の奥の輝き。
映画のワンシーンみたいになるのは何なんだろう。
壁にどんどん赤を重ねていく。
赤が広がる。
灰色だった壁が、
少しずつマキの色に侵食されていく。
シューッ、とスプレーの噴射音。
床へ落ちる塗料の粒。
換気音。
その全部が妙に気持ちよかった。
マキは腕を大きく動かしながら、
大胆に線を重ねる。
赤。
黒。
また赤。
鋭い文字の輪郭が浮かび、
そこへ獣みたいな模様を噛ませる。
勢いのまま塗っているようで、
ちゃんと計算している。
その姿を、
大尉は静かに眺めていた。
瞬きすら少ない。
まるで、
焚き火でも見ているみたいな目だった。