HELLSINGの少佐がミレニアムで教師をしている話 作:海鮮横丁
「はい。チクッとしますよー」
ドクの軽い言葉と共にネルの腕に注射針がささる。
ゆっくりと血液が抜かれていく気怠い感覚がネルを満たす。
「で、珍しく健康診断を率先してやるから何かと思えば、私達の血が目当てかよ」
「まあそれもあるが、君達の健康状態のチェックもあるね」
そう言いながら、白衣の男は採血管に視線を落とす。赤い液体が一定のリズムで満ちていくのを、まるで実験データでも眺めるような目つきで見ていた。
「健康状態、ねぇ……」
ネルは椅子にもたれたまま、退屈そうに天井を仰ぐ。
「私ら、そんなヤワじゃないんだけど」
「それはそうだろう。ミレニアムの戦闘集団がそうでは困る。私が言っているのは中身の話さ」
「中身?」
「そう。内臓の話だ。我々外の世界の人間とどう違うかは昔ある程度試したがね。作りもほぼ一緒だということが残念ながら、証明されてしまった」
ドクは肩をすくめるようにして、採血管を軽く指で弾いた。コツ、と乾いた音が小さく響く。
「“ほぼ一緒”ってのが、残念って顔してるな」
「だってつまらないだろう?君達の戦闘力の高さ。丈夫さ等々の説明がつかない」
「知らねえよ。それこそ前に言ってた神秘だの何だのだろ」
「だろうね。だから解き明かしたい」
「解き明かしたい、ね」
ネルは、針が抜かれた腕を軽く揉みながら鼻で笑った。血の気が戻るまでのわずかな鈍さが、逆に妙な現実感を残している。
「相変わらず研究者ってのは、面白いこと言うよな。分かんねぇのが嫌いっていうか」
白衣の男──ドクは、採血管を透かして光にかざしたまま視線も上げない。
「嫌いというより、理解できないものは“扱えない”からね」
「ウタハとかリオもそうだけど、科学者ってのは面倒だな」
「だからこそ面白いのさ」
ドクは淡々と端末を操作しながら、まるで雑談の延長のように続けた。
「例えばアリス君の血液検査の結果などは、我々が知っている“標準的な人間のパターン”と完全に一致している」
「一致してるのに、あの動きかよ。てか、お前チビにまでしてんのか」
ネルが片眉を上げる。
「そう。そこが面白い」
ドクはそこで初めて、わずかに口元だけを歪めた。笑っているというより、現象を噛み砕こうとしている顔だった。
「そしてスミレ君のスタミナも同様だ。鍛錬の結果というには、効率が異常すぎる。エネルギー変換のロスが少なすぎる」
「ロスが少ない、ねぇ……人間の話じゃなくなってきてるな」
「まさにその通りだ」
ドクは採血管を机に置き、軽く指先で弾いた。コツ、と乾いた音。
「そして外部サンプル──ブラックマーケット由来の個体もいくつか試したが、いずれも“ただの人間”の枠を出なかった。強化も、異常適応も見られない」
ネルは椅子の背にもたれたまま、ぼんやりと天井を見上げる。
「じゃあ結局、“中身は同じなのに結果だけ違う”ってやつか」
「そうなる」
ドクは即答する。
「だからこそ厄介なんだよ、君達は」
その言葉には、いつもの興味以上に、少しだけ重さが混じっていた。
ネルは小さく鼻を鳴らす。
「その割には面白そうだな」
「全くだ。ここに来て毎日が発見の連続だよ。面白くてたまらないね」
ネルはその言葉を聞いて、わずかに目を細めた。
「……毎日が発見ねぇ」
椅子の背にもたれたまま、天井の蛍光灯をぼんやり見上げる。白すぎる光が、やけに目に刺さる。
「それ、言い方変えれば“観察対象が生きてる実験材料”ってことだろ」
ドクは否定もしない。ただ採血管を静かに回しながら言う。
「実験材料、という表現は正確ではないな。君達は“現象そのもの”だ」
「似たようなもんだろ」
ネルは軽く肩をすくめる。
その動きに合わせて、抜かれたばかりの腕がわずかに重さを思い出す。
「なあドク」
声のトーンが少しだけ変わる。
「アンタさ、たまに楽しそうに見えるけどさ」
ドクの指が止まる。
ネルは続ける。
「それってさ、“分かってきてる”から楽しいのか、それとも“まだ分かんねぇ”から楽しいのか、どっちだよ」
しばらく沈黙が落ちる。
やがてドクは、視線を落としたまま答えた。
「両方だよ」
「…アンタにとっては」
一度言葉を切る。
「視界に映る全てが面白くて仕方ないんだな」
ドクは一拍だけ間を置いて、ようやく小さく肩をすくめた。
「そう言われると、少し大げさだな」
採血管を机に置き直しながら、淡々と続ける。
「“全て”ではないよ。興味が持てないものもある」
「例えば?」
ネルが目だけで問い返す。
ドクは迷いなく答えた。
「既に完全に説明できるもの。既に枯れた法則。既に予測可能な世界」
コツ、と採血管を指で弾く。
「そういうものは退屈だ」
ネルは鼻で笑った。
「要するに、未知だけ追ってるってことか」
「それも少し違う」
ドクはそこで初めて視線を上げた。ネルを見ているようで、その奥の“現象”を見ている目。
「私は“未知そのもの”が好きなわけじゃない」
「じゃあ何だよ」
短く返すネルに、ドクは静かに言った。
「“既知に変わる瞬間”だ」
空気が一瞬だけ、温度を失う。
ネルはわずかに目を細める。
「……面倒くさい言い方するな」
「君達は単純に言うだろう?“攻略”とか“クリア”とか」
「まぁな」
「私はその途中が好きだ。未知が既知に“落ちていく瞬間”を見るのがね」
ネルは椅子の背に体重を預け直し、天井を見た。
「…少佐もだけど、よく追い出されないなお前ら」
「まぁ多少の実績も残しているからね」
「…お陰でエンジニア部の製品が最近軒並み戦闘重視なんだけどな」
「それは中尉の所為だろう。突破に躍起になっていると聞くよ」
「で、次は大尉だって話だろ」
「そう聞いたね。ああ、そうだネル君」
「何だよ、もう帰るぞ」
ネルは立ち上がる。
「今回の結果は後日モモトークで送ろうか?それとも部室に郵送しようか?」
「急に医者に戻んじゃねえ!」
「ま、いいや。アンタ等が何かやったらぶん殴ればいいんだからな」
「やれ、それは困る。前にやられた傷がまだ痛むんだ」
「年寄みたいなこと言うな」
ネルが去っていったドアを眺め、採血管の中で満ちていく赤を愛おしそうに眺める。
机の中からファイルを取り出す。
C&C用のファイルだ。
前回と変わったことが無いか、これから徹底的に洗い出す。
「やはり、面白いね君達は」