HELLSINGの少佐がミレニアムで教師をしている話 作:海鮮横丁
後別にこの二人でフラグが立ったりはしません
雨が降り続けるトリニティの中を傘もささずに歩く伊達男。
「ここが古書館か…何度も来たが道が覚えられんな」
目的の場所を見つけ、帽子を指で上げ、全体を眺める。
図書館と言われればそうかと思うが、伊達男自身図書館に通った経験がなく確証がもてない。
「さて、シミコ君の話では中に居るはずだが」
ドアノブに手をかけ回す。
固い手ごたえ。
鍵がかかっている。
導き出した結論に、伊達男は一度だけ瞬きをした。
「……閉まっているな」
当然といえば当然である。
雨の日だから閉館という訳ではないだろうが、少なくとも今は誰も出入りする予定がないらしい。
ドアを二、三度軽く押してみる。
結果は変わらない。
「困ったね」
そう言いながらも声音に困惑はない。
シミコから聞いた話では、目的の人物はこの古書館にいるはずだった。
ならば帰るという選択肢はない。
帽子のつばから滴る雨水を指先で払う。
「ふむ」
建物の周囲をゆっくり歩き始める。
裏口はないか。
開いている窓はないか。
あるいは明かりの漏れる部屋はないか。
不審者そのものの行動だったが、本人にその自覚はない。
雨音だけが響く静かな古書館。
その時だった。
かすかに。
本当にかすかに。
二階の窓辺に人影が揺れた。
「おや」
伊達男が足を止める。
次の瞬間、窓際から慌てたように影が引っ込んだ。
見間違いではない。
誰かいる。
「失礼」
誰も聞いていないのにそう前置きし、近くに落ちていた小石を拾う。
窓ガラスを割らない程度の力加減で、こん、と窓枠へ投げた。
乾いた音。
しばらくして。
カーテンがそろそろと開く。
現れたのは、眼鏡をかけた少女。
「あ……」
何度も見覚えのある顔だった。
図書委員会の委員長。
古関ウイである。
こちらを見つけた瞬間、彼女の肩がびくりと跳ねた。
そして何故か顔色がみるみる青くなる。
「ひっ……!?」
「こんにちは」
伊達男は雨の中、穏やかに帽子を取って会釈した。
「シミコ君から聞いて来たのだが」
「ど、どうしてここに……!?」
「普通に教えてもらった」
「そ、そうですか……」
ウイは胸を撫で下ろした。
だが次の瞬間、別の問題に気付く。
伊達男は全身ずぶ濡れだった。
「え、あの……雨……」
「ん?」
「ずっとそのままですか?」
「そうだが」
「風邪ひきますよ!?」
心底驚いた声だった。
伊達男は少し考える。
「大丈夫では?」
「大丈夫じゃないです!」
ウイが強めに否定した。
「ま、待ってください。今開けますから!」
そう言い残し、窓から姿を消す。
しばらくして。
古書館の中から慌ただしい足音が聞こえてきた。
がちゃり。
固く閉ざされていた扉がゆっくり開く。
「す、すみません。鍵を閉めていて……」
「いや。気にしなくていい」
伊達男はそう答えながら中へ入る。
暖房の効いた空気と、本特有の紙の匂いが鼻をくすぐった。
「おお」
思わず感嘆が漏れる。
天井まで届く本棚。
整然と並ぶ蔵書。
静寂。
「相変わらず凄いな」
純粋な感想だった。
その言葉に、ウイは少しだけ嬉しそうな顔をする。
「……はい。とても良い場所なんです」
雨音は外へ遠ざかり。
静かな古書館の中で、不思議な取り合わせの二人の時間が始まった。
服からある程度水気を払い、帽子を一時的に外し、ゆったりとソファにもたれる。
ウイが淹れたコーヒーをすする。
「ほう。相変わらず美味い」
「はい。それは良かったです」
ウイの顔が綻ぶ。
「それで、久しぶりですけど。またシミコですか?」
「あぁ外を歩いていて捕まってね。委員長と遊んでくださいとのことだ」
「あの子はホントにもう。すいません。ご迷惑をおかけして」
ウイが丁寧に頭を下げる。
「何構わんよ。私も久しぶりに君の顔を見てみたいと思っていたところだ」
「…相変わらず歯の浮くようなことばかりいいますね」
小さく照れたように呟き、顔を背ける。
「コーヒーありがとう。さて、ゲームの時間だ」
懐からカードを取り出し、机に置く。
奇妙なことにあれだけ雨に降られたというのに全く濡れていない。
「…またですか」
もう何度目か分からない流れに溜息を吐く。
自分の頬が緩んでいることにウイは気付いていない。
「因みに今日は何を?」
カードを受け取り、適当に混ぜる。
シャッフルという程綺麗でもなく。
かき混ぜるといった方がいい手付き。
「裏返してみたまえ」
「はい?」
伊達男に言われ、適当に一枚ひっくり返す。
そこには本のタイトルが書かれている。
「何ですかこれ?」
「君は神経衰弱という遊びをしっているだろう?それさ」
少しアレンジしたがねと小さく笑う伊達男。
そう言われ、カードを裏返して確認していくウイ。
その全てにスートも数字もなく、ただ本のタイトルのみが記されている。
「…貴方たまに変なことに全力ですね」
「褒められたと思っておこう」
肩を竦め、カードを受け取る。
何度かシャッフルをして、ウイに渡す。
「さ、並べてくれ」
「あ、私がやるんですね」
そう言いながらもどこかウキウキとした様子で机にトランプを並べていくウイ。
「しかし、よくこれだけ本のタイトルを集めましたね」
「そこはシミコ君にお願いしてね。君好みのものもあるはずだよ」
ゆっくりと丁寧にカードを置いていくウイ。
それをコーヒーを飲みながら、楽し気に眺める伊達男。
伊達男の言葉に少し、目線を泳がせる。
「さ、並べ終わりましたよ」
「うん。よく出来たね」
のんびりとコーヒーとビスケットを齧り、綺麗にカードが並んだテーブルを眺める。
「ウイ君から引くかね?」
「え、いいんですか?」
どうぞと手で示す伊達男。
「それではこれを」
一枚のカードを表に返す。
『聖句の教え・第6版』
「これは、ウチにある本ですね」
「シミコ君を褒めてやってくれ」
ウイがもう一枚を返す。
『聖歌隊の事件・第3版』
「割と気になったタイトルが多いんだが、どういう話か聞いても?」
「へ、ああ。これは密室での恋愛集です。トリニティの聖歌隊が活動していた時期に行われていたとされる恋愛話だったり、秘密の占いだったりを集めた本ですね」
感心したように頷く伊達男。
「そういうのは女の子は好きだね」
「古いしきたりの話よりはやっぱりそういう本の方が読まれますからね」
そう言いながら立ち上がり、古書館の中を歩くウイ。
それを見送り、楽しそうに眺める伊達男。
「これも似たような話を取り扱ってますね。こっちは救護騎士団の方の所謂患者との恋を描いた話です」
一冊の本を抱えて、パタパタと駆けてくるウイ。
随分と古い本のようで、装丁にも割れたところが見える。
読みやすいように態々隣に座り、ページを開く。
古書の匂いが鼻を擽る。
「この本は救護騎士団の記録を元にしているんです」
ぱらり。
ページを開く。
「当時は患者と騎士の接触について今より規定が緩くてですね」
「ほう」
「だからこういう逸話が残っているんです」
「恋愛小説ではないのかね?」
「恋愛小説です」
キッパリと言い切り、文章を指でなぞり、読み上げる。
「貴方の傷ももう直ぐ癒えます。これで貴方と会えなくなると思うと私の心は張り裂けてしまうでしょう」
「おお、何とも情熱的だ」
「患者もすごいですよ。貴方に会うためなら竜にだって挑んでみましょうと返しています」
ページを開く。
「この本の面白いところは、当時の医療制度も分かるところです」
「ほう?」
「傷を聖水で清めという表現がありますが、聖水の作り方も乗っていまして、それを今作ると塩水に近いものになったり、今でいうワインの製法が記されていたりとこれだけ読んでも当時の背景がある程度知れるという!」
「素晴らしいね。しかし塩水とは痛そうだね」
「全くです。後は、ここ何かも面白いですよ」
また別のページを指す。
「これは当時の病院食を患者に食べさせているシーンですね」
挿絵には一人の女性が手ずから患者に食事を与えている場面が描かれている。
「ここは、貴方はもっと食べるべきです。食べるものがないというならいつでも来てくださいと騎士団の人が説教をしているシーンですね」
「昔から世話好きが多いんだね救護騎士団は」
「全くです。患者側は貴方に頼らずとも私は立っていける。だが、貴方を寄る辺にしたいと何とも情熱的に口説いています」
伊達男は挿絵を覗き込み、感心したように何度か頷いた。
「実に健気だ。食事を与え、生活を案じ、果ては心まで差し出すか」
「今なら問題になりますけどね」
ウイは苦笑する。
「でも、当時の人達は割とこういう距離感だったみたいです。今より共同体意識が強かったというか」
「なるほど」
ぱらり。
またページが捲られる。
「それでですね、この後が凄いんですよ」
ウイの声が少し弾む。
「患者の方が退院する日なんですが――」
文章を追う。
「『私は貴女に返しきれぬ恩を受けた。ならばせめてこの生涯を捧げよう』」
「重いね」
「重いですね」
即答だった。
「しかもこの後、騎士団の人が」
さらに指を滑らせる。
「『恩など求めていません。私が望むのは貴方が幸せであることだけです』」
「おお」
「ここだけ見ると凄く綺麗なんです」
「だけ?」
「次のページで患者が諦めません」
「諦めないのか」
「全然」
ウイは真顔で頷いた。
「三ページくらいずっと口説いてます」
「情熱的だねえ」
「情熱的ですねえ」
二人揃って同じ感想に辿り着いた。
静かな古書館に小さな笑い声が溶ける。
ふと。
伊達男は隣に座るウイへ視線を向けた。
「そういえば、詩集のようなものもあるのかね?」
無造作に一枚めくる。
『貴方に贈る詩』
「ああ、また随分と古い本をこれはですね。当時恋仲になったティーパーティーの別の分派の生徒が送り合ったという詩集を纏めたものですね」
立ち上がり、パタパタと本を探すウイ。
何とも軽やかで楽し気だ。
「ありました」
程なくして。
ウイは一冊の薄い本を胸に抱えて戻ってきた。
装丁は質素だが、年季が入っている。
表紙の金文字はところどころ掠れ、それでも大切に扱われてきたことが窺えた。
「これです」
伊達男の隣へ再び腰を下ろす。
先程より自然な距離だった。
「ほう」
「元々は個人が書いた詩を後世の人がまとめたものですね」
ページを開く。
「例えばこれなんか有名です」
指先で一節を示す。
「『朝露は消えど、貴方を想う心は消えず』」
「短い」
「昔の恋文って割とそうなんです」
「なるほど」
ぱらり。
またページを捲る。
「『夜空の星々は数えられよう。されど貴方への想いは数え切れない』」
「情熱的だ」
「ですね」
ぱらり。
「『神の祝福が貴方にありますように。そして出来るなら私にも』」
「随分と欲張りだね」
「恋愛してる人は大体欲張りです」
「違いない」
二人で小さく笑う。
ふと。
机の上に置かれたカードを見て、固まるウイ。
「…あ、忘れてた」
「何、構わんよ。私は十分に楽しい時間を過ごせている」
慰めるように本のページを開く。
『貴方の夜を私にください。私の昼を貴方の物へ』
「…すごいね。恐ろしいくらい我儘だ」
感心したように目を瞑る伊達男。
「昼も夜も持っていかれてしまう。もはや誘拐の宣言では?」
「恋愛詩に対してその感想を言う人初めて見ました」
ウイが呆れたように肩を落とす。
またページを捲る。
「こっちはどうです?」
「どれどれ」
『もし貴方が鳥ならば、私は空となろう』
「大変だな」
「何がです?」
「空は広い。管理が大変そうだ」
「そういう意味じゃありません」
思わず吹き出す。
静かな古書館に、小さな笑い声がまた一つ増えた。
また一枚今度はウイがカードを返す。
『これからの貴方へ。第2巻』
「おお、これは毛色が違いますよ。冒険譚です」
「ほお?また随分と違う本だ」
割と最近読んだのか、それとも修復したのか。
すぐ近くの棚から本を持ってくるウイ。
「これはトリニティの一生徒が、ある罰を受けて地下に潜る話ですね」
「目的は伝説に謡われる紫水晶。それを目指す旅の途中、いくつもの出会いを別れを経験し。少女は美しく逞しく成長します」
一度本の表紙を撫で、ページを開く。
「罰というのは当時のティーパーティーのホストの大事にしていた花瓶を割ったそうで」
「それで地下にというのは酷くないか?」
「昔のトリニティですから」
何とも身も蓋もない理由だった。
伊達男は思わず笑う。
「なるほど。昔だから仕方ないか」
「割とそういう話です」
ウイも小さく笑った。
ページを捲る。
古びた紙が擦れる音が静かな古書館に心地よく響く。
「2巻の名場面と言えば、やっぱり主人公が初めて仲間を失う場面ですね」
ゆっくりと台詞を読み上げる。
「『出会いは永遠ではない。それでも私は歩く』」
「ほお。何とも物悲しい」
「この生徒は最初は本当に普通の生徒なんですよ。成績もそこそこ。特別強いわけでもないですし」
「だからこそ絵になるわけか」
力強く頷くウイ。
「ええ。普通の一生徒が努力し、足掻く様子はやはり物語として美しいですからね」
そう言ったウイの横顔は、どこか誇らしげだった。
伊達男はカップを傾けながら、その様子を眺める。
「君はそういう話が好きなのだね」
「はい」
即答だった。
「勿論、英雄譚も好きです。最初から強い人の話も嫌いじゃありません」
本の角を優しく撫でる。
「でも」
少しだけ声が柔らかくなる。
「失敗したり、悩んだり、途中で諦めそうになったりする人の方が……私は好きですね」
「なるほど」
「だって、そういう人の方が本当に頑張っている気がするじゃないですか」
静かな声だった。
けれどそこには確かな実感があった。
伊達男は何も言わず頷く。
そして。
「君らしい」
ぽつりとそう言った。
ウイがきょとんとする。
「私らしいですか?」
「ああ」
伊達男は本棚を見渡した。
天井まで届く無数の蔵書。
古びた装丁。
修復された背表紙。
誰にも気付かれない場所で守られてきた物語達。
「君は派手な英雄よりも、黙々と積み重ねる人間を好む」
「……」
「それは君自身がそうだからだろう」
ウイが固まった。
数秒。
本当に数秒。
言葉が出てこなかった。
「そ、そんなことは」
「あるさ」
即答だった。
「誰にも見られない場所で本を守り続けるなど、存外出来ることではない」
「……」
「君は十分立派だよ」
優しい声音だった。
からかいもない。
冗談もない。
ただ事実を述べるような声。
ウイは慌てて視線を逸らした。
耳が赤い。
「ず、ずるいです」
「何がかね」
「そういうことを自然に言うところです」
「そうかね」
「そうです」
本で顔を隠す。
完全に隠し切れていないが。
伊達男は追及しなかった。
その代わり、机の上のカードを一枚めくる。
『名も無き聖徒の記録』
「おや」
「それも面白いですよ」
本から少しだけ顔を出したウイが反応する。
「どんな話だね」
「名前の残らなかった人達の記録です」
「ほう」
「大きな戦争や事件の裏で働いていた人達ですね」
少しずつ調子を取り戻したのか、ウイが説明を始める。
「炊き出しを続けた人とか」
「うむ」
「怪我人を運び続けた人とか」
「なるほど」
「図書館を守った人とか」
そこで。
ウイ自身が言葉を止めた。
伊達男は笑う。
「やはり君らしい」
「……」
今度は反論しなかった。
出来なかったのかもしれない。
窓の外では相変わらず雨が降っている。
古書館の中は暖かい。
コーヒーの香り。
古い紙の匂い。
時折捲られるページの音。
その全てが混ざり合う静かな空間で。
神経衰弱のカードは相変わらずほとんど減らず。
代わりに本の山だけが少しずつ増えていく。
「そういえば」
ふと伊達男が口を開く。
「今日は随分と楽しそうだね」
「え?」
「いつも以上に」
ウイは目を瞬かせた。
そして。
自分でも初めて気付いたように周囲を見る。
机の上には何冊もの本。
話したいことが山ほどある。
聞いてくれる相手がいる。
気付けば何時間も喋っていた。
「……そうかもしれません」
小さく笑った。
「普段はこういう話をずっと聞いてくれる人、あまりいませんから」
「それは惜しいことだ」
伊達男は肩を竦める。
「君の話は実に面白い」
ウイは少しだけ照れたように笑う。
今度は否定しなかった。
雨はまだ止まない。
けれど古書館の中では。
時間だけが穏やかに流れていた。