HELLSINGの少佐がミレニアムで教師をしている話 作:海鮮横丁
「あ、いたいた」
呑気な声が上空から響く。
慌てて視線を上に向ければ、柱の上に一人の少年が座っているのが目に入る。
「あ、この前の」
マリーの口から非難とも感嘆とも取れる声が漏れる。
「マリーだっけ?サクラコて人は奥?」
のんびりとそれこそ明日の天気を聞くような調子で、建物の奥に視線を向ける少年。
「えっと。今日はサクラコ様はティーパーティーに出席されているので…」
申し訳なさそうに頭を下げるマリー。
「ありゃりゃ。結構忙しい人なんだねサクラコって」
気にした風もなく軽い調子で柱から飛び降りる。
あの高さから降りたというのに着地音が殆どしない。
その事実に驚いたように目を見開くマリー。
「准尉さんでしたよね?今日は何かサクラコ様にご用事でしょうか?」
「何もないよ。暇潰しに付き合ってもらおうと思っただけだから」
「……え?」
一瞬だけ、マリーの思考が止まる。
てっきり何か重要な用件があって訪ねてきたのだと思っていた。
「暇潰し、ですか?」
「うん」
あまりにも自然な返事だった。
「最近は皆忙しそうでね。ユウカは仕事漬け、少佐はあっちこっち動き回ってるし、ドクを捕まると研究の話しかしない」
指折り数えながら肩を竦める。
「だから、今日はサクラコって人とお茶でも飲みながら世間話でもしようかなって」
「そ、そうだったのですね……」
悪びれる様子はまるでない。
むしろ本当に散歩の途中で立ち寄った程度の気軽さだった。
「少佐もねえ。こっち来てから割と大人しくなったからなあ」
溜息を吐きながらも、その顔は笑顔だ。
新しい獲物を見つけたような怪しい輝きが瞳に見える。
「どうするかな。ヒナタて子は今はいないみたいだし」
「あ、はい。シスターヒナタは今、所用で出ています」
それを聞いてがっくりと肩を落とす。
その姿を微笑ましく見ながら、手をポンと叩く。
「あのシュレディンガー准尉。暇なら奉仕活動をしませんか?」
「僕が?どうして?」
本当に不思議なのだろう。
自分の顔を指差し、こてんと首を傾げる。
「もう少ししたら大聖堂内の掃除を行いますので、それを手伝っていただきたいと思いまして」
「うわあ。それは勘弁してほしいなあ」
コロコロと変わる少年の顔を見ながら、笑顔で掃除用具を用意していくマリー。
その後ろを肩を落として大人しくついてくる准尉。
「はいお願いします」
にこり、と穏やかな笑みを浮かべたまま、マリーはほうきを一本差し出す。
「……その笑顔、断らせる気ないよね?」
「はい」
即答だった。
「そこは否定してほしかったなあ」
困ったように頭を掻きながらも、准尉は素直にほうきを受け取る。
「逃げないんですね」
「逃げてもいいけどさ」
くるり、と器用にほうきを回して肩に担ぐ。
「マリーが困るでしょ?」
その一言に、マリーはぱちぱちと瞬きをした。
「……優しいんですね」
「違う違う」
准尉は苦笑しながら首を横に振る。
「これも暇潰しだよ。じゃあ上からざっと掃いていくね」
言い終わる前に姿が消え、天井付近から准尉の声が響く。
「ねー雑巾欲しい!」
「はい!今持ってきます」
慌ててバケツに水を汲みに走るマリー。
「はい、お待たせしました」
水を張ったバケツと雑巾を抱え、息を弾ませながら戻ってきたマリー。
上を見るも准尉の姿が見えず、周りに目を走らせる。
「准尉?」
「はいはい」
マリーの声に応えて、すぐ真横から准尉が現れる。
「ひゃ!?」
「あはは。猫みたい」
思わず飛び上がったマリーの姿を笑いながらも慣れた手付きで雑巾を絞り、次の瞬間には天井近くの太い梁の上を、まるで平地でも歩くように進む准尉の姿があった。
「貴方は不思議ですね」
「んー。そうかな。ボクはこれくらいしか出来ないし」
梁の真ん中に立ち、雑巾で梁を拭きながら気楽に答える。
「立派に役に立ってるじゃないですか」
ほうきを使って梁から落ちてきた埃を集めていく。
「まあ、そうだね」
のんびりと答えながら、次の梁に飛び移る。
動きに一切の無駄がない。
埃が舞えば風向きを見て位置を変え、蜘蛛の巣は端から巻き取るように拭き取る。
「手慣れていますね」
「一応、ボクも軍隊出身だからね」
年のころならマリーと変わらないような少年がそんなことをいう。
「軍隊、ですか」
マリーの手が止まる。
「そうだね」
「なんというか……想像がつきません」
「よく言われる」
苦笑しながら梁の角にこびりついた汚れを丁寧に落としていく。
「もっとこう……強い兵士というのは、厳しくて怖い人を想像していました」
「あーウチは結構緩いからなあ。あんま厳しい人はいないね」
それを聞いて少しは安心した。
マリーが知っている人は少佐と准尉だけである。
これなら、もっと仲良くなることが出来るかもしれない。
いや、少佐は怖いところがあるが。
「でも、軍隊って意外と掃除ばっかりなんだ」
「そうなのですか?」
「うん。床磨いて、窓拭いて、道具を磨いて。暇があれば掃除」
「少し親近感が湧きますね」
マリーがくすりと笑う。
「汚い場所は事故が起きやすいし、物はなくなるし、病気も出る。だから綺麗にする」
梁の端を拭き終え、ひらりと隣へ飛び移る。
「掃除って地味だけど、結構大事なんだよ」
その声音だけは、どこか年上の教師のようだった。
こういう時は彼は自分よりぐっと年上に見えるから不思議だ。
「准尉は掃除が好きなんですね」
「え、そう聞こえた?大丈夫マリー」
梁の上からひょこりと顔を出し、マリーの顔を心配そうに覗く准尉。
「好きじゃないよ。面倒だし疲れるし」
「では、どうしてそこまで丁寧に?」
「適当だと後でもう一回やる羽目になるから。最初に終わらせた方が楽なんだ」
あっけらかんと答え、雑巾を絞る。
「あと、綺麗な場所って落ち着くでしょ」
「……はい」
「それだけ」
本人にとっては当たり前なのだろう。
だが、その"当たり前"を自然にできる人を、マリーはあまり知らなかった。
「はい。准尉は優しいのですね」
「えぇ?そうなるんだ」
呆れたように肩を竦め、掃除を続ける。
梁の上の汚れは、准尉が通るたびに少しずつ消えていく。
舞い落ちる埃をほうきで集めながら、マリーは小さく鼻歌を口ずさんだ。
気づけば、大聖堂は来た時よりもずっと明るく見える。
掃除のせいなのか、それとも隣で飄々と働く少年のせいなのか。
それはまだ、マリー自身にも分からなかった。