HELLSINGの少佐がミレニアムで教師をしている話 作:海鮮横丁
ミレニアムの一角。
調理室にドクと何人か生徒が集まっている。
「さて、今日は約束していた通り料理をしていきましょう」
机の前に立ち、生徒の顔をゆっくりと眺めるドク。
ステンレスの作業台には、整然と並べられた包丁、ボウル、計量器具。窓から差し込む光がそれらに反射して、やけに“実験室じみた”冷たさを演出している。
生徒たちは、期待と不安が半々といった顔でドクを見返していた。料理実習——というには、主導者の雰囲気がどうにも怪しい。
「本当に美味しい料理を教えてくれるんですよね?」
確認するようにケイがドクの顔を見る。
胡散臭い笑みを浮かべたまま、ゆっくりと調理台に手を伸ばす。
「私はそんな詰まらないことで嘘を吐かないよ」
「おーい。さっさと作ろうぜ。腹減った」
さっさと包丁を取り出し、調理を始めるネル。
「一応初心者向けの講座なのだが、何故君達までいるのか」
はぁと溜息を吐き、ドクがケイたち初心者を見る。
「今日の料理は肉じゃがだ。丁寧に作っていこう」
「肉じゃが……」
ケイが小さく復唱しながら、調理台の上に並ぶ材料へ視線を落とす。じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、牛肉、そして調味料一式。どれもごく普通の家庭料理の素材だが、ドクの手にかかると途端に“実験材料”に見えてくるのが不思議だった。
ネルはもう包丁を握り、じゃがいもを勢いよく手に取っている。
「皮むきだろ? こうだろこう」
「待て待て待て、初心者講座だと言っただろう」
ドクの声が一段低くなる。だがネルは聞いていない。というより聞く気がない。
「ネル君、君勝手にアレンジする気だろ。美味しいのは知っているが、一応ケイ君たち素人もいるんだ。丁寧にしたまえ」
「へいへい」
そう言われたからではないだろうが、丁寧にじゃがいもの芽や皮を剥いていくネル。
その横ではアカネがにんじんを切っている。
どうやらC&Cは共同で肉じゃがを作るようだ。
「もうあちらは放っておこう」
パンパンと手を叩き、ケイとミドリを見る。
他のゲーム開発部は食べる方がいいと別室で待機している。
「では諸君。こちらは正しく、真面目に、再現性のある調理を行う」
ドクはそう言いながら、まるで実験手順書でも読み上げるような口調で続ける。
「まず玉ねぎを切る」
「そこからなんですね」
ケイが少し安心したように頷く。
もっとこう、『肉じゃがの歴史は戦国時代に遡り――』だの、『まず熱伝導率について説明しよう』だのが始まるかと思っていた。
「料理は段取りが八割だ。慌ててはいけない」
ドクは玉ねぎを手に取る。
「半分に切り、芯を残したまま繊維に沿って切る」
包丁が滑らかに動く。
無駄がない。
異様に無駄がない。
「……慣れてますね」
「基本的に科学と料理は表裏一体だよケイ君」
「…先輩達のあれでもですか?」
ミドリの視線に先には手慣れた様子で材料を切り終え、鍋を沸かすアカネの姿。
「まぁ極論を言えば美味しければそれでいいがね。見た目にも拘らなければ、別に何でもいいし」
「そんなものですか」
ケイがネルの手元を見る。
本当に迷いもなく切っていく。
流石はメイド集団のリーダーだけはある。
「じゃあ私も……」
ミドリがおそるおそる玉ねぎを切る。
とん。
とん。
とん。
慎重だが綺麗だ。
「うん、上手い」
「本当ですか?」
「少なくともネル君よりは初心者らしい」
「おい」
向こうから抗議が飛んでくる。
見ればネルは既に牛肉を炒め始めていた。
「何故もう肉を焼いている」
「肉じゃがだろ?」
「工程を飛ばすな」
「結果同じじゃねぇか」
「同じにならないから料理本というものが存在するんだ」
極めて真っ当な反論だった。
「だがまぁ」
ドクはそこで言葉を切る。
「料理本の通りに作れば必ず美味しくなるかと言えば、そうでもない」
「え?」
ケイが首を傾げる。
「レシピはあくまで平均値だよ。食材の状態も違えば火力も違う。作る人間の好みも違う」
そう言いながら鍋に油を引く。
「だから最後は自分の舌で判断する」
「それ、初心者に一番難しいやつじゃないですか?」
「その通り」
即答だった。
ミドリが思わず苦笑する。
「なので最初はレシピ通りに作る。失敗した理由が分からないうちから応用してはいけない」
ドクが玉ねぎを鍋へ投入する。
じゅう、と小気味よい音。
途端に甘い香りが立ち始めた。
「おぉ……」
ケイの目が少し輝く。
さっきまでただの玉ねぎだったものが、急に料理らしくなった。
「香りも重要な情報だ」
ドクは木べらで混ぜながら続ける。
「色、音、匂い。料理は五感を使う」
「実験みたいですね」
「だから先程からそう言っているだろう」
少し得意げである。
その横。
「アカネ、水」
「はい」
「醤油」
「はい」
「砂糖」
「はい」
ネルとアカネのコンビは既に別工程へ進んでいた。
もはや講習ではない。
いつもの共同作業である。
「……何か慣れてません?」
ケイが呟く。
「戦闘以外も大抵できるからね彼女達」
ドクは軽く肩を竦める。
「むしろ出来ないことを探した方が早い」
「料理も訓練なんですか?」
「生きるのに必要だからな」
ネルが答えた。
意外にも真面目な声音だった。
「腹減ってる時にメシ作れねぇのは困るだろ」
「それは……確かに」
ケイも納得する。
その頃には玉ねぎが透明になり始めていた。
「よし」
ドクが頷く。
「では肉を入れる」
牛肉が鍋に落ちる。
じゅわり。
脂が溶け出し、香りが一段強くなる。
調理室に肉の匂いが広がった。
途端に。
ぐぅぅぅぅ。
今度はケイの腹が鳴った。
数秒の沈黙。
「……」
「……」
「……」
ミドリが視線を逸らす。
アカネは何も言わない。
ネルだけがニヤリと笑った。
「お前も腹減ってんじゃねぇか」
「う、うるさいです!」
顔を赤くするケイ。
ドクはそんな様子を見ながら小さく笑う。
「いいことだよ」
そう言って鍋へ肉を混ぜ込む。
「美味しそうだと思えるなら、料理は半分成功している」
じゃがいも。
にんじん。
順番に鍋へ入っていく。
木べらが具材を混ぜる度に、色とりどりの具材が顔を覗かせる。
「さて」
ドクは計量カップを持ち上げた。
「ここからが肉じゃがの心臓部だ」
そう言って調味料を並べる。
醤油。
みりん。
酒。
砂糖。
初心者二人の視線が自然と集まった。
そしてドクの口元には、いつもの少し危険な笑みが浮かんでいた。
「調味料とは何か。まずはその化学的性質から――」
「始まった」
ケイが即座に呟いた。
「始まりましたね……」
ミドリも遠い目をする。
初心者向け料理教室は、どうやらここから少しずつミレニアムらしい方向へ進んでいくらしかった。
「おーいあんまり長いと煮崩れすんぞドク」
「あぁ、そうだね。分かっているとも」
鍋を軽くかき混ぜ、状態を見るドク。
本当に異様に手慣れている。
かき混ぜる合間にしょうゆにみりんに砂糖にときっちりと量を測って鍋に入れていくドク。
「料理よく作るんですか?」
ミドリが楽し気に鍋の様子を見る。
自分もやりたいのだろう。
「うん?君達は知らないのか。少佐が食べている料理の殆どは私が作ったものだよ」
「…はい?」
ケイの気の抜けた声が響く。
「いや、待ってください」
ケイが手を上げる。
「今さらっと流しましたけど、少佐ってあの少佐ですよね?」
「どの少佐だね」
「ミレニアムの少佐なんて一人しかいないでしょう」
それもそうだった。
ドクは「あぁ」と頷く。
「彼の食事は私が作ることが多いね」
「えぇ……」
ケイが固まる。
ミドリも目を丸くしていた。
「理由を聞いても?」
「簡単だよ」
ドクは鍋に落し蓋をしながら答える。
「彼はグルメでね。昔は食べるものがなかった。戦争中だったというのもあるがね」
さらりと今日の昼食を作っているテンションのままいう。
そこに何の感情も乗っていない。
「……」
ケイが固まる。
ミドリも、今度は驚きではなく少し戸惑った顔になった。
あまりにも重い内容が、あまりにも軽い調子で語られたからだ。
一方でドクは鍋の様子を見ている。
まるで「今日は少し雨が降りそうだね」とでも言うような自然さだった。
「戦争って……」
ミドリが小さく呟く。
「うん」
ドクは頷く。
「食料事情は最悪だった。優先順位もあったしね」
木べらで煮汁を混ぜる。
ぐつぐつと穏やかな音が響く。
「だから彼は食べ物に少しうるさい」
「少し?」
ネルが横から口を挟む。
「だいぶだろ」
「あぁ、まぁそうだね」
否定しなかった。
「別に高級料理が好きなわけではないんだ」
ドクは続ける。
「ただ、手を抜いた料理は割と見抜く」
「怖いですね……」
ケイが素直な感想を漏らす。
「いや?」
ドクは首を傾げた。
「むしろ逆だよ」
「逆?」
「残さない」
全員が静かになった。
「美味しくなくても食べる。嫌いなものでも食べる。量が多くても食べる」
「それは良いことでは?」
ミドリが言う。
ドクは少しだけ苦笑した。
「そうとも言える」
そこで一度言葉を切る。
「だが彼の場合は、『食べられること』そのものを無駄にしたくないんだろうね」
鍋の蓋を少し持ち上げる。
立ち上る湯気。
甘い醤油の香り。
「昔はそれすら贅沢だったから」
静かな声だった。
先程までの軽い調子とは少し違う。
ケイは何となく理解した。
ドクが料理を作る理由。
栄養管理もある。
健康管理もある。
だが、それだけではない。
「だから作るんですか?」
ドクは少し考えた。
「そうだね」
短く答える。
「食事くらいは楽しんでほしいからかな」
その言葉にネルが「へぇ」と声を漏らした。
アカネも珍しく視線を向ける。
ケイなどは思わず瞬きをした。
今の台詞は。
少なくともドクらしくなかった。
「何だねその顔は」
「いや……」
ケイが苦笑する。
「意外だなって」
「失礼だな」
「だってドクですよ?」
「ドクですね」
ミドリまで頷いた。
酷い言われようだった。
「君達ね」
ドクは肩を竦める。
しかし怒った様子はない。
むしろ少しだけ楽しそうですらある。
その時。
隣の鍋を見ていたアカネが口を開いた。
「そういえば」
「うん?」
「少佐はドクの料理が好きですね」
一瞬静かになる。
「そうだね。彼用にキャベツ料理を作ったこともある」
言いながら煮汁を味見する。
「ただ、あの人は気に入ると極端だから参考にならない」
「それ褒められてますよね?」
「褒められているね」
即答だった。
その時。
廊下の向こうから。
「まだですかアリスはお腹がすきましたー!!」
「お腹空いたよー!!」
ゲーム開発部の声が聞こえる。
どうやら待機組が限界らしい。
ネルが笑う。
「そろそろ解放してやれよ」
「そうだね」
ドクは頷いた。
そして鍋の火を止める。
じゃがいもは崩れていない。
にんじんは柔らかい。
煮汁も程よく染みている。
完璧だ。
「では諸君」
ドクが振り返る。
「実食といこうじゃないか」
その瞬間。
待機室の扉が勢いよく開く音がした。
どうやら招集を待つという選択肢は、ゲーム開発部には存在しなかったらしい。
「そういえば、ネル先輩。他の二人は?」
「ん、任務だよ。だから肉じゃが作ってんだ」
「どういうことですか?」
ケイの疑問に面白そうに頬を吊り上げるネル。
「簡単な話だ」
ネルは盛り付け用の器を取りながら言う。
「帰ってきたら腹減ってるだろ?」
「まぁ……そうですね」
ケイは頷く。
任務帰りなら当然だ。
むしろ空腹でなかったら心配になる。
「だから作っとく」
「それだけですか?」
「それだけだ」
即答だった。
ケイは一瞬言葉に詰まる。
隣ではアカネが自然な動作で取り皿を並べている。
どうやら彼女にとっても当たり前の話らしい。
「いや、でも」
ミドリが首を傾げる。
「連絡とかしてないんですか?」
「してない」
「帰ってくる時間も?」
「知らん」
「えぇ……」
初心者組が揃って驚く。
ネルは全く気にした様子もない。
「任務なんだから予定通り帰るとは限らねぇだろ」
「それはそうですけど」
「冷めたら温めりゃいい」
実に合理的だった。
そしてどこか慣れている。
ドクが小さく笑う。
「昔からそうだね君達は」
「あ?」
「任務帰りの隊員のために食事を残しておく」
ドクは器によそいながら続ける。
「割と軍隊的な文化だ」
「あー」
ネルが納得したように頷く。
「言われてみりゃそうかもな」
アカネも静かに同意する。
「帰還者の食事は確保します」
「ほら」
ドクが肩を竦める。
「習慣になっている」
ケイは少し考える。
ネルは普段粗暴だ。
アカネも飄々としている。
だが二人とも、仲間が帰ってくる前提で食事を用意している。
それがあまりにも自然だった。
「……優しいんですね」
ぽつりとミドリが漏らした。
すると。
「は?」
ネルが露骨に嫌そうな顔をした。
「やめろ」
「何でですか」
「気持ち悪い」
「褒めてるんですよ?」
「だからだ」
意味不明だった。
アカネは少しだけ口元を緩める。
たぶん笑っている。
たぶん。
「まぁ」
ドクが話を戻す。
「彼女達の場合、心配しているというより信頼しているんだろう」
「信頼?」
「帰ってくると分かっている」
その言葉にネルが少しだけ黙る。
否定はしない。
「……まぁな」
短い返事。
それだけだった。
だが十分だった。
任務の危険性は誰もが知っている。
それでも食事を用意する。
帰還を疑わない。
それは心配よりも強い信頼だ。
「なるほど……」
ケイが小さく呟く。
するとネルが急にニヤリと笑った。
「まぁ帰ってきたら取り合いになるけどな」
「はい?」
「アスナ先輩もカリンもリーダーの肉じゃが好きですから」
「またですか」
ケイが即座に返す。
どうやら毎回らしい。
「前は鍋半分消えた」
「食べ過ぎでは?」
「任務帰りだからな」
「それでもですよ」
ケイが呆れる。
するとドクが真顔で言った。
「ちなみに少佐も混ざると更に減る」
「混ざるんですか」
「混ざる」
「何やってるんですかその人達」
誰も答えなかった。
全員知っているからだ。
食卓とは戦場である。
特に好物が並んだ時は。
その時だった。
「いただきます!」
待ちきれなくなったアリスが席に着き、勢いよく手を合わせる。
それを合図にしたように全員が席につく。
肉じゃがの湯気が立ち上る。
甘辛い香りが食欲を刺激する。
ドクはその光景を見渡し、小さく満足そうに頷いた。
「さて」
そして珍しく穏やかな声で言う。
「冷める前に食べたまえ」
料理教室は終わった。
だが、本当に大事な時間はここからだった。
「おお、このじゃがいもホクホクで美味しい!」
モモイが勢いよくかぶりつく。
味わうように何度も噛み締め、飲み込む。
「これミドリとケイが作ったの?やるじゃん」
「いえ、途中から全部ドクが作りました」
「私達は材料切っただけだね」
「一回見たら大体勝手は分かるからね。後は実践すればいい」
「なるほど!」
モモイは納得したように頷きながら、もう一口じゃがいもを頬張る。
納得したのかしていないのか分からない速度だった。
「つまり今日は経験値を獲得したんだね!」
「ゲームみたいに言わないでください」
ケイが即座に突っ込む。
「でも間違ってないよ?」
ドクが箸を持ちながら言う。
「料理も結局は経験の積み重ねだ」
「ほら!」
モモイが勝ち誇る。
「レベルアップ!」
「そういうものかなぁ……」
ミドリが苦笑する。
その隣でアリスは真剣な顔をしていた。
実に真剣だった。
「…………」
もぐもぐ。
「…………」
もぐもぐ。
「アリス?」
「はい」
返事はする。
食べる手は止まらない。
「感想は?」
ケイが聞く。
アリスは一度箸を置き、真面目な顔で宣言した。
「美味しいです」
「はい」
「とても美味しいです」
「はい」
「これはボス戦前に食べたい料理です」
「…誉め言葉としてもらっておきます」
呆れたようにアリスを見ながらも頬が緩むケイ。
だがアリスは本気だった。
「HPとMPが最大まで回復します」
「ゲーム脳だなぁ」
ドクが笑う。
しかしその例えは意外と分かりやすかった。
肉の旨味。
野菜の甘味。
どこか安心する味。
確かに疲れた時に食べたくなる料理ではある。
「そういう意味では正しいかもしれませんね」
ミドリも頷く。
その頃には皆すっかり食事に集中していた。
会話は続いているが、箸も止まらない。
良い料理の証拠だった。
「ドクが作ったのも相変わらずうめえな」
「ええ。よく味が染みてます」
ドクからお代わりをもらい口に運ぶネルとアカネ。
何時の間にか用意した茶碗にはご飯が盛られている。
「え、ずるい先輩達!」
モモイが即座に抗議する。
「私達まだ一杯目なんだけど!?」
「早い者勝ちだ」
ネルは当然のような顔で答えた。
「食卓は戦場だからな」
「さっきも聞きましたよその理論!」
ケイが思わず突っ込む。
「正しいだろ?」
「正しくないです」
即答だった。
アカネはそんなやり取りを眺めながら静かにご飯を口へ運ぶ。
「二杯目を確保するには初動が重要です」
「何の攻略法ですかそれ」
ミドリが思わず聞き返す。
「食堂です」
「食堂だった」
納得してはいけない気がした。
「取り敢えず私もご飯をもらおう」
ドクが言うや、何処からか取り出した茶碗にご飯を盛り付けて渡すアカネ。
「はい。どうぞ。皆さんも食べますか?」
確認するようにゲーム開発部の顔に視線を合わせていく。
全員が頷くのを見て、準備にかかる。
外の廊下を走る足音が聞こえてくる。
だんだんとこちらに近付いてくる。
「今日は賑やかになりそうだ」
珍しく邪気のない笑顔で食卓を囲む面々を眺めるドク。
楽しい昼食だ。