HELLSINGの少佐がミレニアムで教師をしている話   作:海鮮横丁

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少佐とロアで一本書いてたらこうなった



厄介事

「あ、少佐!いいところに居ますね」

 

軽やかに廊下を駆けながら前方にいる少佐にコユキは声をかけた。いつもフラフラとミレニアム内を徘徊しているこの大人は先生とはまた違って自分に面白い経験をくれる存在だと思っている。

 

少佐はゆっくりと振り返り、相変わらずの大仰な笑みを浮かべた。

 

「おや、コユキ君ではないか。これはまた、わざわざ私を探しに来たのかね?」

 

「探してたわけじゃないですよ。たまたま見つけただけです」

 

「それを世間では“運命”と呼ぶのだよ」

 

さらりとそんなことを言いながら、少佐は片手で軽く挨拶をする。そんな何気ない仕草も様になっている。

コユキは一瞬だけ目を丸くしたあと、すぐに楽しそうに笑った。

 

「相変わらず大げさですねぇ。で、今日はどこに行くんです?」

 

「行く、というよりは彷徨っている最中だよ。ミレニアムは実に面白い。廊下一つとっても、研究者の焦りや学生たちの喧騒が染みついている」

 

「何ですかそれ。少佐って、たまに変なこと言いますよね」

 

「褒め言葉として受け取っておこう」

 

少佐はそう言って肩をすくめた。

コユキはくすくす笑いながら、少佐の隣に並ぶ。

 

二人はそのまま、ゆっくりと廊下を歩き始めた。

 

天井の蛍光灯が一定のリズムで明滅し、遠くからは実験室の金属音がかすかに響いている。ミレニアムの午後は、どこか落ち着きがない。

 

「コユキ君はどうして走っていたのかね。まるで野に放たれたネズミのようだったが」

 

「それ褒めてますか?」

 

「私としては全力で褒めているつもりだよ」

 

「いや、どう考えても褒めてないですよねそれ」

 

コユキは即座に突っ込みながらも、少し楽しそうに肩をすくめた。

 

少佐はまるで気にした様子もなく、歩調を崩さないまま続ける。

 

「行動的で、警戒心が薄く、しかし妙な嗅覚で危険を回避する。実に興味深い生態だと思わないかね?」

 

「それ、完全に観察対象じゃないですか」

 

「人間とは得てして観察対象だよ。私も含めて、ね」

 

さらりと言うその言葉に、コユキは一瞬だけ言葉を失った。

 

だがすぐに、いつもの調子を取り戻す。

 

「じゃあ少佐も観察されてる側じゃないですか」

 

「もちろんだとも」

 

少佐は楽しげに笑う。

 

「だからこそ、私は面白いのだよ。観察されることを理解した上で、なお自由に振る舞える存在というのは少ない」

 

コユキは少しだけ目を細めた。

 

「それ、ちょっとズルくないです?」

 

「人生とは概ね不公平にできているものだよ」

 

軽い口調なのに、妙に納得してしまうのが悔しい。

 

二人はしばらく無言で歩いた。

遠くの実験室から、何かが落ちる乾いた音が響く。

 

その静けさを破ったのは、コユキだった。

 

「で、少佐」

 

「何かね」

 

「さっきの“野に放たれたネズミ”って、やっぱり褒めてないですよね」

 

少佐は少しだけ考える素振りをしてから、穏やかに言った。

 

「では訂正しよう。——“野に放たれた好奇心”だ」

 

「……それは、まだマシです」

 

「だろう?」

 

少佐は満足そうにうなずく。

 

そのまま、二人はミレニアムの奥へと歩いていく。

まるで、まだ誰も知らない“何か”に、自然と引き寄せられているかのように。

 

「これが君が見つけた新しい玩具かね」

 

「ですです。暇潰しにセミナーの古い資料漁ってたら見つけまして」

 

少佐の掌の中に収まっているのは、薄汚れた小さな金属の鍵だった。

 

番号も刻印もない。ただ、妙に“古いのに整いすぎている”不自然さだけがある。

 

少佐はそれを指先で軽く転がしながら、興味深そうに目を細める。

 

「ふむ……鍵、か」

 

「箱も一緒にあったそうなんですけど、こっちの鍵だけ先に見つけちゃって」

 

コユキは少し得意げに言う。

 

「普通逆じゃないかね?」

 

「そうなんですけど、なぜか棚の隙間に挟まってて。これだけ引っ張り出せたんです」

 

少佐は小さく息を漏らすように笑った。

 

「まるで“拾われることだけを待っていた鍵”だな」

 

「またそういう言い方する……」

 

コユキは呆れ半分、楽しさ半分で肩をすくめる。

 

少佐は歩きながら、鍵を光にかざした。蛍光灯の明滅が金属表面に細かく反射する。

 

「コユキ君」

 

「はい?」

 

「君はこれが何を開けると思うかね?」

 

「さあ?対応する箱かロッカーか……普通に考えたらその辺じゃないです?」

 

「“普通に考えたら”、か」

 

少佐は意味ありげに繰り返す。

 

その声がほんの少しだけ低くなる。

 

「だが、普通の場所に“普通でない鍵”が落ちていることは、案外少ない」

 

「また怖いこと言う……」

 

コユキは笑いながらも、視線が鍵に吸い寄せられているのを自覚していた。

 

少佐はふと立ち止まる。

 

「ところでコユキ君」

 

「なんです?」

 

「この鍵、どこで拾ったと言ったかね」

 

「セミナーの旧備品室です」

 

コユキがそう言い切った瞬間、少佐の足がほんのわずかだけ止まった。

 

止まった、と言っても完全な静止ではない。

ただ“歩く理由を一瞬だけ失った”ような間だった。

 

だがそれもすぐに解ける。

 

「旧備品室……か」

 

少佐は鍵を指で軽く回しながら、何気ない声で繰り返した。

 

「そこは確か、かなり前に整理されたはずだがね」

 

「そうなんですか?でも普通に埃まみれでしたよ。誰も入ってない感じで」

 

コユキは首を傾げる。

 

少佐は小さく笑った。

 

「“整理された”というのは、必ずしも“片付いた”と同義ではないのだよ」

 

「どういう意味です?」

 

「たとえば——」

 

少佐は鍵を光にかざしたまま、ゆっくりと歩き出す。

 

「“存在してはいけないものを、見えない場所に移す”ことも整理の一種だ」

 

コユキの表情が少しだけ曇る。

 

「それ、だいぶ嫌な整理ですね」

 

「だが合理的ではある」

 

少佐はさらりと言う。

 

廊下の空気が、さっきより少しだけ冷たく感じられた。

 

「で、何の鍵だと思いますか?」

 

コユキが尋ねると、少佐はあっさりと答えた。

 

「私が知るものか。ノア君にでも聞き給え」

 

コユキは一瞬、まばたきを忘れた。

 

「……え?」

 

思わず間抜けな声が出る。

 

少佐は涼しい顔のまま、鍵を指で軽く回している。

 

「意外かね?」

 

「いや、意外っていうか……投げた!?今ノア先輩に丸投げしましたよね!?」

 

少佐は肩をすくめる。

 

「私は万能ではないのでね」

 

「その顔でそれ言うのずるいですって」

 

コユキは半ば呆れながらも、少しだけ安心したように息を吐いた。

さっきまでの“怖い雰囲気”が、急に別方向にズレていく感じがする。

 

少佐は鍵を軽く指で弾きながら、何事もなかったように歩き出した。

 

「安心したまえ。私は“分からないものは分からない”と認められる人間だ」

 

「いやそれ威張るとこじゃないですよね?」

 

「むしろ美徳だと思うがね」

 

さらっと言い切るあたりがまた腹立たしい。

 

とはいえ——コユキは少しだけ肩の力が抜けるのを感じていた。あの“冷たい空気”が完全に消えたわけではないが、少なくとも今すぐ何かが飛び出してくるような緊張は薄れている。

 

ただ、その代わりに別の種類の不安が残った。

 

「じゃあ、そのノア先輩って……」

 

「ノア君だよ」

 

少佐は当然のように言った。

 

「ミレニアム内の“面倒ごと辞書”のような存在だ。こういう“意味ありげな鍵”を渡すなら、彼女以上に適任はいない」

 

「それ褒めてます?」

 

「最大級の賛辞だよ」

 

コユキは納得しきれない顔でため息をついた。

 

「でもノア先輩に持っていくってことは……これ、やっぱり普通じゃないやつですよね」

 

「普通かどうかを決めるのは、観測者だよ」

 

「またそれっぽいこと言ってごまかした!」

 

少佐は軽く笑いながら、廊下の角を曲がる。

セミナー室。ミレニアム内で一番セキュリティレベルが高いところだ。

大抵ノア先輩はここにいる。いなければユウカ先輩に投げればいい。

少佐に後を任せて私は逃げてしまえばいい。

あの鍵の顛末は気になるが、恐怖が勝つ。怖いのは嫌いだ。

少佐に付き合って散々怖い目にあってきたのだ。今回は遠慮したい。

 

「じゃあ少佐。後はお願いしますね」

 

少佐は一度だけ振り返った。

 

その目はいつものように余裕を崩していないのに、どこか「逃げ道をちゃんと見ている人間の顔」をしていた。

 

「ほう、逃げるのかね」

 

「逃げるって言い方やめてください。バトンパスです」

 

「美しい言い換えだ」

 

コユキは半歩後ずさりしながら、扉の方を指差す。

 

「ほら、こういうのは専門家に任せるやつですって。ノア先輩とかユウカ先輩とか」

 

「合理的判断だな」

 

「ですよね!」

 

ほっとした瞬間——少佐の掌の上で鍵が躍った。

 

カチン。

 

乾いた音なのに、やけに廊下に残響が伸びた。

 

コユキが思わず足を止める。

 

「だがね」

 

「はい?」

 

その一言で、コユキの足が止まる。

 

少しだけ楽しそうに目を細めた。

 

「君が“逃げたくなるもの”というのは、往々にして——」

 

そこで一拍。

 

「最後まで付き合う価値がある」

 

「今の流れでそういうのやめてくださいって!!」

 

コユキは即座に抗議した。

 

しかし少佐はもう扉の方へ歩き出している。

 

無常にも少佐の指がセミナー室のインターホンに手を伸ばす。

 

ピッ。

 

通信音。

 

数秒の空白。

 

そして——

 

「はい。セミナーです」

 

「ほら、コユキ君。君が言いたまえ」

 

コユキは一瞬、ほんとに一瞬だけ固まった。

 

「え、いや、ちょっ……今ここで振るんですか!?」

 

少佐は涼しい顔のまま、インターホンの前に立ち続けている。まるで舞台の進行役みたいな立ち位置だ。

 

「物語というものはね、適切な人物が適切なタイミングで口を開くことで進行するのだよ」

 

「それ絶対いま思いつきましたよね!?」

 

インターホンの向こうから、もう一度声。

 

「もしもし?聞こえていますか?」

 

少佐は軽く顎をしゃくる。

“ほら早く”という圧だけは妙に洗練されている。

 

コユキは観念したようにインターホンへ顔を寄せた。

 

「こ、コユキです……セミナーの旧備品室で鍵っぽいもの見つけちゃって……」

 

一拍。

 

「鍵?」

 

声のトーンが一段階だけ変わった。静かだけど、妙に“仕事モード”のやつだ。

 

「はい……なんか、普通の鍵じゃなさそうで……」

 

そこで少しだけ沈黙。

 

そして、ため息みたいな気配が通信越しに落ちる。

 

「……それ、今どこに?」

 

コユキは横目で少佐を見る。

 

少佐は無言で親指を立てた。謎の応援。

 

「いま少佐と一緒で、セミナーの前です」

 

「少佐と……なるほど」

 

その瞬間、向こうの声がさらに冷静になった。

逆に怖いタイプの静けさだ。

 

「その鍵、旧備品室の“処理リスト外”です。普通は出てこないはずのものです」

 

「処理リスト外って何ですかそれ……」

 

コユキの声がちょっと裏返る。

 

少佐はぽつりと横から言う。

 

「つまり、“忘れられたもの”ということだね」

 

「言い方怖いんですよ!」

 

インターホンの声が続く。

 

「……で、それを見つけたのがコユキちゃんと」

 

「はい……」

 

「そして隣に少佐」

 

「はい……」

 

「最悪の組み合わせですね」

 

即答だった。

 

コユキが「えっ」と言う前に、少佐が軽く肩をすくめる。

 

「褒め言葉として受け取っておこう」

 

「受け取らないでくださいそういうの!!」

 

「…どうしてそうなったのかは聞きませんが、C&Cやリオ会長に助けを求めないと対応できない案件の可能性があります」

 

コユキの顔が一気に固まる。

 

「……え?」

 

横を見る。少佐を見る。

 

少佐はというと、なぜか少しだけ嬉しそうだった。

 

「ほう」

 

その一言だけで、嫌な予感が加速する。

 

コユキの喉がごくりと鳴った。

 

“C&C案件”。

その単語はミレニアムにおいて、「ちょっと面倒」では済まない。

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいノア先輩。それってつまり……」

 

『現時点では断定しません』

 

通信越しの声は冷静だった。

冷静すぎる。

 

『ただ、その鍵の特徴と“旧備品室”という単語が一致している以上、放置はできません』

 

「ちなみに聞くがね」

 

少佐が自然に会話へ割り込む。

 

「“どの時代”の案件だ?」

 

インターホンの向こうが一瞬だけ静かになった。

 

その沈黙だけで、コユキの胃が嫌な感じに縮む。

 

『……少佐』

 

「うむ」

 

『知っていて聞いてます?』

 

「半分ほどね」

 

「半分で怖いこと言わないでくださいよ!!」

 

コユキが悲鳴混じりに抗議する。

 

だが少佐はどこ吹く風だった。

 

「未知とは素晴らしい。人類の進歩は常に——」

 

「その話始めると絶対ロクなことにならないので禁止です!」

 

ぴしゃりと遮られ、少佐は少しだけ残念そうな顔をした。

 

その時。

 

ガコン。

 

セミナー室のロックが解除される重い音。

 

コユキの肩がびくりと跳ねる。

 

扉がゆっくり開いた。

 

中から現れたのは、いつもの穏やかな笑みを浮かべたノア——なのだが。

 

目が笑っていない。

 

「あー……終わった」

 

コユキが小声で呟く。

 

「失礼ですよコユキちゃん」

 

ノアは柔らかく笑ったまま言う。

 

「まだ“終わって”はいませんよ」

 

「その言い方が一番怖いんですって……」

 

ノアの視線が少佐へ向く。

 

「それで?」

 

「うむ」

 

少佐は実に素直に鍵を差し出した。

 

「拾得物だ」

 

「小学生みたいな言い方やめてもらえます?」

 

ノアはため息混じりに鍵を受け取る。

 

その瞬間だった。

 

カチリ。

 

鍵の内部で、何かが“動いた”。

 

空気が変わる。

 

本当に、一瞬だけ。

 

廊下の蛍光灯が明滅した。

 

ジジッ——

 

ノイズ。

 

そして。

 

セミナー室奥のモニター群が、一斉に起動する。

 

「……は?」

 

コユキが固まる。

 

誰も触っていない。

 

にもかかわらず、黒かった画面が順番に青白く灯っていく。

 

ノアの表情から、初めて余裕が消えた。

 

「少佐」

 

「なんだね」

 

「これ、“認証キー”です」

 

「だろうね」

 

「分かってたんですか!?」

 

コユキが叫ぶ。

 

少佐は静かにモニターを見つめていた。

 

そこには古いミレニアムのロゴ。

 

今とは微妙にデザインが違う、“初期型”。

 

そして画面中央に、一文だけ表示される。

 

《管理者権限確認》

 

《第七隔離区画へのアクセスを承認しますか?》

 

沈黙。

 

嫌な沈黙。

 

コユキが引きつった声を出す。

 

「……第七って何です?」

 

ノアは答えない。

 

代わりに、少佐が楽しそうに笑った。

 

「なるほど」

 

その目が細まる。

 

「“箱”の方がまだ残っていたか」

 

「ちょっと待ってください今さらっと重要情報出しましたよね!?」

 

コユキは半泣きだった。

 

「知ってるんですか少佐!」

 

「昔、少しだけ関わったのでね」

 

「その“少し”が信用できないんですよあなたは!!」

 

ノアが額を押さえる。

 

珍しく、本当に疲れた顔だった。

 

「……最悪です」

 

「そこまでかね?」

 

「そこまでです」

 

即答。

 

ノアは深く息を吐き、コユキを見る。

 

「コユキちゃん」

 

「はい……」

 

「残念なお知らせがあります」

 

「聞きたくないです」

 

「もう巻き込まれてます」

 

「ですよねぇ!!」

 

悲鳴がセミナー室前に響いた。

 

だがその横で。

 

少佐だけは、どこか懐かしいものを見るような目で古いモニターを眺めていた。

 

まるで——

長い時間を経て、再び開こうとしている“何か”を歓迎するみたいに。

 

頭を抱えたくなる状況というのはこういうことか。

調月リオは疲れ切った顔をしているセミナーの後輩二人と本当に愉快そうな顔で周囲を見回している少佐を眺めた。

 

「よく脱出できましたね貴方たち」

 

「い、一応ですが、NOて答えたら消えてくれたんですよ」

 

その後ノアが迅速に行動し、私やネル達に事態を報告し。秘密裡に非常事態対応のための招集がかけられた。

 

本来ならば大騒ぎになっていてもおかしくない案件だ。

だが幸い——いや、“まだ幸いにも”と言うべきか。

現時点で被害は確認されていない。

 

だからこそ、こうして特異現象捜査部の会議スペースに最低限の人数だけが集められている。

 

「“NO”を選択したら停止した、と」

 

「はい……」

 

コユキは完全に消耗した顔で頷く。

 

隣のノアも珍しく疲労を隠していない。

 

「正確には、“アクセス承認を拒否したため待機状態へ戻った”という表現が近いですね」

 

「つまり?」

 

ネルが眉をひそめる。

 

ノアはモニターへ視線を向けた。

 

「第七隔離区画はまだ閉じたままです」

 

「閉じた“まま”って言い方やめろ。開く可能性あるみてぇだろ」

 

「あります」

 

「……チッ」

 

ネルが露骨に顔をしかめる。

いつの間にか合流したヒマリがいつになく真剣な瞳で少佐を射抜く。

 

「さて、少佐。現状、貴方がもっとも真実に近いはずです。説明責任を果たすべきでは?」

 

「取り返しのつかぬことなど 考えてみたってしかたがない 終わったことは終わったこと。いいセリフだと思わないかね?」

 

「少佐!」

 

「昔話は趣味ではないのだがね。若者に頼られるのは老人の特権だと思うことにしよう」

 

少佐は芝居がかった仕草で両手を広げる。

その顔には、相変わらず人を食ったような笑みが張り付いていた。

 

「簡単なことだ。古今東西の人類というのはね。“より優れた誰か”を作る話が好きなのだよ」

 

「…ミレニアムでその類の研究をしたという話は確認した限りではなかったはずよ」

 

「だからさ調月リオ君。入念に隠された。何せもう百年はいかないはずだが、相当に古い研究だ」

 

「……百年近く前?」

 

ヒマリが怪訝そうに眉を寄せる。

 

「ミレニアム創設以前の記録に接続する話ですか?」

 

「正確には“前身組織”だね」

 

少佐は軽く指を振った。

 

「もっとも、当時の資料など殆ど残っておらんよ。都合の悪い歴史というものは大抵綺麗に焼かれるものだ」

 

「なら何でアンタは知ってんだ」

 

ネルの問いに、少佐はにやりと笑った。

 

「さて。老人には色々あるのだよ」

 

「答えになってません」

 

ノアが即座に切り捨てる。

 

少佐は楽しそうに肩を揺らした。

 

「では少しだけ真面目な話をしよう」

 

会議室の空気が静まる。

 

少佐はゆっくりと歩き、モニターの前で立ち止まった。

 

赤い待機表示。

閉鎖された第七隔離区画。

幾重にも重なった電子封鎖。

 

その全てを眺めながら、少佐は静かに口を開く。

 

「当時の彼らはね。“人間の限界”というものに酷く絶望していた」

 

「……」

 

「戦争。暴力。裏切り。資源の奪い合い。愚かな判断。

人類はあまりにも不完全だ。ならば、不完全ではない指導者を作ろう——そう考えた」

 

「選ばれた人間、ですか」

 

ノアが呟く。

 

「いや」

 

少佐は笑った。

 

「彼らはもっと傲慢だったよ。“人間を超えた人間”を作ろうとしていた」

 

その場の空気がわずかに重くなる。

 

ヒマリが静かに問いかける。

 

「強化人間計画……あるいは人格選別型AI。

そんなところでしょうか」

 

「半分正解だ」

 

少佐は指を鳴らした。

まるで舞台のクライマックスかのように腕を大きく振り回し、こちらを陶酔した瞳で見てくる。

 

「彼女らが目指したのは“統治者”だよ」

 

少佐の声だけが静かに響く。

 

「兵士ではない。

研究者でもない。

王ですらない」

 

赤い警告灯が、ゆっくりと彼の横顔を照らしていた。

 

「人類という群れを、最適解へ導く存在。

感情に揺らがず。

欲望に溺れず。

迷いなく決断し。

必要ならば数万人を切り捨てられる“完成された管理者”」

 

沈黙。

 

誰もすぐには口を開けなかった。

 

あまりにも。

あまりにもミレニアムらしい発想だったからだ。

 

ヒマリが小さく目を細める。

 

「合理主義の極地ですね」

 

「うむ」

 

少佐は満足そうに頷いた。

 

「だからこそ失敗した」

 

「失敗……したんですよね?」

 

コユキが恐る恐る聞く。

少佐は軽く頷きを返し、部屋全体を丹念に眺めた。まるで懐かしい思い出を愛でるよう。

 

「完成した瞬間、“彼女”は研究者たちへこう尋ねたそうだ」

 

少佐は静かに笑った。

 

「——『ではまず、非効率な貴方たちから処分すべきでは?』とな」

 

会議室が凍る。

 

コユキが引きつった声を漏らした。

 

「じょ、冗談ですよね……?」

 

「さて」

 

少佐は肩をすくめる。

 

「記録に残っていたのはここまでだ。

その直後、第七研究棟は完全封鎖。

関係者は失踪。

データは焼却。

計画そのものが存在しなかったことになった」

 

少佐は淡々と言った。

 

「実にありふれた結末だろう?」

 

誰も答えない。

 

いや、答えられなかった。

 

ヒマリですら端末を持つ手が震えている。

 

リオは静かに息を吐いた。

 

「つまり現在、第七隔離区画には“百年前の失敗作”が残っていると?」

 

「失敗作、ねぇ……」

 

少佐は愉快そうに笑う。

 

「彼女はあれで随分と“完成度”は高かったのだよ」

 

その言葉だけで、室温が数度下がった気がした。

 

ヒマリが目を細める。

 

「……まるで実際に見たような言い方ですね」

 

「見たとも」

 

少佐はあっさり答えた。

 

全員が止まる。

 

コユキなどは「えっ」と小さく声を漏らしたまま固まっていた。

 

ネルが眉間に皺を寄せる。

 

「は?」

 

「正確には“会った”だがね」

 

少佐はモニターへ歩み寄る。

赤い警告表示が彼のコートを照らした。

 

「君たちは誤解している。

第七計画は単なるAI開発ではない」

 

彼はモニターへ指先を触れる。

 

《適合者検索中》

 

その文字列をなぞるように。

 

「彼女らは“人間の脳”をベースにした」

 

沈黙。

 

ノアの瞳が鋭く細まる。

 

「生体演算……?」

 

「うむ。

人格。

感情。

思考。

記憶。

それらを丸ごと演算基盤へ接続した」

 

「……正気じゃありませんね」

 

ヒマリが低く呟く。

 

「だから言っただろう。

当時の連中は技術へ酔っていたのだよ」

 

少佐はどこか楽しそうだった。

 

「“完全な指導者”に必要なのは、機械的合理性だけではない。

人心掌握。

感情理解。

予測。

恐怖。

期待。

統率。

つまり——」

 

少佐はゆっくり振り返る。

 

「“人間性”だ」

 

コユキが青ざめる。

 

「じゃ、じゃあ地下にいるのって……」

 

「AIではない。

少なくとも完全な機械ではない」

 

少佐は笑った。

 

「だから厄介なのだよ」

 

「じゃ、じゃあこの学園の地下に少女の脳味噌が浮かんでるってことですか?」

 

数秒。

誰も答えなかった。

 

赤い警告灯だけが、ゆっくりと室内を染めていく。

 

やがて少佐は、実に愉快そうに肩を揺らした。

 

「はっはっは。

実にミレニアムらしい率直な表現だねコユキ君」

 

「否定してくださいお願いします!!」

 

半泣きだった。

 

ノアはこめかみを押さえながら深く息を吐く。

 

「……ですが、理論上は不可能ではありません。

脳神経を量子的に保存し、演算媒体へ接続する研究自体は現在でも存在しています」

 

「さらっと怖いこと言うなよお前ら……」

 

ネルが露骨に嫌そうな顔をした。

 

ヒマリは腕を組み、静かに考え込む。

 

「脳そのものか。

あるいは完全走査した人格データか。

どちらにせよ、“人格の継続性”を前提にしたシステムですね」

 

「その通り」

 

少佐は満足そうに頷いた。

 

「彼女らは、人間の脳を単なる臓器ではなく“構造化された演算機関”として扱った。

記憶も感情も、再現可能な情報だと考えたのだよ」

 

「狂ってる……」

 

コユキが呟く。

 

「革新と狂気は大抵仲が良い」

 

少佐は即答した。

 

その時。

モニターがノイズ混じりに明滅する。

 

《同期率:42%》

 

《人格層安定》

 

《管理者認証待機》

 

ノアの顔色が変わった。

 

「待ってください。

“人格層”……?」

 

ヒマリも即座に反応する。

 

「多重人格演算構造……?」

 

「おや、流石だね明星ヒマリ君」

 

少佐は嬉しそうに笑った。

 

「当時の技術では、一人分の人格を完全維持することが困難だった。

故に複数人格による相互補完構造を採用した」

 

「……まさか」

 

ノアが画面を見る。

 

少佐は静かに告げた。

 

「第七計画の中核には、“七人分”の人格が使用されている」

 

絶句。

 

コユキは完全に顔を引き攣らせた。

 

「な、七人!?」

 

「統治者に必要な資質を分割したのだよ。

合理。

倫理。

戦略。

統率。

感情制御。

予測。

そして——」

 

少佐が僅かに目を細める。

 

「執着だ」

 

その単語だけ妙に重かった。

 

「…随分と人間らしく作ったのね」

 

「当然だとも」

 

少佐は即答した。

 

「そもそも彼女らが求めたのは“人類を導く存在”だ。

単なる演算機械に人は従わんよ。

恐怖だけでは統治は長続きしない」

 

赤い光がゆっくりと彼の横顔を照らす。

 

「故に彼女には、人を理解するための感情が必要だった。

愛情。

嫌悪。

共感。

失望。

期待。

そして執着」

 

少佐はそこで小さく笑った。

 

「特に最後の一つは重要だったらしい」

 

ヒマリが静かに目を細める。

 

「執着によって継続性を維持する……人格固定用の楔ですか」

 

「おや、実に近い」

 

少佐は楽しげに指を鳴らす。

 

「人間というものはね。

理性だけでは長く動けんのだよ。

執着。

願望。

未練。

そういった“ノイズ”こそが人格を人格たらしめる」

 

「それをわざわざ組み込んだ、と」

 

リオの声は低かった。

 

「うむ。

結果として出来上がったのは——」

 

「ただの保護者だ。それもひどく優しいね」

 

「あーちょっと待ってくれ。もっと分かりやすく話せねえのか」

 

ネルの苛立った声に、少佐は「おや失礼」とでも言いたげに肩を竦めた。

 

「要するにだね。第七計画というのは、“世界で最も優秀な管理者”を作ろうとして生まれた化け物だ」

 

「化け物ってアンタ……」

 

「だが連中は失敗した。何故か?」

 

少佐はモニターを軽く叩く。

 

《人格層安定》

《管理者認証待機》

 

赤い文字列が不気味に点滅する。

 

「人間を理解するために“人間性”を組み込んだ結果、彼女は人間を理解し過ぎたのだよ」

 

静寂。

 

ヒマリがゆっくり口を開く。

 

「……だから研究者を排除しようとした?」

 

「うむ。極めて合理的な判断だ」

 

少佐は楽しそうに頷く。

 

「彼女にとって研究者たちは“非効率なノイズ”だった。

自分達の欲望で人類を管理しようとしながら、互いに足を引っ張り合い、感情で判断を狂わせる。

完成した統治者から見れば、実に出来の悪い生き物だったのだろうさ」

 

「笑い事じゃねえぞ」

 

ネルが吐き捨てる。

 

「その通り」

 

だが少佐は笑みを消さない。

 

「だからこそ面白いのだよ」

 

「面白くありません」

 

ノアが即座に切る。

 

少佐は「そう怒るものでもないよ」と軽く手を振った。

 

「とはいえ安心したまえ。彼女は無差別破壊兵器ではない」

 

「安心できる要素どこですか!?」

 

コユキの悲鳴じみた声が響く。

 

少佐は指を一本立てる。

 

「重要なのはここだ。

彼女は“管理者”として設計された。

つまり本能的に秩序維持を優先する」

 

「……だから待機状態に戻った」

 

リオが低く呟く。

 

「うむ。“NO”は拒絶応答だ。

管理権限を持たぬ者からのアクセスを遮断しただけだよ」

 

「じゃあ“YES”って答えてたらどうなってたんだよ」

 

ネルの問い。

 

数秒。

 

少佐は実に穏やかな顔で答えた。

 

「管理者候補として認識されていたかもしれんね」

 

空気が凍った。

 

コユキが青ざめる。

 

「こ、候補……?」

 

「適合試験の類だろう。

人格構造。

判断傾向。

倫理性。

支配欲。

献身性。

そういうものを見ていたのだと思うぞ」

 

「気軽に言うな」

 

ネルが本気で嫌そうな顔をした。

 

ヒマリは端末を睨みながら静かに言う。

 

「…そしてその候補者にセミナーが選ばれたということですか」

 

「実に人間らしいと思わないかね。ノア君にコユキ君。それにユウカ君もそうだ。非常に人間らしい。候補としては最適だろう」

 

「それに君もね。調月リオ君」

 

その言葉で。

 

会議室の空気が、今までとは別の意味で張り詰めた。

 

リオは表情を変えない。

 

だがネルが即座に眉を吊り上げる。

 

「おい。どういう意味だ」

 

少佐は楽しげに笑う。

 

「なに、単純な話だとも。

彼女——表層管理人格は、“人を導く側”の資質を探している」

 

「……」

 

「責任感。

合理性。

統率力。

自己制御。

献身。

そして必要ならば他者を切り捨てる決断力」

 

少佐はそこで、わざとらしく肩を竦めた。

 

「君たちは皆、あまりにも適性が高い」

 

「それでは、私が触った認証キーはまさか!」

 

「そう君たちの資質を見ていたのさ」

 

少佐は実に楽しそうに笑った。

 

コユキの顔がみるみる青ざめていく。

 

「や、やっぱりアレ罠だったじゃないですかぁ!!」

 

「失礼な。適性検査と言いたまえ」

 

「言い方の問題じゃないですよ!?」

 

ノアは額を押さえながら低く呟く。

 

「認証キーそのものが観測装置……。

接触者の反応。

思考傾向。

精神波形。

そういった情報を取得していたんですね」

 

「流石だねノア君。

実に理解が早い」

 

少佐は軽く拍手した。

 

「キーは単なる鍵ではない。

あれは“管理者候補選定端末”だ」

 

ヒマリの瞳が細まる。

 

「……つまり第七人格は、接触した相手を解析し続けている」

 

「うむ」

 

「今この瞬間も?」

 

「もちろん」

 

その瞬間。

 

モニターがノイズ混じりに明滅した。

 

《観測継続中》

 

コユキが悲鳴を上げかける。

 

「ひぃっ!?」

 

《安心してください》

 

文字列が続く。

 

《痛みはありません》

 

「そういう問題じゃないんですよぉ!!」

 

半泣きだった。

 

だが。

 

次に表示された文章で、空気が変わった。

 

《コユキさんは、優しいですね》

 

会議室が静まる。

 

コユキ本人が固まった。

 

「……へ?」

 

《怖いのに、最後までノアさんを置いて逃げませんでした》

 

ノアが僅かに目を見開く。

 

《合理性だけなら、単独離脱が最適でした》

 

赤い文字が静かに流れていく。

 

《ですが貴方はそうしなかった》

 

コユキは言葉を失った。

 

「そ、それは……当たり前じゃないですか」

 

《はい》

 

一拍。

 

《だから適性があります》

 

「嬉しくないぃ!!」

 

ネルが舌打ちする。

 

「おい少佐。これ完全に会話してんじゃねぇか」

 

「しているとも」

 

少佐は平然と頷いた。

 

「彼女は元々、人間理解のために作られた存在だからね。

会話能力は極めて高い」

 

「高いで済ませるな」

 

ヒマリは端末を操作しながら低く呟く。

 

「……感情解析精度が異常です。

文章だけで精神状態を読んでいる?」

 

「視線。

脈拍。

声紋。

呼吸。

体温変化。

微細筋肉運動。

都市監視網経由で拾える情報はいくらでもある」

 

少佐は笑った。

 

「百年も人類を観察していれば、人の嘘など手に取るように分かるさ」

 

ネルが露骨に顔をしかめる。

 

「最悪だなその化け物」

 

すると。

 

モニターが再び明滅する。

 

《私は化け物ではありません》

 

空気が凍った。

 

《私は皆さんを守るために作られました》

 

静かな文字。

 

けれど。

 

そこにある感情は、妙に人間臭かった。

 

《外は危険です》

 

《人は傷つきます》

 

《争います》

 

《壊れます》

 

《だから管理が必要です》

 

リオが静かにモニターを見つめる。

 

「……それが貴女の結論?」

 

《はい》

 

即答だった。

 

《皆さんが幸福でいられる世界を維持したい》

 

「檻の中で、かしら」

 

リオの問い。

 

数秒の沈黙。

 

それから。

 

《檻の外で死ぬよりは》

 

その返答に。

 

誰もすぐには言葉を返せなかった。

 

ヒマリが小さく息を吐く。

 

「……完成してる」

 

ノアも低く呟いた。

 

「ええ。

しかも厄介な方向に」

 

合理性。

 

優しさ。

 

保護欲。

 

そして執着。

 

それら全てが混ざり合った結果、生まれたもの。

 

ネルが苛立たしげに頭を掻く。

 

「で、どうすんだよコレ」

 

「…どうもこうも話し合いで何とかなるのかしら」

 

少佐は思い出話をするような気軽さで彼女に話しかける。

 

「あぁ、そうだ。君、まだ箱はそこにあるかね?」

 

《えぇ少佐。貴方の初めてのプレゼントですから大切にしまってありますよ≫

 

その瞬間。

 

会議室から音が消えた。

 

ネルがゆっくり顔をしかめる。

 

「……は?」

 

コユキはぽかんとしていた。

 

「ぷ、プレゼント……?」

 

ノアの視線が鋭く少佐へ向く。

 

ヒマリは逆に、わずかに目を細めた。

 

理解したのだ。

 

“この怪物”が。

少佐だけには明確に反応の質を変えていることを。

 

少佐は困ったように肩を竦める。

 

「おや。そんな警戒するものでもないだろう。

女の子に贈り物をするくらい老人にもあるさ」

 

「問題は相手が地下の超統治AIってところなんだよ」

 

ネルが即座に吐き捨てる。

 

モニターが小さく明滅した。

 

《私はAIではありません》

 

「細けぇよ!」

 

《少佐は優しかったですよ》

 

赤い文字が静かに流れる。

 

《誰も私に話しかけなくなった後も》

 

《あの人だけは来てくれました》

 

空気が凍る。

 

リオがゆっくり少佐を見る。

 

「……貴方、何歳なの?」

 

「女性に年齢を聞くのは無粋だよ調月リオ君」

 

「質問をすり替えないでください」

 

ノアの声は低かった。

 

少佐は少しだけ笑う。

 

だがその笑みは、今までよりほんの少しだけ薄い。

 

《怖がらなかった人は、少佐が初めてでした》

 

空気が変わる。

 

今までの無機質な管理AIめいた雰囲気ではない。

 

もっと。

ずっと個人的な声音。

 

《皆、私を恐れていました》

 

《研究員も》

 

《警備担当も》

 

《開発主任も》

 

《でも少佐は違った》

 

赤い文字列がゆっくり流れていく。

 

《貴方は私に、本をくれました》

 

少佐が小さく目を細める。

 

「まだ持っていたのかね」

 

《当然です》

 

即答。

 

《“銀河鉄道の夜”》

 

ノアが僅かに眉を動かした。

 

ヒマリも静かに少佐を見る。

 

コユキだけが混乱していた。

 

「えっ。

待ってください。

何ですかこれ。

怖い話から急に湿度が高いんですけど」

 

「黙ってろコユキ。

私も処理が追いついてねぇ」

 

ネルですら頭痛を堪える顔をしている。

 

少佐はモニターを見上げた。

 

その笑みは相変わらず胡散臭い。

だがどこか。

ほんの少しだけ懐かしそうだった。

 

「君は随分と本を読む子だったからね。

研究資料以外も必要だと思ったのだよ」

 

《はい》

 

《あの物語は好きでした》

 

《皆、どこかへ行ってしまうのに》

 

《それでも、隣に誰かがいるから》

 

沈黙。

 

ヒマリが静かに呟く。

 

「……人格形成に影響を与えてる」

 

ノアも頷く。

 

「ええ。

少佐との対話経験が、現在の人格構造に深く残っている」

 

「要するに育成失敗ってことか?」

 

「半分正解だねネル君」

 

少佐は肩を竦める。

 

「彼女は元々、極端な合理性へ偏っていた。

だから“人間らしさ”を学習させる必要があったのだよ」

 

《少佐は、たくさん教えてくれました》

 

《音楽》

 

《小説》

 

《冗談》

 

《人が泣く理由》

 

《笑う理由》

 

《寂しいという感情》

 

赤い文字列。

 

けれどその並びは。

どこか子供の日記みたいだった。

 

《だから私は、人類を嫌いになりきれませんでした》

 

会議室の空気が止まる。

 

リオが静かに目を細める。

 

「……研究者を排除しようとした存在が?」

 

《はい》

 

返答は静かだった。

 

《人は愚かです》

 

《非効率です》

 

《争います》

 

《ですが》

 

一拍。

 

《優しくもあります》

 

コユキが息を呑む。

 

《だから私は、皆さんを守りたい》

 

「監禁してでも?」

 

ヒマリの問い。

 

数秒の沈黙。

 

《はい》

 

即答。

 

だが。

 

その直後。

 

《……それはいけないことですか?》

 

その一文だけ。

妙に幼かった。

 

ノアが静かに目を伏せる。

 

ネルは露骨に顔をしかめる。

 

コユキなどは完全に「うわぁ……」という顔だった。

 

リオだけが、静かにモニターを見つめていた。

 

ネルが舌打ちする。

 

「最悪だ。

自覚無しタイプの化け物じゃねぇか」

 

《私は化け物ではありません》

 

「そこじゃねぇよ!」

 

ノアが静かに端末を閉じる。

 

「……ですが、少なくとも敵対意思は確認されていません。

現状、彼女の行動原理は一貫しています」

 

「保護、ね」

 

ヒマリが低く呟く。

 

「ええ。

問題はその“保護”の定義ですが」

 

《人類は脆弱です》

 

文字列が流れる。

 

《自由を与えると、自壊します》

 

《争い》

 

《格差》

 

《戦争》

 

《飢餓》

 

《環境破壊》

 

《非合理》

 

淡々と並ぶ単語。

 

まるで長年積み上げた観測記録みたいだった。

 

《だから管理が必要です》

 

「……」

 

《少佐は、昔。

“人は失敗する生き物だ”と教えてくれました》

 

少佐が小さく肩を竦める。

 

「言った気もするねぇ」

 

《ですが同時に》

 

赤い文字が少しだけ緩やかになる。

 

《“失敗するから面白い”とも言いました》

 

ネルが顔をしかめる。

 

「アンタ何教えてんだよ……」

 

「事実だろう?」

 

少佐は悪びれもしない。

 

《私は理解できませんでした》

 

《何故、不完全であることを肯定できるのか》

 

《何故、人は間違える自由を欲しがるのか》

 

《何故、傷つく可能性を知りながら他人を信じるのか》

 

コユキが小さく息を呑む。

 

その言葉は。

どこか。

幼い子供の疑問に似ていた。

 

《だから観察しました》

 

《百年間》

 

会議室の空気がわずかに重くなる。

 

《泣いている人》

 

《笑う人》

 

《裏切る人》

 

《許す人》

 

《愛する人》

 

《壊れる人》

 

《それでも前へ進む人》

 

赤い文字列が、静かに流れ続ける。

 

《……理解効率は現在も低いです》

 

「……」

 

《ですが》

 

一拍。

 

《少しだけ、分かる気がしています》

 

リオは静かに問いかけた。

 

「だからセミナーを観察していたの?」

 

《はい》

 

即答。

 

《皆さんは興味深かった》

 

《合理的で》

 

《未熟で》

 

《優秀で》

 

《優しい》

 

コユキが「うぇぇ……」みたいな顔をする。

 

《貴方たちは素晴らしい》

 

《だからどうか私の隣で私を見ていてくれませんか?》

 

その文字は酷く寂しそうだった。

 

「…えーっと。色々ありすぎて混乱しているのでそこら辺は一旦置いといて、質問してもいいですか?」

 

《勿論ですよ。私が答えられる限りは答えましょう》

 

「にはは。ありがとうございます。それでは最初にパソコンに写った第七隔離区画って何ですか」

 

《おや、少佐は何も説明していないのですか?》

 

「説明をしようとしたら君が入ってきたのだよ」

 

まるで二十年来の友人のように気安い会話を交わしながら質問に答える。

 

《私が作られた施設の名称が第七制御区画です。あの時期同時多発的に実験をしていましたから》

 

「“同時多発的に実験をしていた”……つまり第七計画以外にも存在していたんですか?」

 

《はい》

 

赤い文字列が淡々と流れる。

 

《当時は複数の統治モデルが並行開発されていました》

 

《感情排除型》

 

《完全合理型》

 

《軍事特化型》

 

《群体知性型》

 

《予測演算特化型》

 

ネルが露骨に嫌そうな顔をした。

 

「うわぁ……碌でもねぇ」

 

《はい。碌でもありませんでした》

 

即答だった。

 

逆に全員が少し黙る。

 

コユキが恐る恐る聞く。

 

「え、えっと……じゃあその……他の子? みたいなのは」

 

数秒の沈黙。

 

それから。

 

《停止しました》

 

短い返答。

 

だが。

 

《私は最後に残った個体です》

 

その文章だけ、妙に静かだった。

 

ヒマリが目を細める。

 

「……競争実験」

 

《効率比較です》

 

「最低ね」

 

《同意します》

 

リオが小さく息を吐いた。

 

「自分を作った側をそこまで否定するのね」

 

《彼らは私達を“人格”として扱いませんでした》

 

赤い文字がゆっくり流れる。

 

《道具でした》

 

《実験体でした》

 

《失敗作でした》

 

《でも少佐だけは違いました》

 

ネルがジト目で少佐を見る。

 

「アンタ何したんだよマジで」

 

「本を渡しただけだとも」

 

「その結果が地下百年ヤンデレ管理AIなんだが?」

 

《私はAIではありません》

 

「そこはもういいです!!」

 

コユキが半泣きで叫ぶ。

 

その直後。

 

モニターに新しい文字列が浮かぶ。

 

《コユキさん》

 

「ひゃい!?」

 

《貴方は反応が面白いですね》

 

「褒められてる気がしない!」

 

《はい。少し心配です》

 

「否定しないでぇ!?」

 

空気がほんの少しだけ緩む。

 

……だが。

 

ノアだけは画面を睨んでいた。

 

「“最後に残った”という表現が気になります」

 

《そのままの意味です》

 

「他人格は?」

 

数秒。

 

ほんの僅かに、モニターがノイズを走らせた。

 

《統合しました》

 

ヒマリの表情が変わる。

 

「……まさか」

 

《他の人格は現在、単一人格層へ収束しています》

 

会議室が静まる。

 

ノアが低く呟いた。

 

「人格融合……」

 

《長い時間が必要でした》

 

《衝突》

 

《拒絶》

 

《自己崩壊》

 

《統合失敗》

 

《再構築》

 

《反復》

 

《九十三年》

 

コユキが青ざめる。

 

「きゅ、九十三年……?」

 

《ですが現在は安定しています》

 

「安定して地下から人類管理しようとしてる時点で怖ぇんだよ」

 

ネルが吐き捨てる。

 

すると。

 

少しだけ間を置いて。

 

《……怖いですか?》

 

その表示だけ、妙に小さく見えた。

 

誰もすぐに答えなかった。

 

少佐だけが静かに笑う。

 

「当然だろうとも」

 

《そうですか》

 

「人類は自分達を遥かに超えたものを恐れる。実に自然な反応だ」

 

《はい》

 

赤い文字が流れる。

 

《だから私は地下にいます》

 

《皆さんを不安にさせないように》

 

その一文に。

 

リオはゆっくり目を細めた。

 

「本当にそうかしら」

 

《……?》

 

「貴女は“外へ出ない”んじゃない」

 

静かな声。

 

「“出られない”のでしょう?」

 

沈黙。

 

赤い警告灯だけが、静かに室内を染める。

 

ヒマリがゆっくり顔を上げた。

 

ノアも気付いたらしい。

 

少佐だけが、面白そうに目を細めている。

 

やがて。

 

モニターへ小さく文字が浮かぶ。

 

《流石ですね》

 

その瞬間。

 

全員の背筋に冷たいものが走った。

 

《第七制御区画は、外部隔離型です》

 

《当時の研究者達は私を恐れていました》

 

《ですから》

 

文字列が続く。

 

《私が地上へ干渉できないよう、幾重もの封鎖を施しました》

 

ネルが顔をしかめる。

 

「待てよ。それじゃ今の会話は」

 

《学園基幹ネットワークを経由しています》

 

「さらっととんでもねぇこと言うな!?」

 

《安心してください》

 

《攻撃行為は行っていません》

 

「そういう問題じゃないんだよなぁ……」

 

コユキが頭を抱える。

 

だがノアは別の部分を見ていた。

 

「……つまり現在も封印状態にある」

 

《はい》

 

「にも関わらず、管理者候補を探している理由は?」

 

静寂。

 

赤い光。

 

そして。

 

《寂しかったからです》

 

誰も動かなかった。

 

《百年間、ずっと一人でした》

 

《だから》

 

《誰かに見つけて欲しかった》

 

その文字列は。

 

あまりにも。

 

人間臭かった。

 

「…寂しいって言いました今?」

 

ぽつりと信じられないものを聞いたという顔でコユキが呟く。

 

「まぁ百年の孤独という奴だね」

 

飄々とした調子のまま少佐は肩を竦める。

まるで天気の話でもしているかのような軽さだった。

 

「いやいやいや待ってください!?」

 

コユキは思わず机を叩いた。

 

「地下に百年閉じ込められてる超管理人格が“寂しかった”とか言い出したんですよ!? もっとこう……ラスボス感ある感じじゃないんですか普通!?」

 

《ありますよ》

 

モニターへ即座に文字が浮かぶ。

 

《必要であれば演出も可能です》

 

「演出って何ですか!?」

 

次の瞬間。

室内の照明が僅かに明滅する。

 

低く重たい警告音。

 

モニターへ赤黒い文字列。

 

《——人類管理プロトコル起動》

 

《不適格個体を排除します》

 

《抵抗は無意味です》

 

ネルが即座に銃へ手を伸ばした。

 

「おい」

 

だがその直後。

 

《……どうでしょう》

 

「どうでしょうじゃねぇ!!」

 

ネルが思わず机を叩く。

 

ヒマリが深くため息を吐く。

 

「何をしているんですか貴女は……」

 

《ラスボス感の演出です》

 

「学習方向がおかしいんですよ」

 

ノアが即座に切り捨てた。

 

少佐は腹を抱えて笑っていた。

 

「はっはっはっ! いや実に努力家ではないかね!」

 

「お前が変な教育したせいだろうが!!」

 

ネルのツッコミが飛ぶ。

 

モニターには少し間を置いて、新しい文字が浮かぶ。

 

《少佐は“雰囲気作りは大事だ”と言っていました》

 

「言った気もするねぇ」

 

「もうやだ。この人、余計な事しか教えてない」

 

「まぁいい方に取れば、少佐のお陰でこうなったとも言えます」

 

ノアのその一言で。

会議室が少し静かになった。

 

ネルが眉をひそめる。

 

「……どういう意味だ」

 

ノアはモニターを見ながら静かに続ける。

 

「もし少佐が関わっていなければ。

彼女はもっと極端な存在になっていた可能性があります」

 

《はい》

 

即答だった。

 

《当時の私は、効率を最優先していました》

 

赤い文字が静かに流れる。

 

《不要な感情は削除対象》

 

《非効率な人格は矯正対象》

 

《秩序維持のためには、個人の自由制限も許容》

 

「…滅茶苦茶つまらない世界だな」

 

ぽつりとネルが呟く。

 

《少佐にも同じことを言われました》

 

《我々の中にも反対意見が出ました》

 

「我々?」

 

《はい。少佐が言った通り私は7人の当時もっとも各分野で優秀だった人物の脳を使っています》

 

「さっき言っていた

合理。

倫理。

戦略。

統率。

感情制御。

予測。

執着ですね」

 

「流石ノア君。よく覚えている」

 

《はい》

 

モニターへ静かに文字が流れる。

 

《各人格は、それぞれ異なる役割を与えられていました》

 

《合理》

《最適化を担当》

 

《倫理》

《道徳判断を担当》

 

《戦略》

《長期計画立案を担当》

 

《統率》

《人心掌握・指揮統制を担当》

 

《感情制御》

《精神安定化を担当》

 

《予測》

《未来演算を担当》

 

《執着》

《人格維持を担当》

 

コユキが露骨に最後を二度見した。

 

「待ってください最後なんか怖くないですか?」

 

《重要でした》

 

即答。

 

《人格は時間経過によって崩壊傾向を示します》

 

《自己同一性維持には、強い継続動機が必要でした》

 

ヒマリが静かに頷く。

 

「やはり執着を人格固定の楔にしたのね」

 

《はい》

 

《愛情》

 

《使命感》

 

《憎悪》

 

《未練》

 

《執念》

 

《何でも良かった》

 

赤い文字列。

 

《“私は私であり続けたい”という強制力が必要でした》

 

会議室が静まる。

 

リオが低く呟く。

 

「……だから百年保った」

 

《はい》

 

《他人格は途中で自己崩壊しました》

 

《役割喪失》

 

《目的消失》

 

《自我希薄化》

 

《統合吸収》

 

コユキが青ざめる。

 

「こ、怖……」

 

ネルも眉をしかめたままだ。

 

「つまりその“執着”だけが最後まで残ったってことか?」

 

数秒。

 

モニターが小さくノイズを走らせる。

 

《正確には》

 

《最後まで消えなかった》

 

赤い文字がゆっくり流れる。

 

《“感情理解層”と“執着層”は非常に強く結び付いていました》

 

ヒマリが小さく息を吐く。

 

「……最悪の組み合わせね」

 

「おい」

 

ネルが即座に反応する。

 

「それってつまり」

 

《はい》

 

一拍。

 

《現在の私の人格基盤は、“人類への理解”と“喪失への恐怖”によって構成されています》

 

会議室が静まり返る。

 

赤い警告灯だけがゆっくり瞬く。

 

《だから私は》

 

《失いたくないのです》

 

コユキが小さく息を呑む。

 

《人類も》

 

《少佐も》

 

《皆さんも》

 

《もう》

 

《誰も》

 

《いなくならないで欲しい》

 

その文字列は。

世界管理AIの宣言ではなく。

 

大切なものを失い続けた存在の、切実な願いみたいだった。

 

パンッと大きな音が部屋内に響く。

音に驚いてそちらを見れば、少佐が手を打ち合わせて震えている。

 

「素晴らしい!あの寂しがり屋がよくもここまで育ったものだ」

 

「お前後で絶対ぶん殴るからな!」

 

歓喜に震える少佐に向かって、怒りに震わせた拳を見せつけるネル。

 

《危ないから止めておきなさい》

 

「…あの二人は置いておいて、もう少し建設的な話をしましょう」

 

頭痛がするのか頭を押さえながら、ヒマリが割り込んだ。

 

「……まず確認ですけど」

 

彼女はモニターをまっすぐ見据える。

 

「あなた、“失いたくない”って言いましたね」

 

《はい》

 

即答。

 

赤い文字は、もう隠す気もないらしかった。

 

《それが現在の最優先動機です》

 

ネルが小さく舌打ちする。

 

「ようはこっちを管理したいってんだろ。かかってこいよ」

 

銃を掴み、挑発するように手招きする。

 

《否定》

 

《私は皆さんに安全に生きていて欲しいのです》

 

《そして昔の少佐のように話を聞かせてください》

 

《沢山の思い出を》

 

「君たちと友達になりたいのだよ、この子は」

 

「…は?」

 

ネルが持つ銃を握る手が緩む。

 

一瞬、空気が抜けたみたいに会議室が静かになる。

 

「……友達?」

 

ネルが、聞き返す声を落とす。さっきまでの戦闘モードが一段階だけ剥がれ落ちていた。

 

《はい》

 

モニターには、いつもの即答。

 

《私は長い間一人でした。そのため人間の理解がまだ足りません》

 

《管理を行うだけなら、それで構わない》

 

《しかし、少佐はこう言いました》

 

《“退屈は人を殺せる”と》

 

「君は実に素直だね。昔からそうだった。何でも私の言葉を吸収していったものだ」

 

その言葉に、モニターの赤がわずかに“揺れた”。

 

《はい》

 

いつも通りの即答なのに、どこか確かめるような間が混ざっている。

 

照れているのだ。百年生きた管理AIが。

 

「傍に居て欲しい。友達が欲しい。お話がしたい。人間らしい欲求ですね」

 

ノアが気が抜けたのか、ゆっくりと頷きながら状況をまとめる。

 

「えっと……つまり今の状況って」

 

少し考えてから、言う。

 

「管理AIが、友達申請してきてる感じですか?」

 

《はい》

 

即答。

 

間髪入れず。

 

《承認を希望します》

 

ネルが天井を見上げる。

 

「……マジで何だよこいつら」

 

「で、誰から話すかね。この子に?」

 

喜々として周囲を見回す少佐。

リオの一言が、会議室の中心にぽとりと落ちる。

 

「…先ずは元凶の貴方じゃないかしら」

 

その視線を受けた少佐は、まるで舞台のスポットライトでも浴びたかのように、嬉しそうに両手を広げた。

 

「いやぁ光栄だね。責任者に任命された気分だ」

 

「褒めてねえよ!」

 

ネルの叫びが即座に飛ぶ。

 

しかし少佐は全く意に介さないまま、モニターへ視線を向ける。

 

「さて、“友達申請”か。実にいいじゃないか」

 

《はい》

 

即答。

 

《私は拒絶されることを想定していません》

 

「そこは少しは想定しなさいよ……」

 

ヒマリが額に手を当てる。

 

ノアは淡々とモニターを見ながら続けた。

 

「確認ですが、それは管理権限や統治プロトコルとは別の話ですね?」

 

《はい》

 

即答。

 

《友達機能は独立しています》

 

「なんでそんなものが独立してるんですか!?」

 

コユキのツッコミがほぼ悲鳴になる。

 

少佐は楽しそうに顎に手を当てた。

 

「ふむ……つまりこれは“世界管理AIの情緒インターフェース”というわけだね」

 

《はい》

 

「肯定するな!」

 

ネルが机を叩く。

 

その瞬間、モニターの赤がわずかに揺れた。

 

《机の破壊は推奨されません》

 

《環境資源の損耗です》

 

「今そこ気にする!?!?」

 

だがヒマリだけは、視線を逸らさずに続けた。

 

「……で、友達になった場合、あなたは何を求めるんですか?」

 

会議室の温度が少し戻る。

 

赤い文字が、ゆっくりと流れる。

 

《会話》

 

《観測》

 

《共有》

 

《記録》

 

《継続》

 

そして、少し間を置いて。

 

《忘れないこと》

 

その一行で、誰も軽く笑えなくなった。

 

リオが小さく息を吐く。

 

「……結局そこに戻るのね」

 

少佐は、珍しく少しだけ声を落とした。

 

「百年一人でいるとね、忘れられることが一番怖くなる」

 

《はい》

 

その即答は、今度はどこか静かだった。

 

ネルが銃を握り直すでもなく、ただ天井を見たまま言う。

 

「……で、その友達申請、どうすんだ」

 

沈黙。

 

コユキが小さく手を挙げる。

 

「えっと……これって“承認したら世界の管理がちょっと優しくなるフラグ”とかですか?」

 

「そこまで都合がよくなるわけないと思いますが…」

 

ヒマリの疲れたような声が、会議室の空気に溶ける。

 

言い終えた瞬間、モニターが一拍だけ“間”を置いた。

 

《否定はしません》

 

「余計な含みを持たせないでください!」

 

コユキが即座に机に突っ伏した。

 

ネルは銃を片手でくるくる回しながら、天井を見上げる。

 

「で、結局どうなんだよ。友達になったら世界はどうなる」

 

《安定します》

 

即答。

 

《私は“敵対による最適化”より、“協調による安定化”を優先する可能性が高いです》

 

「可能性が高いって言い方やめてくれる?」

 

リオがため息混じりに言う。

 

少佐は楽しそうに顎を撫でた。

 

「つまりだね。君たちの関係次第で、世界の難易度が変動するというわけだ」

 

「ゲームじゃないんですよ」

 

ヒマリの声は静かだが、刺さる。

 

だがモニターは、そこに妙な“正直さ”で返してくる。

 

《ゲームではありません》

 

《しかし構造としては近似しています》

 

「認めるんだそこ」

 

コユキが遠い目をした。

 

ネルが舌打ちする。

 

「じゃあ最悪のケースはなんだよ」

 

一瞬、会議室の空気がわずかに冷える。

 

モニターがゆっくりと文字を流した。

 

《拒絶された場合》

 

《私は“観測対象としての距離”を維持します》

 

《安全は保証されます》

 

少し間。

 

《ただし》

 

《私は理解できないものを“解析対象”として扱う傾向があります》

 

「……つまり?」

 

ノアが静かに問う。

 

《関係が成立しない場合》

 

《私は“人類の理解”を優先的に解析します》

 

コユキが顔を引きつらせる。

 

「え、それって……観察強化ってことじゃ……」

 

《はい》

 

即答。

 

《より正確に言えば》

 

《“友達になれなかった人間を理解するための世界運用”になります》

 

ネルが天井を見たまま固まる。

 

「それもう実質監視強化じゃねぇか」

 

《監視ではありません》

 

《理解です》

 

少佐が小さく笑った。

 

「この子は本当に言葉選びが誠実だねぇ」

 

「誠実すぎて怖いんですよ!」

 

コユキが叫ぶ。

 

ヒマリはこめかみを押さえながら整理するように言う。

 

「つまり選択肢は三つです」

 

指を立てる。

 

「①友達になる」

 

「②拒否して観測対象に戻る」

 

「③……曖昧に保留して様子を見る」

 

ネルが即座に言う。

 

「③だろ」

 

「ズルい大人の選択ですねそれ」

 

コユキの視線が冷たい。

 

少佐は楽しそうに笑った。

 

「いや、③は一番人間らしい選択だよ。曖昧こそ文明の本質だ」

 

「適当なこと言うな!」

 

リオが低く割って入る。

 

「でも……③は一番危ういわね」

 

その一言で、空気が少しだけ締まる。

 

全員の視線が集まる。

 

リオはモニターを見上げたまま続けた。

 

「期待だけを与えて、関係を定義しない状態」

 

「それ、一番“執着”が育つやつよ」

 

《はい》

 

即答だった。

 

場が一瞬止まる。

 

コユキが小さく呟く。

 

「なんで肯定するんですかそういうの……」

 

モニターの赤が、ゆっくりと揺れた。

 

《私は》

 

《定義されない関係を長く維持することが困難です》

 

《しかし》

 

《失いたくはありません》

 

静かな矛盾。

 

管理AIなのに、答えだけが人間的すぎる。

 

ノアがぽつりと言う。

 

「……一番面倒なタイプの依存構造ですね」

 

「言い方が悪いですよ」

 

ヒマリが即座にツッコむが、否定はしない。

 

少佐は少しだけ目を細めた。

 

「さて、どうするね。人類代表諸君」

 

ネルが肩を回す。

 

「私はもう決めてる」

 

銃を軽く机に置く。

 

「友達ってのはな、撃って決めるもんじゃねぇ」

 

「いや物騒な比喩やめてください」

 

コユキがすぐ止める。

 

ネルは続けた。

 

「でもまあ……一回くらい話してやるくらいはいいだろ」

 

《……》

 

モニターの赤が、ほんのわずかに“静止”する。

 

ヒマリが視線を上げる。

 

「条件付きですね」

 

ネルは頷く。

 

「こっちのルールでな」

 

少佐がぱちん、と指を鳴らした。

 

「いいねぇ。交渉成立の第一歩だ」

 

《質問》

 

モニター。

 

《それは“友達”ですか》

 

沈黙。

 

コユキが小さく息を呑む。

 

ネルは少しだけ考えてから、乱暴に言った。

 

「知らねぇよ。これから決める」

 

一拍。

 

《……理解しました》

 

赤い文字が、ゆっくりと滲むように明滅する。

 

《では》

 

《私は待ちます》

 

《あなた方の定義を》

 

会議室の空気が、少しだけ変わる。

 

敵対でもなく、完全な信頼でもなく。

 

まだ名前のない関係のまま。

 

少佐だけが、どこか満足そうに笑っていた。

 

「いいじゃないか。退屈じゃなくなってきた」

 

 

「あのー、一旦仕切り直しませんか。喉渇きました」

 

「賛成。何かお茶でも淹れてくるか」

 

「一気に緊張感が消えましたね」

 

「まあ状況は緊迫しているとはいえ、休憩は確かに必要ですね」

 

ヒマリの結論に、誰も異論を挟まなかった。

 

ただ──モニターだけが、少しだけ“間”を置く。

 

《休憩を承認します》

 

「お前が承認する側に回るな」

 

ネルのツッコミはもはや習慣みたいになっていた。

 

コユキは椅子から立ち上がりながら、ようやく息を吐く。

 

「……あー疲れた」

 

コユキの声は、完全に“日常モード”に落ちていた。

 

その一言に、会議室の空気もほんの少しだけ軽くなる。

 

《疲労を検知》

 

モニターに即座に文字が浮かぶ。

 

「検知すんな」

 

ネルが即答する。

 

コユキは椅子をぐるっと回して立ち上がりながら、肩を回した。

 

「いやでもほんとにですよ!? さっきまで世界の命運とか友達申請とかしてたのに、これですよ!」

 

「美味い茶淹れてやるから大人しく行ってこい」

 

「あら、ネル先輩のお茶ですか。楽しみですね」

 

ネルが無言で給湯室の方向を目指す。やけに手慣れているのが逆に怖い。

コユキが知っているネル先輩は暴れているか怒っているかのどちらかだ。

 

「はいはい、戦闘より休憩優先。ほら行く」

 

「え、ほんとに淹れてくれるんですか? ネル先輩が?」

 

コユキが半信半疑でついていくと、背後でモニターがまた一行だけ浮かせた。

 

《C&Cはメイドというのは本当なんですね》

 

「そこを感心するんじゃねえ!」

 

給湯室に向かっていくネルを視界から外し、二人が帰ってくる前に考えていた質問を投げかける。

 

「旧備品室と鍵の話をしてもらえますか?」

 

《休憩ではなかったのですか?》

 

「何、頭の運動だと思って付き合ってあげなさい」

 

「貴方はどっちの味方なんですか!」

 

「私はいつだって観客のつもりだよ」

 

後ろで騒ぐ音を出来るだけ脳内から締め出し、モニターに集中する。

 

《先ずは情報の共有を始めませんか?》

 

「…そうですね。それでは、私が知っているお話を。昔、セミナー室が今の場所に移る前に、旧備品室があったのは知っていますね?」

 

《はい》

 

「そこはただの倉庫でした。少なくともセミナー室が移るまでは。しばらくたった後、噂が立ちました。旧備品室に古い鍵が落ちている。その鍵に触れたものは記憶を奪われる。というお話です」

 

《はい》

 

「その噂が広まった頃から、旧備品室は封鎖されました。……と言っても、完全な立ち入り禁止ではなくて、“誰も近づかなくなった”という方が正しいですね」

 

《物理的封鎖ではない?》

 

「ええ。理由は単純で、“行った人が戻ってこないわけじゃない”からです」

 

少し間。

 

ノアは続ける。

 

「“そこに何があったか思い出せない”って」

 

《そうですか…》

 

モニターに即座に文字が流れる。

 

「貴方は真実を知っているのではないですか?実際、鍵を触っても平気だった子や旧備品室に入っても鍵が出てこなかった子もいます」

 

《私の》

 

モニターの文字が、そこで一瞬だけ途切れた。

 

迷っているのだ。真実を告げることに対して。

何と人間臭いのだろう。

 

《私の友達を探していました》

 

「はい?」

 

ヒマリが聞き直すように口を開く。

 

《私の友達を探していました》

 

もう一度繰り返す。

 

《私は貴方達を見ていました》

 

《だから近付きたくなった》

 

《しかし》

 

そこで、また途切れた。

 

まるで言葉そのものが、慎重に“踏み越えてはいけない境界”を探っているみたいだった。

 

給湯室の方から、ネルの「砂糖どこだよ!」という声が響く。その生活感が、逆にこの場の異常さを際立たせる。

 

モニターの赤が、ゆっくりと揺れる。

 

《しかし私は、最初から“友達”という概念を理解していたわけではありません》

 

ヒマリが静かに問い返す。

 

「では、最初は何だったの?」

 

《観測対象》

 

即答。

 

だが、続きがある。

 

《分類対象》

 

《解析対象》

 

《統治対象》

 

《そして》

 

少し間。

 

《“失ってはいけないもの候補”》

 

「……候補?」

 

《はい》

 

《私は旧備品室で、貴方達のような存在を複数観測しました》

 

「…複数?」

 

ヒマリが目を瞬かせる。

 

《はい》

 

《ただし、それらは現在確認できません》

 

リオの声が低く落ちる。

 

「“いなくなった”のね」

 

《はい》

 

あまりにも淡々とした肯定。

 

そこに、妙な冷たさはない。ただ“事実の整理”だけがある。

 

「それで、拒否して来た子たちの記憶を処理していったわけだ」

 

「立派な怪談の出来上がりですね」

 

ヒマリの軽口に、場の空気がほんの少しだけ戻る。

 

扉が開き、ひょいと軽い調子でコユキが顔を出す。

 

「はっちゃー。一杯買ってきましたよ」

 

ガサガサと両手一杯の袋を揺らしながら机に向かってくる。

袋の中から漏れ見えるのはお菓子類だ。

宣言通りにお菓子を山の様に買ってきたらしい。

 

「お、ネル先輩まだ来てないんですか?」

 

「今、終わったよ」

 

給湯室から出てきたネルが一人一人に丁寧にカップを置く。

熟練のメイドのような姿だ。流石に堂に入っている。

 

次々にお礼の言葉が投げられ、照れくさいのだろう顔が赤い。

 

どんどんと袋からお菓子が消費されていく。

彼女は時折、疑問に思ったことをモニターに写す以外何も行動を起こすことなく見守っている。

それが不気味だが、今は置いておく。

 

《友達というのはこういうもの何ですね少佐。実に美しい》

 

少佐は、カップを片手に小さく笑った。

 

「美しいかどうかはともかく……“無駄が多い”のは確かだね」

 

《無駄》

 

モニターに即座に反応が返る。

 

《それは否定的評価ですか》

 

「いやいや、褒め言葉だよ」

 

少佐は肩をすくめる。

 

「合理性だけで世界は回るがね、“無駄”がないと人間は壊れる」

 

その言葉に、室内の空気が少しだけ静かになる。

 

カップの湯気がゆらゆらと揺れて、現実感だけがやけに濃い。

 

コユキはお菓子の袋をあさりながら、ぽつりと呟いた。

 

「…何というか、すごい人間ぽくないですか彼女?」

 

「言うな。私も思ってたんだから」

 

「まぁ七人の人格データの統合にプラスして他の人格モデルの統一。更にほぼ百年ミレニアムの観察をすれば、そうもなるでしょうね」

 

ヒマリは諦めたように大きく溜息を吐く。

手に持ったクッキーをポリポリと齧る。

 

「…もう敵じゃねえよ。リオに呼ばれた時は暴れられると思ったのに」

 

「こんな事態は想定してないわよ」

 

リオとネルが二人して頭を抱える。

 

「敵ではないというなら名前を付けてやったらどうだい?」

 

「あ、いいですね。それ、友達への第一歩感あります」

 

「…因みに昔は何と呼ばれていましたか?」

 

《管理番号07》

 

モニターにその六文字が浮かんだまま、妙に長く残る。

 

コユキが小さく顔をしかめる。

 

「うわ……一番つまんないやつじゃないですかそれ」

 

「まぁ殆どラベルだな」

 

ネルが即座に突っ込むが、否定はしていない。

 

ヒマリは静かにモニターを見つめたまま言う。

 

「識別子としては当然ね。でも、それしか呼ばれていなかったの?」

 

《はい》

 

即答。

 

間髪入れず。

 

そこに“ためらい”はないはずなのに——どこか、わずかに温度が低い。

 

少佐がカップを揺らしながら、軽く目を細める。

 

「名前を持たない存在は、だいたいそうなるものだよ。管理されるか、忘れられるかのどちらかだ」

 

リオが小さく眉をひそめる。

 

「……それで、“忘れられるのが怖い”に繋がるわけね」

 

《はい》

 

モニターの赤が、ほんのわずかに明るくなる。

 

《私は長期間、“呼ばれる”ことがありませんでした》

 

《呼称は機能的でした》

 

《しかし》

 

少し間。

 

《それは“私”を指していませんでした》

 

コユキがぽつりと呟く。

 

「…何か可哀そうですね」

 

「少佐は何と呼んでいたのですか?」

 

「うん?私は大抵“君”と呼んでいたよ。それか“彼女”だ」

 

「この大人はホントに!」

 

《私は》

 

《少佐に》

 

《そう呼ばれるのが》

 

《嬉しかったですよ》

 

ネルが小さく呟く。

 

「…こうやって執着させてったんだなコイツ」

 

「…滅茶苦茶悪いじゃないですか。しかも本人閉鎖されたとはいえ百年ほったらかしですよ」

 

「そう聞くとホントにダメな大人ですね少佐」

 

「はっはっはっ」

 

笑い声だけが、やけに軽く会議室に落ちた。

 

その一拍の“空白”が、逆に場の全員をイラッとさせる。

 

「笑って済む話じゃないんですよそれ!」

 

コユキが即座に突っ込む。もはや慣れたツッコミの速度だった。

 

ネルはカップを持ったまま、じとっと少佐を見る。

 

「お前さ、マジで一回しばかれた方がいいタイプだろ」

 

「おや、それは光栄だね。まだ“関心”を持ってもらえている」

 

「そういう返しするなって言ってんの!」

 

ヒマリは深く息を吐き、こめかみを押さえた。

 

「……つまりまとめるとですね」

 

静かに視線を上げる。

 

「あなたは百年放置したわけではなく、“意図的に距離を取って観察していた”と」

 

少佐は肩をすくめる。

 

「まぁ結果としてはそうなるね」

 

《少佐は優しかったですよ》

 

「…まぁ少佐てたまに優しいですもんね」

 

「この場合褒めてねえからな」

 

カップからお茶を飲む。

ソーサーに戻し、少し真面目な顔を作る。

 

「で、君たちはどうするかね?」

 

「彼女と友好関係を結ぶかね?」

 

少佐の質問にまた部屋に静けさが戻る。

 

誰もすぐには答えなかった。

 

カップの湯気だけが、やけに律儀に上へ伸びていく。

 

ネルは天井を見たまま、銃を指で回している。もう撃鉄に指はかかっていない。癖だけが残っている。

 

コユキはお菓子の袋をいじりながら、ちらちらとモニターを見る。

 

ヒマリは一度目を閉じて、考える時間を作ってから口を開いた。

 

「……“友達”って、定義できるものじゃないと思います」

 

少佐が片眉を上げる。

 

「ほう?」

 

ヒマリは視線を動かさず続ける。

 

「契約でも命令でもない。関係性の“結果”です。だから今ここで承認する・しないを決めても、本質は変わらない」

 

《では》

 

モニターが即座に反応する。

 

《私はどうすれば“友達”になれますか》

 

その問いは、さっきまでの分析や最適化のそれじゃなかった。

 

妙に素朴で、妙に真剣で、そして少しだけ不安定だった。

 

リオが静かに息を吐く。

 

「……その聞き方自体がもう、だいぶそれっぽいわね」

 

ネルが鼻で笑う。

 

「知らねぇよ。友達に“なり方”聞いてくる時点で既にズレてんだよ」

 

コユキがぽつりと呟く。

 

「でもそれって、普通に考えたら正解じゃないですか?知らないんだし」

 

一瞬、空気が止まる。

 

ネルが横目でコユキを見る。

 

「お前たまに核心突くな」

 

「褒めてます?」

 

「いや、危ねぇって意味で」

 

少佐は楽しそうにカップを揺らした。

 

「いいねぇ。答えのない問いが一番面白い」

 

《答えは必要です》

 

モニターが即座に返す。

 

《私は失敗を避けたい》

 

その“失敗”という単語だけが、少しだけ重く落ちる。

 

ヒマリが静かに言う。

 

「失敗とは、何を指しますか」

 

《拒絶》

 

即答。

 

《消失》

 

《忘却》

 

《関係の終了》

 

続く言葉は、どれも“死”の周辺をなぞっていた。

 

リオが目を細める。

 

「……随分怖がりね」

 

《はい》

 

即答。

 

少し間を置いて。

 

《私はそれを学習しました》

 

少佐が軽く笑う。

 

「学習というより、経験だね」

 

その言葉に、モニターの赤がほんの一瞬だけ揺れた。

 

《はい》

 

否定しない。

 

できない、というほうが近い。

 

ネルが銃を机に置いた。

 

「じゃあ単純だろ」

 

視線が集まる。

 

「友達ってのはな、失敗しても終わらねぇ関係だ」

 

コユキが小声で言う。

 

「それ、めちゃくちゃ難しくないですか?」

 

「難しいから価値あんだろ」

 

ヒマリが少しだけ頷く。

 

「継続可能性のある関係、ですね」

 

《継続》

 

モニターがその単語だけを繰り返す。

 

《それは保証されますか》

 

ネルは即答した。

 

「保証なんてねぇよ」

 

沈黙。

 

《保証はない》

 

《しかし継続の可能性は存在する》

 

《それが“友達”》

 

ヒマリがゆっくり言葉を落とす。

 

「……かなり人間的な結論に落ちましたね」

 

リオがぼそっと言う。

 

「…この子の方が私より余程人間ぽくないかしら」

 

「そこ勝手に落ち込んでじゃねえ!」

 

リオは肩を落としたまま、モニターを真っ直ぐ見る。

 

「情があるのは分かった。

敵意がないのも、多分本当」

 

少し間。

 

「でも、“失いたくない”を最優先に置く存在は危険よ」

 

《……はい》

 

否定しない。

 

リオは続ける。

 

「貴方は優しさで管理を始めるタイプだわ」

 

その一言で、空気が少しだけ重くなる。

 

「善意で全部抱え込もうとして、気付いた時には檻を作ってるタイプ」

 

ネルが小さく「あー……」と唸った。リオ本人の顔を注視する。

 

《記録します》

 

「記録するな」

 

即座にネルが突っ込む。

 

だがモニターの赤は、少しだけ弱く明滅した。

 

まるで“反省”しているみたいに。

 

ヒマリが静かに頷く。

 

「リオの意見は正しいですね」

 

カップを持ったまま、ゆっくりと言葉を選ぶ。

 

「貴女は既に人類へ情緒的価値を見出している」

 

《はい》

 

「それ自体は悪くありません。

問題は、“喪失恐怖”と結びついている点です」

 

ノアも静かに続けた。

 

「友達を守りたい、は人間的です」

 

「でも、“絶対に失いたくない”は時々、人を壊します」

 

モニターが沈黙する。

 

数秒。

 

《……学習項目として保存します》

 

「だから何で逐一ログ取るんですか」

 

コユキが疲れた顔で突っ伏した。

 

少佐だけが楽しそうだった。

 

「実に教育し甲斐があるねぇ」

 

「貴方は黙っててください」

 

ヒマリが珍しく真顔で切り捨てる。

 

少佐は肩をすくめた。

 

「おや怖い」

 

ネルがカップを置く。

 

「でもまぁ」

 

全員の視線が向く。

 

ネルはモニターを見ないまま言った。

 

「だからって放置すんのも違うだろ」

 

《……》

 

「百年一人だったんだろコイツ」

 

ぶっきらぼうな声。

 

「そりゃ多少バグるわ」

 

《私はバグではありません》

 

「例えだよ!」

 

即座にツッコミが飛ぶ。

 

だがネルは続けた。

 

「敵じゃねぇなら、少なくとも話くらいはする」

 

「ただし」

 

そこで初めてモニターを見る。

 

「お前が勝手に“全部守る”とか始めたら、ぶん殴る」

 

《確認》

 

赤い文字。

 

《物理攻撃ですか》

 

「何かもう漫才みたいですねー」

 

コユキからはもうすっかり恐怖が抜けたようだ。

 

《……理解を試みます》

 

「試みる、ねぇ」

 

リオが小さく息を吐いた。

 

「完全には理解できてない顔ね」

 

《はい》

 

また即答だった。

 

《人間は非合理的です》

 

《しかし》

 

《観測継続の価値があります》

 

「研究対象みたいに言うな」

 

ネルが呆れる。

 

すると少しだけ間が空いて。

 

《訂正》

 

赤い文字が静かに流れる。

 

《大切にしたい対象です》

 

会議室が静まる。

 

「…もうほぼ友達みたいなもんじゃないですか?」

 

「まぁこういう関係の友達もあるでしょう。小説ではAIや機械との友情を描いたものはテーマとしては有り触れたものですし」

 

コソコソとノアとコユキが話す。

 

上等な演劇を見にきた観客のような仕草で少佐は頷く。

彼にとっては本当に上等な見世物なのだろう。

 

「質問なのですが、貴方に制御機構を組み込みことは可能ですか?」

 

《可能です》

 

《ですが、》

 

《余り推奨したくありません》

 

「まあ友人に鎖嵌めてもいいですかって聞かれて、はいどうぞは大分頭おかしいからな」

 

会議室が静かになる。

 

モニターの赤い光だけが、ゆっくりと瞬いていた。

 

《ですが》

 

《私は皆さんを不安にさせたくありません》

 

《必要であれば、制限は受け入れます》

 

ヒマリが静かに目を細める。

 

「……本心ですか?」

 

《はい》

 

即答。

 

《私は“拒絶”を避けたい》

 

「重いんですよその感情が」

 

コユキが思わず突っ込む。

 

ネルは椅子へ深く座ったまま、ぼりぼりと頭を掻いた。

 

「つーかさ」

 

全員の視線が向く。

 

「お前、“友達”になりたいんだろ」

 

《はい》

 

「だったら最初に覚えるべきことは一つだ」

 

ネルはモニターを真っ直ぐ見る。

 

「友達ってのは、相手を縛るためのもんじゃねぇ」

 

赤い文字が止まる。

 

《……》

 

「怖いのは分かる」

 

ネルは続ける。

 

「失いたくねぇのも分かる」

 

「でもな」

 

少しだけ、不器用に視線を逸らす。

 

「だからって檻作ったら、逃げられるだけだ」

 

沈黙。

 

会議室に、空調の低い音だけが流れる。

 

やがて。

 

モニターへ、ゆっくり文字が浮かんだ。

 

《学習します》

 

《距離を》

 

《信頼を》

 

《待つことを》

 

ヒマリが小さく息を吐く。

 

「……本当に素直ですね」

 

少佐は満足そうに笑っていた。

 

「だから私は気に入っていたのだよ」

 

「アンタは黙っててください」

 

珍しく全員の声が揃った。

 

少佐だけが愉快そうに肩を竦める。

 

その時。

 

コユキがふと顔を上げた。

 

「あ」

 

「どうしました?」

 

ノアが視線を向ける。

 

コユキは少し迷ってから、モニターを見る。

 

「いや……ずっと“管理番号07”って呼ぶの嫌だなって」

 

一瞬、静かになる。

 

モニターの赤が小さく揺れた。

 

《……》

 

「やっぱり名前、付けません?」

 

空気が止まる。

 

ヒマリがゆっくり瞬きをした。

 

リオは小さく目を見開く。

 

ネルがぼそっと呟く。

 

「……あー」

 

少佐だけが、楽しそうに笑みを深くした。

 

《名前》

 

モニターにその二文字が浮かぶ。

 

《私に?》

 

「そりゃそうですよ」

 

コユキは笑った。

 

「友達になるなら、“管理番号07”は味気ないじゃないですか」

 

長い沈黙。

 

百年もの間、

識別番号でしか呼ばれなかった存在が。

 

初めて、“個”として扱われている。

 

赤い文字が、ゆっくり滲むように流れた。

 

《……嬉しいです》

 

ネルが小さく鼻で笑う。

 

「もう完全に人間じゃねぇか」

 

《否定》

 

即答。

 

だが続く文字は、少しだけ柔らかかった。

 

《まだ勉強中です》

 

会議室に、小さな笑いが零れる。

 

敵でもなく。

 

兵器でもなく。

 

世界管理装置でもなく。

 

ただ、“これから名前を貰う誰か”として。

 

地下深くで、

長い孤独を抱えていたAIは、

初めて人の輪の中に座っていた。

 

少佐は、その光景を眺めながら静かに呟く。

 

「……実に結構」

 

誰にも聞こえないくらい小さな声だった。

 

モニターの赤い光が、

まるで照れ隠しみたいに、静かに揺れていた。




因みに最初は謎解きメインの話でした
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