それを斬撃だと知覚できたのは人類の英雄たる虚狩りと英雄に実力を並べる宗主だけだった。
衛非地区にはこびり本能で人間を襲う異形の身体がずるり、と斜めにずれる。切り離された黒色の体躯は重力に従って地面に触れる前に、無数の斬り込みがエーテリアスを空へと還元した。
相対する敵が一瞬にして消滅した光景に殆どの人間が思考に空白を生み、生き残ったエーテリアスの雄叫びでようやく自身の役割を思い出した。
そして唯一下手人に心当たりのある
「あいつ、来ていたのか」
思い浮かべるのは一人の男。何処にでもいそうな出で立ちの、自分が百人束になっても敵わない、市長の隠し札。
十年前に姉の命を救った、姉妹の恩人。
自然と緩みかけた唇は慌てる弟子の声によって普段と変わらない硬度に戻った。
「師匠ー!今の見ましたか!?エーテリアスが一瞬で倒されちゃいましたよ!しかも衛非地区にいた殆どのエーテリアスに似たようなことが起きたって!」
「落ち着け
敢えて説明は伏せ、状況を確認するために脚を動かせば動揺しながらも福福は儀玄の後ろをついていく。儀玄の足取りは先ほどよりも軽く、ラマニアンホロウに向けられる視線には弟子に対する不安が無くなっていた。
(奴が来ているのなら、
問題はどこまで話していいのかという疑問と、あの男自身がどこまでこちらの事情を知っているのかという点。そしてどこまで男の情報を制限できるか。
なぜなら奴は──
「わっと、今、一瞬揺れたような……?」
地面から伝わる微かな揺れ。視線の先にある半球体に走る激しいノイズ。空間を断絶しているはずの壁はエーテル物質の性質を引きちぎられて、衛非地区を覆う暗雲の一部が貫かれた。局所的に集められる太陽の光は粒子の壁に一条の柱を浴びせている。
(やれやれ、相変わらず常識はずれな奴だ。言い訳を考える市長殿には同情する)
──なぜなら柊要という男は、自分が与える影響に興味が無さすぎる。表面上は考えるように見えても、どこか軽く思っているところが中々頭を悩ませる部分だった。
星見雅は妖刀の力を解放するとこでホロウと現実の境界を分断した。ならばただ人の身でまるごと貫いた奴は一体なんなのか。
ラマニアンホロウの外壁に傾く一条の光。暗闇に差し込み空を照らす光景は神々しさすら覚える。しかし、作った本人はきっと気づいてすらないだろう。
どれだけの人に見られて記憶に残ろうとも、奴からすれば些事でしかない。
始まりの主は消え、瞬光は無事に戻り、衛非地区は平穏を取り戻すだろう。膨大な情報統制の犠牲を持って。他にも多々考えることはあるが、今は帰ってくる二人の弟子を出迎えることの方が大事だと儀玄は残党の処理に当たるのだった。
その男がいつ、どうやって現れたのか
最低限切り揃えた黒髪。獣人のシリオンに並ぶ高い身長。整った顔立ちにある、関心の薄い鋭い目付き。
どこにでもあるような服装はなにも知らなければ一般人と認識してしまうほどで、それが余計に瞬光を混乱させた。
ただ、青溟剣だけは知っていた。突如として現れた男が最強の名を冠することを。刀剣に残る、歴代契約者の残留思念。戦いを求める剣意だけが、身を持って理解していた。
『亡者憑きの鈍刀以下が。海に沈めるぞ』
十年前、青溟剣の意思に当然の如く割り込み、それどころか言葉だけで黙らせた恐怖の象徴。今代の契約者に振り落とされた手刀の衝撃は、久しく忘れていた感情を呼び覚ますには充分だった。
(どうして、急に!?)
自身の戦う意思とは反対に静まりかえった青溟剣に瞬光は瞠目する。刀身の先端まで手足のように扱えていた得物が言うことを聞かない初めての事象に、瞬光の思考回路はショート寸前に陥る。
そして、止めとばかりに鳴り響く本能的な警鐘。殆ど反射的にアキラと
う
る
せ
え
声というものが、それだけで命に手をかけうることがあるのだと瞬光は初めてしった。
轟く破砕音。地面を揺るがす破壊的な衝撃。遅れて突き抜ける強風。恐ろしい暴虐の嵐はその破壊力とは裏腹に副次的被害をもたらさず、抹殺すべき標的のみに殺到する。
やがて風が止み、外壁の崩れる音が乾いた物へと変わって、瞬光たちはようやく顔をあげた。
「な……」
暴虐の嵐が刻んだ直径数メートルの巨大な穴と高く積み上げた瓦礫の山に驚きのまま硬直する。青溟剣の力を吸いとったはずの始まりの主はその存在を消失し、穴の先に映る虚飾の背景が悲鳴をあげるように夥しいノイズを走らせていた。
生きて帰れるかも分からない、命をかけて戦うつもりだった敵は虫を殺すような軽快さで圧殺された。瞬光の戦う覚悟を巻き込んで。
肌で感じる静寂は人類の脅威を跡形もなく消し飛ばしたことを示しており、帰る場所も大事な人も守られて、自分も代償の苦しみに苛まれずに戦闘は終わりを告げた。誰もが望み、しかし期待していなかったこの上ない勝利の形。
ならば、この胸に空く喪失感はなんなのだろう。ホロウに入る前に抱いた青溟剣を握るという覚悟。守りたいもののために戦う決意。
──果たしてそれは、本当に必要だったのか?
「瞬光?」
降りかかった気遣いの声色に瞬光ははっと意識を目の前に向ける。
声の持ち主に目を向ければアキラが心配そうに覗きこんでいて、その少し下では照が似通った瞳で見上げてきている。
「瞬光ちゃん大丈夫?声かけても反応が遅かったけど」
「……大丈夫よ、照さん。ちょっとびっくりすぎて放心してただけだから」
「そお?身体に何もないならいいんだけど、おかしなところがあったらちゃんと言ってね?青溟剣越しとはいえ、始まりの主に干渉されたんだから油断は駄目だよ」
「ありがとう。でも本当に大丈夫なの。何か起きる前にあの人が倒しちゃったから」
上手く作れているか分からない乾いた笑みを浮かべると、一先ず納得したような照は垂れた目尻を鋭いものに変えた。
「あの男が敵じゃないって決まったわけじゃないけどねえ。市長とか儀玄さんと繋がってる言い方だったけど、本当かどうかは戻らないと分からないし」
「それに一番話を聞きたかったサラを連れて行ってしまったからね。関わりを騙るだけの口封じの可能性もなくはない」
照の台詞を引き継いだアキラが重要な手がかりを逃がしたことに対する悔しさを滲ませながら不信感の理由を語る。
市長の駒という発言が事実ならそう遠くない内に本人から連絡がくるはずだ。逆にそうならなかった場合状況は振り出し、それどころか敵勢力には始まりの主を一撃で葬った人間がいることになる。あまり考えたくないことだった。
想像したくない未来に瞬光は頭を降って、呆けた耳に聞き逃せないことがあることを思い出す。
「アキラに言っていたことも気になるわ。身体がどうこうって」
「……ただの悪口に聞こえなくもなかったけれどね。実際にどこか異常があるわけでもないし」
確かに台詞そのものはただの暴言だ。けれどあの声色は悪意あるものではなく、呆れを多分に含んだ声で耳に残っている。まるで、熱が出ていることに気づいていない子供を窘めるような、あちらだけが一方的に理解している感覚とでも言えばいいのか。
アキラとしてはいい気分ではないが、あの男からは全く敵意を感じなかったこともあり複雑な心境であった。
不可解で不透明で、信じられないことがある。しかし、一つだけ確かなこともあった。
「何にしても、今は全員無事であることを喜ぼう。特に瞬光に関しては本当に肝が冷えたよ」
「うっ、それはその……ごめんなさい」
「やっぱり教えてなかったんだあ。あれには流石の私も言いたいことあるかなー」
アキラが浮かべる安堵の表情と、安心するような声色とは反対に全く笑ってない大きな瞳に瞬光は文字通り縮こまるしかなかった。
彼の介入がなければ瞬光が今立っているのかも分からないことを彼女はしようとしていたのだ。元より青溟剣の代償ありきとはいえ、弟弟子として或いは友人として、見過ごしていいことではないのだろう。
けれど、その方法を取らざるを得ない事態だったことも確かである。だからこそ、頼ってくれなかったことを責めるのではなく心配だったと、そして無事で良かったと伝えることがアキラの口にできることだった。
尤も、それで先代の契約者であり師父でもある
腕を組み膨れっ面で見上げる照と申し訳なさそうにしながら宥める瞬光という構図に、アキラは苦笑を浮かべつつ案内役としての仕事を再開するのだった。
儀玄
適当観の宗主。戦えない姉に代わって宗主を努めているが割りと大雑把な性格。主人公との関わりを知っているのは姉と市長のみ。半年に一回か年に一回くらいは顔を合わせている。
旧エリー都陥落時に姉を助けられてから主人公に恩を感じているが会う機会もなければ返す機会もなく、気づけば十年経っていて頭を悩ませている。
儀降
存命。儀玄の姉で青溟剣の先代契約者。旧エリー都陥落の時に青溟剣を使いすぎて足が使い物にならなくなった。陥落時に文字通り死ぬつもりだったが飛び込んできた主人公によって結果的に助けられ、ついでに青溟剣との契約を破棄された。
適当観では妹の大雑把なところを補う立ち位置で修行には基本的に口出ししないが、次代の契約者となってしまった瞬光にだけ先代としての助言をしている。アキラから瞬光の所業を聞いておこ。
葉瞬光
今代の青溟剣の使い手。原作とは違って虚狩りの称号を授かってない。瞬光だけではなく、適当観全体としての功績になりそこそこの褒賞が送られた形。主人公の横やりによって成すことを成せなかった。色々終わったあとに儀降から優しい笑顔で詰められる。
青溟剣
傍迷惑な鈍刀以下のゴミ武器。性質が主人公の地雷で一度砕かれかけている。儀降の代償を五感や記憶ではなく足のみにすることを条件に破壊を免れた。瞬光のやろうとしていることを理解した中の人達は青溟剣の死を悟っていた。力を抑えたのは悪いのは使い手本人ですというアピール。じゃあ壊すね。