電子の海が形を作る仮想空間。広がる物質は偽物であり、如何なる行為も現実に影響を与えないVR。
無機質な壁も重厚な床を照らす照明もすべてが贋作。どれだけ傷をつけようとも意識を切り替えれば、何事もなくもとに戻る理想の修行場。
『仮想戦闘訓練模擬実践、超高難易度ver』
抑揚のない機械的な音声が定型文を読み上げる。幾度となく聞いた変わらない声。変えられない、声。
場に立つのは現代の虚狩り、星見雅。そして、最強の情報をもとに再現された細身で長身の男。
片や得物に手をかけ抜刀の姿勢を取り、片や両手をだらりと下げた無防備な体勢を維持している。集中力を高める紅い眼と冷淡な鋭い目付きが交差し──
『スタ──訓練を終了します。お疲れ様でした。戦闘の詳細はバトルログ機能をご確認ください。またのご利用をお待ちしております』
暗転。目の前に浮かぶ″LOSER″の赤字。仕事を終えた世界が分解され、再構築されると本来の姿を取り戻した。長身の男は姿形もなく消えている。残されたのは抜刀の姿勢のままの雅だけ。
何度も見た光景。何度も耳にした音声。いつまでも成立しない戦い。その度に刻む、星見雅の敗北。
雅は慣れた手つきで再戦の手続きを行う。ログは見るまでもない。理屈は理解している。あとは反応するだけ。それが果てしなく遠い。
『仮想戦闘訓練模擬実践、超高難易度ver』
変わらない定型文。変わらない立ち姿。変えられない結果。だがしかし、雅に諦めるという選択肢はない。ただ挑むのみ──己の見えない、高みへ。
雅がその男を見つけたのは本当に偶然だった。
応援要請により駆けつけた衛非地区で目撃した斬撃。気づかなければ斬られたまま生きることになる、神業のごとき超越した技術に雅は既視感を抱いた。
頭に残る感覚を確かめるため、事後処理を柳に任せてHIAへと赴き、そこで既視感の正体を理解したのだ。
毎日自分を殺す、圧倒的な殺意。命を刈ることに比重を置いた即殺の刃。電子空間にしか存在しないはずの絶対強者が扱う、殺意の塊。
全く同じ。それどころか、衛非地区で見た斬撃は雅を断頭するものよりも、美しく軽やかで極められていた。
たまたま?そんなわけがない。知識に疎くともVR空間が現実を元にしているのは理解している。再現するためにはオリジナルが必要だ。ならば、衛非地区で魅せられた天上の業を扱う人間こそが、自分の首を作業のように切断する男のモデルなのだ。
可能性があるのは分かっていた。しかし、実体のない虚像が実在する事実と実感に雅は高揚を覚えた。
自分より強いどころか同等の実力者を探すのでさえ苦労するというのに、指一つで首を飛ばす偽物よりもさらに上に立つ強者がこの世界にはいる。高揚するなという方が無理だった。
探すか?無理だ。探して見つかるようならとっくに見つけている。あれほどの強者でありながら、雅の嗅覚に反応しないということはそれだけ周囲に溶け込む技術と自律心を持っているということだ。実力差を鑑みて探しだすのは不可能と言っていい。
だから待った。雅の生活圏の中でそれらしい人間が現れるのを。アンテナを張り巡らして、時に周囲を観察しつつ日に日に焦がれる闘争心を抱きながら。
長丁場になろうと予想していた雅とは裏腹に目的の人間はすぐに姿を見せる。
細身で長身、虚像と似通った顔の輪郭。なによりも歩くだけでも理解できる、溢れでる暴力性を律した神がかり的な技術。極限にまで研ぎ澄まされていながら、どこか余白のある業は衛非地区で魅せられた斬撃を連想させた。
その時の雅の心境はもはや、顔の見たことのない恋人を見つけたようなものだった。勿論、行動源も動機もそんな穏やかなものではないのだが。
昂る闘争心のまま雅はその男に声をかけるのだった。
結果として柊要と名乗った最強と戦うことは叶わなかった。
理由はシンプル。実力差がありすぎた。これにつきる。
個人的な事情から始まり、周囲への配慮と雅自身の視野狭窄による短絡的な思考。止めに足元にも及ばないかけは離れた実力差。精神面から見ても我を押し通すための力が圧倒的に不足していて、要の方がすべてにおいて上手だった。
そこはまだいい。雅にとって相手が強いことは喜ぶべきだ。問題なのは、高揚するあまり要がどのように生きているのか考えなかった己の浅はかさ。
歩くだけで分かる、律された暴力性と人を超越した技術。本来なら必要のない技術を使わなければならない、人智を越えた肉体。それが普段どれだけの苦行を強いているか、雅には想像すらできなかった。
要は今の生活に満足していると言っていた。幸せだとも言っていた。けれど、初めからそうであったわけがない。
必要のない技術を身につけ、我慢を強いられることに納得し、今を幸福だと言えるまで苦心に苦心を重ね、葛藤と怒りを抱くことだってあったはずだ。雅の考えすぎかも知れない。しかし、過去を想像すらせずに身勝手な願望を宣った自分は、あの場で首と胴体が泣き別れしてもおかしくはなかった。そうならなかったのは柊要という男が捨てていても当然な良心を持った善い人間だったからだ。
愚か。身勝手の極み。理性があるだけの猪。人参をぶら下げられた馬ではないなにか。生殖本能が闘争に変わっただけの万年発情ウサギ。
己で手をかけた過去の母親ですら、頭の中でおいたをした娘を困ったように眺めている。
ありとあらゆる自責の念に罪悪感をメッタ刺しにされながら、雅はHIAの自動ドアを潜った。
「あ、雅さんだ──なんかすごい凹んでない?」
「そうか?いつも見るようにキリっとしてると思うけど」
「いや表情とかは普段通りだけど、雰囲気?がどんよりしてる気がして」
「……でも普通にあのモード入ってったぞ。気のせいじゃないか」
一年以上HIAに入り浸ったおかげで、虚狩りの大層な肩書きとは反対に一般人との距離感はそこそこ近くなっている。気安く話しかけてくるような命知らずはいないが、星見雅はどこにいる、と聞かれれば大半はHIAを指すだろう。そして基本的に間違っていない。雅が敗北を知る場所はここにしかないのだから。
人一人が寝転べるカプセルに寝そべり、意識をVRへと切り替える。一瞬の暗転を挟めば現れる電子空間の中で、雅はホログラムに映る難易度へ指を滑らせる。選択するのは勿論、未だにクリアできていない超高難易度。
他の難易度と違いエネミーの詳細な情報は記載されていない。挑戦者が取得できる前情報は黒く塗り潰された長身と赤く輝く鋭い眼光のみ。公式の説明文はなく、備考欄には″HIAが用意した現代技術の結晶″の文言。
戦闘開始の文字に触れる前に、雅は敵の姿を映すホログラムへ指を伸ばした。要を模した虚像は男だと判断できる輪郭と目付き以外をすべて黒に塗り潰している。これはあくまでも、戦闘訓練にしか存在しないという刷り込みであり、間違っても使用者に要という元ネタを知られないための措置だ。
けれど今日、雅は知ってしまった。虚像の中身、黒に潰された下にある男の生き方を。当たり前の日常を享受する、どこにでもいる男の姿を。
そんな人間に戦いを求める?何を言っているんだ、むしろ逆だろう。戦わせてはいけないのだ。奴が選びとった日常だって、星見雅が守らなければならないあるべき平穏の一つなのに。
そもそもとして、雅は勘違いをしていたのだ。神のごとき技術には周りを巻き込まないための工夫と練り上げられた練度があり、そこに至るまでの高いモチベーション、或いは相応の理由があるのだと決めつけていた。
だが実際は順番は逆で、理由も高いモチベーションもない。ただ普通に生きるために必要なだけだった。必要に駆られて身につけた、人に溶け込み人でいるための技術。英雄どころか凡人すら必要としない、人として当たり前に生きるための術。
それを己の欲を満たすだけに使ってくれなど烏滸がましいにもほどがある。だというのに、要から投げ掛けられたのは文句ではなく感謝の言葉で、さらには戦うための理由さえもくれたのだ。
当然のように吐かれた感謝に胸が熱くなったのを覚えている。与えられた称号に見合う働きをしているとは思えず、悲劇を作る原因は未だに健在のまま。それでも、自分の積み上げてきたものが間違いではないと言われた気がして、雅が守っているものがなんなのかを実感できたから。
応えたいと強く思う。柊要が普通の生き方を選んだように、星見雅は人と人の営みを守る防人としての生き方を選んだのだから。
それを現実とするためには越えねばならない。目の前の壁を。戦場にあの男など不要なのだと、結果を持って証明する。
眼を閉じて、酸素を軽く吐き出し、意識を切り替える。まずは敵の情報を柊要という人間を通してアップデートしなければ。
衛非地区で魅た斬撃。毎度寸分狂わず断頭する刃。極限まで練り上げられ日常生活に応用された技術。これらから推察できるのは、要の周囲に対する配慮と効率を追及する無慈悲さであると雅は当たりをつけた。
要自身が動かず、敵を動かさず、頸という生物における共通の弱点を的確に切断する。戦闘に時間をかければ被害が増えるのは当然だが、要の場合は被害を増やす側だ。周りを巻き込まないために最速、最短、最高率で戦闘を終わらせる手段が、認識を引きちぎる即殺の刃にへと収束したのだろうと考えるのが自然だった。
次に対策。
これは反応するしか方法はないと確信した。反射や勘では駄目だ。敵影の動きは雅を遥かに凌駕してくる。反射や勘に頼ったところで上回る速度ですり抜けてくるだろう。五感をフル稼動して発生の瞬間に反応して逸らす。この方法以外はありえない。
自分より速いのに反応できるか?否。反応するのだ。しなければ話にならない。
今までは敵という情報以外なく、徹底した命を刈り取る姿が不気味に見えていた。しかし、要の人物像を通すことで姿形が鮮明に映り、戦闘方法にも個人なり理屈があるのだと人らしさを感じ取れている。物怖じする理由はもうどこにもなかった。
最後に弛く敵影をなぞり、雅は戦闘開始の文字に触れる。
『仮想戦闘訓練模擬実践。超高難易度ver』
変わらない定型文が読み上げられ、最強を模した黒影が形を作る。雅は膝を軽く落とし、鍔に指先を添え、柄に手をかけた。居合というには少し気の抜けた姿勢。だが、このくらいが丁度いい。焦点を奴に見据え、眼に映るすべてで奴に食らいつく。
『スタ──』
機械音声が聞こえる前に、雅は抜刀した。
耳元で響く鋭い刃物をぶつけ合わせたような衝突音。視界の左端から右へと爆ぜる火花。赤と橙で燃える火の粉が肌と髪を焦がし、雪を思わせる肌に朱い足跡を残す。
一合。
初めて剣戟を成立させるために雅が選択したのは往なすのでなく、打ち上げだった。真空に近づくまで圧縮された刃を受けるのは部が悪いと判断し、耐久の低くなる広い面をかち上げたのだ。刀と同じ原理が通じるか確証はなかったが似た得物同士、通じるものがあったが故の選択は間違っていなかった。
それでも、まだ一合。防げば終わりではない。赤い眼光が初めて動く。
二合目。
視線の矛先を雅は見逃さなかった。オリジナルの人物像から推測できる狙い目は、心臓及び肺のある胸。そして、致命傷になりやすい肝臓が配置された右胸の下部。
相変わらず敵影は一歩を動いていない。しかし雅は即殺の刃が射出される瞬間を確かに捉えた。二つ。向かう先は想定通りの左胸と右胸の下部。雅を挟み込むように、それでいて袈裟斬りのような斜め向きの軌道。
両方防ぐのは不可能。どちらかは受けねばならない状況で、雅は迷いなく肺と心臓を守ることを決めた。斜めに向かってくるということは逸らしやすいということ。正面からは受けずに面方向を打ち払い、さらに一歩踏み込んだことで体の幅を狭め軌道上から肝臓を失くす。
面の向きから圧力を加えられた刃は雅の脇腹を掠めるに留まり、目的の失くなった刃は二の腕に赤い線を走らせると隊服を断ちながら朱く染めあげた。
二合を経てまだ生きている。その喜びに浸るまもなく奴は動いていた。
三合目。
雅の眼に映る、複数の縦線と横線を交差させた格子状の刃。視界の端から端まで埋めつくされたそれは逃げ場のない、絶望の光景。
防御、回避不能。否。回避は不要。これは面制圧による回避を誘発し、硬直を刈るためのミスディレクション。それでいて、受ける想定の右足と頸を軌道に置いた、後追いしてくる方が本命だと雅は判断した。
ばつ、と雅の全身に二センチ角の赤い線が走る。肉を断つほどには深く斬られたが、それだけだ。まだ、死んでいない。赤黒くなる視界のまま頸に向かう刃を打ち上げ、足を縦に揃えながら肩を並行にするように半身を逸らす。
再び火花が散り、通り過ぎる刃に飛び散った血液が切り伏せられながら地面に降り注ぐ。
四合──視界に入る、くの字に折れた長い脚。
一閃。
『訓練を終了します。お疲れ様でした。戦闘の詳細はバトルログ機能をご確認ください。またのご利用をお待ちしております』
世界が暗転してすべてが元に戻る。血をしたらせていた斬り口も肌を朱く染めた火傷もなくなり、無傷の身体が構築されていた。
一拍置いて雅が膝を折ると固い床に鈍い音を響かせる。そのまま膝をついた状態でどさり、と背中から崩れた。
「はぁっ……はぁっ……」
時間にして数秒。奴に勝ったわけでも傷をつけたわけでもない。たった四回、手を交えただけ。
「はぁっ──くはっ」
だというのに、この高揚はなんだ。
肺は焼けるように酸素を求め、手足がおかしいくらいに震えている。なのに、口角が吊り上がる。胸が昂る。できるはずないのに、もう一度と馬鹿の一つ覚えで再戦を望んでいる。
幻影で、一割で、この心の潤沢と渇き。ならば本人なら。なにも考えずお互い心行くまで刃を重ねたら。
想像するだけで笑みが広がる。震える四肢に力がこもる。血液という血液が加速して、どうしようもなく胸がざわつくのだ。
もっと見たい。もっと味わいたい。要の技術。要の戦い方。指の先から、脚の爪先まで。まだ見せない、眼光の鋭さまで。
愉悦?否。愉快だ。自分の力が通じず、どれだけ手を伸ばしても届かない感覚。届かなくても誰も死ぬことのない、負けてもいい戦い。次があってもいい戦いが愉快で楽しくて堪らない。
「……落ち着け。反省したばかりだろう」
雅はようやく落ち着いてきた呼吸に合わせて昂る血潮を引かせていく。感情のまま動くのは悪い癖だと改めて自覚したはずだ。要と戦いたいなら、感情のコントロールもできるようにならねばと強く自身を諌める。
そう急かなくても、ホロウさえどうにかなればいいのだ。言質は既に取っているのだから。
それに先ずは数秒しか戦闘が成立しない模造品に勝てなければ。片手で転がせるようになってからがやっとスタートラインといったところか。目下はこれに集中するとしよう。
雅は慣れた手つきで再戦をしようとして、戦闘開始に触れかけた指を止める。代わり、要を模す敵影を優しく撫ぜた。
その行為に意味はない。意味などなくていい。ただ、雅がそうしたかっただけ。意味を知るのは、柔らかく広がる唇のみ。
それに自覚することなく、少しばかり強くなった英雄は仮想空間から去るのだった。
星見雅
クソゲーを唯一心の底から楽しんでいる様子のおかしい英雄。勝てない、手も足も出ない、食らいつくのが精一杯。それが笑っちゃうくらい楽しい。もうさぁ、無理なんだよねえ!反応するのだってぎりぎりなんだからさぁ!(歓喜)
主人公の在り方を見て立ち振舞いに落ち着きを見せ始めた。瞑想中も意識の切り替えが早くなったし、全く話を聞いていないが会議をブッチすることも減ってきている。不審に思った柳から心配をされた。
実は原作よりも強くなっている。妖刀の力?間に合ってるから必要ない。無尾より丈夫で斬れる得物が手に入ったら普通に浮気するし、その内技術だけで雲を割る。
仮想戦闘訓練模擬実践、超高難易度ver
スタートのスが鳴った時点で0.01fの即死攻撃が飛んでくるクソゲーの中のクソゲー。置き回避や置き弾きには反応して別方向からの斬撃を飛ばしてくる悪質仕様。勿論予備動作なんてものはないので、ちゃんと反応する以外の対策はない。
戦闘スタイルは主人公を模した通り最速最短最高率で戦いを終わらせる効率厨タイプ。基本的には空間を裂く真空の斬撃がメインで、動かされた時点で本人は負けだと思っている。三合打ち合ってさらに直接殺させたのは結構すごいこと。