武蔵転生記   作:masasoukoku

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ラナーとクライムの甘々エピソードです


第百一話 【第百回達成記念その2 ラナー様の家庭の事情】

帝都の一角。

 

以前とは比べものにならないほど立派な屋敷で、ラナーとクライムは新しい生活を送っていた。

 

屋敷には庭があり、使用人たちが行き交い、食事の時間になればきちんと料理が運ばれてくる。

 

その中には、かつてワーカーとして活動していたフォーサイトの面々もいた。

 

「庭の手入れは終わりました!」

 

「買い物はこちらです!」

 

「夕食の準備も整えております」

 

屋敷のことは彼らが手際よくこなしてくれる。

 

以前のように、クライムが朝から晩までラナーの身の回りの世話をする必要はなくなった。

 

それだけでも、クライムにとっては大きな変化だった。

 

そして――。

 

ラナーが身ごもっている今、以前のように夜まで気を張る必要もない。

 

少なくとも最近のクライムは、かなり穏やかな日々を過ごしていた。

 

ただ一つ。

 

ラナーに出すお茶だけは、今でもクライム自身が用意している。

 

「ラナー様、お茶です」

 

「もう、クライムったら」

 

ソファに座っていたラナーが、ぷくっと頬を膨らませた。

 

「私、あなたの奥さんよ?」

 

「え?」

 

「そんな遠慮した言い方、やめてくれないかしら」

 

「……あ、ああ」

 

クライムは少し困ったように笑った。

 

「すまない。ラナー」

 

「うふふ。それでいいの」

 

ラナーは満足そうに微笑む。

 

だがクライムは内心で苦笑していた。

 

――長年の習慣というものは、そう簡単には変えられない。

 

ラナーにどれだけ「遠慮しないで」と言われても、彼女を呼ぶときにはどうしても昔の癖が出てしまう。

 

そんなクライムを見つめながら、ラナーが身体を寄せてくる。

 

「ねえ、あなた」

 

「ん?」

 

「私、そろそろ安定期なの」

 

「そ、そうか」

 

クライムは素直に頷いた。

 

「それは……よかった」

 

ラナーはにっこりと笑う。

 

その笑顔が、なぜか妙に意味ありげだった。

 

「だからね」

 

「?」

 

「今夜は、精のつく料理を作るようにお願いしておきました」

 

「…………」

 

クライムの動きが止まる。

 

「わかりますよね?」

 

「…………」

 

ラナーが顔を近づける。

 

「あなた?」

 

「……あ、ああ」

 

クライムはなんとか返事をした。

 

そこで改めて、今日のラナーの服装を見る。

 

いつもより華やかで。

 

どこか大胆で。

 

明らかに自分を意識させるような装いだった。

 

「ふふっ」

 

ラナーが楽しそうに笑う。

 

「今夜は、ゆっくりお話しましょうね」

 

「……ああ」

 

クライムは頷いた。

 

そして心の中で、ふと遠いところにいる一人の男を思い浮かべる。

 

――武蔵さん。

 

自分はいま、本当に幸せなんでしょうか。

 

答えはすぐには出なかった。

 

けれど。

 

隣で幸せそうに笑うラナーを見れば、少なくとも――。

 

「クライム?」

 

「なんでもない」

 

「そう?」

 

ラナーは首を傾げると、再び彼の肩に寄り添った。

 

「それなら、今夜も一緒にいてくださいね」

 

「……ああ」

 

クライムは穏やかに微笑んだ。

 

帝都の夜は、静かに更けていった。

 

-------------------------------------------------------------

静かに暮れゆく帝都。

 

夜の帳が街を包み、ラナーとクライムの新居にも静かな時間が訪れていた。

 

そして――ラナーの寝室。

 

「ねえ、あなた……来てえ」

 

以前のラナーからは想像もつかないような、甘えた声だった。

 

「わ、わかった。今行くよ。ちょっと待っていてくれ」

 

クライムは一度深呼吸した。

 

「…………よし」

 

覚悟を決め、寝室へ向かおうとした、そのときだった。

 

ドンドンドンッ!

 

「……?」

 

突然、玄関の扉を激しく叩く音が響いた。

 

「こんな時間に?」

 

クライムが立ち止まる。

 

しばらくして、今度は寝室の扉が控えめに叩かれた。

 

コン、コン。

 

「あの……」

 

聞こえてきたのはイミーナの声だった。

 

「お城からの御使者です。皇帝陛下から急な御用があるとかで……」

 

クライムの顔が固まった。

 

――よりによって、今か。

 

もちろん、イミーナたちも知っている。

 

ラナーがこういう時間を邪魔されることを、極端に嫌うことを。

 

以前も同じようなことがあった。

 

そのときのラナーは――。

 

『今、この私を呼び出したの?』

 

笑顔なのに、背後から凄まじい圧力を放っていた。

 

その姿を見たイミーナたちは、それ以来、夜のラナーの部屋を訪ねることには細心の注意を払っていた。

 

しかし今回は、皇帝陛下からの使者である。

 

無視するわけにもいかない。

 

「……そうですか」

 

ラナーの声がした。

 

「帝城からの使者ね」

 

「はい……」

 

「へえ……」

 

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。

 

空気が変わった。

 

クライムの額に冷や汗が浮かぶ。

 

「ラ、ラナー……?」

 

振り返ったクライムが見たのは、にっこりと笑っているラナーだった。

 

ただし――。

 

その背後から放たれる圧力は、とても妊娠中の妻が夫に見せるものではなかった。

 

クライムは思った。

 

――この圧……。

 

――武蔵さんやセバスさんに匹敵する……!

 

扉の向こうでは、イミーナが固まっている。

 

「……あの、ラナー様?」

 

「ええ。すぐ行きます」

 

にっこり。

 

「皇帝陛下からのお使いですものね」

 

「は、はい……」

 

ラナーは寝室の扉を開けた。

 

笑顔だった。

 

完璧な笑顔だった。

 

だが、イミーナには分かっていた。

 

――これは怒っている。

 

しかも、ものすごく。

 

クライムはそんなイミーナを見て、心の中でそっと呟いた。

 

(……気の毒に)

 

そして同時に――。

 

(俺も、かなり気の毒なんじゃないだろうか……)

 

帝都の夜。

 

皇帝からの突然の呼び出しによって、ラナーとクライムの穏やかな夜は、思わぬ方向へ転がり始めていた。

 

-------------------------------------------------------------

「……で?」

 

部屋に通された使者を前に、ラナーは不機嫌そうに尋ねた。

 

先ほどまでの甘い雰囲気は、すっかり消えている。

 

「は、はい。皇帝陛下より、ラナー様に直接ご相談したいことがあるとのことでございます」

 

「どのようなことで?」

 

「そ、それは――」

 

使者が言葉を濁す。

 

「いいです。分かっていますから」

 

ラナーは、使者が答え終わる前に静かに遮った。

 

「皇帝陛下が何を相談したいのか、おおよその見当はつきます」

 

「は……」

 

使者――エルヴィスは戸惑った。

 

その顔を見て、ラナーは微笑む。

 

「それはそうと……」

 

声の調子が変わった。

 

「使者殿。あなたのお名前は?」

 

「は、エルヴィスと申します」

 

「エルヴィス……」

 

ラナーはその名前を口の中で転がすように呟く。

 

「なかなかいいお名前ですこと」

 

にこり。

 

笑顔だった。

 

しかし――目は笑っていない。

 

クライムとイミーナは、ほぼ同時に思った。

 

(これは……まずい)

 

「エルヴィスさん」

 

「は、はい」

 

「ご結婚は?」

 

「は?」

 

唐突な質問に、エルヴィスは目を瞬かせた。

 

「いえ……妻がおります。子供も一人」

 

「そう」

 

ラナーは満足そうに頷いた。

 

「奥様がいらっしゃるのなら……分かりますよね?」

 

「……?」

 

エルヴィスには、まだラナーの意図が分からない。

 

「今頃、奥様は怒っていらっしゃるでしょうねえ」

 

「え?」

 

「せっかく夫婦水入らずで過ごしている時間に、不躾に人が押しかけてくるんですもの」

 

「…………」

 

「しかも、その用件が『相談したい』ですって」

 

ラナーは笑っている。

 

だが、その声は妙に低い。

 

「ねえ、エルヴィスさん」

 

「は、はい……」

 

「あなたのお宅に、こんな時間に人が突然やって来たらどうします?」

 

「!」

 

ようやく、エルヴィスにも意味が分かった。

 

「は、はぁ……」

 

返答に困りながらも、彼は頭を下げる。

 

「申し訳ございません。しかし、皇帝陛下より直々に――」

 

「いいんですよ」

 

ラナーはあっさりと言った。

 

「家臣の務めですもの」

 

そして、笑顔。

 

「この借りは、たっぷり陛下から取り立てますので」

 

「…………」

 

エルヴィスは背筋に冷たいものを感じた。

 

出発前。

 

皇帝ジルクニフから言われた言葉が、今さら脳裏によみがえる。

 

――ラナー殿下を怒らせるなよ。

 

当時は、単なる冗談だと思っていた。

 

帝国で知られる「黄金姫」。

 

慈愛に満ちた、美しく聡明な王女。

 

そんな人物を怒らせるなと言われても、さほど気にはしていなかった。

 

しかし――。

 

(こ、この女性……)

 

(とんでもない食わせ者だ……!)

 

エルヴィスの生存本能が、猛烈な警報を発している。

 

「で、では……私はこれで失礼いたします」

 

「まあ」

 

ラナーが首を傾げる。

 

「あら、まだお茶も差し上げていませんのに」

 

「い、いえ!」

 

エルヴィスは慌てて首を振った。

 

「妻も待っておりますので!」

 

「あら、そう」

 

ラナーは微笑んだ。

 

「家庭は大事にしないといけませんものね」

 

そして振り返る。

 

「イミーナ」

 

「はい」

 

「御使者殿をお送りして差し上げて」

 

「承知しました」

 

イミーナがエルヴィスの横に立つ。

 

「御使者殿、こちらへ」

 

「は、はい!」

 

エルヴィスはほとんど逃げるように部屋を出ていった。

 

扉が閉まる。

 

しばらく静寂。

 

「…………」

 

クライムは黙っていた。

 

そして――。

 

「……あーん」

 

「え?」

 

振り返ると、ラナーが両手を広げている。

 

「クライムぅ」

 

先ほどまでの威圧感など、どこにもない。

 

甘えるような声で、ラナーがクライムに抱きついた。

 

「もういやよぉ」

 

「ラナー……」

 

「せっかくの楽しみだったのに、邪魔されるなんて」

 

「……ああ、そうだね」

 

クライムは苦笑しながら、ラナーの頭を優しく撫でる。

 

ラナーは満足そうに目を細めた。

 

「ふふ……やっぱりあなたが一番ね」

 

「…………」

 

クライムはラナーの髪を撫でながら、ふと窓の外を見る。

 

帝都の夜は静かだった。

 

しかし――。

 

(今夜は……長くなりそうだ)

 

そんな予感だけは、妙にはっきりとしていた。

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